血戦遊戯②
「よく来たな。磯月湊に、グーロ。……そして、コカトリス」
闇の中に、四角く馬鹿でかい建物が建っていた。
いったいどれぐらい夜の世界を疾駆したものか。ジェット機じみた幻獣の移動術に翻弄されるばかりだった俺には、距離感覚もまったくわからない。
ただ、あたりはずいぶん緑が深く、足もとは砂利道で、どこかの山の麓にでもある大きな廃工場、というたたずまいだった。
その建物の入り口で俺たちを待ち受けていたのは、言わずと知れたサイ・ミフネである。
ぼさぼさの蓬髪に、頬のこけた顔、不精ヒゲ、黒ずくめのいでたち。飢えた狼みたいな暗い眼光も、その手にぶらさげた革鞘の日本刀も、昨晩に見た通りのままだ。
「いま、退魔の結界を解いたところだ。中に入れ。話は、中でゆっくりとな」
俺たちの返事も待たずに、するりと扉の内側へ身を隠す。大きな、鉄製の扉だ。俺たちは、無言で目線をからめあってから、サイに続いて扉をくぐった。
だだっ広い、無機質な空間だった。
やはり、廃工場なのだろう。薄ぼんやりとしたオレンジ色の照明が灯ってはいるが、いかにも長年放置されていた様子で、空気には酸化した鉄の匂いが強く混ざっている。
二階ぶんの高さを持つ吹き抜けの工場で、壁ぎわには得体の知れない工業機械が死んだ獣のように黒くうずくまり、床には、砂や埃が積もりに積もっている。
もともとの作りなのか、この連中が片付けたのか、建物の中央にはフットサルができるぐらいのスペースが空いており、サイは、その中央で俺たちを待ち受けていた。
「望みは果たされた。ごきげんよう」
と、サイのかたわらに付き従っていたアルミラージが、抑揚のない声を残して、現し世から消え失せる。
きちんとした望みの言葉によって、アルミラージは案内人の役を担っていたのか。
アルミラージの代わりに空中に生まれ出た白い骨の首飾りを、サイの指先がすばやくつかみとる。
「八雲は、どこにいるんだよ?」
一同を代表して俺が尋ねると、サイは日本刀を杖にしながら、面白くもなさそうに笑った。
「べつだん隠してなどはいないぞ。注意深く観察しろ」
トラメに腕を引かれて見ると、サイの頭上に、人影があった。
吹き抜けだが、ちょうど二階ぐらいの高さで、壁にそってぐるりと通路がもうけられており、そこに二つの人影がたたずんでいるのだった。
八雲と、ドミニカだ。
黒いゴスロリ・ドレスの少女と、灰色の修道服の女。
八雲は、天井から下がったチェーンに両腕を吊るされており。
ドミニカは、無言でそのかたわらに立ちつくしていた。
「ミワ……」
こらえかねたように、ラケルタがつぶやく。
その面は怒りと悲しみで蒼白になり、藍色の左目も、ふつふつと激情の火をゆらめかせはじめている。
もちろん俺も、その無残な姿に苦い怒りをかきたてられていた。
「魔術師のおっさん。最初にひとつだけ聞かせてくれよ。あんたたちは、本気で俺たちが『名無き黄昏』なんていうふざけた集団の一員だと思ってるわけじゃねェんだろう? だったら、どうしてここまで非道な真似が恥ずかしげもなくできるんだ?」
「……可能性は低いと思っている。しかし、ゼロではないとも思っている。何せお前たちは、儀式魔術などに手を染めてしまったのだからな。ただあの石版を売ったり買ったりした連中よりは一段階、警戒すべき対象なんだ。自分たちはそれだけ大それたことをしてしまったのだという自覚をもて、磯月湊」
狼のような目が、じっと俺を見る。
「ただ好奇心だけでオカルトの世界に足を踏みこんでしまった高校生にすぎないのか、この世に破滅をもたらさんとする忌まわしき『名無き黄昏』の一員なのか。……それをはっきりさせるには、家族関係から交友関係まで綿密に調査しなくてはならん。その結果が出るまでのんびりとかまえていることもできないから、こうして直接お前たちと相対しているんだ」
「……で、それが判明するまでは、俺たちに人権なんて認めねェ、ってことだな?」
