円卓会議④
「それじゃあ今日は帰ります」と八雲が言いだしたのは、それから三十分ばかりも何やかんやと言い合った後のことだった。
まだ来訪してから一時間ていどしか経っていないが、「時間を無駄にはできませんので」と言われてしまえば、ひきとめることもできない。
どのみち、相手の所在をつきとめなければ、説得も成敗もできないのだから。まずは八雲に頑張ってもらうしかなかった。
「それじゃあボクも帰ろうかな。今度はネットであの石版のことを調べてみるよ。契約を無効化する手段がわかれば、浦島さんの件でも役に立つかもしれないからね!」
宇都見のやつが何気なくそう言うと、ソファから腰を浮かしかけていた八雲は、少し不思議そうな顔をした。
「あの石版について、ですか? ……たぶんネットでは、たいしたことはわからないと思いますよ。私も儀式をおこなう前に、一晩かけて調べつくしましたから」
「あ、やっぱり? そうなんだよねぇ。そっち関係の蔵書にも、まったく手がかりはなかったし。アレはいったいどういうルーツのアイテムなんだろうね」
宇都見の言葉に、八雲はますます不思議そうな顔をする。
「ルーツは……あの、『名無き黄昏』の魔術師が精製した儀式魔術のアイテム、ですよね……?」
「え?」
「あ、違うんですか? 私の見つけた資料にはそう書かれていたんですけど……」
困ったように目をふせる八雲の顔を、宇都見は珍妙きわまりない顔つきで見つめやる。
「し、資料って? ボクの調べた範囲では、そんなことどこにも書いてなかったけど……そもそも、『名無き黄昏』なんて名前も初めて聞いたぐらいだよ?」
「そ、そうですか? 『名無き黄昏』は、十九世紀末の『黄金の夜明け団』が衰退しはじめた頃に突然現れた魔術結社らしいですけど、とにかく儀式魔術の実用性にばかり力を入れていて、しかもそれがかなり成功しかけていたものだから、すべての勢力に危険視されて、あっという間に潰されてしまったみたいです。……その短い期間に精製された魔術道具のひとつが、あの『黒き石版』……だと思うんですけど……」
「ネット上にそんな情報があったの? いちおうボクもそれなりには調べたつもりなんだけどなぁ」
「ええ。活動の期間が短く、しかも当時は本当に危険視されていたから、あまり文献には残されていないみたいです。少なくとも、イギリスの外には一切伝わっていないんでしょうね……ネット上でも、海外のサイトにしか記載はありませんでしたから」
「海外のサイトかぁ。うーん。ボクには発見できなかったなぁ」
宇都見は悔しげに唇をかみ、そして俺は、宇都見以上に呆然とすることになった。
宇都見がオカルト話で他人に出しぬかれる光景を、俺は初めて目の当たりにすることになったのだ。
「八雲……お前、すごいな。宇都見以上のオカルト馬鹿がこの世に存在するとは思わなかった」
「ええ? そんなんじゃないです! ただ、ヒマさえあればパソコンをいじってるだけで……それに、もともとそういうゴシックな世界観に憧れを持っていましたから……」
なるほど。UFOやら超古代文明にまで触手をのばしている宇都見とは違い、魔女だの魔法だの魔術結社だのといった分野にのみ、興味の焦点を絞っているのか。
それでも、宇都見の上をいけるというのは……どこに出しても恥ずかしくないオカルト馬鹿、ということだ。
まあ、そうでなければあんな石版に書かれた儀式魔術を本当に試してみよう、などと考えるはずもないか。
それにしても、ゴスロリ趣味で、オカルト馬鹿の、電脳少女とは……一番無害そうな顔をしておりながら、一番強烈な特性を取りそろえているのは、実はこの八雲なのかもしれない。
「……そういえば、もともと磯月くんたちは、召喚儀式の契約を無効化するために、石版のルーツを調べていたって言ってましたね。でも、私がネット上で見た資料にも、そこまで詳しい内容は書かれていませんでした」
俺の表情をうかがいながら、八雲は遠慮がちにそうつけくわえてきた。
「あの、『名無き黄昏』は同じ魔術結社のあいだでも弾圧されるような存在だったから、その魔法日記なんかも最大の禁書として封印されてしまったらしいんですよ。……だから、あの石版に記されていた以上の内容を調べるのは、たぶん不可能なんじゃないかと……」
「ああ、とりあえずそっちの話はもういいんだ。まずは浦島さんの件をどうにかしないといけないからな」
