謀略は地下室で③
「察するところ、ヤクモミワちゃんはミナトくんと同じ選択をせまられたんだろうね。コカトリスのラケルタちゃんを引き渡すか、あくまで逆らって『暁の剣団』を敵に回すか、それともいっそラケルタちゃんともども『暁の剣団』に入団するか……で、驚くべきことに、普通だったら一番選ばなそうな道を選んじゃったってわけだ」
八雲の手首に刻まれたおぞましい刻印が、脳裏によみがえる。
赤い血の色で刻まれた、『S∴S∴』の刻印。
「拉致&監禁されて弱気になってたんだろうけど、それにしても思い切った決断だね! 魔術結社に入団するってことは、これまでの生活を全部捨てるってことだもん。あのコは、そんなにラケルタちゃんが大事だったのかなぁ? 自分の人生、全部を引き換えにできるぐらいに、さ」
「……それ自体は、別に不思議なことじゃない。あいつは今までの生活に未練なんてなさそうだったし、ラケルタのことは……本当に、心の底から大事なんだろう」
「おやおやぁ? ミナトくん、あえてここはエグらせてもらうけど、その『今までの生活』ってヤツの中には、キミやトラメちゃんの存在もふくまれてるんだよ? そんな、あっさり納得しちゃっていいのかい?」
「……あいつはもともと気が弱そうだったから、あんな凶悪そうな野郎どもに脅されたら、それしかラケルタとともに生きていく道はない、としか思えなかったんだろうよ。現在のラケルタがどれほどやばい状況かってことも、きっとあのサイっておっさんから聞いてただろうしな」
「ふーん? ……それじゃあ、ミナトくんが同じ立場だったら、どうしてた? トラメちゃんと幸福な未来を迎えるためなら、ヤクモミワちゃんやラケルタちゃんの存在を犠牲にしてもいい、と思えた?」
そんな台詞も、ふだんの俺だったら罵言か暴力で報いていたに違いない。
だけど……何故だろう。俺は深く心をえぐられながらも、不思議と七星に怒りを覚えることができなかった。
「……俺なら、そんなゲスどもの言いなりになるのはガマンできない。死ぬ気で他の解決方法を考えるさ」
「ふんふん。ま、実際キミは、『暁の剣団』を撃退した上で和解しよう、なんていう、さらに突拍子もない道を選んだわけだしねぇ。言い出したのは、そこのトラメちゃんらしいけど」
俺は昨晩、数時間かけて、この一ヶ月の間に起きた出来事のほとんどすべてを七星に語って聞かせる羽目になったのだ。
もちろん、トラメとのいがみあいばかりだった日常風景などはおおいに割愛させていただいたが。一ヶ月前のギルタブルルの件や、ここ数日の騒動については、可能なかぎり克明に説明してやっていた。
トラメを、救うために、だ。
「……なんだか、うらやましい気もするなぁ!」
と、七星がいきなり素っ頓狂な声をあげた。
その大きな目が、じとっとかたわらのアクラブを見る。
「ミナトくんも、ヤクモミワちゃんも、心の底からトラメちゃんやラケルタちゃんが大事なんだもんね。何だか、本当に友達みたい! ……ね、アクラブ、もなみたちも今後はそんな素敵な関係性を構築していくことができるのかしらん」
「馬鹿を言うな。契約を履行せず、ただともに生きていくことを願う、などとは狂気の沙汰だ。魔術師でもない人間が魔術などに関わるから、そんな馬鹿げたことが起こるのだろうが……それにしても、そんな馬鹿げた願いに応じてしまうそのコカトリスもまた異常だな。とても正気だとは思えん」
「ふむ……それにしても、ラケルタちゃんは可哀想だねぇ。彼女がこの現状を知ったら、いったいどんな気持ちになるんだろ。自分の身を犠牲にしてまで協力してくれてたミナトくんたちを裏切る結果になっちゃったんだもんね。とても手放しでは喜べないだろうなぁ」
「……だからって別に、あいつが気にするような話じゃない。馬鹿な真似をしでかしたのは、八雲だけなんだからな」
俺の言葉に、七星は奇妙な顔で、笑った。
「ミナトくんは、ラケルタちゃんのことまで対等の友達みたいに考えてるんだねぇ。うーん、興味深いよ! もなみは是非、トラメちゃんやラケルタちゃんと話がしてみたいなぁ! そのためにも、万事をまるくおさめなきゃねぇ」
「……なあ、お前はまだ一番大事なことを話してくれてないよな、七星」
「もなみでいいってば。……一番大事なことって?」
新しいピザを片手に小首を傾げる七星にむかって、俺は少しだけ身を乗りだす。
「お前は、いったい何者なんだ? ……どうして俺たちを助けよう、なんて思ったんだ? お前の目的は、何なんだよ?」
「お、いきなり核心をついてきたねぇ。だけどそれは、説明するのがとってもとっても難しい案件なんだなぁ」
そう言って、七星はチェシャ猫のように笑った。
実に色んなパターンの笑顔を持ってるやつだ。
「だけどまあ、確実にひとつ言えることは……もなみの敵は、『名無き黄昏』だよ。だから、『暁の剣団』の連中がこんな横道にそれて時間と労力を無駄遣いしてるのは、もどかしいし、馬鹿なんじゃない?って思ってる」
「……『名無き黄昏』? どうしてそんな連中が、お前の敵なんだ?」
それはけっこう、意想外の答えだった。この七星のやつは、もっと中立のポジション……有り体に言って、俺や八雲のような立ち位置の人間だと思っていたのだが、そうではなかったのか。
「話せば長くなるけどね。ま、『名無き黄昏』に人生をメチャクチャにされたから、とでも言っておこうか。正直なところ、連中を追っかけて撲滅する以外に、もなみは何にもやることがないんだぁ。だから、心血注いで、暗躍してるの。今回の行動も、その一環だよ」
「……」
「反面、『暁の剣団』も味方ってわけじゃないの。ていうか、むこうが勝手に敵視してるはずなんだな、これが。不幸なすれちがいやら何やらがあってね。もなみはどっちの勢力とも手をつなぐことのできない、ひとりぼっちの困ったちゃんなのだ!」
さっぱりわからん。
説明する気があるのか、こいつは?
