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召喚ノススメ  作者: EDA
エピローグ
33/141

日常へ

 それから、瞬く間に一週間が過ぎていった。


 俺は寝室のベッドに寝転がり、なすべきことも見いだせぬまま、ぼんやり天井を眺めている。


 平和な日常が、帰ってきたのだ。


 三日前には、ようやく入院中の宇都見とも面会できるようになった。


 トラメの言葉通り、ギルタブルルの消滅とともに、体内の毒はきれいに消え去ったようだが、それでも衰弱した肉体がそこまで回復するのに、四日もかかってしまったのだ。


 さらに長い期間ギルタブルルの毒に苛まれていた浦島氏のほうは、危険な状態こそ去ったものの、いまだに意識は戻らないらしい。


「ボクが退院したら、さっそく石版の回収に取りかからなくちゃね!」


 病院の白いベッドに横たわったまま、宇都見はそんな風に言っていた。まだ自力でトイレに行くことすら出来ないくせに、まったく馬鹿につける薬はない。


 すべての出来事が、うやむやのうちに終息してしまっていた。


 あの刑事たちはまだ事件を追っているのだろうが、何ひとつ進展を見ることはないだろう。当の犯人は、すでにこの世界から消滅し果ててしまったのだから。


 しかし、ギルタブルルの主はどうなったのか。それだけはどうしても気になったので、八雲のつきとめた住所をもとに、少し探偵のマネゴトもしてみた。


 わかったのは、東京に住まう三人の落札者のうち、一人だけが、原因不明の病に倒れて救急病院に運びこまれた、ということだけだ。


 小さなアパートで一人で暮らす、三十代の、無職の男だった。親の仕送りで生活していたのだろう、無口で陰気な男だった、と同じアパートに住む住民たちは、眉をひそめながらそう説明してくれた。


 そのうちの一人が、タンカで運ばれる男の姿を見ており、「まるでミイラみたいに痩せ細っていた。何日か前に会ったときは普通だったのに」と言いだして、俺は少なからず気分が悪くなった。


 自業自得だ、と、罪悪感をねじふせるしかない。


 ギルタブルルを倒さなければ、俺と八雲が殺されていた。宇都見も、浦島氏も、京都と青森で倒れたという二人の人間も、いずれ死んでいたに違いない。


 そんなことが許されるはずもないので、俺と八雲が罪悪感を抱えながら生きていくしかない、のだろう。軽い気持ちで魔術などに手を染めた、その代償として。


「トラメさんとラケルタさんがいなくなっちゃったのは残念だけど……でも、放っておいたらまた誰かが召喚の儀式を行っちゃうかもしれないからね! やっぱり石版はすべて回収するべきだよ!」


宇都見はやつれた顔で元気いっぱいにそう言っていたが、俺はあんまり気が乗らない。


 ただ……馬鹿な想念が、ちらっとだけ脳裏を横切っていった。


 残された四枚の石版のうち、グーロやコカトリスを召喚できるものはないだろうか、と。


(……我ながら馬鹿な考えだよ、な)


 仮にそんなものがあったとして、どうやら隠り世に複数存在するらしいグーロの中から、首尾よくトラメを召喚できるとは限らない。


 だけど、俺は……そんな馬鹿なことを思いついてしまうぐらい、トラメに会いたかったのだ。


 俺がトラメと過ごしたのは、わずか五日足らず。その間に、あいつの存在がここまで俺の中で大きくなっていたのかと、驚くばかりだ。


 もちろん誰にもこんな胸中は打ち明けられない。


 だけど、自分自身に嘘をつくことはできなかった。


 俺は、トラメに会いたかったのだ。


(トラメ……今頃は故郷で、思うぞんぶん美味いものでも喰ってるのか?)


