アルミラージとエルバハ③
「今度こそゲームオーバーだ。生命までは取らんから、これ以上、手間をかけさせるな」
「ふざけんな……手前らみたいなゲスどもを信用できるかよ!」
鞘におさまった日本刀を俺に突きつけながら、男はいくぶん苦笑ぽく口もとを歪める。
「いちいち手荒な対応になってしまっていることは否定せんが。こちらも、仕事なのでな。……重ねて言うが、何の覚悟も知識もないまま魔術儀式などに手を染めたお前らにも非はあるんだぞ? そこまで被害者面できる筋合いでもないと思うのだが、どうだ?」
「ふざけんな、としか言いようがねぇな。俺たちは確かに馬鹿の集まりだけど、いきなり拉致されたり、鞭でしばかれたりするような筋合いはねェよ。俺たちが手前らにどんな迷惑をかけたっていうんだ?」
「……詳しい話は、これからじっくりと聞かせてやる。まずはあの気の毒なグーロを隠り世に帰してやれ」
脅かすように、日本刀の先端が揺れる。
俺はいっそう眉根を寄せて、男の顔をにらみ返してやった。
「脅かしたいんだったら、せめて刀を鞘から抜けよ、おっさん。魔術師だか何だか知らねェけど、肉弾戦だったら、受けてたつぜ?」
「冗談じゃない。か弱き魔術師に肉弾戦だなんて、勘弁しろ」
言いながら、男は刀の先端でコン、と俺の右頬を小突いた。
鞘におさまったままの刀で、だ。
鞘におさまったままの、はずなのに。
俺の右頬には、鋭く、熱い痛みが走った。
「便利だろ? こいつは鞘から抜く必要がないんだ。抜くと、別のものが斬れちまうんでな」
頬からあふれる生ぬるい感触が、咽喉もとから胸のほうにまで伝わってくる。
えらく斬れ味のいい革鞘じゃねぇか、コンチクショウ。
(武闘派に見えるけど、やっぱりこいつもれっきとした魔術師だってことだな……)
そして俺は、男の手首に奇妙な紋様を発見していた。
初夏だというのに長袖のシャツを着た、その右の手首の内側に、黒い小さな文字で『S∴S∴』と刻印が為されていたのだ。
タトゥーか何かなのだろう。それはいかにもあやしげな魔術師の刻印めいていて、俺をいくぶんぞっとさせた。
『ミナト、貴様……我の言葉を、ひとつも聞いておらぬのか?』
と……苦しみもがいていたトラメが、いきなりのそりと大きな身体を起こした。
男の頭ごしに、黄金色の双眸が火のように俺をにらみすえる。
『我にどれほどの恥をかかせれば気が済むのだ、貴様は。いいかげんにせぬと、温厚な我でもいいかげんに許さぬぞ』
「だ、誰が温厚だよ、馬鹿野郎……」
反射的に口ごたえしながらも、俺は安堵の息をつかずにはいられなかった。
そんな憎まれ口を叩くぐらいの元気はまだあったか、トラメ。
しかし、右の脇腹から噴きこぼれる鮮血で、トラメの下半身も真っ赤に染まってしまっている。
くそ。満身創痍じゃないか、俺もお前も。
「本当に忠義深い幻獣だな。俺もあやかりたいぐらいだ」
トラメの恐ろしげな姿を振り返ろうともせぬままに、男はつぶやくように言った。
草むらで丸くなっていた銀色のウサギが、本物のウサギのように鼻先をひくつかせる。
『ひどいなぁ。僕だってけっこう忠義深いほうだと思いますよ、サイ。……これまでだって、貴方の捨て身な望みでも、できるだけ寿命を削らないよう効率的にかなえてきてあげたでしょう?』
「俺の寿命なんてどうでもいい。とっとと今回の望みをかなえてくれ、ムラサメマル」
『はいはい。ひとづかいが荒いんだから、まったく』
気安い調子で笑いながら、銀色のウサギがまた姿を消す。
トラメは、その強く光る目を半眼にしながら、夜闇の中で仁王立ちになった。
『アルミラージごときが、図に乗るなよ……?』
黄金色の目が、ゆるりとあたりを見回していく。
そして。
トラメの姿までもが、ふいにかき消えた。
『うわっ!』
少年めいた声が、あらぬ方向から聞こえてくる。
何が起きているのか、さっぱりわからない。
『グーロ、貴女、そんな図体をしているくせに、ずいぶんと素早い……おっと』
声が、あちこちから響き、ときおり、青白い火花までが散る。右から、左から、頭上から……ときたま不明瞭な残像が目の端を横切っていくが、それがトラメなのかアルミラージなのか、俺には見て取ることすらできない。
「宇都見章太。お前は魔術師でも何でもない、ただの子どもなんだろう? そんな、何の修練も積んでいない子どもが、あのように強大な力を持った幻獣を簡単に召喚できてしまう。『名無き黄昏』の魔術道具は、実に厄介であり……そして、危険な存在なんだ」
