円卓会議②
「すみません。遅くなりました……」
電話をもらってから一時間後の、午後五時すぎ。八雲美羽とラケルタのコンビが、俺のマンションにやってきた。
本日も八雲はダークグリーンのブレザー姿で、ラケルタはド派手なゴスロリ・ファッション。
こいつはこんな格好で電車に乗ってきたのだろうか。
「わざわざ家まで来てもらってすまなかったな。ここなら誰の耳をはばかる必要もないからさ」
「いえ。はい。あの……ふつつか者ですが、今日はどうぞよろしくお願いいたします」
玄関で靴を脱ぐ前から、また深々と頭を下げてくる八雲美羽である。
挙動不審で赤面症だが、やっぱりそんな悪いやつだとは思えない。
というか、むしろ善良で純真なやつなのだろう、と思う。
俺は善良でも純真でもないけれども、こういう人間が世をはかなんで、西洋儀式魔術などに手を染めてしまう世の中なら、それはやっぱり世の中のほうが少しトチ狂っているのだろう。
「まあそう固くなるなって。あがれよ。ここには俺とトラメしかいないからさ」
「い、磯月くんは、一人暮らしなんですね? 私と同じ、高校二年生なのに……」
「ああ。家族はみんな、アメリカだ。年に二回ぐらいしか帰省してこないから、気楽なもんだよ」
「……羨ましいです」
わかったわかった。人間嫌いだか人間不信だかのカミング・アウトは、またの機会に取っておいてくれ。
俺がリビングまで案内すると、八雲はソファに腰を降ろしながら、ちらちらと落ち着かない目つきで室内の様子をうかがいはじめた。
八雲美羽。高校二年生。住まいは、浦島氏と同じく、隣りの市。通っているのは、俺も名前ぐらいは聞いたことのある私立のお嬢様学校。気弱で、人見知りで、トカゲ好き。……実のところは、それぐらいしかまだわかっていることはない。
「……とりあえず、来てくれてありがとうな、八雲。電話でも言ったけど、本当にありがたいと思ってるよ」
俺がそう呼びかけると、八雲はまた顔を真っ赤にしてぶんぶんと首を振った。
「とんでもないです! 磯月くんたちには、ラケルタがとても迷惑をかけてしまったのに……それを快く許してもらえて、私のほうこそ、感謝しています……」
語尾が、聞き取りづらい。本当に、内気すぎるやつだ。
「あーあ、面倒なことになっちゃったなァ! こんなことなら、隠り世の住人の気配なんて無視してれば良かったヨ! 言っておくけど、ウチはギルタブルルなんていう厄介な相手とケンカをする気はないからネ?」
いっぽう、コカトリスのラケルタは、相変わらずやかましいこと、この上ない。
外見上は十歳ぐらいの子どもで、喋らなければフランス人形みたいに可愛らしいのに、本日もこいつは居丈高で口が悪かった。
まったく、おかしな二人組だ。
何がおかしいって、こんなに対極の二人がやたらと睦まじい関係を保っているらしいのが、一番おかしい。
ソファに荒っぽく腰をおろすなり、ラケルタは八雲の右腕にしがみつき、八雲は、そんなラケルタの様子を、実にほっとした表情で見つめている。
俺とトラメの関係も特異なのだろうが、八雲とラケルタのほうだって、決してこれが契約者と幻獣としてオーソドックスな関係性だとは思えない。絶対に。
「あ、トラメじゃん! 今日も小汚いカッコしてるネ、トラメ。いったいそのカッコはアンタと契約者のどっちの趣味なのさ、トラメ?」
と、煮干しのパックを片手にふらりとリビングにやってきたトラメの姿に、ラケルタがまた嘲弄の声を響かせる。
「人の現し名を連呼するな、コカトリス。貴様こそ、その酔狂な格好はいったい何なのだ?」
「ラケルタって呼べよ、トラメ! ……コレはゴシック・アンド・ロリータっていうファッションなんだってヨ。ま、アンタに言ってもわからないだろうけど、ウチはすっごく気に入ってんだから!」
と、いかにも楽しげに笑って、八雲の腕をますます力強く抱きすくめる。
トラメは小馬鹿にしきった様子で鼻を鳴らし、俺は、困ったように眉を下げている八雲のおとなしげな顔を見た。
「八雲。まさかとは思うけど……そいつのその格好って、お前の趣味なのか……?」
「そうだヨ! ミワだってすごく似合うんだから! ふだんはこんなに地味だけど、化粧したら別人みたいに……」
「やめてよ、ラケルタ!」
