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召喚ノススメ  作者: EDA
第四章
48/141

嵐の前①

 翌朝。


 目を覚ますと、鼻先数センチの超至近距離に、トラメの幼い寝顔があった。


「うわぁ!」と俺はわめき声をあげて、ベッドの上に半身を起こす。


 そのアクションで夏用の薄い毛布がベッドの下にずり落ちてしまうと、トラメの寝姿があらわになった。


 よかった。きちんと服は着ている。トラメは、ふだん通りのジャージ姿で、うつぶせ気味に丸くなって、猫のような体勢ですやすやと寝息をたてていた。


 しかし、どうしてまた俺とトラメが仲良く枕を並べているのだ? さっぱりわけがわからない。あたりを見回してみても、そこにひろがっているのは見なれた自室の光景で、どこにも疑問の答えはぶら下がっていなかった。


 時刻は、午前の十時半。


 今日は日曜日だったよなと確認しながら、俺は何とか昨晩の顛末を思い出そうとパニック気味の頭をフル回転させた。



                *



 屋敷に駆けつけた警官たちの手によって、俺たちは病院に搬送されることになった。


 その前に、電話をかけさせてくださいとか何とか言って、再び八雲がさらわれてしまったという緊急事態をトラメたちに告げに行ったのだが。それを聞くなり、ラケルタは青白い妖気を燃やして、姿を消してしまったらしい。


 あんな身体で大丈夫か?と俺は心配になったのだが、トラメは「どうせ見つけられはしまい」と冷淡に言い捨てた。


「本来ならば、あの小娘がこの結界の内から連れだされた瞬間に、コカトリスにはその居場所が感知できたはずだ。それができなかったということは、何らかの魔術がほどこされていたということ。ならば、いくら走り回ったとて、徒労に終わるだけであろう」


 それはそれで、ラケルタが気の毒でならなかった。


 無力感に打ちひしがれる俺の姿を、トラメは、どこかに脱いで保管しておいたらしいジャージにのろのろと腕を通しながら、冷ややかに見た。


「いいから貴様は、自分の役割を果たしてこい。そして、とっとと我の空腹を満たすのだ」


 しかし、事はそう簡単に運ばなかった。


 何せこいつは、宇都見が言っていた通り、法治国家においては許されざるべき大事件なのだ。


 不法侵入、暴行、監禁、器物破損、最後のとどめは誘拐、だ。


 病院に搬送され、手当てを受けていると、見覚えのある二人組の刑事が血相を変えて飛びこんできた。


 先月の事件で俺も少しだけお世話になった、黒塚刑事と速水刑事である。


 俺と宇都見と浦島氏は、手当てが終わるなり今度は警察署まで移送され、そこで数時間にもおよぶ事情聴取につきあわされることをヨギナクサレた。


 そんなわけで。ようやく自宅のマンションに帰還できたのは、およそ午後の十一時ごろ。


 トータルで三時間以上も待ちぼうけを食わされたトラメは、ベランダで大の字にひっくりかえっていた。


 なぜベランダかというと、エレベーターやオートロックなどの操作を覚える気のないトラメはふだんからベランダを通用口にしており、今回は、そこまでたどりついた時点で、バタンキューと力つきてしまったらしい。


 俺があわてて抱き起こすと、トラメは今まで見たこともないぐらい弱り果てた表情で、「もはやこれまでかもしれん……」と、うめいていた。


 腹が減っただけで何と情けない声をだすのだと、俺は可笑しく思ってしまったが。しばらくすると、むやみに腹が立ってきた。トラメをこんな目に合わせた連中と、のんきに苦笑など浮かべてしまった自分自身に、だ。


 トラメは、なかなか元気にならなかった。最初はおじや風に仕上げてやったネコマンマを、何とこの俺が手ずから食べさせてやることになり、そいつを三杯ばかりもたいらげるまで、トラメは指一本動かすことすらできなかったのだ。


 しかし、何とか動けるようにまで回復すると、その後はもう大騒ぎだった。買い置きしておいた食糧のほとんどがトラメの胃袋に消えてしまった。もともと空恐ろしくなるぐらいの大喰らいであるトラメだが、ふだんの倍以上は食っただろう。それだけ深いダメージだったのだなと俺は同情もしたが、溜息を止めることもまた不可能だった。


