逢魔刻の死闘①
どちらも、まばゆいばかりの白い光に包まれている。
だから、そこまでハッキリとは、どのような姿をしているのか、見てとることはできない。
しかし、それは幸いだっただろう……そんなものをハッキリと正視してしまっては、俺は正気が保てなかったかもしれない。それぐらい、そいつらはこの世にありうべからざる、禍々しい姿をしていた。
右側にいるのが、おそらくはコカトリスに違いない。
そんなに巨大な姿ではない。せいぜい大型犬ぐらいの大きさだ。しかし、草むらに四本の足を踏まえて立ちはだかるその姿は、地上の生き物などとは比べ物にならぬほどの力と躍動感に満ちあふれていた。
トカゲの子、などと呼ばれていたが、そんな生やさしいものではない。確かにその首や胴体は細長く、先端の尖った尻尾は爬虫類じみていたが、その頭頂部には鶏のように雄々しい鶏冠がそそりたち、背には小ぶりの翼が生え、全身が白い羽毛に包まれている。トカゲのような鱗に覆われているのは、その逞しい四肢の先端と、尻尾と、首や腹の内側ぐらいのものだった。
ぞろりと牙の生えそろった巨大な口を開け、片方しかない目を青く爛々と燃やすその顔は、爬虫類というよりもドラゴンのように凶悪だ。
その口からは金属音のように甲高い咆哮がほとばしり、かつてのフランス人形のように美しい少女の面影など、どこを探したって見つかるはずもなかった。
(これが……幻獣……)
いっぽう、ギルタブルルのほうといえば……こちらはこちらで、まったくラケルタとは別の意味でおぞましい姿をしていた。
赤褐色の長い髪と、死人のように白い皮膚、その悪魔か吸血鬼のように美しい女の姿は残したまま、ギルタブルルは二目と見られない怪物に変貌し果てていた。
正確に言えば、人間としての形状を残しているのは、その上半身だけ……その下半身は、四対の足と凶悪な尻尾をもつ、不気味なサソリのようなそれへと変じてしまっていたのだ。
人間の上半身に馬の下半身、という神様だか怪物だかの姿ならば、マンガやゲームで見たこともある。しかし、それが虫では……しかも、上半身との比率を考えても巨大すぎるサソリのような下半身とあっては、おぞましいという他なかった。
赤みをおびた甲羅のようなものに覆われた胴体は、まるで巨象のように図太く、巨大で、その上に女のほっそりとした白い裸身が生えているような格好なのだ。
その節くれだった八本の足も、一本一本が丸太のように太く、毒針を生やした尻尾などは、それこそ人間の胴体ぐらいの太さであるに違いなかった。
そしてその上半身も、長い髪が生あるもののようにざわざわと蠢き、両腕は、肘から先だけが甲羅のようなものに包まれ、先端が巨大な鋏のような形状になり、とうていまともな人間の姿とも言いきれない。
いつのまにかコートは消え失せ、ゆたかな胸や、くびれた腰などもあらわになってしまっていたが、その軟体動物のようにぬめりをおびた裸身には、何やら呪術的な紋様がびっしりと赤黒く浮かびあがり、ただただ気色悪いばかりだった。
『どうした? もう終わりか、コカトリス?』
頭の中に直接響くような、陰々とした女の声が、その赤い唇から放たれる。
とたんにラケルタはひときわ鋭い咆哮をあげ、トラかライオンのような俊敏さで、巨大なサソリの怪物へと飛びかかった。
その牙が、女の白い咽喉笛を噛み裂くかと思われた瞬間、横合いから放たれた鋏の一撃が、ラケルタの胴部に突き刺さる。
ぱっと白い火花のようなものが散り、ラケルタの身体は、地に落ちた。
すばやく起きあがったその脇腹から、液体のように白い光がこぼれ落ちる。
そうすると、少しだけラケルタを包む光が、強さを失ったような気がした。
「……あの生命の光が消え果てたとき、そこの小娘の寿命は尽き、コカトリスも隠り身の力を失う。そうすれば、もはやギルタブルルを討ち倒すことは永久にかなわぬこととなるだろう」
感情の欠落した声で言い、トラメがゆらりと立ち上がった。
「貴様がそれでかまわぬというのならば、もはや何も言うことはない。我らの滅びを見届けたのちに、ギルタブルルに素っ首を落とされるがいい」
「待てよ……トラメ、どうするつもりだ?」
俺は八雲を草むらに寝かせ、あわててトラメの腕を取った。
深甚な怒りともどかしさを潜めたような黄金色の目が、俺を射る。
「我が何をしようとも、貴様などには関係あるまい。契約を履行しない契約者などには、我とて何の用事もない」
「待てってば! そのまま挑んだって勝ち目はないんだろ?」
トラメがおとなしくしていてくれなければ、俺が口を閉ざしている意味もなくなってしまうのだ。
俺は、ただ、トラメを危険に巻き込む理由が見いだせないだけなのだから。
自分の都合で、トラメを死なせたくないだけなのだから。
「やはり人間の考えることなど、我には理解できん。同じように、貴様にも我の考えなど理解できないのだろうさ」
突き放すように、トラメは言う。
しかし。
その腕は、俺の手を振り払おうとは、決してしなかった。
「ああ、わからねェよ! だから……言ってくれ! お前は、何を考えてるんだ?」
俺の言葉に、トラメはすっと半分だけまぶたを閉ざした。
まるで、その胸中の思いを隠したいかのように。
「……貴様は、望みの言葉を吐かず、我にだけ生き残れと念じているようだった」
何とか激情をねじ伏せようとしているかのような、トラメの声。
「それが気に食わぬから、貴様に同じ思いをさせてやろうと思っただけだ。その後ただちに貴様が殺められることになったとしても、そんなことは知るものか」
「……わかったよ、トラメ」
俺は、トラメの手を離し、その代わりにその細い肩へと両手を置いた。
黄金色の目を燃やし、口をへの字にした子どものような顔を、のぞきこむ。
「宇都見の馬鹿が言ってたな。俺も、お前も、アマノジャクだって。……あんな馬鹿の言葉を認めるのはシャクだけど、きっと、そうなんだろうな」
「……」
「磯月湊の名において、グーロのトラメに命ずる……」
こんなすぐに別れの時がやってくるとは、思っていなかった。
その覚悟ができていなかったから、俺は望みの言葉が言えなかっただけなのかもしれない。
どうにかして、望みの言葉を吐かないまま、事態を丸くおさめるすべはないものか……そんな甘っちょろい考えを、なかなか捨てることができなかったのだ。
一足先に覚悟を決め、望みの言葉を唱えた八雲に、悪かったなと思う。
あんなに大事そうだったラケルタとの別れを、八雲はすぐに決断することができたのに……まったくもって、情けない話だ。
「俺の望みをかなえろ。あの忌々しいギルタブルルを打ち倒せ。……トラメ、絶対に、負けるんじゃねェぞ?」
「グーロのトラメ、イソツキミナトの望みを承認す。……黙って見ていろ、青二才」
憎まれ口を叩きながら、トラメは俺の指先を振り払った。
その小さな身体が怖ろしいほどの光に包まれ、双眸が、黄金色の炎を噴きあげる。
そして、その身にまとっていたパーカーとスウェットが、音もたてずに塵と化した。
「トラメ……」
白い閃光が、爆発する。
その光に網膜を灼かれる寸前、赤い髪の怪物が驚愕の表情でこちらを振り返るのを見たような気がした。