悲鳴のような声をあげて、八雲がラケルタの口に左手でフタをしようとする。
その真っ青になった横顔を見ながら、俺は呆れて声も出なかった。
「……何でだヨ? いいじゃん! ホントにすっごく似合うんだから、家の中だけじゃなくて、たまには一緒に外を歩いてみたって……」
「ラケルタ、本当に……もう、黙ってて!」
なるほど。確かに無個性きわまりない風貌だが、目鼻立ち自体は整っていなくもないので、メガネを外して、メイクをすれば、別人のようになるのかもしれない。
わりあい背だって高いほうだし、なにげにスタイルも悪くないようだから、こんな豪奢なドレスを身にまとえば、さぞかし目に立つことだろう。
それにしても、ゴスロリファッションが隠れた趣味とは、怖れいった。人は見かけに寄らぬものだ。
しかしまあ、誰に迷惑をかけるような話でもないので、俺としてはそんなに気にならない。一緒に外を歩けと言われたら困ってしまうが、そうでないなら、いっぺん拝見させていただきたいぐらいだ。
「あの……やめてください」
と、俺の視線に気づいた八雲が、今度は顔を真っ赤にしてうつむいてしまう。
俺が返答に困っていると、絶妙のタイミングで来客を告げるチャイムが鳴った。
オカルト馬鹿の、登場だ。
「はじめまして! ボクは宇都見章太といいます。八雲美羽さんと、コカトリスのラケルタさんですね? 磯月から話は聞いています!」
お誕生日席に設けてやった籐椅子に座りながら、宇都見はにこにこと朗らかな笑顔でそう自己紹介した。
いくら事前にトラメという幻獣に出会っているからといって、そんな自然に「コカトリスのラケルタさんですね?」なんて言える馬鹿は、日本でこいつぐらいのものだろう。オカルトがかった話に関してのみ、底なしの順応力を発揮できる馬鹿なのだ、こいつは。
本日が初対面ということになるが、とりあえず外見上は威圧感のカケラもないタイプなので、人見知りの八雲もずいぶんほっとしたようだった。
ラケルタは、何だか騒がしいヤツが現れたな、という目つきで宇都見の姿を観察している。
「……まずは最初に報告しておきますけど。浦島琢磨さんの病状は、相変わらずのようです。原因不明の高熱と、極度の衰弱状態。意識は混濁したまま一度も覚醒せず、このままでは、もって一週間だろう、という話でした」
宇都見は学校の後にまた警察に呼びだされて、事情聴取を受けてきたのだ。その際に、浦島氏の情報をかすめとってきたのだろう。
「首筋に太い針で刺されたような痕があり、また、室内に荒された形跡があったため、当初は、強盗目的の何者かが毒物を投与したのではないか、という方向で捜査が進められていたんですが。今では、病院側が毒物の可能性を疑問視しているそうです。人間の医学じゃあ、毒物の痕跡すら検出できなかったみたいですね。……となると、これは原因不明の奇病、というあつかいになってしまうので、警察側としてもどこまで事件性があるのか、おおいに悩みはじめてしまったようです」
「もって一週間、か……」
ソファに深く座りなおしながら、俺は憮然とつぶやき返した。
俺の隣りでは、ソファの上にあぐらをかいたトラメが黙々と煮干しをついばんでおり、テーブルをはさんだ正面には、心配そうな八雲と無関心きわまりないラケルタのペア。……何というか、実にその、まとまりのない集団だ。
「あとこれは、救急病院に連絡を入れた後に、ボクが勝手に家探しをした結果ですけど……浦島さんが探していたはずの、石版を送った宅配便の控えなどは、やっぱり室内に残されていませんでした。おまけにパソコンまで壊されており、携帯電話も見当たらなかったので、これでもう石版を落札した残り五名の住所を知るすべはなくなってしまったものと思われます」
「その時点で、万事休すだよな……」
「うん。かなり厳しいね。警察を味方にできれば、宅配業者から探るルートもあるんだろうけど、こんな話を信用してもらう手段なんて、ボクには思いつかない。……というか、幻獣の存在を公の場に発表する気になんてなれないしね」
「……あの、やっぱり犯人は、石版を買ったメンバーの誰かなんでしょうか……?」
おずおずと発言する八雲に、宇都見は「だろうねぇ」と気安くうなずき返す。
こいつの敬語は、二人の幻獣娘に対する配慮なのか?
