逢魔刻の死闘③
これは本当に現実の出来事なのか、と、俺は麻痺しかけた頭でぼんやりと考える。
オレンジ色の夕陽に照らされた、沼のほとりの雑木林。そこに三体の幻獣が立ちはだかり、それぞれ黄金色と、青と、真紅の瞳を燃やしているのだ。
金褐色に輝く巨体のグーロと、トカゲとニワトリをかけあわせたようなコカトリス、上半身が美しい女で下半身がサソリのようなギルタブルル……どれも、この世の存在ではない。
目覚めぬ八雲のもとに再び片膝をつきながら、俺は、その現実離れした情景にすっかり魅了されてしまっていた。
宇都見のやつがこの場にいたなら、いったいどんな顔をしたことだろう。
『いい気になるなよ、大喰らい……』
ぞっとするような声でうめきながら、ギルタブルルが左腕を突きだす。
『大いなるウルカヌスよ! 許されざる愚者に裁きの御手を!』
あやしい呪文の詠唱とともに出現した紅蓮の炎が、竜巻のように渦を巻いて襲いかかる。
それと同時に、金褐色の巨獣が、鉤爪の生えた右腕を地面におし当てた。
『母なるノーミーデスよ、汝の児に一握りの加護を』
たちまち草むらから生えのびた金色の光の壁が、まるで巨人の手の平のように炎の槍を受け止めて、握りつぶす。
耳には聴こえぬ断末魔のような振動が、一瞬だけ大気を震わせた。
『何だ、その力は……どうしてグーロごときが、そのような力を……』
片目と片腕を失ったサソリの怪物は、怒りと苦悶に引き歪んだ形相で、巨獣の姿をにらみすえる。
巨獣グーロはそれを冷ややかに見返しながら、不気味に蠢く怪物の右腕を地面に吐き捨てた。
『さてな。……以前から思っていたのだが、現し世における我々の力は、その契約者の生命力の強さにも少なからず影響を受けるのではないだろうか』
地鳴りのように重々しく、腹の底まで響くような声。
しかし、その声にはほんの少しだけ……錯覚かとも思えるぐらいのわずかさで、少女の声のような高さの周波数もふくまれているような気がしてならなかった。
まあそれが錯覚でもかまいはしない。何にせよ、あれはトラメなのだ……それが証拠に、俺は、その天を衝くような巨大な姿を見ても、これっぽっちも怖いだとか、おぞましいだとか、そんな風に思うことができなかった。
『我に特別な力などはない。それでもなお貴様が我の力を脅威と感じるならば……きっと契約者の生命力の差、なのだろうさ』
『……ほざくな、下賎の大喰らいめ!』
わめき声をあげて、ギルタブルルが跳躍する。
トラメは、巨体を伏せ、その攻撃を実にあっさりとかいくぐった。
ギルタブルルは不気味なしなやかさで音もなく地に降り立ち、再びトラメにむきなおる。
その背に、ラケルタが再び爪をたてると、鮮血がわりの白い光が、ぱあっと宙に撒き散らされた。
『すっかり形勢逆転だね、毒虫ッ!』
ラケルタはそう叫んだが、そこまで楽観視できる状況だとは思えなかった。
確かにギルタブルルは満身創痍だが、トラメもラケルタも相応の深手を負ってしまっている。
その身体からこぼれおちる光の粒が、俺や八雲の生命そのものなのかと思うと、ぞっとした。
しかし、それ以上に、俺は奇怪な胸苦しさにとらわれてしまっていた。
どうしてこんな殺し合いをせねばならないのか。
どうしてトラメたちが傷つかねばならないのか。
ギルタブルルとて、当初はこの不可解な運命を面白がっている様子だったが、さりとて自分で望んだ戦いでは、ない。
俺は、まだ見ぬギルタブルルの契約者に、あらためて深い怒りを覚えずにはいられなかった。
『いい気になるなよ、グーロにコカトリス! いかに貴様らが力を合わせようと、最大の急所がむきだしのままでは、おそるるに足らんわ!』
と……ギルタブルルの不穏な台詞に、俺はハッと我に返る。
明確な殺意をたたえた真紅の隻眼が、射るように俺を見すえていた。
『契約者を失えば、貴様らは隠り世に引き戻される!』
そうしてギルタブルルは、跳躍した。
トラメとラケルタの間をすりぬけて。
俺と、八雲に、まっすぐ向かって、だ。
「うわ……」
とてもかわせるスピードではない。
それでも反射的に背中をむけそうになったが、横たわったまま動かない八雲の存在が頭をかすめて、その動きすらも封じられてしまった。
禍々しい鋏状の左腕が、俺の頭上に振り降ろされ。
俺が、十七年の生の終焉を確信したとき……視界が、金褐色の光に満たされた。
『ぐぅ……!』
底ごもるうめき声が、遠い頭上からこぼれ落ちてくる。
トラメだ。
トラメが、俺たちの前に立ちふさがり、右腕で、咽喉のあたりをおさえていた。
巨大な鉤爪の隙間から、白い光が噴きこぼれている。
『そんな図体ですばしこいやつだ! それならお望み通り、貴様の息の根を先に止めてやるよ、大喰らい!』
そして。
ギルタブルルの尾の先端が、トラメの腹のど真ん中に深々と突きたてられた。
「トラメ!」
俺の声は、断末魔のように凄まじいトラメの絶叫によって、かき消された。
金褐色に輝く巨体が、地響きをたてて崩れ落ちる。
さらに、ラケルタの金切り声までもが、それに重なった。
翼竜のように長い首を、ギルタブルルの鋏ではさまれ、ラケルタは宙に吊り上げられてしまっていた。
その首からも、巨大な口からも、光の鮮血が噴きこぼれて、今にもラケルタは絶命してしまいそうだった。