反撃の狼煙①
「七星……いるか?」
ドアをノックしてから呼びかけると、中からは「どぉぞぉ」という間延びした声が返ってきた。
ドアを開けると、そこは俺たちが世話になっているのとほとんど同じ間取りの部屋だった。
革張りの回転椅子におさまった七星は、こちらに背をむけて、何やら熱心にノートパソコンのキーを叩いている。
テーブルの上にチェック柄のハンチングが放り出されており、近づくと、アップに結いあげた亜麻色の髪の下で、なめらかなうなじがとても白かった。
「悪いな。取り込み中か?」
「んー? もなみの人生はいつでも取り込んでるよぉ。色んな案件がひっきりなしに舞い込んでくるもんだから、あくびをしてるヒマもないのさぁ」
いくぶん心ここにあらずといった口調だ。これは、出なおしたほうがいいのだろうか。
「ちょいと待ってね。もう少しで一区切りつくから。海野カイジのほうで、ちょっと動きがあったのだよ」
「うんのかいじ?って誰だそりゃ」
「ああ、名前は教えてなかったっけ? 例の、七番目の落札者、だよぉ」
それじゃあそれは、『名無き黄昏』の団員であると、七星が推測している男のことか。
「うーん。こんな取引で名前をさらしてるぐらいだから、どうせ末端の構成員だろうってタカをくくってたけど……こりゃあもしかしたら中堅どころの幹部だったかな? うひひ、面白くなってきた!」
不穏なひとりごとをもらしてから、おもむろにノートパソコンを閉じて、「ふう」と息をつく。
「とりあえず終了! ああ肩こった! お、そこの背後のいかした少年、よかったら恩人の肩もみにでも従事してみないかね?」
「……別にかまわねェけど、俺は肩もみの力加減なんて知らねェぞ?」
「あはは。うそうそ! だけど、ミナトくんからもなみの部屋を訪ねてきてくれるなんて、この三日間で初めてのことだね! いつまでたってもトラメちゃんのそばに根を生やしちゃったまま動こうとしないから、ちょっと心配してたんだよ、もなみは!」
「うるせェな。そりゃあ三日間も放置されてりゃ、俺だって……」
そこまで言いかけて、俺の言語機能は強制停止をかけられた。
七星が、くるりと椅子を回転させて、こちらにむきなおったのだ。
回転椅子の上にあぐらをかいて、その上にノートパソコンを抱えた七星は、「どしたの?」と子どもみたいに首をかしげる。
「ど……どしたのじゃねぇ! 何だよその格好は!」
「うむむ? ……おぉ! もなみはズボンを履いていないじゃないか!」
大きな声をあげてから、七星は右手の人さし指を俺にビシリと突きつけて、「どすけべい」と言い放った。
「そりゃあこっちのセリフだろっ! 露出狂ならまにあってんだ! とっととズボンを履きやがれ!」
「露出狂とはひどい言い草だね! 今までもなみはひとりぼっちだったし、アクラブが増えてからも女所帯だったから、人目をはばかる必要がなかっただけだよ! 別にこんなあられもない姿をさらして悦びを得るような性癖は持ちあわせてないんだから、露出狂なんてのは、言いがかりだっ! むしろ、もなみは今、死ぬほど恥ずかしい気分を味わわされているのだよ?」
「だったら、とっとと、恥ずかしくない格好をしろ!」
「ううむ、何だか納得がいかないなぁ。こういう場合は女子が『きゃー』とか言って、男子が『ごめん』とか言って、それでフラグが立ったりするもんなのじゃないかしら」
わけのわからないことをぼやきつつ、七星はうろうろと室内を徘徊しはじめた。
天井を見上げながら溜息をついていると、ベッドのあたりから「あったあった」とはしゃいだ声が聞こえてくる。
「……ん? ところでミナトくん、さっきの発言は、キミに露出狂のお知り合いがいるという解釈でよろしいのかな?」
「解釈なんざしなくていい。ズボンは履いたのかよ?」
「うん! ばっちりオーケーですたい!」
吊りズボンを装着した七星が、ベッドに腰をかけ、のほほんと笑っている。
俺はもう一度溜息をついてから、手近な椅子をひっぱってきて、その正面に腰をおろした。
「……さっき、宇都見からメールが来た。青森のやつが、今日の昼に、宅配便を出したらしい」
「伝票番号は?」
きらりと大きな目を光らせる七星に、俺は肩をすくめてみせる。
「記載してなかったから、もう一度青森のやつに連絡してみるってよ。わかったらすぐにメールをよこすように言っておいた。到着時間は、明日の二十時以降でまちがいないってよ」
「ふむふむ。それじゃあ明日が正念場だね!」
青森の落札者が、石版の返品に応じてくれたのだ。
少しごねたが、落札した代金の五割増しで応じてくれたという。
がめついやつだ。そんなものを保持していたら、革鞭を振り回すシスターと日本刀をぶらさげた男がそのうち押しかけてくることになるんだぞ、まったく。
ちなみに、肝心の浦島氏は、いまだ市内の病院にて静養中だ。
だから、青森の落札者と交渉したのは、宇都見のやつだった。
宇都見が、浦島氏の承諾を得て、浦島氏になりすまし、浦島氏のメールアドレスで、青森の落札者と交渉し、みごとに返品の約束を取りつけたのだ。
もちろん石版の回収は、もともと宇都見と浦島氏のあいだで計画されていた規定事項ではあったのだが。こんなタイミングで交渉を始めたのは、二人の意思ではない……それは、もちろんこの七星のやつの思惑だった。