謀略は地下室で④
浦島氏が売却した石版は、七枚。
それを落札した七人のうち、確かにすでに六名の人間の素性が割れている。
まずは、俺の悪友、宇都見章太。
ラケルタを召喚した、八雲美羽。
青森に住む、会社員。
京都に住む、大学生。
それら四人を襲った、ギルタブルルの主。
そして、いま目の前にいる、七星もなみ。
これで、六名だ。
七星をのぞく五名は、魔術結社などとは縁もゆかりもない、ただのオカルト・マニアだったのだろう。青森および京都の二人に関してはロクな情報もないのだが、石版を手にしながら儀式魔術を取りおこなうこともなく、あっさりとギルタブルルの凶刃に倒れてしまったのだから、まずは間違いないと思う。
しかし……最後の一人が『名無き黄昏』の団員であると、七星のやつにはどうしてそのようなことが断言できるのだ?
「うん。断言口調はもなみの流儀! あやふや・あいまい・どっちつかずってのは、もなみの流儀に合わないの! ……でも、九十九・九九パーセントぐらいの確率で当たってると思うよお? そう断言できるぐらいのデータが、ウラシマタクマさんのメール・ボックスにはしっかり保存されてたんだから! まあそれを説明するには、まずあの『黒き石版』の正体を知ってもらう必要があるだろうねぇ」
「石版の……正体?」
「そう。これは特別な秘密でも何でもなくて、『暁の剣団』だってとっくに突きとめてる事項なんだけど……『黒き石版』のうち九割は、本来の目的を隠蔽するためのダミーにすぎないんだよ、実は」
相変わらずのとぼけた笑顔で、七星はそう言った。
「もちろんどの石版もマジモンの魔術道具で、どんなシロウトでも簡単に幻獣を召喚できちゃうっていう、まっとうな魔術師からすれば言語道断の禁制品なんだけど、それすら『名無き黄昏』にとっては、ちょっとした手なぐさみにすぎないの。おっそろしい話だよね。……簡単に言うと、『名無き黄昏』にとって重要なのは、一割の本物。もなみたちが手に入れたのは、やつらにとっては大して価値もない、九割の偽物なんだよ」
「一割の本物と、九割の偽物……?」
「そう。九割の偽物は、一割の本物を隠すためのダミーであり、カモフラージュにすぎないんだよ。十九世紀の大昔に、あの石版は『名無き黄昏』がおそるべき悲願を達成させるために精製した魔術道具……だけど、その真の目的を悟られないようにするために、やつらはたくさんの偽物を作った。これはありきたりの魔術道具であり、隠り世の住人を召喚するためのアイテムにすぎないんだ、っていうフリをするためにね」
「……」
「やつらの本当の目的は、隠り世とはまた異なる、完全なる別次元から異形の住人を召喚すること……そのために『名無き黄昏』は結成された。そして、そのおそるべき目的がバレちゃったから、『黄金の夜明け団』を始めとする魔術結社から、許されざる邪教徒として糾弾されることになった、ってわけ」
「……よくわからねェな。それはそんなに大それた罪なのか?」
「うん。大それた罪なんだよ。簡単に言うと、『名無き黄昏』は現在この世界を運行している黄金率そのものをぶっ壊しちゃおうとしてるんだから! ……ね、ミナトくんは、隠り世の住人のことを、どう思う?」
「どう思う……って言われてもなぁ。何だよ、その漠然とした質問は?」
「その通りの意味だよ。ミナトくんは、すでに何人もの幻獣とお近づきになってるわけじゃん? グーロのトラメちゃんに、コカトリスのラケルタちゃん、そこに立ってるカルブ=ル=アクラブと、もう一人のギルタブルル。それからエルバハと、アルミラージだっけ? 合計、六人! すごいねぇ。驚異的な遭遇率だよ! ……で、幻獣ってのは別世界の住人で、人間なんかとは比べ物にならない力をもった存在なわけだけど、ミナトくんは、幻獣を『敵』だと思う?」
質問の意図が、やっぱりわからない。
しかし、意図はわからなくても、答えは決まりきっていた。
「そんなもん、あつかう人間しだいだろ。敵の立場のやつもいれば、味方の立場のやつもいる。一ヶ月前にはギルタブルルと殺し合いをする羽目になっちまったけど、そんなのは、あいつの契約者が大馬鹿な望みを口にしちまったせいなんだからな」