トラメたちの不可視な戦いを背後に、低い陰鬱な声で男がつぶやく。
だから、宇都見じゃねぇってんだよ、馬鹿野郎め。
「お前が『名無き黄昏』の団員などではないんだろう、ということはわかりきっているが。それでも、万にひとつにも可能性があれば、放置してはおけない。さらにまた、契約ひとつで恐るべき災厄をもたらすことが可能な幻獣を、お前のように何も知らない子供にあずけておくこともできない。……俺たちとともに来い。そうすれば、すこやかな未来を保証してやる」
「へえ。これだけ好き勝手に暴れ回る手前らの言うすこやかな未来ってのは、いったいどんなシロモノなんだ? 参考までに、聞かせてくれよ」
草むらの陰でこっそり地面の土を握りしめながら、俺は反抗的に答えてみせた。
「むろん、このような魔術とも幻獣とも縁のない、平和で安穏とした生活だ。お前たちが『名無き黄昏』の関係者でないと確信できれば、あのグーロを処分したのちに、解放してやる。そして、俺たちも二度とお前らの前に姿を現すこともない」
「なるほど、そいつは平和ですこやかだ。……それじゃあ手前らは、どうしてあんな幻獣を手もとに置いて、平和でもすこやかでもない生活を送ってやがるんだ?」
「……俺たちには俺たちの事情というものがある」
「ふん。だったら、察しろよ。俺たちにも俺たちの事情があるんだ!」
言い捨てざまに、俺は左手でつかみとった土を男の顔面に投げつけた。
男はゆらりと首をのけぞらせて、俺のさもしい奇襲をあっさりとかわす。
そして、その手の刀が、俺の肩口に振り降ろされた。
奇襲攻撃などかわされる、という前提で行動していなければ、俺の右腕は永遠に胴体と離ればなれになっていたかもしれない。土を投げつけると同時に、俺は男の足もとにタックルをかましていたのだ。男の振り降ろした刀は、鍔口のあたりが俺の右肩にぶつかっただけだった。
ただし、俺のタックルも空振りだ。俺は草むらに頭から倒れこみ、男はすばやく体勢を整えて、また俺のほうに刀を突きつけてきた。
そのかたわらに、べしゃりと音をたてて銀色のウサギが墜落してくる。
『うわっ!』
悲痛なアルミラージの声が響き。
そして、その小さな毛皮の塊を、どこからともなく飛来したトラメの巨大な足が、無慈悲に踏みにじった。
『あいたたた! 重い! こんな重いのに僕と同じぐらい身軽だなんて反則ですよ、グーロ!』
黒い角を震わせながら、アルミラージが叫ぶ。どうにも緊迫感のないやつだ。
トラメは、鮮血の噴きこぼれる脇腹を左腕でおさえながら、荒い息をついていた。
「……強いな。お前を隠り世に追い返すのはずいぶんと骨が折れそうだ、グーロ」
悠揚せまらぬ様子で、男はトラメとアルミラージの姿を見くらべた。
そのとき、俺たちの背後から、また新しい悲鳴があがった。
小さな子どものような、か細い悲鳴だ。
見れば、巨人の右腕を持つエルバハが、地面にひっくり返っている。
その正面に、何か凄まじい気迫をみなぎらせたラケルタが、立ちはだかっていた。
「ブチ殺す……アンタたち、全員ブチ殺してやるからネッ!」
エルバハの拳に殴られ、結界の雷撃で灼かれたラケルタは、長い黒髪を振り乱し、眼帯をした右目と、口から、トラメと同様の鮮烈に赤い血を流していた。
しかし、その左目は青く爛々と燃えさかり……そして、その火が燃えひろがったかのように、その小さな身体が青白い燐光のような輝きに包まれている。
何だろう。契約の白い炎とは異なる。もっと陰鬱で、不吉な感じのする輝きだ。見ているだけで胸苦しくなるような……ものすごいエネルギーを感じるのに、その火がラケルタ自身を灼きつくしてしまうのではないか、という不安をかきたてられるような、嫌な感じのする光だった。
さらに、異変はそれだけではなかった。
ラケルタの顔に、奇妙な紋様が浮きあがっていたのだ。
あの、トラメとの初顔合わせのときにも浮かんでいた、呪術的な紋様……よく見れば、手の甲や指先にも同じ紋様が渦を巻いている。もしかしたら、ゴシックなドレスの下では全身にその紋様が浮かびあがっているのかもしれない。
そして、その紋様もやはり青く不吉に光り輝いていた。
隠り身の本性はあらわさぬまま、すでにラケルタは人間ならざる存在へと変貌を果たしてしまったかのようだった。
「コカトリス。お前、その力は……」
呆れたように、サイという男が何かをつぶやきかける。
そのとき、この現実世界から遊離した空間では、ひどく耳になじまない甲高い音色……パトカーの鳴らすサイレンの音が、石塀のむこうから響きわたってきた。