 八雲とは、あの別れの日から、顔を合わせていない。


 しかし、時たまメールが送られてきた。『さびしいですね』『ラケルタに会いたいです』いつもそんな内容だ。


 あまり気のきいた返事もできなくて悪いのだが、あいつにしてみれば、俺ぐらいにしか感情を吐露できる相手もいないのだろう。ラケルタと別れの挨拶すらできなかった八雲は、俺以上に気の毒だと思えた。


 ミイ、と小さな声が響き、俺は寝転がったままベッドの下へと目線を落とす。


 トラメが、背伸びをして、ベッドの側面のシーツをカリカリとひっかいていた。


 俺が苦笑し、その小さな身体をベッドの上に乗せてやると、トラメは嬉しそうな声をあげて、仰向けに転がった俺の胸もとによじのぼってきた。


「……元気になって良かったな、トラメ」


 その咽喉もとを指先でくすぐってやると、トラメは心地良さそうに黄色い目を細める。あっちのトラメと異なり、こっちのトラメは素直で、甘ったれだった。


 あちこちに残っていた擦り傷もようやくきれいになくなって、最近ではミルクだけでなく、煮干しぐらいならバリバリと食べられるようになっていた。


 まだ手の平に乗せれるぐらいの子猫のくせに、なかなかの食欲だと思う。いずれはカツオブシと焼いたソーセージをまぜくりたおした特製ネコマンマを食べさせてやろう。


「……いてもいなくても俺を悩ませるやつだな、お前は」


 黄色い瞳を見返しながら、俺は小さく吐息をつく。


 ミイ?とトラメは小首を傾げる。


「たまには顔を見せろよ、グーロのトラメ。磯月湊の名において命ずる!……からさ。だって、お前は……」


 お前は、「またな」と言ったじゃないか。


 最後に、ぴんと小さなおでこをつついてやってから、俺は何となく脱力感に見舞われてまぶたを閉ざす。


 どうしてこんなに、何もかもが虚しいのだろう。


 十七年も生きてきたうちの、わずか五日間、現実離れした騒動に巻き込まれただけなのに。それが失われたというだけで、ここまで活力を奪われてしまうというのは、いったいどういう了見なのだ。


 トラメのみならず、宇都見すら登校していない学校は、平和そのものだ。平和すぎて、あくびが止まらない。こんな生活があと数十年も続くのかと思うと、ちょっとした絶望感を感じてしまうぐらいだった。


 かといって、宇都見が復活し、また何やかんやとオカルト話を持ちこんできたところで、たぶん、俺にはもうつきあいきれないとも思う。


 やはり、この世のものならぬ存在などには、軽はずみに手を出してはいけないのだ。


 宇都見や八雲が、そうでもしないと退屈すぎて生きてもいけない、というのならば、別にそれを止めようとは思わない。ただ、それを考えなしに手伝う気持ちになどは、もう一生かかったってなれそうになかった。


 超常現象、オカルト、奇跡、そんなものは、クソクラエだ。


 俺は、ただ、トラメにもう一度だけでも会えさえすれば、それで十分だった。


 俺は、トラメに会いたいだけなのだ。


「ん……?」


 ふっと奇妙な感覚にとらわれて、俺はゆっくりまぶたを開ける。


 さきほどと同じ体勢で、トラメがちょこんと俺の胸の上に鎮座していた。


 その黄色い目が、くいいるように俺を見ている。


 いや……その目は、本当に俺を見ているのか?


 トラメは、まるで置物と化してしまったかのように、ぴくりとも動かなくなってしまっていた。


「おい、トラメ……?」


 不安になって、俺がそう声をあげかけたとき。


 突然、白い閃光が爆発した。


「うわあっ!」


 両目がつぶれたのではないかというほどの、凄まじい閃光だった。


 しかもそれは、俺の胸の上で炸裂したのだ。


 召喚儀式の依り代になど使ってしまった後遺症か? 


 こっちのトラメも、俺の前からいなくなってしまうのか?


