幻獣召喚①
「で……何なんだよ、コレは?」
時刻は、午後の十時ジャスト。
自転車で三十分もかかる街の外れの森林公園まで呼びだされた俺は、そこに準備されたわけのわからないモノどもを前に、またまた大きく嘆息することになった。
「儀式に必要な聖具だよ! これだけ準備するの、大変だったんだから!」
薄っぺらい胸をそらして、誇らしげに言う宇都見章太くんである。
得意満面なところを悪いが、俺にはガラクタの山にしか見えない。
「聖具って……これ、お前ん家の玄関に飾ってあった花瓶だろ?」
「うん。『白き瓶』ね。あと『青き短剣』に『黒き首飾り』と『赤き槍』!」
柄の青いペーパーナイフが『青き短剣』だというのは、まあ認めよう。
しかし『黒き首飾り』とやらはどう見ても法事用の黒い数珠のネックレスだし、『赤き槍』にいたっては、プラスチック製の赤いバットだ。子ども用のちっちゃいバットで、ベコベコにへこんでしまっている。いったいどこの公園から拾ってきたのやら。
「いいんだよ、『見立て』なんだから! ボクらがきちんとした魔術師だったら、こんな道具すら必要ないんだけど。成功の確率は一パーセントでも上げておきたいからね!」
その他には、ぶっといロウソクが四本と、どこにでも売っていそうなペットボトルのミネラル・ウォーター。
そして、薄汚れたダンボールの箱と、その中でミイミイ鳴いている小さな子猫……ん、子猫?
「おいおい、まさかコイツをあやしげな儀式の生贄に捧げようとかいう話じゃないだろうな。動物虐待するつもりだったら、俺は帰らせてもらうからな?」
「ええ? 馬鹿だなぁ! 召喚するのは悪魔じゃなくて幻獣なんだから! そんな血なまぐさい儀式なわけないじゃないか! それは幻獣が物質世界に降りてくるための依り代だよ!」
馬鹿に馬鹿と言われてしまった。
懐中電灯をむけてやると、まだ生後まもない茶トラの子猫は、冗談みたいに小さな前肢で宙をかきながら、潤んだ瞳でじっと俺を見つめてきた。
「……こいつ、どこから拾ってきたんだ?」
「うん? ああ、この前、橋の下で見つけたんだよ。誰かがエサはやってたみたいだけど、ずっと放置されててね。ウチのママが猫アレルギーじゃなければ飼ってあげたかったんだけど」
おまけにこいつの住む馬鹿でかいお屋敷には、ヒグマとでも戦えそうな番犬が二頭もいるしな。アイリッシュ・ウルフハウンド、だったっけか。
犬もいいけど、どちらかといえば、俺は猫派だ。
まだ体長が十五センチぐらいしかない、手の平にだって乗せられそうな、小さな子猫。俺が指先で咽喉のあたりをなでてやると、そいつは心地良さそうに目を細めながら、「うにゃあ」と鳴いた。
やばい。情が移っちまいそうだ。
「あれ? 磯月は猫好きだったっけ? 儀式が終わったら連れて帰ってもいいよ。また同じ場所に戻すのも何だか気がひけるし」
「……こんな子猫の面倒、見きれねェよ」
父親の仕事の都合で家族はみなアメリカに移り住んでしまったため、俺は現在、優雅に一人暮らしの真っ最中なのだ。
ペットOKのマンションなので、猫の一匹ぐらい飼ってみたいところではあるが、こんな子猫では育てきる自信がない。
だから、そんなすがるような目で見つめないでくれ、猫よ。
「まあそんなことより、準備を始めないと。はい」
そう言って、宇都見が大切そうに抱えこんだナップザックから取り出したのは、まだ新品の白い軍手だった。
つい反射的にそれを受け取ってしまいながら、俺はおもいきり顔をしかめてみせる。
「何だよ、これは? 準備がどうしたって?」
「魔方陣を描く場所は、『黄色き大地』じゃないといけないんだよ! こんな芝生の地面じゃダメなの。だから、草むしりしないと」
「アホか。だったら最初からこんな場所を選ばなきゃいいじゃねェか!」
サイクリングコースやテニスコートまで併設された、市営の馬鹿でかい公園。通称、森林公園。
秋にはぞんぶんに紅葉の楽しめる憩いの場で、俺たちが今たたずんでいるのは、ふだん子どもたちがサッカーボールを蹴ったり、近所の住民が犬の散歩に来たりする大きな広場のど真ん中なのだ。
どこを見回したって一面芝生で、土の地面なんてありゃしない。
別に夜間の出入りが禁止されているわけでもないが、もちろん夜の十時に人通りなんてあるわけもなく。月明かりと懐中電灯だけが頼りのだだっ広い闇の中、俺たちは完全に二人ぼっちだった。
