血戦遊戯④
俺は、トラメを信用することに決めた。
が、だからといって心配しないわけにもいかない。現在のところ、戦況はけしてトラメの望む通りに進んでいるとは思えなかった。
ドミニカがこちらよりも先に望みの言葉を唱えたのは意想外だったが、その代わりとばかりにサイはアルミラージを控えさせてしまった。
きっとエルバハは三割ぐらいの力しか使えないのだろう。しかし、昨晩のアルミラージだって三割ていどの力であそこまでトラメを苦しめたのだから、とうてい楽観視はできない。
この状況で、サイとエルバハを圧倒し、サイから望みの言葉をひきだすことができるのか……なんだかチェスやら将棋やらを思わせる知能戦の様相で、俺は頭が痛くなりそうなぐらいだった。
「精霊殺しとは、また大仰な二つ名だな。我ら隠り世の住人をはじめとする精霊族と親和し、その力や知識を得るのが、貴様ら魔術師の本分ではないのか?」
ふだんよりも挑発的なトラメの言葉に、サイは皮肉っぽい笑みで応じる。
「だから言ったろう。俺は魔術師としては三流なんだ。……いや、親和すべき精霊を滅ぼすことしか能のない俺などは、三流というより魔術師失格だな。しかし、俺にとっては魔術師の本分などどうでもいい。『名無き黄昏』を滅ぼすことだけが、俺の唯一の目的だ。それが果たせるなら、魔術師失格だろうが人間失格だろうが、そんなことはどうでもいいのさ」
「意外に口の回る輩だ。同じぐらい腕も回らなければ、貴様自身が滅ぶことになるぞ」
完全に挟撃の態勢になってしまう前に、トラメが動いた。
正面のエルバハに背をむけて、右側から回りこもうとしていたサイに、襲いかかる。
目にも留まらぬスピードで、トラメの鉤爪が振り下ろされ。
目にも留まらぬスピードで、サイがその攻撃をはじき返した。
「そっちだ、ミュー!」
地面に転がったトラメにむかって、今度はエルバハが巨人の腕を振り下ろす。
巨大な拳が足もとのコンクリを粉砕し、震度三ぐらいの衝撃が古びた建物をわずかに震わせた。
「たいした馬鹿力だ。が、当たらなければ、どうということもない」
軽くステップを踏みながら、トラメが俺たちから遠ざかっていく。
その後を追いながら、サイはぽつりとつぶやいた。
「まだその姿で闘うつもりか? 本来の姿に戻ったほうが動きやすかろうに」
やっぱりサイは、何かを見ぬいているのかもしれない。
壁ぎわまで退いた後はぴくりとも動かないアルミラージが、不気味だ。
「……隠り身に戻ると腹が減るのだ。貴様らていどが相手ならば、これぐらいが相応だろうさ」
ぶっきらぼうに応じながら、トラメがエルバハに跳びかかる。
トラメほどのスピードをもたないエルバハは、巨大な両腕でしっかりと本体をガードしつつ、ときたま拳を奮おうとするが、もちろんトラメにはかすりもしない。
赤みを帯びた岩石のようにゴツゴツとした巨人の腕に、容赦なくトラメの鉤爪が振り下ろされ、そのたびに、玉虫色の輝きが散る。
なかなか優勢だ。しかし、俺はやっぱり気が気じゃない。
「パワーはミューなみ、スピードはムラサメマルなみか。まったく大したもんだよ、グーロ」
感心したように言いながら、サイがトラメの背中に斬りかかる。
それも間一髪でトラメはかわしたが、もしかしたら、本当に幻獣よりもこのサイという魔術師のほうが厄介な相手なんじゃないだろうか?
