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召喚ノススメ  作者: EDA
第一章
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災厄、再び③

 トラメのご機嫌は、今朝がた以上にななめの方向をむいてしまっているようだった。


 腰まで届く濃淡まだらの金褐色の髪と、猫のように黄色い瞳。身体は小さいが、態度は大きい。顔立ちは可愛らしいのに、表情はふてぶてしい。


 いつまでもサイズの合わない俺の服を着せておくわけにもいかないので、この前ついにトラメ用のジャージとスニーカーを新調してやったのだが、もちろんこいつはそんなことをありがたがったりはしなかった。


 これだけはお古のキャップを目深にかぶり、傲然と腕を組みながら、トラメはじろじろと俺たちの姿をねめつけていく。


「まったくもってロクでもない顔ぶれだ。嫌な予感しかせん。コカトリス、貴様はいったいどのような目論見でこんなところにまで足をのばしてきたのだ?」


「トラメ! ミワが、さらわれちゃったんだヨッ!」


 ラケルタがまた早急に事情を説明しはじめる。その言葉が進むにつれ、トラメの白い面はどんどんと不機嫌さを増していった。


 そんなぶすっとした顔をしていなければ、誰もが振り返るぐらい可愛らしい顔立ちをしているくせに、こいつは滅多に笑ったりはしない。


 少し吊りあがり気味の大きな目に、長い睫毛と、とても白くてなめらかな頬。小柄でほっそりとはしているが、その身体には瑞々しい躍動感があふれている。


 幻獣というのは、みんなこいつらみたいに容姿が整っているのだろうか?……ま、だからといって、絶対にたぶらかされてやるつもりはないが。それにしたって、二週間ものあいだ一緒に暮らしているというのに、その姿に見飽きてしまうということもない。こいつの存在はいつまでたっても不可思議で、奇妙で、けして色褪せることはなかった。


「……想像以上にロクでもない。貴様の契約者が魔術師にさらわれた、だと? あの小娘は、真実その結界の内にいるのか?」


 ラケルタの言葉を聞き終えると、トラメはぶっきらぼうにそう言った。


「中に入るところを見たわけじゃないけど、間違いないヨッ! そのあたりでミワの気配が途切れて、その後はもう全然感知できなくなっちゃったんだから!」


「契約者の思念をさえぎるほどの結界、か。どうやら相手は本物の魔術師であるようだな」


 必死な光を浮かべた藍色の瞳を、冷ややかに光る黄色の目が見つめ返す。


「……それで? 貴様の契約者がどうなろうと、我にはあずかり知らぬことだ。そのような話を我に聞かせて、いったい貴様にどのような利があるのだ?」


「おい、トラメ……」


 俺が口をはさもうとすると、険悪な目線がすみやかに差しむけられてくる。


「どうせ貴様はまた考えなしに、助けてやるだの何だのと安請け合いをしたのだろう? まったく、成長しないやつだ。いらぬおせっかいがどれほどの危険を呼びこむものか、先の出来事からまったく学んでおらぬのだな、ミナトよ」


「いらぬおせっかいってことはないだろうがよ。この前だって、俺たちが動かなかったら何人もの人間が死んでたんだ。後悔なんざしてないぜ、俺は」


「それは貴様の都合だ。契約者以外の人間の行く末など、我にはいっさい関わりも興味もない。……貴様もわかっているだろう、コカトリス。そんな話を我に聞かせても無為だ。我の力が必要であるのならば、せいぜい我の契約者の情にでもすがるがいい。契約者が、その生命をさしだして望みの言葉を唱えるならば、我とて否応なく力を奮うしかなくなるのだからな」


 ラケルタは、唇をかみ、トラメの姿をにらみ返した。


 トラメは何だか、いつも以上に冷淡な空気を漂わせている。


 まあ……前回はたまたま利害が一致したために共闘することになった二人だが。もともとは、顔をあわせるなり刃を交えるような間柄だったのだ。それでもそれは、じゃれあいの範疇で、けして本当に仲が悪いわけではない、とも思うのだが……