何やら申し訳なさげな八雲に、俺は苦笑してみせる。
「いざとなったら、トラメには何かちっぽけな望みでもかなえてもらって、元いた世界に戻ってもらえばいいだけの話だし。浦島さんの苦境に比べれば、悩むほどのことでもないって思えてきちまったよ」
「……そうですか」
八雲はちょっと驚いたように言い、かたわらのゴスロリ少女を見おろした。
ラケルタは……何か解読不能な色合いに藍色の瞳を光らせながら、なぜか俺とトラメの姿を見くらべている。
「……それじゃあ、帰ります」
「ああ。今日はサンキューな。……って、俺も夜食の買い出しに行かなきゃいけないんだった」
そうして俺も立ち上がると、ソファに腰を降ろしたままなのは、トラメひとりとなってしまった。
「……トラメ、お前も一緒に行くか?」
「行かん。歩いたらよけいに腹が減る」
などと言いながら、トラメは同じペースで煮干しを口に運び続けている。
その表情のない横顔に少し後ろ髪をひかれながら、俺は八雲たちとともに玄関へと足をむけた。
何だろう。
どうして今さらトラメの無関心なそぶりが気にかかってしまうのだろうか。
不機嫌そう……なのは、いつものことだ。それ以上に、何だかトラメは自分だけの考えに沈みこんでしまっているように見えた。
昨日もそうだったが、こいつは時おり何を考えているのかわからなくなるときがある。
ふだんが傍若無人きわまりないせいか、こいつがあまりに大人しくなってしまうと、俺はおかしな不安感をかきたてられてしまうようだった。
さりとて、原因もわからないのだから、俺にはどうすることもできない。美味いものでも喰わせてやれば機嫌もなおるかなと、そんなことを考えながら、俺はマンションの外に出た。
「……八雲、そういえば、お前は一人暮らしじゃないんだろ? こんな居候が増えちまって、家族の目はどうごまかしてるんだ?」
駅も、スーパーも、宇都見の家も、とりあえず最初は同じ方向なので、四人連れ立って歩いていく。
すでに六時を回っているから、あたりはだいぶん薄暗くなってきていた。
すれちがう通行人たちが目を丸くしているのは、まず間違いなくラケルタのせいだろう。俺だって、こんな格好をした子どもが道を歩いていたら、思わず振り返ってしまうに違いない。
そんなラケルタとともに足を進めながら、八雲がけげんそうに振り返る。
「特に何も。……あまり干渉しあわない家族なので、出入りさえ気をつければ、特に問題はないです」
「そうは言っても、色々あるだろ。日中なんかはどうしてるんだ? まさか一人で部屋には残しておけないだろ?」
「昼間は一人で、ブラブラしてるヨ。他の人間に声をかけられたら面倒だから、たいていは森にいるけどネ」
答えてくれたのは、ラケルタ本人だ。こいつはトラメよりも、契約者以外の人間と言葉を交わすことに抵抗はないらしい。
そういえばこの一時間ばかりの会談で、トラメは一度も俺以外の人間と会話らしい会話をしていない気がする。
「森って、あの、俺たちが遭遇した雑木林のことか?」
「そう。真ん中あたりに沼があって、ミワはそこでウチを召喚したんだヨ。今ではウチらの憩いの場ってわけさ」
「なるほどな。……そうか、契約者が許可すれば、自由に外にも出れるんだもんな」
俺の言葉に、ラケルタの目が一瞬きらりと光った、気がする。
しかし、それ以上は何も言ってこようとはしない。
「あ、だけど食事はどうしてるんだ? こいつはトラメほど大喰いじゃないのかな?」
「ええ。むしろ、全然食べないと言ってもいいぐらいです。一日に一回、ちょっとしたおやつを食べるぐらいで……」
「ふーん。同じ幻獣でもえらい違いだな。……しかもラケルタは、着飾ることが好きなんだもんな? トラメにこんなゴテゴテしたドレスを着せようとしたら、たぶん全力で抵抗してくると思うぜ」
「……トラメさんって、どういう方なんですか?」
と、薄暗い黄昏時の歩道を歩きながら、いきなり八雲はそんなことを尋ねてきた。
黒ぶちメガネのむこうの目が、何やら気がかりそうな光を浮かべて、俺のほうを上目づかいにうかがっている。
「どういう方、って……見たまんまだよ。口が悪くて、無愛想で、何か食べてりゃそれで満足、って感じだな」
「だから、ああやって家の中に閉じ込めてるってわけ?」
たちまちラケルタが鋭い声をあげてきたので、俺はびっくりして目線を転じる。
俺の腹ぐらいまでしかない小さなゴスロリ少女は、何だか不穏な感じに藍色の瞳を光らせていた。
