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召喚ノススメ  作者: EDA
第四章 円卓会議
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円卓会議⑤

 買い出しを終え、大量の食材を両手に抱えてマンションに帰りついた頃には、すっかり日も暮れてしまっていた。


 エレベーターで自室にむかいながら、何となく気分が落ち着かない。


 いったいどういう顔でトラメと相対すればいいのか、いわれのない罪悪感を背負わされた気分だった。


(いや……いわれがない、ってことはないのか?)


 自分の中でモヤモヤとくすぶっていた不定形の何かが、ラケルタたちの言葉によってハッキリと像を結んでしまった。つまりはそういうことなのだろうか。


(くそッ……だからって、俺にどうしろって言うんだ?)


 そりゃあ少しは、トラメに対する配慮なんてものは後回しにしてしまっていたかもしれない。


 俺だって、こんなわけのわからない状況に陥ってしまって相当に余裕をなくしていたし、そもそも人間外の存在にどのような配慮をすればいいのか、そいつはいまだに把握しきれていないのだ。


 だけど、トラメのことなんてどうでもいい、なんて考えていたわけではないし、厄介事を起こさないように家の中に閉じ込めておこう、などと考えていたわけでもない。


 あいつは食べること以外に執着を見せなかったから、そんな配慮が必要だとも感じられなかっただけなのだ、本当に。


(だけど……)


 出会った当初のあいつは、もうちょっと陽気だった気がする。


 それがだんだん、浦島宅への同行を頼んだあたりから、不機嫌そうな表情がデフォルトになってきてはいないだろうか?


 そういえば、最初の夜以来、あいつの笑顔というものを見ていない。


(……何だってんだよ、まったく)


 五○五号室のドアを開け、無言であがりこみ、まずはキッチンに食材を放りこむ。


 そうして、気持ちの整理もつかぬまま、リビングに戻ると……そこには、誰もいなかった。


 テーブルの上に、残りわずかとなった煮干しのパックがぽつんと取り残されている。


 とたんに素性の知れない不安感と喪失感が心をかすめたが、俺の許可がないかぎり、あいつは家から出ることもできないのだ。


 それがわかっていながらも、俺はつい早足でトラメの姿を探し求めてしまった。


 とはいえ、あいつの行き場所なんてごく限られている。俺の足は、自然に自分の寝室へとむかっていた。


「おい、トラメ……?」


 寝室に、照明は灯っていなかった。


 しかし、トラメはそこにいた。


 俺は、われ知らず安堵の息をついてしまう。


 すっかり日の落ちた真っ暗な部屋の中で、トラメはベランダへと通じる窓にもたれて、ぺたりと座りこんでいた。


 細い足を床に投げだし、頭の左側を窓にくっつけ、無心に黒い空を眺めている。窓からさしこむ月明かりと、ドアから忍びこむ照明の灯だけを頼りに、俺は、そちらに近づいていった。


「……明かりも点けずに、何やってるんだよ?」


 トラメは、振り返らなかった。


 その黄色い瞳も、俺を見ようとしない。


「別に何も。……弛緩しているだけだ」


 俺は苦笑し、トラメのかたわらにしゃがみこんだ。


「そうしてると、本当に猫みたいだな。何を考えてるかわからないところもそっくりだ。……お前、寝るのは日中なんだよな? 夜、俺が寝てる間は、いっつもそうやってぼんやりしてるのか?」


「……だったら、何だというのだ?」


「いや。お前がここに来てもう三日目になるんだから、ずっと家の中にいるだけじゃあ息がつまりはしないかなと思ってさ」


 というか、トラメが現れてからまだ三日しかたっていないということに違和感を感じてしまう。


 その間に浦島宅での凶事や、ラケルタたちとの出会いなどがあったものだから、ずいぶん時間の濃度が濃く感じられているようだった。


「明日は俺も学校だし、その間、外出できるように……その、誓約の儀、って言うのか? 外に出れる許可、ってやつをやってやろうか?」


「……別に必要ない。足の先にあんな窮屈なものをかぶせなくてはならないのだったら、ここでこうしているほうがマシだ」


「ん……それなら、夜のお散歩ってのはどうだ? 深夜だったら誰にも見られないだろうし、ちゃんと帰ってきたときに足をふいてくれるんなら、裸足のままでもかまわないぜ?」


 俺がそう言うと、ようやくトラメはこちらを振りむいてくれた。


 薄闇の中で、瞳がうっすらと黄金色に光っている。


 人間にはありえない光の強さだが、べつだん怖ろしくはない。


「いきなり何だ。……また我に何か要求でも持ちかけようというつもりか?」


「そんなんじゃねェよ。ラケルタみたいに物騒なやつが何も問題も起こさずに外を出歩いてるんだったら、お前だって大丈夫なんだろうなと思っただけさ」


「……」


「別に外出したくないなら、それでもいい。でも、あらかじめ出れる状態にしといたほうが、何かと便利だろ。誓約って、どうやるんだよ? ……なんか八雲は、堅苦しい言葉づかいで大仰な台詞を吐いてたみたいだけど」