「うんうん。愚問だったねぇ。トラメちゃんをこんなに大事に思ってるミナトくんにとって、幻獣が『敵』なわけがないかぁ」
そんなことを言いながら、にまにまと笑う。
もうちょい親睦が深まったら、俺はこいつの頭をひっぱたくことも少なくないだろうな、と思わせるような笑い方だった。チクショウめ。
「現し世と隠り世は表裏一体。別々の世界でありながら、本当は同一の世界である。……それを本当に理解したり体感したりするには魔術師として何百年も修行しなきゃいけないんだろうけど、ま、概念としてはそれが常識とされているし、もなみもそれは真実なんだろうなって思ってる。だから、どんなにものすごい力を持っていて、どんなに理解し難い存在でも、人間と幻獣は『同胞』なんだろうと思うわけよ。……だけど、『名無き黄昏』が崇めているのは、もっと違う別の何か。この世界とは違う黄金率によって運行されている別次元の、別世界の異形たち、そいつをこの世界に喚びこもうとしてるんだよ、やつらは。もちろんミナトくんにはピンとこないだろうけど、もなみや、『暁の剣団』の連中は、その野望を阻止することに全身全霊をかたむけている、と、まあそこのところだけ把握してもらえれば、今のところは十分かな」
「わかったよ。……いや、わかんねェけど、そいつを理解しようとしたら、本当に何百年もかかっちまいそうだ。だから、話を進めてくれ」
「ほいほい。そんじゃあ、ぐいっと進めるよ。……もなみはね、オークションに出品された石版のうち、『一割の本物』がまぎれこんでいないか、ウラシマタクマさんがネット上にアップした画像をまずは念入りに解析してみたのさ。そうしたら、一枚だけ、あやしいヤツがあった。ミナトくんもご存知の通り、召喚の呪文では最後に幻獣の名前を唱えるんだけど、そこのところの文面が、七枚のうち一枚だけ、どうしても読み取ることができなかったのだよ。おもいきってそいつを落札しちゃおうかなぁとも考えたんだけど、そうしたらもなみは幻獣を召喚できないし、おまけに『名無き黄昏』から死にもの狂いで追われる身になっちゃうからねぇ。もなみは守るより攻める立場でいたかったから、あえてそいつには手を出さず、一番強そうな幻獣の名が記された石版……『ギルタブルル』を選んで、落札したの」
えへんと誇らしげに胸を張り、かたわらのアクラブを横目で見る。
アクラブは、無関心きわまりない顔つきで、あらぬ方向に視線を飛ばしていた。
「……でね、ウラシマタクマさんのメール・ボックスを覗いてみたら、落札前にやたらと質問のメールを送ってるヤツがいた。この品物の出所はどこだとか、あなたはいずれかの宗教団体に所属する身分かとか、色んな質問をしてたけど……最終的には、その石版に記された文字の、上から五十九行目の文面を撮影し、その画像を送ってほしい、って頼みこんでたの。七枚全部の、ね。おっかしいでしょお? もなみは誰にも悟られないように、自力でこっそり画像を解析したってのに、そいつは直接ウラシマタクマさんに頼んで、『本物』がまぎれこんでないか確認してたのよ。無用心だし、馬鹿だよねぇ! ……ま、『名無き黄昏』も『暁の剣団』も、いまだにパソコンひとつ使いこなせないようなアナクロあーんどアナログ軍団で、そこがもなみにとっては数少ないアドバンテージなんだから、文句を言ったらバチが当たるけどね!」
「……」
「それでそいつは、幻獣の名前じゃなく、それどころかアラビア文字ですらない『何か』の記された石版に入札して、落札した。そして、その品を宅配で受け取るなり、ドロンと姿を消しちゃった、ってわけさ」
「なるほどな……」
「ミナトくんたちがやっつけた『落札者狩り』のギルタブルルは、青森や京都の落札者を始末してから、ウツミショウタくんを襲い、ヤクモミワちゃんを襲おうとした。ミナトくんたちはそれを『住居が遠い順に襲いはじめた』って解釈したらしいけど、そうじゃなくって、一番ご近所の二人……つまりは架空名義で取引したもなみと、雲隠れしちゃったそいつを見つけるのは時間がかかりそうだし、ウツミショウタくんとヤクモミワちゃんは結託していて面倒そうだったから、青森や京都の人たちを先に片付けちゃったんじゃない? ま、真相は百年の眠りの中、だけどね。『遠い順に襲う』なんてメリットなさそうだから、もなみはそんな風に推理してるよ!」
