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召喚ノススメ  作者: EDA
第二章
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刺客④

「なかなかの覚悟だ。だけど、無駄だよ」


 三歩と走らぬうちに、男の陰鬱な声が、するりと耳の中に侵入してくる。


 無視して、俺は走り続けた。


 背中に、バシリと凄まじい痛撃が走る。


 女が、革鞭を奮ってきたのだろう。


 無視して、俺は走り続けた。


 白い壁が、少しずつ近づいてくる。


 正面しか見ない、その目の端に、灰色のすそがふわりとひるがえる。


 もう少しだ。


 あの壁のむこうに、トラメとラケルタがいる。


 そう思ったとき、足に、何かが巻きついた。


 女の放った、鞭だった。


 俺は転倒し、芝生を転がった。


 越えねばならない石の壁に背中をぶつけるまで、俺はゴロゴロとぶざまに転がった。


「……ゲームオーバーだ」


 荒い息をつきながら、半身を起こす。その目の前に、長身の人影が立ちはだかった。


 鞘におさめられた日本刀の先端が、俺の咽喉もとに突きつけられる。


「いちおう、最初に聞いておく。……お前たちは、『名無き黄昏』か?」


「……何だと?」


 あちこちの激痛に耐えながら、俺は男の不吉な面相をにらみ返した。


 夜闇の中で狼のような目を光らせながら、男は、探るように俺を見ている。


 九尾の鞭をひゅんひゅんとうならせながら、灰色の女もその隣りに並んだ。


「お前たちのように呑気な目つきをした小僧たちが『名無き黄昏』の団員だとは考えにくいが、あの忌まわしい魔術道具に関わったからには、納得いくまで調べさせてもらう。さ、お仲間の待つさっきの部屋に……」


 そう言いかけて、男はいきなり後方に跳びすさった。


 女も、同時に跳んでいた。


 そして。


 ものすごい破壊音とともに、俺の背後の石壁が、崩落した。


「何だと……?」


 男がうめき、刀をかまえる。


 俺は、呆然と、「それ」を見下ろした。


 石の壁を打ち砕き、へたりこんだ俺のすぐかたわらに、にょっきりと生えた、その異様な物体を。


 それは、金褐色の毛皮に覆われた、丸太のように太い、巨獣の右腕だった。


 そうと認識した瞬間、巨獣の腕は青白い雷光につつまれて、バチバチと凄まじい音をたてる。


 肉の焦げる、嫌なにおいがした。


「馬鹿な……幻獣に、この結界を破れるはずは……」


 驚き呆れる俺たちの目の前で、壁から生えた巨獣の右腕は苦しげにもがいていた。


 青白い雷撃が、巨獣の皮膚を灼いているのだ。


 その先端に生えた恐ろしい鉤爪が、何かを探し求めるように夜気をかきむしり。


 そして、俺の左足をひっつかんだ。


「うわぁっ!」


 ものすごい力で、ひきずりだされる。


 壁の外……結界の外へと。


『何をやっているのだ、このうつけ者が!』


 底ごもる、地鳴りのような声が響きわたる。


 闇の中で、黄金色に燃える目が、深甚な怒りをたたえて、俺を見下ろした。


『このわずかな時間で、ぼろ雑巾のような有り様ではないか! 契約者を害されるのは我らの恥であると、貴様にはなんべんも言うたであろうが!』


 いや、だけど、自分の目の届かない場所でのことなら、どうでもいいとも言ってたじゃねェか……?


 そう反論しかけた俺の目の前に、巨大な顔がぬぅっと肉薄する。


 大きな耳と、大きな目をした、猫によく似た巨獣の顔が。


『おまけに、自力で逃げだすこともできぬとは……自分に果たせぬ約定など交わすな! 身のほどを知れ、この愚か者!』


「そうポンポンとまくしたてるなよ。こっちはこっちで必死だったんだからよ」


 ひさかたぶりに本性を現したトラメに、俺は力なく笑いかけてみせる。


 およそ三メートルの巨体に、全身を覆う金褐色の長い毛並み、黄金色の鬼火みたいな目。


 いかにも恐ろしげな姿だが、俺はこの姿が嫌いじゃない。


 しかし、今日のトラメはあのときのように白い光には包まれておらず、月明かりの下で、ただその双眸だけが爛々と輝いていた。


 あのときの、神々しいばかりの白い輝きは、おそらく契約者……つまりは俺の生命力そのものだと察することができるので。俺との契約とは無関係に本性を現しても、あんな風に輝いたりはしない、ということか。


 だが、それならば、今のトラメはどれぐらい本来の力を奮うことができるのだろうか……?