 で。


 その後は、いつも通りに、俺だけがベッドにもぐりこんだはずだった。


 トラメはふだん、夜は寝ない。幻獣の風習なのかグーロの風習なのかは知らないが、眠るときは日中に眠るのだ。だから、俺はトラメの寝姿など、この二週間でほとんど目にしたこともなかったのだが……


 今、トラメはすやすやと心地良さそうに寝息をたてている。


 ふだんのふてぶてしさが欠落した、子どものように安らかな表情で。


(……あんまり無防備な顔をさらしてくれるなよ)


 トラメのおだやかな表情なんて、まったく気持ちが落ち着かない。


 俺は小さく嘆息してから、その金褐色の頭に、そっと右手の平を置いた。


 その瞬間。


 トラメのまぶたが、ぱちりと開いた。


「……よお」


 いったい何というタイミングで目を覚ますのだ、こいつは。


 俺はさしのばした手をひっこめることもできず、トラメの頭に手を置いたまま、引きつった笑いを浮かべることになった。


「何をしているのだ、貴様は?」


 寝起きとは思えぬほど強い光をたたえた黄色の瞳が、俺を見る。


「お、お前こそ、どうして俺の隣りで寝てやがるんだ?」


「何を言っている。この狭苦しい住居には、ここ以外に眠りの場などないではないか。我とて休息が必要だったというのに、勝手にとっとと眠りおって」


 なるほど。男女七歳にして席を同じゅうせず、という有難い格言を知らないのだな、こいつは。


「……で、何をしているのだ、貴様は?」


「うるせェな! 何にもしてねェよ! こいつは親愛の念をあらわす挨拶だって教えてやっただろ!」


 恥を隠すために大きな声をあげ、俺はトラメの髪を荒っぽくかき回してやった。


 何かまぶしいものでも見るみたいに目を細め、鼻のあたりにしわを寄せながら、トラメもむくりと身を起こす。


「眠っている相手に親愛の念をしめして何になる? まったく救いのないうつけ者だな、貴様は」


「うるせェ。俺の勝手だろ! 親愛の念をしめされてガタガタ文句を言うんじゃねェよ!」


 まったく、朝っぱらから何て会話だ。こんな阿呆な会話をしていられるような状況じゃないだろ、俺たちは。


 少し落ち着こう、と思い、俺はベッドの上にあぐらをかいた。


 トラメもまたベッドから降りようとはせず、俺の正面でおんなじような体勢をとる。


 着たきりスズメのジャージ姿で、もともとくせのある髪が大爆発してしまっているが、そのふてぶてしい表情に変わりはない。ただ、やっぱりふだんよりはいくぶん疲れているようにも感じられる。


 どこがどうとは言えないが、ほんの少しだけ目の光が弱く、ほんの少しだけ毒舌にキレがなく、ほんの少しだけ雰囲気がけだるげなのだ。


 それでもまあ、自力でスプーンを持ち上げることすらできなかった昨晩の様子を思いおこせば、驚異的な回復力だと言えるだろう。トラメをお姫さま抱っこで運んでやる、などという貴重な体験をしてしまったからな、昨晩は。


「……そういえば、ケガのほうは大丈夫なのかよ?」


 少しトーンをおさえて俺が尋ねると、トラメはけげんそうに首をかしげながら、無造作に右腕の袖をまくった。


 駄目だ。全然回復していない。トラメの右腕は、肘から先が大ヤケドを負ったみたいに赤黒く灼けただれたままだった。


「しかし、こちらはふさがったようだ」


 と、おもむろにジャージのすそを上に引きあげる。確かに脇腹の穴はほとんどふさがっているようだが、そんなに上までめくりあげるな、馬鹿。


「貴様こそどうなのだ? そんな処置で本当に傷がうまるのか?」


 トラメの目が、鋭く俺の右頬へと突きつけられる。


 そこには大きなガーゼが貼られているはずだ。トラメには頬骨が見えるぐらいの深手だと脅されたが、病院では縫うほどの傷ではないと診断された。トラメの不思議な治癒能力のおかげなのだろう。あれはあれで耐え難いほどの拷問ではあったが、海賊のように凶悪な面相にならずに済んだことは、心から感謝している。


 ……感謝しているが、その目つきは何だ?


