刺客③
ふざけた格好をした女だった。
魔術師……というか、どちらかというと、シスターみたいな格好だ。
修道服、というのだろうか。淡いグレーのゆったりとした装束で、頭にはベールなどかぶっている。
しかし、世間のシスターたちは、九尾の革鞭などたずさえてはいないだろう、絶対に。
それに、その容貌も、何だか普通ではない。
生粋の日本人には見えなかった、と浦島氏は言っていたが。明らかに異国人だ。ベールからわずかにのぞく短めの髪は、見事なぐらいの銀髪で、肌の色も、ものすごく白い。
おまけにその瞳は、ほとんど色素を感じさせない灰色で。その身にまとった修道服もふくめて、白とグレー以外の色彩がいっさい見当たらない。
ずいぶん華奢な体格をしていて、背もそんなには高くない。年齢は俺より下なぐらいだろう。下手をしたら、中学生ぐらいなんじゃなかろうか。
しかし……それにしても、異様な雰囲気の女だった。
まだ幼げな顔をしているのに、何というか、老人のように枯れ果てている。白い面からは感情というものが欠落しており、灰色の瞳は、まるでガラスのビー玉みたいだ。
これでは、トラメやラケルタのほうがまだ人間らしい、と言えただろう。この屋敷の敷地内に幻獣は入りこめない、と聞いていなければ、きっとこいつも人間じゃないんだろうなと思ってしまったところだ。
「しゅくせいする。そのみをもって、つみをあがなえ」
その血の気のない唇が開いて、やはり感情のない声が放たれた。
それなりにしっかりとした日本語だが、棒読み口調で、人間味がない。まるで人形が喋っているみたいだ。
「ふざけんな! 物騒なもんを振り回しやがって、この生臭シスターめ!」
九つもの先端をもつ黒い鞭が、再び奮われる。
あわてて身を引くと、ビュンッ、と鋭いうなりをあげて、俺の目の前の空気が九つに引き裂かれた。
射程はせいぜい二メートルぐらいだが、当たったらメチャクチャ痛そうだ。
「手前らの目的は何なんだ? 文句があるなら聞いてやるから、とりあえずそこの八雲を解放しやがれ!」
俺の怒声にも無反応で、からくり人形じみた動作でまた鞭を振り上げる。
と……そのとき、がっくりとうなだれていた八雲が「ううん……」と、か細い声をあげた。
長い睫毛と紫がかったアイシャドウで装飾された大きな瞳が、ぼんやりと俺を見る。
そもそもメガネを外した顔さえ見たこともなかったのだが。本当に別人みたいだ。こんなシチュエーションじゃなければ、感心したり冷やかしたりもできたのだが。後ろ手に両腕を縛られて、腹のあたりも椅子ごとぐるぐる巻きに拘束されたこの状況では、そんなことも言っていられない。
「八雲! 大丈夫か?」
「あ……いそつきく……」
黒っぽいルージュの塗られた唇が、弱々しく動く。
とたんに、女が八雲にむきなおった。
やめろ、と叫ぶいとまもない。女は眉ひとつ動かさずに、その手の鞭を振り下ろした。
鞭の先端が、こともあろうに、八雲の口もとに打ちつけられる。
「しゃべるな。けがらわしきじゃきょうとめ」
八雲は、がくりと再びうなだれた。
赤い血が、唇の端から、つぅっと流れ落ちる。
その一瞬で、俺の体内を流れる血液は沸点を突破した。
「手前っ!」
動けない女の顔を鞭で打つなんて、人間のやることか? 俺は、この場にいないラケルタの代わりに怒り、吠えた。そして、頭からクソ女に突っ込んだ。
たちまち奮われる鞭の猛攻をかいくぐり、遠慮も容赦もない右拳を叩きこむ。
が、女はふわりと後方に跳びすさり、俺の右フックを難なく回避した。
舌打ちをこらえながらも、俺は、女と八雲のあいだに立ちはだかる。
まずは、これでも上出来だ。
「宇都見! 八雲の縄を……」
言いかけた俺に、鞭が、四たび振り降ろされる。
いいかげんにしやがれ、この大馬鹿野郎!