(とにかく、他人には関心の薄いやつだからなぁ。自分自身や、契約者の俺にでも危険がせまらないかぎり、積極的に動くはずもない、か)


 それもちょっと寂しい話だけどな、と俺はこっそり吐息をつく。


 と……ラケルタが、ふいに、奇妙な仕草を見せはじめた。


 小さな拳を握りしめ、それを口もとにもっていったかと思うと、そこに、自分の歯を突きたてたのだ。


「ラケルタ、何やってんだよ?」


 俺の言葉は無視して、その拳をトラメのほうにぐっと突きだす。


 中指の第二関節あたりの皮膚が少しだけ噛みやぶられており、鮮やかに赤い血が数滴、アスファルトにまでしたたり落ちた。


「コカトリスのラケルタの名において、グーロのトラメに誓約の言を為す。我が契約者ヤクモミワの窮地を救いたもうたそのあかつきには、我の生命を汝の窮地にひとたび差し出すことを、ここに誓う」


「……コカトリス。誓約の儀など、そう簡単に取り交わすものではない。しかもそのように、己に利の薄い誓約をしてしまっては、のちのち後悔する羽目に……」


 ラケルタは強情に首を振り、もう一度言った。


「コカトリスのラケルタの名において、グーロのトラメに誓約の言を為す。我が契約者ヤクモミワの窮地を救いたもうたそのあかつきには、我の生命を汝の窮地にひとたび差し出すことを、ここに誓う」


 トラメは、憮然とラケルタを見た。怒っているような、泣くのをこらえているような、幻獣でも何でもないただの十歳児みたいな、ラケルタの顔を。


 それから、なぜか俺たちのほうまで見て、トラメは珍しく、深々と嘆息する。


 そうして、トラメはラケルタと同じように自分の拳の皮膚を噛みやぶると、ラケルタの拳に、こつんと当てた。


 血と、血が、混ざり合う。


「グーロのトラメ、承認す。……貴様は愚かだな、コカトリス」


「愚かでも何でもいいヨ! ミワが助けられるなら!」


 トラメは小さく肩をすくめてから、拳を引き戻し、ピンク色の舌で傷口をなめた。


「さあ! それじゃあミワのところに行くヨッ! 魔術師だろうが何だろうが、ミワに手を出すヤツはウチがこの手で……」


「待て、コカトリス。今、ことを起こしても、我には何の力もないぞ。……我は、腹が減っておるのだ」


 路地裏から跳びだそうとしていたラケルタは、つんのめるようにして立ち止まり、それからものすごい目つきでトラメをにらみつけた。


「この、大喰らい! そんなノンキなこと言ってる場合じゃないんだヨッ! ミワが、危ないんだってばッ!」


「我は真実を告げているだけだ。ことを起こすのは勝手だが、今の我には隠り身に戻る力も、魔法を使う力も、それどころか走る力さえ残っておらぬ。……何せ、昼からニボシ以外のものを口にしておらぬような状況なのでな」


 と、悪意のこもった目線がちらりと俺のほうにむけられてくる。


 うむ。ふだんだったら、とっくにディナーをむさぼり喰らっている頃合いだ。ちょっとした意趣返しに帰宅時間を遅らせてやったのだが、少しばかり間が悪かったな、これは。


「ああもう、これだからグーロってヤツは! ……一食ぐらい抜いたって死ぬわけじゃないだロ?」


「死にはせん。ただ、動けなくなるだけだ。何もせず見物しているだけでよいなら、まあ、空腹をこらえてついていってやってもかまわぬが。それでは貴様も誓約の儀などを交わした甲斐があるまい?」