「魔術師に、人権などない。魔術師が尊守すべきは、国が定めた法や、それに従って生きる人間たちの倫理や価値観などではなく、魔道の理のみ、なのだからな。……そして、儀式魔術に手を染めてしまった時点で、お前たちもれっきとした魔術師の端くれなのだ、という事実を認識しろ」
似たようなことは、以前にトラメにも言われたことがある。
わかっている。馬鹿だったのは、軽はずみに幻獣を召喚などしてしまった俺たちなのだ。そんなことは、わかりきっているのだが……
「それでも俺は、手前らのやり口は気にいらねェ。法律や価値観なんざ関係ねェよ。女をさらって、それを人質に要求をつきつける、そんな連中の言い分に従う気にはなれねェって言ってるんだよ、魔術師のおっさん」
「……こちらも、お前さんが思っているほど楽観的にかまえているわけではないのでな。俺たちが『名無き黄昏』にどれほどの脅威と恐怖を覚えているか、お前などには想像もつかないだろう」
サイは、日本刀をもちあげて、すっと俺たちのほうに差しむけてきた。
「だから、非道な真似をしてすまない、などと謝るつもりもない。さあ、答えを聞かせてくれ、磯月湊。自分が『名無き黄昏』でないと証明するためにおとなしくそのグーロを引き渡すか、あくまで抗い、力ずくでそのグーロを退治されたいか……あるいは、そのグーロともども、『暁の剣団』に入団するか。お前は、どの道を選ぶ?」
「どの道も、選ばない。どれも気に食わないからな」
迷わず、俺は即答した。
「答えはウサギの耳ごしに聞いてたんだろ、おっさん?」
「この数時間で心が変わっていればなと期待していたんだ。なまじ強力な幻獣などを手に入れてしまったから、力ずくでこられても対抗できると判断したんだろうが……無駄だぞ、磯月湊。いかに強力な幻獣を従えていようとも、お前自身は無力な子どもにすぎないのだ。俺とドミニカを退けることなど不可能だし、仮にそのような僥倖に恵まれたとしても、この先『暁の剣団』の魔術師すべてを敵に回して生き延びることなどはできない。……お前はそんな人間ならざる存在のために、安楽な人生を棒に振る気か?」
「それもウサギから通達済みだよ。とりあえず八雲をこの手に取り戻すまでは、話し合いの余地もへったくれもねェんだ」
反抗的に、俺がそう答えたとき。
三メートルばかりの高みから、感情の欠落した女の声が響きわたってきた。
「どみにか・まーしゃる=ほーるのなにおいて。えるばはのみゅー=けふぇうす、わがのぞみをかなえよ……わがてきに、しかるべきむくいをあたえん」
「エルバハのミュー=ケフェウス、承認す」
どこからともなく、幼い子どもの声がそれに応じ。
そして、突然、地面が崩落した。
「ちっ……」
鋭く舌打ちしたトラメが、俺とラケルタの腕をひっつかんで、後方に跳びすさる。
ガラガラと足もとのコンクリートを突き崩して出現した巨人の拳が、今まで俺たちの立っていたあたりの空間を、ものすごい勢いで通過していった。
「不意打ちかよ。さすがに根性が腐ってんな!」
エルバハの、ミュー=ケフェウスとやらだ。
ラケルタと同じぐらい小さな身体に、暗灰色のフードつきマント、溶岩のように燃える陰気なオレンジ色の双眸……そして、自分自身の胴体よりも巨大な、岩石のような腕。
それが、今回は両腕とも生えそろっていた。
ますます冗談のような光景だ。
「ミナト。今回ばかりは、貴様もいくばくかの寿命を支払う必要があるようだな」
トラメの言葉に、俺はうなずく。
なれない「嘘」に、心臓を高鳴らせながら。
「磯月湊の名において、グーロのトラミよ、望みをかなえろ。……八雲美羽の救出を邪魔する魔術師と幻獣を、痛めつけろ」
「グーロのトラミ、承認す」
言うなり、トラメの身体が淡い金色の光に包まれた。
あたたかそうな、やわらかい光だ。
そして、その不機嫌そうな白い面と、ジャージからのぞく指先に、呪術的な紋様が浮かびあがる。
日本刀をかまえたサイの目が、その姿を見て、いぶかしそうにすっと細められた。
(……こんな作戦、通用するのか?)