「不愉快だな」


 じりっ、とトラメがにじり寄ってくる。


「我の不名誉が衆目にさらされているようで、不愉快きわまりない。いま一度、我が治癒の術をほどこしてやれば、そんな不細工な処置も必要なくなるのではないか……?」


「馬鹿言うな! あんな変態プレイをそう何度も……いてっ!」


 と、せまりくるトラメから逃げようとして、うっかり左腕に体重をかけてしまった。


 二階からのダイブで手首をひねり、腱を傷めてしまったのだ。トラメの眼光が、今度は左手首の包帯へとむけられる。


「何だそれは。呪符か何かと思っていたが、まさかそれも治療の処置なのか?」


「ああ。ちょっとばかりひねっちまったんだよ。外傷はないんだから、こっちはなめたって無駄だぜ?」


「貴様……いったいいくつの恥をその身に刻みこまれたのだ?」


 トラメは怒った声で言い、俺の左腕をむんずとわしづかみにした。


 それでもなめたりはできないだろ、とタカをくくっていると、もっと意想外なことが起きた。こともあろうに、トラメのやつは、俺の手首に噛みついてきやがったのだ。


「いてぇっ! 馬鹿、やめろ! マジでいてぇよっ!」


 トラメは俺の腕に噛みついたまま、「うふふぁい」と唇をうごめかせた。


 俺は本気でその頭をひっぱたいてやろうかと思案したが。それを実行に移す前に、トラメの口が手首から離れた。


 ひでぇ。包帯に穴が開き、うっすら血までにじんでいる。


 負傷した箇所を攻撃するなんて、いくら何でもあんまりじゃないか?


「治ったか? 治らなければ、もう一度だ」


「……なに?」


 俺は驚き、そろそろと指を開閉してみた。


 痛みが、消えている。


 噛まれた場所も血はにじんでいるが、包帯をほどいて確認してみると、傷口もない。ただ、犬歯の痕だけがくっきりと残っていた。


「お前……本当にすごいんだな。こんな特技を隠し持ってたのかよ」


「グーロはもともと治癒を得手とする種族だ。これぐらいのことは、できて当然だ」


 不機嫌そうに言いながら、俺の姿をじろじろと眺める。


「……他には手傷など負っておらぬだろうな?」


「大丈夫。オールクリアだ。サンキューな」


 本当は背中を革鞭でやられているし、窓にダイブしたせいで頭も肩も切り傷だらけなのだが、絶対に悟られてはなるまい。


「だけど、お前はケンカの腕だって大したもんじゃねェか。あのアルミラージとかいう一角ウサギは、格下なのか?」


「ふん。あいつも本分は治癒の類いだな。五分の勝負なら、怖るるに足らん。厄介なのは、むしろ術者のほうだろう。……それに、エルバハというのも、いまひとつ正体が知れん」


「ああ。あいつらが全員本気でかかってきたら、ギルタブルル一匹を相手にするよりは厄介そうだよな」


「万全の態勢で迎え撃たねばならぬだろう。こんな手傷は、とっとと回復させねばならん」


 と、灼けただれた右手の指先をひらひら泳がしながら、試すように俺を見る。


「わかったよ。回復させるためにメシを食わせろっていうんだろ。ったく、買いだめしたばっかりだってのに、今日で何もかも食いつくしちまいそうだな」


「文句があるなら、こんな騒動を持ちこんできたあのコカトリスに……」


 言いかけて、トラメが、ふっと視線をかたむける。


 昨晩トラメがぶっ倒れていたベランダへと通ずる、ガラス戸のほうに。


「……あのコカトリスに、文句を言え」


「え?」


 思わず俺も、そちらのほうを振り返った。


 それと同時に、ガラス戸が乱暴に引き開けられる。


 強い風が、カーテンをたなびかせ。


 ラケルタが、そこに姿を現した。


「ラケルタ! お前、どこに行ってたんだよ!」


 ラケルタは、死人のような顔色をしていた。


 その青ざめた頬や、口もとに、昨晩の闘いの名残りである乾いた血がこびりついている。


 豪奢なドレスも、よく見ればボロボロだ。


 そしてその藍色の瞳は、深い悲しみと絶望に曇り。


 ラケルタは、幽鬼のようにふらふらと、おぼつかない足取りで俺たちに近づいてきた。


「……どこにもいない」


 その唇から、聞くだけで胸のしめつけられるような、哀切な声がしぼりだされる。


「ミワが、どこにもいない……ウチを置いて、どこに行っちゃったの……?」


 そうしてラケルタは、糸の切れた人形のように、俺たちの目の前でがくりと崩れ落ちてしまった。

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