 俺は再びまぶたを閉ざし、消失の予感に耐えた。


 そうしてしばらくの間、両目の痛みが消えるのを待ってから、俺がそろそろとまぶたを開けてみると……


 トラメが、ちょこんと座りこんでいた。


 ただし。


 小さな子猫のトラメではなく、濃淡まだらの茶色い髪と、白いなめらかな肌をもつ、不機嫌そうな顔をした少女の、トラメが。


「ト……トラメッ?」


「……ずいぶん早い召喚ではないか。ようやく傷が癒えたばかりだと言うのに、今度はいったい何だというのだ?」


 ぶっきらぼうで、愛くるしい声。


 トラメだ。


 トラメ以外の、何者でもなかった。


「お、お前、どうして……いったい、どうやってここに?」


「何を言っている。貴様が喚んだのではないのか? 貴様が契約者として召喚せぬかぎり、我が現し世にひっぱりだされることなどあるはずもない」


 俺の胸にまたがったまま、トラメはけげんそうに小首を傾げる。


 さっきのトラメと、そっくりの仕草だ。


「そ、そりゃあ確かに、顔を見せろとは言ったけど、別に儀式も何もしてないぞ? それなのに、どうして……」


「かえすがえすも愚かだな。貴様の生命が尽きるまで、契約が解かれることなどない。まさか、そんなことも知らずに、貴様は召喚の儀式を行ったのか?」


 そんな話は、聞いていない!


 宇都見だって、八雲だって、そんなことは言っていなかった。


 つまり、石版にそんなことは書いていなかったのだ。


 あの石版を作った魔術師どもがどうだったのかは知らないが、少なくとも、学校の授業でそんな常識は習わなかったよ、俺たちは!


「……軽挙はつつしむなどと言っておきながら、まったく成長していないではないか。貴様はまた何の用事もなく、我を現し世に喚んだのか?」


「い……いいから早く、俺の上から降りろよ、トラメ! それから……」


 衣服ごしに、トラメの体温が伝わってくる。


 そして、たいして重くもない重みも。


 トラメは、本当にまた帰ってきてしまったのだ。


 黄色い瞳も、白い面も、ふてぶてしい表情も、不機嫌そうな声も……一週間前に別れたままの、俺の知っている通りの、トラメだ。


 けっこうな手傷を負ったはずなのに、すっかり回復もできたようだ。その白い身体には傷ひとつないし、かつてと同じく、瑞々しい躍動感と生命力にあふれている。


 どんな人間とも似ていない、幻獣のトラメ。


 本当は、三メートルもの巨体と金褐色の毛皮をもつ、グーロのトラメ。


 八雲にも、早くこのことを教えてやらねばならない。あいつのかたわらにも右目の潰れた黒っぽいトカゲがぐったりと横たわっており、もちろんあいつはそれを大事そうに持ち帰ったのだから、あいつもすぐにでもこの一週間の孤独を埋めることが可能なのだ。


 しかし、今は、それより何より……


「……とにかく、早く、何か着ろ! そんな格好で人の上に乗っかってるんじゃねェよ!」


 当然のごとく、トラメのやつは素っ裸だったのだ。


 再会の情緒もへったくれもない。


「横暴なのは、相変わらずか。本当に成長しておらんのだな、ミナト」


 ぶっきらぼうに言いながら、トラメはぐっと顔を近づけてくる。


 ひさしぶりに見る黄色の瞳が、至近距離から俺を見つめ、金褐色の髪の先が、俺の鼻や頬をくすぐった。


「それに、もう忘れたのか? 我に言うことを聞かせたくば、正式な作法に則って、望みの言葉を唱えよ」


「あ、あのなぁ、トラメ……」


「……さもなくば、何か喰う物を持ってこい。そうでなければ、貴様の言うことになぞ、ひとつも従う気はないぞ」


 と、ふいにトラメの右手がのびてきて、俺の頭をわしづかみにした。


 そのまま、髪の毛をくしゃくしゃにかき回されてしまう。


「それが我と貴様の約束事であろう? 我は腹が減っているのだよ、ミナト」


 そう言って、トラメのやつは、黄色い瞳を輝かせながら、実に楽しそうな顔で、笑った。



                      ―終―

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