「どんな言葉づかいでも関係ない。おたがいの名前を明示すれば、それで誓約は成る」


 少し迷うように口を閉ざしてから、やがてトラメは、静かに言った。


「……グーロのトラメの名において、自由に外界を歩く許可を、イソツキミナトに求む」


「磯月湊、承認する。……こんな感じか? これでもうお前は外を出歩けるようになったのかよ?」


「……ああ」


「何だ、ずいぶん簡単なんだな。それじゃあ、あとは何だ。許可がなければケンカもできないって言ってたよな。それも必要か?」


「……自分の肉体を傷つけられれば、契約者の許可がなくとも、身を守るために戦うことはできる。うかつに許可など出すと、そこいらの人間たちが危険な目に合うやもしれんぞ」


 不機嫌そうな、白い顔。その顔を見つめながら、俺は少し考える。


「磯月湊の名において、危険がありそうなときは、傷つけられる前に戦うことができるように、グーロのトラメに許可する」


「……グーロのトラメ、承認す」


 そう応じてから、トラメはけげんそうに眉をひそめた。


「何だよ? もしかしたら、お前もギルタブルルとかいうやつと遭遇する可能性があるだろ。そんなときに、もしもあっちがケンカ腰だったら、先手必勝で動けたほうがいいだろうがよ。……あと、夜中に散歩でもしてたら、おかしな人間に出くわすことだってあるかもしれないしな」


「……グーロのトラメの名において、イソツキミナトの敵になりうる存在には、これを討ち倒す許可を、イソツキミナトに求む」


「……トラメ? それはどういう……」


 思わず俺がそう聞き返してしまうと、たちまちトラメは「馬鹿者」と顔をしかめた。


「いらぬ言葉をはさむな。誓約が成されんではないか。……グーロのトラメの名において、イソツキミナトの敵になりうる存在には、これを討ち倒す許可を、イソツキミナトに求む」


「……磯月湊、承認する」


 トラメはうなずき、それからぷいっとまた窓の外に目をむける。


「こうしておかんと、昨日のコカトリスのようにいきなり襲いかかられてきたときに、不便だ」


「……ありがとうよ」


 俺は小さく笑いながら、あらためてトラメの姿を眺めやった。


 黒いパーカーとスウェットにつつまれた、ほっそりとした身体。手足をだらしなく床に放りだしているのが、何だか幼い子どもみたいだ。


 濃淡まだらの茶色い髪が、細い肩から背中まで流れ落ち、月明かりに淡く照らしだされている。


 それに、近くで見ると、睫毛がとても長く、しかも髪と同じく金褐色をしているから、薄闇の中では白っぽく浮かびあがっており、何だか繊細な細工物のように感じられた。


 明るい光の下では、ごく普通の人間に見えないこともないトラメも、夜の世界においては、いくぶんその本性が垣間見えるようだった。


 ただの人間にはありえない幽玄な雰囲気、とでも言おうか。確かにこれは猫が人間に化けているのだな、とすんなり納得できてしまいそうな、そんな不可思議な空気が漂っている気がする。


「トラメ、お前はさ……元いた世界に、早く帰りたいのか?」


 その空気をあまり乱さぬよう、小さくひそめた声で、俺は再び問いかける。


「今度は何だ。……何故そのようなことを聞く?」


 トラメの声も、いつになくひそやかで、そして感情が読み取りにくかった。


「いや、何か、故郷を思い出してるみたいな目つきをしてるからさ。……それに、最初の頃は、望みをとっとと言え、って俺たちをせっついてたじゃねぇか」


「それは、貴様らが早く我を消し去りたがっていたからだろう。我の存在が目障りなら、望みの言葉を唱えて、それを成就させるしかない」


「別に、目障りではねぇよ」


 反射的にそう答えてしまうと、窓の外を見つめたまま、トラメは無感動に言った。


「……どうせ人間の寿命など、たかだか百年かそこらしかないのだ。放っておいても、いずれ隠り世に戻る日はやってくる。戻ったところで、こうしてぼんやり過ごす毎日なのだから、べつだん急いで戻る必要もない。あそこは、人間などにはおよびもつかぬほど平和で……そして、退屈な場所なのだ」


「ああ、初めて出会った夜もそんな風に言ってたな」


「ふん。だからと言って、この現し世が理想的な世界だとも思えんがな。ここは煩雑で、けたたましく、不条理に満ちすぎている。現し世と隠り世は表裏一体、もとは同一の世界であった、とはよく聞く話だが。どうもこの数百年で乖離が進みすぎているように感じられてならん」


「ふーん? まあ難しいことはよくわからないけど、どっちで暮らしても、ないものねだりのネタはつきない、ってことか」


「……望みの言葉を唱えて、我を隠り世に帰す気持ちが固まったのか?」


 と……トラメは、ゆっくりと振り返った。


 黄金色の瞳が、とても静かに、俺を見る。


 その瞳をまっすぐに見返しながら、俺は「いや」と首を振った。


「悪いけど、そういうわけじゃない。だったら、外出の許可だの何だのするはずがないだろ。……何度も言ってる通り、浦島さんの件でお前に泣きつく気はないけど、その一件に決着がつくまでは、待っててもらえるか?」