「あのさァ、ミナト。グーロって種族は確かに喰うことにしか興味がないような連中だけど、現し世にいるかぎりは、アンタが主なんだ。もうちょっと、何ていうか、マシにあつかってやってくんない? あいつ自身はナニも感じてないとしても、ウチは何だか、見てるだけでイライラしてきちゃうヨ」
「な、何だよ、突然? 俺のあつかいに、どこかまずいところでもあるか?」
「知らないヨ。ただ、隠り世の住人を召喚しといて、その契約をなかったことにしたい、なんて言いだすようなヤツだからネ、ミナトは! それでいて、トラメには外で遊ぶ許可も誰かとケンカする許可もあたえず、家の中に閉じ込めたまんまで、しまいには、わけのわからない人間を助ける手伝いまでさせようとしてるんでショ? なんだか、あまりに勝手すぎるんじゃない?」
こいつがそこまで他者のことに関心をむけているなどとは思っていなかった俺は、すっかり面くらってしまった。
そんな俺の顔をねめつけながら、ラケルタはさらに言葉を重ねてくる。
「自分の生命を代償にするなら、どんな望みを唱えたって、ウチはケチなんてつけないサ! 人間はそのためにウチらを召喚するんだろうからネ。だけど、ウチらがおとなしくしてるのをいいことに、自分の都合だけ押しつけるなんて、ウチがトラメの立場だったら、絶対ガマンできないなァ。……用事がないなら、トラメを隠り世に帰してあげなヨ。あいつのあんなしょぼくれた姿は、ウチだって見てても面白くないし!」
「隠り世に帰してやれ、って言われても……」
「何も難しい話じゃない。一言、こう望めばいいんだヨ。『隠り世に帰れ』ってさ。……それでミナトの寿命がどれだけ縮むかなんて知らないけど、それぐらいは餞別にくれてやってもいいだろォ?」
「……」
「別にミナトが特別薄情なわけじゃないサ。もともと人間と隠り世の住人が、そこまで仲良くなれるわけはないんだから。……ウチとミワは、奇跡的な確率でめぐりあえた、例外なんだヨ」
そんなことを言いながら、ラケルタはにっと白い歯を見せて笑った。
小生意気な顔つきだが、やっぱり昨日までのような小悪魔じみた笑い方ではない。子どもっぽい傲慢さに満ちた笑顔だ。
「……ラケルタさんと八雲さんは、本当に仲がいいんですねぇ」
と、宇都見がいきなり口を出してきて、ラケルタに「何だ、まだいたのか」という表情を浮かべさせる。
「そりゃあそうサ! ミワは面倒くさいこと言わないし、こんなに素敵な服はくれるし、ウチのこと、大好きだって言ってくれたもんネ?」
「……うん」
てれくさそうに頬を赤らめながら、八雲はそっとラケルタの手をつかむ。
ラケルタはいっそう楽しげに笑い、それこそ幼児のようにぶんぶんとその手を大きく振り回した。
本当にこいつらは、下心も裏事情もなく、ただひたすら気が合うだけ、なのだろう。それぐらいのことは、見ていればわかる。
しかし、この世ならぬ望みをかなえるためにあみだされたのであろう秘術によって召喚された幻獣と、人間が、一生友達づきあいをしたい、などという理由で契約を履行しない、というのは……考えるまでもなく、とびきりイレギュラーな事例であるに違いなかった。
あの忌々しい石版を作りあげた魔術師どもがこの有り様を見たらどんな顔をするものか、ぜひ時空を飛びこえてでも確認したいところだ。
しかし、俺にはそれを皮肉る資格もない。せっかく儀式が成功したのに、それをなかったことにしたい、などと願っているのだから、五十歩百歩だ。
そう考えたら、あのギルタブルルとかいうやつの主人こそが、もっとも正しく幻獣を使役している、と言えるのかもしれないのだから、何だか、おかしな具合だった。
「……私も別に、磯月くんを責めるつもりはないんですけど……少しだけ、トラメさんが可哀想だなって思ってました。自分の意志で現し世にやってきたわけでもないのに、何だか、邪魔者あつかいされてるみたいで……」
と、俺の顔色をうかがいつつも、八雲までそんな発言をしてくる。
「いてもいなくてもいい存在なんだったら、ラケルタの言う通り、隠り世に帰してあげればいいんじゃないでしょうか? そうすれば、誰も嫌な思いをせずに済むんでしょうから……」
俺には、「そうだな」としか答えようがなかった。
その後はしばらく沈黙が続き、やがて八雲たちとは別れの時がきた。
あまり人通りのない交差点。駅にむかうなら右、スーパーにむかうなら左、だ。