「お前こそ、その右腕、大丈夫なのか?」


 トラメの逞しい右腕の毛皮が、いかにも痛々しく黒ずんでしまっている。


 関係あるか、という風に鼻を鳴らしながら、トラメはいきなり大きな口を開け、大きな舌で俺の右腕をぺろぺろとなめはじめた。


「うわ、何すんだよ?」


『黙っていろ、うつけ者』


 そういえば、俺の右腕も、あのいまいましい革鞭をくらって、肘から先がけっこう無残な有り様になってしまっていたのだ。


 本当にトラメの舌やら唾液やらには治癒の効果があるらしく、なんだか痛みがすうっとひいていく気がする。


 実際のところは、二階からの着地でひねった左手首や、逃げる最中に打ちすえられた背中のほうが痛かったのが、もちろんそんなことを伝えているヒマなどはなかった。


「黄金色の目に、金褐色の毛皮と、その巨体。お前は幻獣グーロか。……ずいぶんとまた珍しいものを喚びだしたものだな」


 陰鬱な声が、闇に響く。


 石塀の上に、日本刀をたずさえた黒ずくめの男が立ちはだかっていた。


 その足もと、トラメが崩落させた馬鹿でかい穴からは、革鞭を手にしたモノクロームの修道女が幽霊のように姿を現す。


「あの八雲美羽という娘が召喚したのは、コカトリスだったはず。ということは、お前が、宇都見章太だったのか。これからお前を迎えに行こうと思っていたところなので手間ははぶけたが……しかし、お前が八雲美羽を助けに来るとはな。お前らがどういう関係で、どういう目論見があるのか、こいつはますます見過ごせぬ事態になってきた」


 誰が宇都見だ、馬鹿野郎め。


 それに、俺たちの目論見なんて……俺たちは、ただ平和に過ごしたいだけだ。それをかき乱してくれているのは手前らだろう、と俺は内心で歯がみした。


「アンタたちがミワをさらった魔術師だネッ! ねえ、ミワは無事だったんだろうネ?」


 と、トラメの巨体の陰にひそんでいたラケルタも鋭い声をあげる。


「とりあえずは無事だ。だけど、あいつら、ロクな連中じゃねェぞ」


「そんなの最初っからわかってるヨ! アンタたち、こっから無事に帰しゃしないからネ!」


 かつてギルタブルルと相対したときと同じように、ラケルタの片方しかない瞳が青く燃えはじめている。


「ん……お前がコカトリスか。なるほど、お前が主人の窮地をこいつらに告げたのだな」


 トラメやラケルタの異形を前にしながらも、そいつらはまったく怯んだ様子も見せなかった。


 俺のかたわらにかがみこんでいたトラメも、物騒に燃える眼光を差しむける。


『魔術師ども……貴様らなぞに用はないが、我の契約者に手をかけて、我に不名誉を負わせた覚悟はできているのであろうな?』


「ふん。だったら大事な主人を手の届かぬ場所などに追いやらぬことだ。……とはいえ退魔の結界を一時的にでも破ることができるとは、なかなか侮れぬ力だな。そんな芸当のできる幻獣が存在するとは思わなかった。まったく、厄介だ」


 言い捨てざまに、男が跳躍した。


 鞘におさめられたままの刀が、トラメの頭上に振り下ろされる。


『ふん』


 つまらなそうに、トラメは左腕を振りかざした。


 中空で、男の刀と、トラメの鉤爪が激突する。


 男は、くるりと一回転してから、草むらの上に舞い降りた。


『結界を出たか。いい度胸だな、魔術師よ』


「しかたないさ。お前の主人にはまだまだ聞かねばならんことが山ほどあるのだ」


 冷静で、よどみのない、男の声。


 こいつはこいつで、何を考えているのか、その心情がさっぱり読み取れない。


「ただ召喚されただけのお前に罪はないが。みすみす契約者を俺たちの手にゆだねる気にはなれんだろう。あっちも、すっかり臨戦態勢だしな」


 見れば、少し離れた位置でラケルタと修道女がにらみあっていた。


 怒りに燃える青い目と、何の感情も浮かべていない灰色の目。眼帯をしたゴスロリ少女と、九尾の革鞭をたずさえた幼きシスター。……まったく、尋常でない対決の図だ。


「だが、俺たちもこんなところで力を使い果たすわけにもいかん。まずは小手調べさせてもらおうか」


 言いながら、男は自分の襟もとをまさぐった。


 何か白い骨のようなモノをつなぎあわせた首飾りが、高く、天にかざされる。


「サイ・ミフネの名において命ずる。アルミラージのムラサメマルよ、現し世にいでよ」

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