「そんなことはどうでもいいだろ。七星、お前は『名無き黄昏』の撲滅が目的とか言ってたくせに、そいつをみすみす取り逃がしちまったのか?」
「七星じゃなくて、もなみね? ……ううん、ちっとも取り逃がしてないよ。そいつは雲隠れしちゃったけど、もなみはその雲をかきわけて、きっちり居所もつかんでるから、心配はご無用のことですわよ」
にっと白い歯を見せて楽しそうに笑う。
……どうしてこんなに楽しそうなんだろう、こいつは。
「だけど、『名無き黄昏』と正面きって戦うには、まだ早い……それに、そうこうしてるうちに『暁の剣団』までやってきちゃって、この騒ぎだもんねぇ。この騒ぎを収束させないと、もなみも本腰いれて『名無き黄昏』の撲滅になんて手を出せないんだよ!」
「……」
「さてさて。話をまたぐいっと戻させてもらうけど。『黒き石版』の精査を終えて、無事に召喚儀式も終えたもなみは、雲隠れした『名無き黄昏』の団員とヤクモミワちゃんをのぞく四人の落札者が緊急入院しちゃってるっていう事実に気づいて、おおいに慌てたの。さてこれは、『名無き黄昏』の仕業なのか、『暁の剣団』の粛清なのか、ってね……だけど、『名無き黄昏』にとっては偽物の石版の行方なんてどうでもいいことのはずだし、日本に支部をおいていない『暁の剣団』が進出してきた気配も当時はなかった。いったいこりゃどういうことかしらん?と疑問に思って、とりあえずヤクモミワちゃんの動向をうかがっていたら……二日前の、あの騒ぎが巻き起こったってわけね」
「それじゃあ、お前は……」
「ううん。詳細はまったくわからなかったよ。ラケルタちゃんとトラメちゃん、それにあの二人の魔術師に気づかれないように、遠いところからこっそり覗き見してただけなんだから。……だけど、彼らがトラメちゃんたちを粛清しようとしてるってことはわかった。ま、融通のきかない『暁の剣団』だったら必ずそうするだろうなって思ってたし。……だけど、トラメちゃんはとても強い力を持っているから、自力で解決できるかもしれない。アクラブがそんな風に言うもんだから、それじゃあ、もしもトラメちゃんがやられそうになったら、それを助けて、契約者のイソツキミナトくんもろとも、もなみのアジトに招待してあげて、って、アクラブに望みの言葉を唱えたの」
「……どうしてだ?」
俺は、七星のとぼけた笑顔をにらみすえる。
「これだけ長ったらしい話を聞いても、お前がわざわざ危険をおかしてまで俺たちを助ける理由がわからねェ。この騒ぎを収束させないと、とか言ってたけど、あのまま放っておけば収束したわけだろ、俺とトラメの完全敗北って形でさ。……七星、お前は、何を企んでるんだ?」
「……企む?」
七星は、きょとんと丸い目をさらに丸くした。
それから、いきなり「にゃっはっは」と大声で笑いはじめる。
「なんにも企んでなんかいないよ! 困ってる人を助けるのに、理由なんて必要あるのかなぁ?」
「……それを、信じろっていうのか?」
「あらら。信じてもらえないのぉ? 悲しいなぁ! だったら、何か企んでおけば良かった! これじゃあ、疑われ損だなぁ」
そんなふざけたことを言いながら、七星はほっそりとした下顎に手をやって、何やら「うーん」と考えこむような表情をつくった。
「お金……なんてこれ以上はいらないし……協力……なんて言ったら『暁の剣団』と一緒になっちゃうし……ううむ、困ったなぁ! 頭脳は明晰、運動神経は抜群、容姿は端麗、好きなものを好きなだけ買える経済力も手に入れたし、生きる目的もハッキリ持ってるし、戦うための力も身につけちゃったし、今のもなみに足りないモノなんて、せいぜい三つぐらいしか思いつかないよ!」
「……何だよ、その三つって?」
あまり聞きたくはなかったが、生命を救ってもらった恩返しもふくめて、俺はしぶしぶそう聞き返してやることにした。
七星は、「えへへ」と照れくさそうに笑う。
「そりゃあもちろん、『家族』と『友達』と『仲間』だよ! もなみって、正真正銘ひとりぼっちなの。今、心を許せる相手って言ったら、このアクラブぐらいだもんね! まだ出会って三週間ていどの、人間ですらないこのアクラブが、もなみにとっては唯一の『仲間』なんだよ!」