八雲は、俺と宇都見を振り返り、右腕にラケルタをまとわりつかせたまま、ぺこりとお行儀よくお辞儀をした。
「それじゃあ、今日はこれで。……うまくパスワードを見つけることができたら、すぐに連絡します」
「ああ。よろしく頼む」
そうして八雲とラケルタは姿を消し、俺のもとには、元祖オカルト馬鹿だけが取り残された。
交差点を左に曲がり、あらためて肩を並べて歩きながら、宇都見はおやつを食べそこねた子犬みたいな目を俺にむけてくる。
「あのさぁ、磯月……何か、ごめんね?」
「ああ? 今度は何だよ? お前まで何かわけのわからないことを言いだす気か?」
「いやぁ、何かさぁ、ボクが巻き込んじゃったせいで、磯月が責められるみたいな立場になっちゃったじゃん? 磯月はただボクを手伝ってくれただけなのに……さすがにちょっと罪悪感を感じるよ」
「何だそりゃ。らしくないこと言うなよ、オカルト馬鹿」
巻き込んでごめん、なんて台詞は、本来だったら年に二十回ぐらいのペースで言うべきなんだぞ、お前は。こんなときだけ謝るんじゃねェよ、チクショウめ。
「でも、彼女たちはああ言うけど、ボク的にはずいぶんトラメさんと仲良くやってるんだなっていう風に見えるから、そんなに気にしなくていいと思うよ?」
「うるせェな。それはそれでおかしいだろうがよ。どこをどう見たら、俺たちが仲良しこよしに見えるってんだ?」
「だって……一晩明けたら、呼び方まで変わってるんだもん。トラメっていう名前をつけたって話はメールで聞いてたけど、トラメさんのほうがミナトって呼んでることには、けっこうびっくりしちゃったよ」
「……」
「そういえば、ボクらも小学生の頃は名前で呼びあってたね?」
宇都見の何気ない言葉に、俺は思わず、と胸をつかれた。
そうだ……確かにあの頃は、ミナト、ショータ、と呼びあっていた。
それが苗字で呼びあうようになったのは、中学の入学と同時にクラスが離れ、つきあいもすっかり疎遠になったとき……こいつとは小学三年生の頃からの腐れ縁だが、中学校に入学してからの二年間だけは、ほとんど口すらきいていなかったのだ。
その間に、俺は新しい友人をたくさん得て。
宇都見は、小学生の頃以上に、孤立無援の存在と成り果てていた。
こいつとのつきあいが再開したのは、中学三年で再び同じクラスになり、その状況があまりに見ていられなかったから、なのだ。
そうしてこのように腐れた縁は復活したのだが、俺たちの呼び名は昔の状態に戻りはしなかった。
「……磯月もトラメさんもアマノジャクなタイプだから、会話はちょっとトゲトゲしい感じになってるけど、ボクにはけっこう楽しそうなやりとりに見えてるから。別に、急いで隠り世に帰しちゃう必要はないんじゃないかな。まだ出会って三日目なんだから、ゆっくり親睦を深めていけばいいんじゃない?」
「あのなぁ、どっちみち俺は八雲たちみたいに、こんな酔狂な生活を延々と続けるつもりはないんだぞ?」
「もちろんそれはそうなんだろうけど。お別れの日までは仲良く過ごせたほうが、楽しいじゃん」
そんなことは、こいつに言われるまでもない。
究極の対人下手である宇都見なんかに、どうして俺が助言されねばならないのだろうか……何だか、とても理不尽だ。
「まあ磯月のことだから、ボクは心配なんてしてないんだけどね。八雲さんたちは、まだ磯月のことをよくわかってないだけだよ。マイペースに、磯月の思うままに行動すれば、それでいいんだと思うよ?」
「そいつはどうもありがとうよ。……お前に心配されるようじゃあ、俺もいよいよおしまいだな」
「ほら、やっぱりちょっと元気ない。いつもだったら、うるせェ、馬鹿、手前に何がわかるんだっ!とか言って怒鳴りちらしてるところなのに。あの二人の言ったこと、気にしちゃってるんでしょ? 大丈夫だって! トラメさんにはきっと、磯月のいいところも伝わってるから!」
「……」
「それでも何か気になるんだったら、トラメさんと色々話してみればいいよ。まわりがごちゃごちゃ言ったところで、けっきょくは二人の問題なんだから」
そんなことを言いながら、宇都見はぴたりと足を止めた。
俺の目的地であるスーパーの前に到着してしまったのだ。
「それじゃあ、また明日ね! トラメさんにもよろしく!」
最後に、ふにゃりとしまりのない笑顔を残して、宇都見もまた薄闇のむこうに歩き去っていった。