災厄、再び④
「とりあえず各種のハンバーガー合計十個と、骨つきチキンとナゲットをあるだけ全部、ポテトは必要かどうかわからなかったのでひとつだけ買ってきました」
前々から疑問に思っていたことだが、幻獣相手に気安く話しかけてしまう俺と、つねに敬語で接している宇都見と、どちらが正しい姿なのだろう。
何はともあれ、トラメは御礼の言葉もないままに、さっそくその暴力的なまでの食欲を満たしはじめた。
その姿を観察しながら、誰にともなく、俺は疑問を呈してみる。
「なあ、急いでるんだったら、電車かタクシーで移動しながら食ったほうが良くないか?」
「そんな乗り物なんて使わないヨ。幻獣の移動術を使ったほうが、よっぽど早いんだから。……トラメ、それぐらいはしてくれるんだろうネ?」
「……契約者との契約外で隠り身の力を使いすぎると、己の生命を削る結果になるぞ?」
骨つきチキンを骨ごと噛み砕きながら、トラメはぶっきらぼうに応じる。
「ハンバーガーのお味はどうです?」
地面にどっかりとあぐらをかいたトラメの正面に、宇都見がしゃがみこみながらそう問いかけると、案の定、黄色い瞳がうるさそうに瞬いた。
「理想的とは言い難いな。だが、まあ、こいつだけは、悪くない」
やはり肉食だ。パンの類いをあまり好まないトラメ様は、骨つきチキンがお気に召したようだった。
「しかし、どうも出来合いの食い物には、いらぬ混ぜ物が多くて好かん。何を食っても、薬くさい」
「そのうち磯月が美味しい唐揚げを作ってくれますよ」
いらないことを言うな、馬鹿野郎。唐揚げなんて、面倒くさいじゃねェか。
……にしても、トラメと宇都見がこんなにきちんとコミュニケーションする姿を見るのは初めてかもしれない。空腹を満たしてくれた宇都見に対して、トラメはトラメなりに感謝しているのだろうか。
「さ、今度こそ出発するヨ!」
トラメが膨大な量のファースト・フードを三分足らずでたいらげると、待ちかねたようにラケルタが宣言した。
トラメは脂のついた指先をなめながら立ち上がり、俺は宇都見と顔を見合わせる。
「なあ、出発するのはいいけどよ、俺とこいつは電車より早く走ったりはできねェぞ?」
「……おチビ、アンタも本当にひっついてくるの?」
と、片方しかない藍色の瞳が鋭く宇都見を見る。おチビったって、十歳児サイズのラケルタよりは三十センチばかりも大きいんだけどな。
「だったら、おチビはウチが運ぶ。トラメはミナトね? ほら、とっとと来て!」
「え? ええ、はい……」
「わ、バカ! 護符は外せヨ! 痛いだロ!」
「あ、ああ、ごめんなさい!」
「おい、ちょっと待て。いくら何でも、それはちょっと無理があるんじゃねぇか?」
隠り身の力がどうしたとか言っていたから、俺はてっきりラケルタたちがあの物凄い本性をあらわにするのかと、少なからずビクついていたのだ。
が、そうではなく、ラケルタは普通に宇都見の身体をおぶろうとしているようだった。
十歳児の身長なんてよくわからないが、まあせいぜいが百三十から百四十センチの間ぐらいだろう。
いっぽうおチビ呼ばわりされている宇都見は、百六十五センチ前後。
いかに発育不良のもやしっ子だからと言って、この身長差は如何ともし難い。
腰をかがめて後ろからラケルタに抱きついている宇都見の姿は、とびきりタチの悪い変質者にしか見えなかった。
「……ナニが無理なの? ウチらを何だと思ってるのサ?」
宇都見を背後に従えたラケルタの左目が、突如として青い火のような輝きを燃えあがらせる。
「トラメ、とっととついてきてよ? 気配もきっちり殺してよネ。集合場所は、ウチらが初めて顔を合わせた森のところ!」
「うわぁっ!」
宇都見の悲鳴を尾にひきつつ、二人の姿がかき消えた。
まさしく、消えたとした言い様がない。しかもその残像は横方向ではなく上方向にむかったように思えたのだが……見上げてみても、そこに異変の痕跡はない。こいつら、こんな芸当を隠し持っていたのか、と俺は呆れる。
「すげェなぁ。まるで忍者だ。……だけど、あんな姿をちらっとでも通行人に見られたら、それこそ大騒ぎになっちまうんじゃないのか? ジェット機みたいなスピードで移動するゴスロリ少女、ってな馬鹿げた都市伝説が生まれちまいそうだ」
「……気配を殺すと言っておったろう。人間の目になどは映らぬわ」
無関心に言い捨てる。その憮然とした様子を眺めながら、俺はかゆくもない頭をかいた。
こんなことを言っている場合ではない、というのは百も承知だが……俺たちは、今朝がたまでなかなか派手にいがみあっており、ちょっとした冷戦のさなかであったのだ。二人きりにされてしまうと、かなり気まずい。
