反撃の狼煙②
「サイ・ミフネさんとドミニカ・マーシャル=ホールさんは、しばらくなりをひそめるつもりだと思うんだよね。もちろんのんびり休んでるヒマなんてないと思うけど、しばらくは表に出てこないと思う……どうしてもなみがそんな風に推理したか、聞きたい?」
三日前、ディナーのピザをきれいにたいらげた後、七星は「トラメちゃん救出作戦」と銘打って、意気揚々と語りはじめたのだった。
「理由その一。二人の魔術師と二人の幻獣のうち、過半数がそれなりの深手を負ったから。……アルミラージのムラサメマルちゃんは治癒の術を得意とするらしいけど、アクラブの知識によると、隠り身の力を使わないかぎりそうそう大きなケガは治せないようなのね? ケガを治すために寿命をちぢめるなんていう本末転倒な真似はできないだろうから、みんなそれぞれ満身創痍のはず!」
サイはトラメにしこたまぶん殴られていたし、エルバハもラケルタに片腕を吹き飛ばされていた。ドミニカも、ああいうやつだからダメージのほどはわからないが、あれだけ頭から流血していたのだから軽傷ということはないだろう。
とりあえず、五体満足なのはアルミラージただひとりであるはずだ。
「理由その二。ヤクモミワちゃんを仲間に引き入れたはいいけど、もなみたちにトラメちゃんを奪われてしまった以上、その取り扱いはけっこう面倒なはず。……自害されたり、裏切られたり、もなみたちに拉致されたりしたら、せっかく封印したトラメちゃんの力を解放される羽目になっちゃうからね! 大事にあつかう筋合いはないけれど、かといってあまりないがしろにはできないし、目を離すこともできない。はっきり言って、今のヤクモミワちゃんは、彼らにとってなかなかのお荷物になってくれてるはずだよぉ」
あの場でトラメを始末できていれば、それほどのお荷物にはならなかったということか。
なるほど。トラメの件さえなければ、自害されようと裏切られようと俺たちに拉致されようと、たいした痛手にはならないもんな。
ラケルタがまともに動けるようになるには、サイたち以上に時間がかかりそうだし。トラメを騙し討ちする、という極悪非道な任務以外に、八雲にたいした価値などないってことだ……同情なんかしてやらないぜ、八雲。
「理由その三。突然あの場に現れたギルタブルルとその契約者の意図が謎すぎるから! ……どうしてもなみたちはミナトくんを助けたのか? どうしてヤクモミワちゃんは助けなかったのか? その目的は? その正体は? まさか、『名無き黄昏』の手の者か? はたまた七人の落札者の一人なのか?……完全に不意打ちをくらった彼らは、戦々恐々としていると思うよ! しかもギルタブルルだなんて、彼らにしてみれば反則級に強力な幻獣だろうしねぇ」
「……俺にとってだって、お前の存在は謎すぎるよ。そういえば、お前はどうして八雲を助けなかったんだ? あのとき一緒に連れてきちまえば、いろいろ手間がはぶけたってのによ」
「えー? そりゃあだって、もなみはアクラブの目を通して、一部始終を拝見してたからさ……あ、ヤクモミワちゃんが拉致されたときとか、その日の浦島邸での騒ぎなんかは、『暁の剣団』の二人もすっごく警戒してたから、あんまりアクラブも近づけなかったのね? でも、あの廃工場での戦いのときは、みんなすっごく戦闘に集中してて、周囲に気を配る余裕もなかったみたいだから、声が聴こえるぐらいの距離まで、アクラブもこっそり忍び寄ることができたんだよ」
自慢そうに言いながら、アクラブの腕に自分の腕をからませる。
迷惑げな顔をしながら、赤い髪の幻獣は無言だった。
「……それで? 一部始終を拝見してたから、何だってんだ?」
「うん? だからさ、あのときは封魔の剣を解除するのにヤクモミワちゃんが必要だなんてことはわかってなかったから、一緒に連れてくる意味も理由も見いだせなかったんだよぉ。……だって、彼女は、許されざるべき裏切り者、でしょ?」
「……」
「別にもなみは、そういうのは嫌いじゃない。むしろ、ラケルタちゃんへの愛に殉じた、美しい行動だとさえ思うよ! ……だけどね、そういう人とおつきあいはできないし、ましてや自分のテリトリーに迎え入れるなんてとんでもない! どこかもなみと関わりのない世界で美しく生きて、美しく死んでちょうだいな、って感じ。……もなみね、裏切られるの、大っ嫌いなの!」
そんなものが大好きな人間はいないだろう。俺だって……意識して抑えこまなければ、八雲に対する名前のつけ難い激情で頭が爆発しそうになる。