 怒りともどかしさのあまりラケルタが黙りこんでしまうと、今までぼんやり立ちつくしているだけだった宇都見のやつが、おずおずと口をはさんだ。


「あのぉ、トラメさん、ハンバーガーって好きですか?」


「……はんばぁがぁ?」


 珍しく、トラメのやつも宇都見を振り返る。十回に九回は俺以外の人間の発言など黙殺するトラメなのだが、きっとその聞きなれぬ言葉に食い物の気配を感じとったのだろう。意地汚いやつだ、まったく。


「駅ビルの中にハンバーガー屋ぐらいならありますから、ちょっと調達してきましょうか? 口に合うかはわかりませんけど、それが一番手っ取り早そうだし」


「こいつは肉食だ。肉がはさまってりゃ、とりあえずは満足だろ。ていうか、口に合うか合わないかなんて文句を言ってる場合でもねェだろうがよ」


「わかった。それじゃあ、ひとっ走り行ってくるよ。ついでにコレは駅のロッカーに預けてくるね」


 と、神田の古書店めぐりで獲得した紙袋いっぱいの古本をかかげてみせる。


 こいつ、本当についてくる気なんだな。後悔しても知らんぞ、俺は。


 そんなわけで宇都見がスタコラと姿を消してしまうと、俺は不機嫌そうに黙りこんでいる人外の娘ふたりのあいだに取り残されることになってしまった。


 これはなかなかに間がもたない。俺はトラメの真似をして腕を組みながら、ふと、ラケルタの白い指先に目を止めた。


 白いフリルの袖口からのびた、小さな手。


 そこからは、まだ鮮やかに赤い血がしたたり落ちていた。


「ラケルタ、血ぐらい拭けよ。ハンカチ持ってないのか? えーと……」


 と、俺がカーゴパンツのポケットをまさぐっているあいだに、トラメがラケルタの手首をひっつかんだ。


 何をするのかと思いきや、驚くべきことに、トラメのやつはラケルタの右拳の傷口を無言でぺろぺろとなめはじめた。


「な、何をしてるんだよ、トラメ?」


「……治癒に決まっているだろう。あんな布きれで血をぬぐったところで、傷がうまるわけでもあるまい」


 それじゃあトラメの唾液には治癒の能力でもそなわってるっていうのか? そいつは知らなかったぜ。どうもお見それいたしやした、だ。


 それにしても、トラメがこんな風に他者をいたわる姿は初めて見たので、何というか、実に落ち着かない気分だった。


 そもそもこいつはこの二週間、ほとんど部屋にひきこもっていたので、他人とかかわる姿も、こうして外の世界を出歩いている姿を見るのも、実にひさかたぶりのことだったのだ。


「……小娘がさらわれたのは夕刻だと言っていたな。今さら半刻ばかり駆けつけるのが遅れたところで、状況にたいした変化はあるまい」


「……」


「大体、貴様がそこにそうして存在していることそのものが、あの小娘がまだ無事でいるという何よりの証拠だ。契約者の生命が失われれば、貴様は否応なく隠り世に引き戻されてしまうのだからな」


「わかってるヨ、そんなことはッ! だけど、相手は魔術師なんだ! いったいどういう目的でこんなふざけたマネをしたのかはわからないけど、ウチがちょっと離れたスキにミワをさらうだなんて、ロクでもない目的に決まってる! 心配にならないわけないだロッ!」


 ヒステリックにわめいて、トラメの手から自分の手をもぎ離す。その怒りと焦りと不安のないまぜになった面を見やりながら、トラメはまた小さく肩をすくめた。


「……確かに契約者を害されるのは、我らにとって大きな恥であり不名誉であるがな。それにしても、冷血のコカトリスがそこまで人間に思い入れを抱くというのは、実に珍妙な話だ」


「うるさいうるさい! そういうアンタはグーロのくせに、ちょっと情が薄すぎるんだヨッ!」


「……我とて、相手は選ぶからな」


 トラメの憮然としたつぶやきに、俺はこっそり苦笑する。情のかきたてられない相手で悪かったな、この大喰らいの偏屈者め。


「お待たせしましたぁ」


 と、そこでようやく宇都見が路地裏に帰還した。

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