「……もなみはね、この数年間、潜伏してたんだよ。『名無き黄昏』の撲滅っていう目的だけははっきりしてたけど、それを成し遂げる力も方法もなかったから。まずは力をつけようと思ってね! それで、あるていど戦える目処が立ったから、こうして太陽の下に這いずりだしてきたの。そうしたら、なんと『暁の剣団』が日本にまで進出してきちゃったから、これはついに決着の刻かなぁって……うん、わけがわからないだろうね。ここはひとつ、順序よく説明させていただきましょう!」
元気いっぱいに言って、グラスに注いだ炭酸水をがぶがぶと飲み干す。
「きっかけはね、ウラシマタクマさんがネットオークションに出品した『黒き石版』なんだ。お察しの通り、もなみも、アレを落札した七人の一人なのさ!」
「……やっぱりそうだったのか」
「うん! もなみは最初から『黒き石版』についての知識を持ちあわせてたからねえ。あんなものすごい魔術道具が公衆の面前でオークションに出品されてて、もなみは我が目を疑ったよ! だけど、これは天啓なのかな、って……よっしゃそろそろブチかましたろかい!と思ってた矢先にあんなモノを発見しちゃって、こりゃあもう利用させていただくしかない、と思ったわけ。『名無き黄昏』を撲滅するのに、連中が精製した魔術道具を利用するなんておかしな話かもしれないけど。何せ戦力が不足してたからさぁ。どんなに天才で思慮深くて決断力もあって崇高な志を持っていたとしても、この身体ひとつでどうにかできる相手じゃないし。敵軍の弾薬を強奪するような心境でもって、『黒き石版』を落札したんだよ」
「……」
「本当は七枚全部を落札したかったし、それぐらいの経済力はあったんだけどね。どうせ幻獣を召喚できるのは一人につき一体までだし、仮に全部を落札なんてしちゃったら、いずれ『名無き黄昏』と『暁の剣団』の注目を一身に集めることになっちゃうなあと思って、やめておいたの!」
「ん……だけど、俺もその落札した七人のリストってやつを一度だけ見たことがあるけど、たしか、八雲以外に女の名前なんてなかったはずだぞ?」
「あったりまえじゃん! 偽名だよ、偽名! もなみが持ってる架空の名義でウィークリー・マンションを借りて、そこの住所で取引したの。そのうち『暁の剣団』がこの驚くべき暴挙に気づいて日本に乗りこんでくるだろうってことは、火を見るより明らかだったからね! 自分の素性は隠しておこうと思ったのさぁ。……その前に、どの魔術結社とも無関係な一般人が『落札者狩り』を始めるなんてことは、さすがのもなみでも想像できなかったけど」
と、その手がまた新しいピザをひときれ、つかみとる。
トラメを思いださせるような食べっぷりだな、と俺はぼんやり考えた。
「もなみは、石版を実際に手にいれてから、一週間ぐらいかけて綿密に精査してたの。まずこの石版は本物なのかどうか、本物だとしたら危険はないか、この石版に秘められた魔力の正体は何なのか……で、まあその正体を探るには年単位の研究が必要そうだなぁって手応えだったので、おもいきって初の召喚儀式魔術に取りくんでみたんだけど、そのあいだにミナトくんたちは『落札者狩り』のギルタブルルとの戦いに明け暮れてたんだねぇ。ひさかたぶりに世間様のほうに触手をのばしてみたら、落札者のうち四人ものメンバーが入院なんてしちゃってて、もなみはびっくらこいちゃったよ」
「……何? そいつは、どういうことだ?」
俺が思わず言葉をはさむと、七星は「え?」と首をかたむけた。
「ミナトくんもご存知の通りだよ。ギルタブルルに襲われたウツミショウタくんと、青森の人と、京都の人。それから、ギルタブルルを使役していた引きこもりのニートさん。もなみと、ヤクモミワちゃんと、東京に住んでる最後の一人をのぞいて、七人中の四人が緊急入院しちゃってたってわけ。……あ、ついでに言うと、ウラシマタクマさんもね」
「そんなことはわかってる。どうしてその頃のお前が落札者の素性なんか知ってたんだって聞いてるんだよ」
「そんなの、調べないわけないじゃん! ヤクモミワちゃんより一足お先に、もなみもハッキングでちょちょいのちょいと浦島さんのメールボックスに侵入させていただいてたんだよぉ」
「……どうして、調べないわけがないんだ?」
いったいこいつは、何を企んでいるんだ。俺にはやっぱり、その目的がさっぱりわからない。
しかし七星は、口のまわりをトマトで真っ赤にしながら、何でもない風に笑った。
「だから、もなみの目的はたったひとつ、『名無き黄昏』の撲滅なんだってば! ……またまた結論から言うとね、石版を落札した七人の中で、素性のわからない最後の一人、こいつがまぎれもなく『名無き黄昏』の団員であるはずなんだよ、ミナトくん!」