俺とラケルタを後方の壁ぎわまで追いやってから、トラメはエルバハの前に立ちはだかった。
エルバハの小さな身体は、昨晩よりもいくぶん強烈な、白い光に包まれている。
契約者の、生命力の炎だ。
「……そんな簡単に望みの言葉を唱えてしまってもよかったのか? しかもそんな、小さな望みで。……出し惜しみは、生命とりになるぞ」
感情の読めない声で言い、サイもすうっとエルバハのかたわらまで進み出てくる。
お前も早く、あのウサギ野郎を喚びだしやがれ。
正直言って、俺は気が気じゃない。
「貴様らごときに生命とりとは片腹痛い。エルバハにアルミラージごときが、我と対等に闘えるとでも思っておるのか?」
ふだんにはない挑発的な物言いで、トラメが応じる。
「そちらは両腕を出したようだが、こちらは片腕で十分だな」
と……トラメの左腕が、突如として変貌した。
肘から先が倍ぐらいの太さになり、ぞろりと金褐色の毛皮に包まれ、そして、五本の指が鋭い鉤爪と化したのだ。
これは聞いていなかった。トラメにも、こんな器用な真似ができたのか。
サイは、無言のまま日本刀を振りかぶった。
「母なる大地よ……」
と、エルバハが巨大な腕の片方を、コンクリが砕けて露出した黒土の地面にそっとおしあてる。
そうと見てとった瞬間、トラメは、そちらに跳びかかっていた。
ガギンッ、と鋼鉄の刃が岩を打つような音色が響き、エルバハが少しだけ後ずさる。
トラメの鉤爪にえぐられたエルバハの左腕から、玉虫色の光が少しだけ散った。
契約者の……ドミニカの生命が、少しだけ削られたのだ。
何度見ても、ぞっとするような光景だ。
「せいッ!」
さらに追撃しようとしたトラメの頭上に、裂帛の気合いとともにサイが刀を振り下ろす。
トラメは地を蹴って、その攻撃をかわした。
並の人間なら首を刎ねとばされていたに違いない。それほど凄まじい斬撃だった。
「貴様、人間の身で直接、我と刃を交える気か?」
腰を落とし、黄金色の目を燃やしながら、トラメがつぶやく。
その淡い金色の光に包まれた姿を恐れげもなく見返しつつ、サイは、刀を革鞘から抜き放った。
濡れたように輝く青白い刀身が、初めて俺たちの前にさらされる。
「俺は不器用でな。こいつのあつかいぐらいしか取り柄がないんだ。呪文を唱えるよりも、剣術を磨くほうが性分にも合っていた。魔術師としては、まあ三流だよ」
ぴたりと正眼の構えを取りながら、サイは世間話のような口調でそう言った。
「その代わり、他の魔術師とは異なるアプローチで闘うすべを身につけることができた。この刀は『精霊殺し』なんていう名を与えられているから、まあそのつもりでかかってこい」
一分のスキもない身のこなしで、音もなくトラメの右側に回りこんでいく。
このままでは、正面のエルバハと挟み撃ちにされてしまう。
「……サイ・ミフネの名において命ずる。アルミラージのムラサメマルよ、現し世にいでよ」
と、その右手の指先にからめていた首飾りが発光し、消失し、再びアルミラージが姿を現す。
「見物していろ、ムラサメマル。このグーロが本気でこのていどの力しか奮わぬつもりなら、お前の出番もない。俺とミューだけで十分だ」
アルミラージは、無言のまま、俺やラケルタとは反対側の壁まで引き下がる。
やっぱりこの作戦は失敗だったんじゃないか?と、俺はトラメの背中をにらみつけた。
金褐色の長い髪をゆらゆらと揺らしながら、トラメは静かにサイとエルバハの動向をうかがうばかりだった。