「何もかもが不明瞭な状況だけど、浦島さんを襲ったのがギルタブルルという幻獣だ、ということだけは確かなわけだから。このタイミングで、別口の幻獣使いがからんでくる、なんていうのは考えにくいでしょう。……おそらくその犯人は、幻獣を使って、何かとんでもない望みをかなえようとしてるんじゃないかなぁ」
「とんでもない、望み……?」
「そう。だからこそ、宅配便の控えを持ち去ったり、パソコンを壊したりして、自分の素性を隠した。何かとんでもない事件が起きたとき、普通の人間だったらその方法も犯人の正体もわからないだろうけど、同じ幻獣使いなら、これは幻獣使いの仕業だ、ということが推測できる。そうなったとき、自分の素性を知られないように、浦島さんの口を封じて、すべての痕跡を消し去ったんじゃないかと。ボクはそんな風に推理してます」
宇都見の説明に、八雲はさも怖ろしげな表情を浮かべて、身体を震わせる。
「まあ動機や目的なんざ、想像することしかできないんだから後回しだろう。まずは、そのギルタブルルとかいうバケモノと、それを操ってる人間を探す方法、だ。……トラメ、何かアイディアはないもんかな?」
俺が水をむけると、トラメはあっさり「ない」と首を振った。
「よほど近くに姿を現さないかぎりは、隠り世の住人同士でもその気配を感じとることなどはできん。……まあ、我かそこのトカゲ娘に、『ギルタブルルの主人の居場所が知りたい』と望みの言葉を宣告すれば、話は別だがな。そんな下らん望みでも、かなえられんことはない」
「ああ、なるほど……そういう手もあるのか」
「……しかし、万が一にもギルタブルルの主人が魔術師で、結界の中にでも籠もってしまっていたならば、居場所をつきとめるだけで相当の寿命を使い果たすことになる。生命を落とす覚悟がないならば、そのような望みの言葉は口にしないことだ」
「本物の魔術師、か? まあさすがにそんな突拍子もないやつは、この平和な日本には存在しないと思うけどよ……それでもやっぱり、居場所をつきとめるためだけに寿命を犠牲にする、なんてのは避けたいところだよなぁ」
しかし、いよいよ浦島氏の生命が危険な状態を迎えそうになったら、そんな手段も考慮に入れなくてはならないのかもしれない。
かえすがえすも、昨日あの場でギルタブルルとかいう化け物を取り逃がしてしまったのが口惜しかった。
「あの……それじゃあ、私が何とかしてみましょうか?」
と、八雲が再び遠慮がちな声をあげてきたので、俺はびっくりして目線を転じる。
「何とかするって、何をするつもりだ?」
「ええ、あの、壊されたのはパソコン本体で、データをいじくられたわけじゃないんですよね? それなら、何とかなるかもしれないです……あのオークションは、そのサーバー内のメールシステムでしかやりとりできないようになってますから、そこに、浦島さんのアカウントでアクセスできれば……メールボックスに、落札者たちとのやりとりが残っているはずです」
「ああ。だけど、その肝心のパソコンを壊されちまったんだぜ?」
「はい。ですから……ちょっと乱暴なやり方になっちゃいますけど、そのサーバー内に侵入して、浦島さんのアカウントのパスワードを見つけだせばいいのかな、って……私、そういうの、得意なんです」
「得意って、それ、完全にハッキングじゃん」
びっくりしたように、宇都見のやつが大きな声をあげる。
こいつがこんな風に驚いた顔をするのは、実に珍しい。その稀少さを知らぬ八雲は、ただ気弱そうに笑うだけだった。
「犯罪、なんですよね。だから今までに実行したことはないんですけど、たぶん、できると思います。……日中は学校に行かなきゃいけないから、二、三日はかかっちゃうかもしれませんけど……」
「あの、パソコンってヤツ? ミワ、ヒマさえあればあの箱でカタカタ遊んでるもんねェ。ナニが面白いのか、ウチにはちっともわかんないけど」
まったく興味もなさそうな口調で言いながら、俺や宇都見の驚いた表情に、ラケルタはちょっと自慢げな顔になっている。
ゴスロリ趣味の、電脳少女か……地味な外見のわりに、ずいぶんけったいな特性をそなえもっているものだ。