謀略は地下室で⑤
「もなみって、そこそこ不幸な生い立ちだからさぁ」
と、きわめてにこやかに七星は語り始める。
「生まれたときから両親は色んな魔術結社に追われてる身だったし、ママは二歳のときに、パパは十歳のときに死んじゃって、それからはずうっとひとりぼっちだったの。まあそんな天涯孤独の身の上になる前から、色んな国を行ったり来たり、あちこち逃げ回るだけの生活で、もちろん学校なんて行ったこともないし、そもそも戸籍すらなかったんだよね! 今はお金で何とかしたけど、パパが死んじゃったときは最大の試練だったなぁ。お金も戸籍もない十歳児が、色んな組織に追い回されながら、何とかかんとか飛行機に乗りこんで、アメリカからこの日本まで逃げてきたんだよ! あの一幕だけで、ちょっとした冒険活劇小説が三部作ぐらいで書けちゃうんじゃないかしらん」
「……お前、本気で言ってんのか?」
「ん? 別に信じなくてもいいよ! もなみは過去にとらわれない、今を生きる女だから! もなみの目的は『名無き黄昏』の殲滅で、今のもなみはひとりぼっち、ってとこだけ信じてもらえれば、それで十分!」
そう言って、七星はけたけたと可笑しそうに笑った。
「まあこの国に落ち着いてからの六年間は、うまく追っ手の目もまぬがれて、楽しく気ままに過ごすことができたし、色んな人との出会いもあったけどね。だがしかし! 頭脳は明晰、運動神経は抜群、容姿は端麗、目の玉がとびでるほどの大金持ち、の、もなみなのだけれど、残念ながら人格が破綻しているために、誰ともちっとも仲良くなれなかったのだっ! 悲しいね。あわれだね」
「……」
「だからもなみには、家族も友達も仲間もいないのだよ。……でもまあ今ではアクラブが仲間と呼べるような存在だから、あと足りないのは、家族と友達かなぁ」
「……」
「イソツキミナトくん! ……もなみと結婚して、家族になってくれる?」
俺は、椅子ごとずっこけそうになった。
「お前な……昨日出会ったばかりの相手に言うようなことか、それは?」
「ダメなの? けちんぼ! もなみと結婚すれば、一生働かずにすむのにぃ」
ぷうっと頬をふくらませる。
マジか、こいつは。
「それじゃあ、友達になってくれる? ……って言っても、もなみにはイマイチ友達ってもんの概念がわかってないんだけど」
「だからなぁ……話がムチャクチャだろ! 『お前は何を企んでる?』の答えが、どうして『友達になってくれる?』なんだよ!」
「だから、もなみは人格が破綻してるんだってば。ミナトくんが何に怒ってるのか、もなみには全然わかんない」
と、今度はにっこり天使みたいに笑いかけてくる。
こいつ、本当に破綻してるのかもしれない。
「交換条件でもないと落ち着かないみたいだから、それを提示してあげただけじゃん? もなみの純粋な、まじりけのない厚意を信じられないくせに、条件を提示したら、また怒るの? そしたら、もなみはどうしたらいいのかな?」
クックック、と小さくおしひそめた笑い声が聞こえてくる。
振り返ると、アクラブが素知らぬ顔でそっぽをむいた。
なるほど、お前もこの三週間、たったひとりでこの破綻した娘の破綻した言動に振り回されてきたわけだな、アクラブ。
「……それじゃあ本当に、お前には裏も企みも下心もない、っていうんだな?」
「ない!」
高らかに宣言してから、七星はカクンと首を傾げる。
「ただ……昨日の夜、実際にミナトくんたちと顔を合わせて、好奇心やら探究心やらはムラムラとわいてきちゃったかな。動かないトラメちゃんの身体を抱きしめて、この世の終わりみたいな顔で悲しんでるミナトくんの姿を見てたら……正直なところ、涙が出そうになっちゃった。もともと『暁の剣団』のやり口には腹が立ってたんだけど、それでいっそうミナトくんたちを助けたいって思いを強くしたんだよ、もなみは」
……何を言ってやがるんだ、こいつは。
俺は、七星の天使みたいな笑顔から、目をそらした。
「人間と幻獣がそこまで心を通いあわせることができるなんて、もなみはまったく想像もしてなかった。現し世の住人と隠り世の住人が、どこまでおたがいに理解しあえて、どこまで力を合わせることができるのか……それはもしかしたら、『名無き黄昏』と決戦を迎えるにあたって、むちゃくちゃ大事なポイントになるかもしれない。だから、ミナトくんとトラメちゃんはもちろん、ヤクモミワちゃんとラケルタちゃんも、もなみは救ってあげたいなぁと思ってるよ」
「……」