八雲の裏切りによって、トラメはこんな姿になってしまったのだから。
「そう、その目……人は信じていたものに裏切られると、そういう目つきになっちゃうの。だからもなみは、裏切られるのも、裏切るのも、大っ嫌い! ミナトくんのことが心配で心配でたまらないし、ミナトくんにこんな目をさせるヤクモミワちゃんはいっぺん死んだほうがいいんじゃない?とか思えちゃう……ね、ほんとにキスしちゃダメ?」
「駄目だ」
「ううん、残念! ……でね、今はミナトくんから色んなお話を聞いちゃったから、かわいそうなラケルタちゃんのためにも、ヤクモミワちゃんを救ってあげようとは思うけど、べつだんそれ以上かかわりあいになりたいとは思わないし、この先、一生信用できないとも思う。強者の理論で恐縮だけど、もなみはものすっごく強い人間に生まれついちゃったからさぁ、弱い人間の気持ちなんて理解できないし、理解したいとも思えないんだよねぇ。弱いくせに強いふりをしてる人間とか、弱いくせに強くあろうとしている人間なんかは、とってもとっても大好きなんだけど!」
「……そいつは俺のことか?」
「うふん? ミナトくんがどういうタイプの人間かは、まだわかんない! だけどもなみは、ミナトくんのこと、大好きだよ?」
アクラブの腕を解放し、ぴょんっと俺の目の前に跳びはねてくる。
また抱擁されてはたまらんので、俺は椅子ごと後ずさることにする。
「うわ、逃げられた! 傷つくなぁ……あのね、ミナトくん、さっきの誓約を忘れないでね? トラメちゃんを解放させるまでっていう期間限定でいいから、絶対もなみを裏切らないで! ぶっちゃけ、もなみはもうミナトくんにハチャメチャに感情移入しちゃってるから、この気持ちを裏切られたら、もなみは修羅と化すかもしれん!」
「おっかねェな。お前を敵に回すのは、魔術結社を敵に回すのよりヤバそうだ」
「でしょお? だから絶対、裏切らないって約束ね!」
「……くどいな。さっき、誓約は済ませただろ?」
誓約。
トラメといくつも交わした誓約の言葉。
トラメとラケルタのあいだでも、一度だけ交わされた誓約の言葉。
あいつらは、誓約を裏切れない。どんな理屈かは知らないけれど、あいつらにとって、誓約の言葉は絶対なのだ。
しかし、人間は裏切れる。どんなに固く誓っても、裏切ったところで生命を落としたりはしない。
絶対に裏切ることのできないあいつらは、なんて不自由で、そして、なんて気高い生き物なんだろう、と、俺はガラにもなく、そんな風に考えてしまった。
「……お前は、生命の恩人だ。この上、トラメまで助けてもらえるなら、俺にとっては二重の恩人だ。裏切らない、なんてのは、当然すぎるぐらい当然のことで、ちっとも割に合わない誓約だよな」
「ん。そんなことないよ。だってもなみは……」
「お前が約束通りトラメを救ってくれたら、俺もいつか、お前のために生命を張る。そいつをここで、誓約するよ」
七星は、ぽかんと目を丸くした。
「いやあの、もなみは、期間限定でもミナトくんと仲間になれることが嬉しくて……見返りなんていらないよ、って言おうとしたんだけど……」
「見返りじゃねェよ。感謝の気持ちだ」
あのとき七星が助けに来なければ、少なくとも、トラメは殺されていた。
そうして俺は、一生をかけて八雲を恨むことになり、二度と絶望の淵から這いあがることもできなかっただろう。
だけど今、俺はトラメとともに、ここに在る。この状況、この空間、この現在をくれたのは、七星だ。だったらこの先、七星を救うために一度や二度は死ぬような目に合わないと、とうてい割りは合わないような気がした。
「……どうしよう?」
「ん?」
気づくと、七星が目の前にまでにじりよっていた。
腰を落とし、両腕をひろげ、真剣きわまりない目つきで、俺の動向を鋭くうかがっている。
「もう一回ミナトくんを抱きすくめて、顔中に接吻してやりたい衝動が抑えられないんだけど、これはいったい何なんだろうね? 友愛か、仲間意識か、恋愛感情か……ま、何でもいっか」
「いいことあるか! 近づくな、馬鹿!」
オランウータンのような怪力で、野ウサギのようにすばしっこく、人食いトラのように獰猛な七星の魔手から逃れるために、俺は全身全霊で立ち向かう羽目になってしまった。
自分自身で宣言していた通り、呆れ返るほどの運動神経と身体能力を兼ね備えていたのだ、この七星もなみという女は。
アクラブは、最初から最後まで、呆れ返った様子で俺たちの死にもの狂いの鬼ごっこを眺めやっていた。