俺は思いきって女のほうに接近し、襲いくる大蛇の群れみたいな乱撃のど真ん中に右腕をさしのべた。
尋常でない痛みが、右腕のあちこちを打つ。
が、そんなもんにはかまいもせず、俺は適当なタイミングで指を閉じた。狙い通り、鞭の先端の一本をその手につかむことができた。
女は、けげんそうに首を傾げる。
「魔術師だか何だか知らねェけど、肉弾戦だったら手前なんかには……」
「おおいなるうるかぬすよ。じゃきょうとどもに、さばきのみてを」
俺の怒声は、女の不気味な詠唱によってさえぎられた。
同時に、宇都見が「うわぁ!」と叫ぶ。
「い、磯月、ひ、ひ……」
何を情けない声をあげてやがる。忌まわしい鞭の先端をしっかりと握りしめたまま、俺は背後を振り返り……そして、息を飲む羽目になった。
八雲を取り囲むように、真っ赤な炎の壁が床から噴きあがっていた。
熱は、感じない。陽炎のようにはかなげで嘘くさい炎だ。
しかし……こいつに触れるのはやばい、と俺の本能が告げていた。
八雲に駆け寄ろうとしていた宇都見も立ち往生しており、いちおうまだ意識はあるらしい八雲が「ああ……」と悲痛な声をしぼりだす。
「くそっ……!」
俺は、女にむきなおった。
とたんに、ものすごい力で右腕を引かれた。
何が起きたのかはよくわからない。気づいたとき、俺の身体はむかいの壁に叩きつけられ、その指先から鞭の先端は離れてしまっていた。
「ダメだ、磯月! やっぱりボクらの手に負える相手じゃないよ!」
背中を強打した俺は、咳き込みながらも可能なかぎり迅速に身を起こす。
女が、無機質な瞳で俺を見下ろしていた。
「……宇都見! お前は逃げろ!」
こうなったら、警察が来るまで時間をかせぐしかない。
女が宇都見を追うなら、そのままトラメたちのところにまで誘導すればいいし、追わないなら、何としてでも、俺が食い下がってやる。
「わかった。……磯月、死んだらイヤだよ?」
阿呆なことを言いながら、宇都見がドアへと足をむける。
しかし。
敵さんのほうが、一枚上手だった。
「殺しはしない。……ただし、逃がしもしない」
低く、ドスのきいた、陰鬱な男の声。
最悪だ。
こいつら、二人とも屋敷に居残ってやがったのだ。
「まさか侵入者がこんな小僧どもだとはな。……抵抗はやめろ。そこの女は子ども相手でも手加減できるような情緒は持ちあわせていないんだ」
宇都見の退路をふさぐ格好で、そいつは悠々と室内に入りこんできた。
背の高い、痩せぎすの男だ。
ぼさぼさの黒髪に、飢えた狼のような瞳。面長で、頬がこけていて、とがった下顎に不精ひげをこびりつかせている。
黒いシャツに黒いズボンというごく平凡ないでたちだが、その腕には、鞘におさまった日本刀などをぶらさげていて、死神のように剣呑な雰囲気がその全身からはたちのぼっていた。
こちらはどう見ても日本人にしか見えなかったが。とにかくむやみと背が高く、痩身だけれども、武闘派であることは間違いない。時代劇に出てくる人斬りの浪人みたいな男だった。
「お前たちも、考えなしに魔術なんぞに手を染めたクチか? ……馬鹿なことをしたもんだな。好奇心、猫を殺す、って言葉を知らないのか?」
絶体絶命、四面楚歌、だ。
背後の壁に手をつきながら、俺はよろよろと立ち上がった。
その指先が、ひんやりとした窓ガラスに触れる。
と……一心にこちらを見つめていたらしい宇都見と、目が合った。
「磯月! たしかこの下は芝生だったよ!」
叫びながら、宇都見がその手に握りしめていたモノを女にむかって投げつける。
ロボットのように俺の動向を見守っていた女は、素早く振り返り、すばらしい反射神経でその手の鞭を振りかざした。
黒い斬撃が虚空をなぎ払い。
ぐしゃりと潰れた催涙スプレーの缶が、ものすごい音をたてて破裂した。
「……!」
わけのわからない粉末が、部屋中に飛散する。その勢いに押されるようにして、俺は、頭から窓にダイブした。
無謀だ。だけど俺は頭にきていたので、このまま敵の手に落ちることだけはガマンがならなかった。
華々しい音色をたてて、窓のガラスが砕け散る。
緑の大地が、ぐんぐんと目の前に迫る。
俺は、動物みたいに、四つん這いの体勢で、着地した。
ごきりと、左の手首がおかしな音をたてる。
上等だ。
足さえ無事なら、それでいい。
暗い庭園を、俺は走った。
一ヶ月前と、同じように。