「それから、サイ・ミフネさんと、アルミラージのムラサメマルちゃんね。その二人にも、興味しんしん……『名無き黄昏』と戦うためだけに幻獣を使役しているはずの魔術師と、戦闘の道具としてあつかわれているだけの幻獣とのあいだに、どんな絆が存在してるのか。それももなみには、大いに気にかかるところだね! もなみがこの一件に好きこのんで首をつっこむ理由があるとしたら、まあそのあたりのことが最重要ポイントになるかなぁ」
「……わかったよ」
七星の顔からは目をそむけたまま、俺は低く応じてみせた。
「どっちみち、お前に助けられなきゃ、なかった生命だ。お前のことを、信用する。……裏切られても、文句は言わねぇよ」
「もなみは、裏切らないよ。自分が裏切られないかぎりはね」
笑いをふくんだ声で言い、七星はガタリと椅子を鳴らした。
チェックの吊りズボンに包まれた細い両足が、すたすたと俺の目の前まで歩いてくる。
と……いきなり柔らかい指先が両側から俺の頭をわしづかにして、天使みたいな笑顔が、むりやり視界に割りこんできた。
唇でも奪われるんじゃないかという危機感に襲われた俺は、いくぶんあわてて身を引こうとしたが、七星の腕はびくともしなかった。
明るく輝く大きな瞳が、俺の両目を至近距離から見つめてくる。
「それじゃあ、誓約いたしましょう。もなみはミナトくんを裏切らないし、ミナトくんはもなみを裏切らない。トラメちゃんを封印から解放するまで、二人は苦楽をわかちあう仲間として手を結ぶ……それでオーケー?」
「……オーケーだ」
「ちなみに、友達になってはくれないのかなぁ? 同世代の友達って、実はもなみにとって長年の夢だったんだけど」
「……友達ってのは、そんな口先で確認しあうもんじゃねェだろう。あるていどの時間を一緒に過ごして、気づいたら成立してるのが友達ってもんだ」
「そっか。それじゃあ、結婚は?」
「……そいつは友達以上に時間が必要だし、俺はこの年で身を固める気はない」
「そっか。とっても残念だなぁ。……ね、キスしていい?」
「……駄目だ」
「どうしても?」
「どうしても」
「ううん、残念! それじゃあ、しかたがない」
ぱっ、と七星の手が離れる。
が、俺が安堵するひまもなく、今度は七星の身体が、ふわりとのしかかってきた。
力の強い腕が俺の首を抱きすくめ、やわらかい身体が、全身におしつけられてくる。
これでもか、というぐらいの怪力で、七星は俺の身体を一心に抱きしめてきやがった。
清涼で、ほんの少し甘い香りが、いくぶん窒息気味の鼻先にふわりと漂う。
「な……何しやがるんだ、いきなりよ」
十数秒ばかりも拘束されたのち、ようやく解放された俺が抗議の声をあげると、七星はハンチングの角度をなおしながら、「むはは」と笑った。
「六年もの歳月をひとりぼっちで過ごしてきた少女の孤独感をなめたらいかんよ! 仲間ができた、と思ったら、そりゃあ我を忘れてハグしたくもなるさっ! アクラブのときなんて、アクラブが本気で怒りだすまで解放してあげなかったんだからね!」
「……お前なぁ……」
「だけど、どうしてみんな、接吻を拒否するのだ? やっぱり恋人関係とかじゃないと許されないものなの? 正直言って、もなみには恋愛感情と友愛と家族愛と仲間意識の区別が、今ひとつつかないのだけれども」
「区別がつくように精進しろ。わけもわからんまま抱きつかれるほうの身にもなりやがれ」
「ふんっ! もなみのプロポーズを拒絶したミナトくんの言うことなぞに聞く耳は持たぬ! 悔しかったら、入籍しなさい!」
駄目だ。本当にぶっこわれている。
幻獣以上に理解し難い人間もこの世には存在するんだな、と俺は感心したいぐらいだった。
「さてさて! それじゃあ、あらためて本題に入ろうか! ミナトくん、こちらのほうはすっかり準備が整ったので、トラメちゃん救出作戦を実行に移そうかと思うんだけど、異存はないかい?」
「……あるわけないだろ。俺はそのために、ここにいるんだ」
「うんうん。それじゃあ、ミナトくんにもぞんぶんに協力してもらうからね。……いや、ミナトくんだけじゃない。ミナトくんの親友にも協力してもらうよ! どこかの穴蔵にひっこんでしまった『暁の剣団』をいぶりだすためには、キミたちの協力が不可欠なんだから!」
「俺の……親友?」
俺にそんなものは存在しない。
が、この状況で名前があがるとしたら、それはあいつ以外に考えられないだろう。
七星は、俺が思っている通りの名前を口にした。
「言わずと知れた、ウツミショウタくんだよ! もなみたちが表立って活動できない以上、彼に暗躍してもらうしかない! ミナトくん、今からもなみが言う通りの内容を、ウツミショウタくんに電話で伝えてもらえるかなぁ?」




