アルミラージとエルバハ①
「何だと……?」
じっとうずくまるトラメのかたわらで、俺は思わず息を飲んだ。
その背後からも、声が響く。
「どみにか・まーしゃる=ほーるのなにおいてめいずる。えるばはのみゅー=けふぇうすよ、うつしよにいでよ」
からくりじかけのように無感動な、女の声だ。
『やはり貴様らも幻獣使いであったか。みずから結界を出るからには、そんなことであろうと思っていたが……』
いまいましげに、トラメがつぶやく。
白い光が、俺たちの正面と、背後で、爆発した。
そして。
その光が霧散したとき、そこには二つの新たな人影が現れ出ていた。
サイと名乗りをあげた男のかたわらには、すらりと背の高い人影。
ドミニカと名乗りをあげた女のかたわらには、ラケルタぐらいの小さな人影。
どちらも暗灰色のフードつきマントをまとっていて、どんな素顔をしているのかはわからない。
素っ裸じゃなくて、幸いだ。
「サイ・ミフネの名において命ずる。アルミラージのムラサメマルよ、眼前のグーロおよびコカトリスを……適当に痛めつけろ」
「アルミラージのムラサメマル、承認す」
男とも女ともつかない中性的な声が応じる。
それと同時に、そのすらりとした姿が、淡い輝きに包まれはじめた。
『アルミラージにエルバハか。ふん。埒もない……』
「トラメ! エルバハって何だよ? そんなヤツ、ウチは聞いたこともないヨッ!」
ラケルタがわめいたので、女の契約の詠唱は聞きとることができなかった。
『我も姿を目にしたことまではない。が、できれば相手を入れ替えたいところだな……』
『そうはさせないよ、グーロ』
肉声で聞こえていた中性的な声が、今度はトラメの声と同じように頭の中で響き、すらりとしたマント姿が、ふいにかき消える。
その瞬間、トラメがまた左腕を振りかざしていた。
ガキンッ、という硬質の音色とともに、夜闇に、青白い火花が散る。
今、何か攻撃をされたのか?
『ミナト、下がっていろ! これ以上、我に恥をかかせたら、ただでは済まさんぞ?』
「トラメ、俺は何か望みの言葉を唱えなくていいのかよ?」
『……今は不要だ。きゃつの言葉を聞いたであろう? あのようにちっぽけな望みでは、きゃつらも大して隠り身の力は解放できん』
「だけどそれなら、お前がフルパワーで戦えれば圧勝じゃねぇか?」
俺の言葉に、トラメは小馬鹿にしきったような目をむけてくる。
『さすればあちらも、より強い望みの言葉を唱えなおすことだろう。さらには、貴様自身をも攻撃の対象にしてくるかもしれん。せっかくあちらが小競り合いで済まそうとしているものを、生命の獲り合いに発展させたいのか、貴様は?』
そう言われてしまっては、俺も返す言葉がない。
『黙って見ておれ。貴様の生命など拝借せずとも、アルミラージごときに遅れは取らん』
ぬぅっとトラメが巨体を起こす。
三メートルもの高みから、黄金色の双眸が、じろりと俺を見下ろした。
『しかし、アルミラージはあのコカトリスよりもすばしっこい厄介な相手だ。ウロチョロしていたら巻き添えを食って穴だらけになるぞ』
「穴?」
意味はわからなかったが、俺などがそばにいても足手まといにしかならないだろう。
それでもあまり離れる気にはなれず、俺は、崩落した穴のそばまで引き退くに留めた。
ここからなら、その場にいる全員の動きが見て取れる。
「うわ、何だコイツ?」
と、ラケルタの珍妙な声が響きわたる。
振り返った俺は、我が目を疑った。
ラケルタと相対した、ラケルタと同じぐらい小さな人影……その暗灰色のマントから、実に驚くべきシロモノが生まれ出ていた。
巨大な、腕だ。
トラメの腕よりも大きい……というか、その幻獣本体の身体そのものよりも巨大な腕が、一本だけ、実に不自然な格好でそこに出現していたのだ。
長さは二メートル。太さは人間の胴体ほど。赤みを帯びた岩石のようにゴツゴツとした質感の、巨人の腕が、十歳児ぐらいしかないその小さな身体の右肩からにょっきりと生えのびていた。
冗談みたいな光景だ。
「ははぁん……要するに、巨人族ってわけダ?」
小馬鹿にしたように、ラケルタが笑う。
その横面に、巨人の巨大な拳が奮われる。
黒いドレスをひるがえし、ラケルタはひらりと後方に跳びすさった。
「ノロマめッ! アンタなんかに、負けやしないヨッ!」
ようやくこれまでの鬱憤をぶつけられる相手を得て、ラケルタは嬉々としているようにさえ見えた。
巨人の右腕を持つ小さな幻獣は、フードの陰から暗いオレンジ色の目を燃やし、じっとラケルタを見つめやっている。
主人同様に、陰気なやつだ。
「望みの言葉は唱えぬのか? ……ならばグーロよ、お前は何故、我々の邪魔立てをする? 契約者の命令もなしに戦う幻獣など、初めて見た」
いぶかしげな男の声に、俺はあわててまた視線を転じる。
まったく、これではどちらからも目を離せない。
『貴様の疑念を晴らしてやる義理なぞない。せいぜい我に不名誉を負わせた愚かさを悔いるがいい、魔術師よ』
「契約者をちょいと傷つけられただけで、そんなに目くじらを立てているのか? どうやったらそこまで幻獣の忠誠心を獲得できるのか、ひとつ教授してもらいたいぐらいだな」
『黙れ。殺すぞ』
いつになく不穏な台詞を吐きながら、トラメはしきりに左腕を振り回していた。
そのたびに、まるで刀をハンマーで打ちすえるような硬い音色が響き、青白い火花が散る。
いったいどのような攻撃がトラメを襲っているのか、凡人たる俺には気配を察することすらできない。
それに……トラメの黒ずんだ右腕がだらりと下がったままなのが、俺には気になってしかたがなかった。
ギルタブルルほど恐ろしい相手ではないようだが、片腕で、しかも契約者の生命力も使わぬままに倒せるような相手なのだろうか?