いったいどれほどの修行をつんだら、人間の身でトラメのスピードに対抗できるのか、俺にはまったく理解ができない。
「しかし、小手調べは昨晩に済ませている。今日は全力で立ちむかわせてもらうぞ、グーロ」
「そうか。ならばこちらも、そろそろ本気で……」
そう言って飛びだしかけたトラメは、あやういところで踏みとどまった。
サイが、おかしな動きを見せている。
その手の刀を、まるで新体操のリボンみたくヒュンヒュンと振り回しはじめたのだ。
青白くぬめる刀身が、薄ぼんやりとした暗がりに不気味な幾何学模様を描き、何やら不吉な気配を上昇させていく。
「貴様、その刀は……」
苦々しくトラメがつぶやいたとき。
サイが、いきなり虚空を薙ぎ払った。
トラメとの距離は、まだ五メートルばかりもある。
にも関わらず、トラメは、跳躍した。
真上に、何かから逃げるように。
俺にはさっぱりわけがわからなかったが。次の瞬間、トラメの背後にそびえたっていた鉄クズのような工業機械が、ものすごい音をたてて崩落した。
プレス機か何かだろうか。その巨大な鉄の塊が、真横にスッパリと寸断されてしまったのだ。
「『精霊殺し』と言ったろう? この刀は大気に潜む風の精霊をも断ち斬って、その怨嗟と呪詛を力に替えることもできるのだ」
「呆れた魔術道具だ。そんなものを振り回していては、いずれその身が精霊の呪詛に蝕まれることになるぞ」
トラメの声は、ものすごい上空から響いていた。
なんとトラメは、天井の鉄の梁まで跳びあがり、そこに片腕でぶら下がっていたのだ。
この建物は二階ていどの高さしかないが、それでも天井まで七~八メートルはあるだろう。何て跳躍力だ。
「古来より、魔剣、妖刀と呼ばれる刀はそうしたものだろう。代償なくして力を得られぬという点においては、お前ら幻獣をあつかうのと変わらぬさ」
再び、サイは妖刀で虚空をかき回しはじめる。
トラメは「ふん」と鼻を鳴らし、勢いをつけてそこから飛び降りた。
そのとき、エルバハが動いた。
いきなり両腕を地面についたかと思うと、さきほどのトラメにも負けぬスピードで、打ち上げロケットのように跳躍したのだ。
空中で、トラメとエルバハの身体が激突し、凄まじい打撃音を響かせた後、両者は墜落した。
かろうじて足から落ちたトラメのもとに、サイが再び刀を振り下ろす。
トラメは横っ跳びに、その攻撃をかわす。
同時にエルバハが、地面を殴ってトラメに跳びかかる。
巨大な拳の一撃を、トラメは金褐色の毛皮に包まれた左腕一本でガードする。
トラメの小さな身体は小石のように撥ねとばされ、工業機械に激突したのちに、地面に落ちた。
「おおいなるうるかぬすよ、ゆるされざるじゃきょうとに、さばきのみてを」
突然聞こえたその声に、俺はあわてて頭上を振り仰いだ。
その目に、不吉な灰色の鳥みたいな姿が、映る。
ドミニカが、二階の通路から飛び降りていた。
灰色の修道服を、はたはたとなびかせつつ。
その手に、真っ赤な炎の槍をたずさえながら。
「ぬう……」
トラメが、むくりと身体を起こす。
その左足が、突然、炎に包まれた。
ドミニカはまだ落下中だ。その手の槍とは関係なく、トラメの左足が突如として炎上しはじめたのだ。
赤い、嘘くさいぐらいに真っ赤な、あやしげな火……トラメは、薄闇に黄金色の目を燃やしながら、吠えた。
「騒ぐな、火トカゲども! 貴様らに屈するような我ではない!」
とたんに、炎はかき消えた。
その頭上に、今度は炎の槍が振り下ろされる。
「こざかしい!」
トラメは左腕を振りかざした。
バチッ、と青白い火花がはじけとび。
炎の槍を失ったドミニカは、ひらりと怪鳥のように舞って、エルバハのかたわらに降り立った。
「しぶといな。しかし、これで終わりだ、幻獣グーロ」
ヒュンヒュンと妖刀を振り回しながら、サイがトラメに近づいていく。
トラメは、忌々しげに周囲を見回した。
「炎の呪符結界か。偶然ではなく、我をこの場所に追いこみたかったのだな」
「そういうことだ。一歩でも動けば、また火だるまだぞ?」
右手からはサイが、左手からはドミニカが、じわじわとトラメに近づいていく。
ベールからこぼれる銀色の髪と、ガラス玉みたいな灰色の瞳。まだ中学生ぐらいの年齢に見えるのに、その面からは感情が欠落してしまっている、人形みたいに無機質な女。
そのほっそりとした指先にはまた九尾の革鞭が握られており、そして、その九つの先端にも、あやしい赤い火が魔物の目みたいに瞬きはじめていた。