「……なあ、さっきの誓約ってやつは何なんだ? 幻獣同士でも、誓約なんて交わせるのかよ?」
とりあえずワンクッションおいて様子を見るか、と俺はふだん通りの調子で声をかけてみることにする。
誓約とは、この現し世ではまったく自由のきかない幻獣に自由を与えるための儀式だ、という風に俺は受け止めている。本来、こいつらは、契約者との契約を果たす以外では、他者を害したりするのはもちろん、勝手に外を出歩くことすらできない不自由な身の上であるらしいのだ。
俺がトラメに与えた自由は三つだけ。すなわち、外を出歩くこと、俺の敵を攻撃すること、トラメ自身の敵を攻撃すること、だけだった。
トラメはぶっきらぼうな表情のまま、ぶっきらぼうな声で答える。
「別に、隠り世では珍しいことではない。現し世で交わすのは、まれだがな。通常、現し世においては契約者の人間以外と行動をともにすることなどありえないのだから、誓約を交わす必要など生じるわけもない」
「ふーん。で、さっきのアレは、ラケルタにとって不利な内容だったのか?」
「当たり前だ。力を貸すと誓約したとて、それに失敗したところで我は何ひとつ失わない。いっぽうで、我が大した力を奮わずとも、あの小娘が無事に助かったあかつきには、コカトリスはひとたび我に生命をさしださねばならない。利は薄くして代償は大きい誓約であろう。結局のところ、どれほどの力を貸してやるかは、我の胸先三寸なのだからな」
「なるほど。それでもお前は手を抜いたりしないし、お前が力を貸してくれさえすれば何とかなる、ってラケルタはそう考えてるんだな」
俺の言葉に、トラメはものすごく険悪な感じで顔をしかめた。
「くだらぬことをほざいている場合か? こんなことをしているあいだに、あちらは目的の地まで到着してしまうぞ?」
「ああ……だけど、お前におんぶしてもらうってのも、何だかなぁ……」
だったらいっそ、あの全長三メートルはあろうかという幻獣の本性をあらわにしてくれたほうが、まだ気が楽だ。自分より頭ひとつぶんも小柄な娘におぶさるぐらいなら、な。
「不満があるなら、首根っこをひっつかまえて運んでやろう。我はどちらでも、いっこうにかまわん」
そう言い捨てて、トラメはぷいっとそっぽをむいてしまう。
俺はもう一度溜息をつきながら、重い足取りでその背後に回りこんだ。
最近はいがみあいばかりだったのに、これでは何だかちっとも格好がつかない。
「……あれ? そういえば、あまり力を使いすぎると、自分たちの生命を削る羽目になる、とか言ってなかったか?」
トラメの後頭部を見下ろしながら俺がつぶやくと、今度は何だ?というように黄色い目が俺を振り返る。
「だったら、俺が契約者として望みの言葉を唱えれば、お前の生命も削られずに……」
「いちいちやかましい青二才だな! このていどのことで我らの生命などほとんど削られはせぬし、貴様とて、生命を削られるのは御免だと、ふだんから幾度となくぼやいているではないか!」
やばい。「青二才」まで飛びだしてくるってことは、こいつが本気でムカついてる証拠だ。どうにもいまだにこいつの逆鱗がどこらへんにぶらさがっているのか、俺には把握しきれない。
「もうよいわ。貴様はデンシャとやらで、ゆるりと来い。我は先に行く」
「わかったわかった。そんなにヘソを曲げるなよ。そんなことしたら、俺がラケルタにぶん殴られちまう」
俺は、覚悟を決め、トラメの両肩に手を置いた。
「……それでは、三歩で墜落だな」
「……ああ、そうかよ」
誰ものぞくなよ、と心の中で祈りながら、俺は背後からトラメの首に腕を回した。
金褐色の髪が頬をくすぐり、花のような草木のような、不思議な香りがふわりと鼻の中に侵入してくる。
まったくもって、格好がつかない。
「行くぞ」
トラメの声が、響いた瞬間。
世界が、輪郭を失った。
「……うわっ?」
叫んだつもりだが、はたして言葉になっていただろうか。
ジェット・コースターなんてもんじゃない。まるで戦闘機か新幹線にでも素手でしがみついているような加速感が、何の前触れもなく全身に叩きつけられてきたのだ。
景色なんて見えやしない。というか、目など開けてはいられない。まるで奈落の底にでも落ちていくかのような風圧に、俺は意識まで吹っ飛ばされそうだった。
短い安息の日々だったな、と、俺は恥も外聞もなくトラメの背中にしがみつく。
トラメの小さな身体は、まるで宇宙空間を飛来する流星のように、熱く、とんでもないエネルギーに満ちているようだった。