「……何を待てと言うのだ? べつだん急いで戻る必要もない、と言っているだろうが。我を消したがっているのは、貴様のほうだ」


「消えてほしいなんて思ってねェよ」


 そう言ってしまってから、俺は「あれ?」と自分の言葉に驚いた。


 そういえば、俺は、幻獣の召喚をなかったことにするために……つまりはトラメを消し去るためにこそ、わざわざ浦島氏のところにまで出向いたのではなかったか。


 我ながら、何かが矛盾してしまっている。


「えーと……だからその、俺は、寿命が縮むのなんてまっぴらだから、何とかそれを無効化する方法はないかと思って、あれこれ行動してたんだよ。だから……そうだな、軽はずみにこんな儀式に手を出しちまったことは、反省してるけど……お前のことが鬱陶しくて、早く消えてほしい、なんて思ってるわけじゃあ、ないんだ」


「……」


「そりゃあまあ最初の頃は、口は悪いし、食費はかさむし、厄介なもんを押しつけられちまったなぁ、なんて考えたりもしてたけどよ……」


 言いながら、俺は……ついつい、トラメの小さな頭に、ぽんと右手を置いてしまった。


 どうしてそんなことをしてしまったのかは、自分でもわからない。


 そうしたいから、そうしただけだ。


 猫みたいに細くて柔らかい髪の毛が、心地良く指先にからみついてくる。


 怒るかな?と危ぶみながら、俺はそのままトラメの頭をくしゃくしゃに撫でてやった。


「……まあ名前なんかつけちまったら、ちょっとは親近感もわいてくるよな。そんなに早く帰りたい、っていうわけじゃないんなら、しばらく人間世界を見物していけよ。その間の食費ぐらいはもってやるから、さ」


「……おかしな人間だな、貴様は」


 黄金色の瞳が、いくぶんいぶかしそうに俺を見つめている。


「で、そうやって我の頭をかき回しているのは、いったい何のまじないなのだ?」


「まじないじゃねェよ。コレはただの……親愛の念をあらわす挨拶、だ」


 俺はぽんぽんと二、三度トラメの頭を叩いてやってから、急に気恥ずかしくなってきて、立ち上がった。


「それじゃあ、お待ちかねのディナーとするか。……しかし、あんな偏った食材でどういう料理を作ればいいんだかなぁ。俺も初めて知ったけど、猫ってもともとは雑食じゃなくて肉食だったんだな」


 魚肉フレークと、ソーセージ、かつおぶしと、鶏のもも肉。ちょっと変わったところでは、各種のチーズ。……それが猫好きのクラスメートから伝授してもらった、一般的な猫の好物、だった。焼き魚だけはちょっと調理が面倒なので、こっそり割愛させていただく。


「……言っておくが、我は猫ではなく、グーロだぞ?」


「わかってるって。イカやらネギやらを食べて、お前が体調を崩すとも思えないしな。……でも、お前の身体は子猫を素にできてるんだし、グーロってのも猫みたいな顔をしてるって話だから、好物が猫に近い可能性は高いだろ?」


「……何にせよ、我は腹が減ってきた」


 ようやくお決まりの台詞も飛びだし、俺は何となくほっとした。


 それにしても……おそらくは八雲やラケルタとの出会いを機に、自分もずいぶんと変わってしまったのだな、と思う。


 まさかあそこまでべったりと仲良くなれるはずもないが、俺も、少しはその、今すぐトラメと別れるのは心残りだな、なんていう風に思うようになっていたらしい。


 やれやれだ。浦島氏の家にむかうまでは、自分の境遇を嘆くことしかできなかったのに、いったいどういう了見なのだろう、これは。


 まあ、別に難しく考える必要もない。どうせいつかは、別れの時がやってくるのだ。それなら、宇都見が言う通り、それまでの時間をおたがいに楽しく過ごすことができれば、何よりではないか。


 浦島氏の一件が無事に収束するようなら、その後に、送別会を兼ねた小旅行にでも連れていってやってもいい。旅費は宇都見が工面してくれるだろう。何となく、そういうハッキリとした区切りでもない限り、いつ、どういうタイミングでこいつを元の世界に戻してやればいいのかも、今の俺には判断がつきそうになかった。


 どうせこいつはこの後も何百年か何千年は生き続けるのだろうから、その長い退屈な生の中で、あの時に出会った人間たちは馬鹿だったな……という、ちょっとした思い出でも植えつけてやれれば上出来なのではないだろうか。


 そんな馬鹿な想念にひたりながら、俺は、トラメとともに暗い寝室を出て、大量の食材が待つキッチンへと足をむけた。


 その時の俺には、ちっともわかっていなかったのだ。


 そんな考えが、いかに甘っちょろかったか、ということを。

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