「なあ……本当に場所を変えねェか?」
肝試しにはまだ季節が早すぎるし、こんなオカルト馬鹿とそんな酔狂な遊戯にふける気もない。
くどいようだが、俺たちはもう小学生ではなく、十七歳の、高校二年生なのだ。
「うん? それがダメなんだよ。儀式をおこなう場所の条件として、ロウソクの火の他に明かりがない、ってのが絶対なんだから! このあたりで街灯もなくて、人の目につかない場所、って言ったらこの公園ぐらいしかないでしょ?」
そんな愉快なことをのたまいながら、ガラクタのわきにナップザックを降ろした宇都見は、みずからも軍手をはめて、意気揚々と芝生をむしり始めた。
「直径一メートルぐらいの円でいいから。ほら、磯月も早く手伝ってよ!」
いくら数年来の因習だからといって、どうして俺がこんな阿呆を無条件に手伝ってやらねばならないのか。
それを当然と信じて疑わない宇都見の笑顔がムカつく。
「宇都見……お前、たまには自分の行動を客観的にかえりみてみたらどうだ?」
「んー?」
「んー、じゃねェよ! こんな夜更けに、野郎二人で地面に這いつくばって草むしりして、いったい何が面白いのか、って聞いてんだ!」
「だって、しょうがないじゃん。儀式に必要なことなんだから」
きょとんと見上げてくる子どもみたいな表情に、俺はまたまた溜息を誘発される。
どうしてこいつはこんなに無邪気なんだろう……もっと邪気にあふれていれば、俺だって心おきなく見捨てることができるのに。
俺はどすんと地べたにあぐらをかき、手当たりしだいに芝生をむしった。
とたんに宇都見のやつはメガネを光らせてケチをつけてくる。
「ちゃんとキレイにむしってよ? 最低限、緑色が地面に残らないようにね!」
俺は答えず、低性能の草刈りマシーンと化して黙々と作業に従事する。
ゲンジューだかショーカンだか知らないが、今回はずいぶん念入りな悪ふざけだ。
これなら和歌山への一泊旅行のほうがまだマシだった。
山海の珍味を満喫することができたし、山の空気はそれ以上にうまかったしな。
しかし、成功するはずもないあやしげな儀式のために、夜の公園に忍びこんで草むしりだなんて、むなしいばかりで何も得るものはない。
これで数十分後には、その儀式とやらに失敗してがっくりとうなだれる宇都見を俺がなぐさめる羽目になるのだから、本当に無益だ。徒労だ。不毛の極致だ。
「……あのさぁ、そもそもゲンジューショーカンってのは何なんだ? 霊的な存在を現実世界に呼びだす……とか何とか言ってたけど、そんなことして、どういうご利益があるっていうんだよ?」
黙りこんでいるとますます気が滅入ってきそうになるので、しかたなしにまた俺は呼びかけてみることにする。
「うん、ご利益っていうか、幻獣を召喚することに成功したら、何でも望みをかなえてもらえるらしいよ? 自分の寿命と引き換えに、だけど」
「何だそりゃ。それじゃあ悪魔を呼びだすのと変わらないじゃねェか。アレだって、魂と引き換えに望みをかなえてくれるとか何とかっていう話じゃなかったか? ……そもそも、お前にかなえたい望みなんてあるのかよ?」
「もちろん、ないよ。ボクが望むのは、この世ならぬ存在をこの目で見たい、ってことだけなんだから」
そう言って、宇都見はにこりと子どものように笑う。
「だから、儀式に成功したら、その時点で望みはかなっちゃうんだよね! 幻獣には、あまり寿命に影響が出なそうな、ちっぽけな望みでもかなえてもらうことにするよ」
駄目だ。会話したところで、滅入る気持ちにストップがかけられるわけもない。
ならば喋るだけ、カロリーの無駄か。俺はまた黙然と芝生をむしることに専念しはじめた。
六月中旬の少しだけ蒸し暑い夜、白い額にうっすらと汗を浮かべながら、宇都見の表情は期待に輝いている。
第二次性徴の途中で時間が止まってしまったような、あどけない顔。にきびもヒゲもないすべすべの頬に、小さな鼻と、小さな口。やぼったいシャツとデニムのパンツはいささかサイズが大きすぎで、袖からのぞく腕も、細くて白い。
こんなキテレツなオカルト野郎を見捨てないのは、俺におかしな趣味性癖があるからじゃないかと揶揄するやつもいた。
もちろん俺にそんな高尚な趣味はなかったので、そんなふざけたことをぬかすやつは鉄拳制裁で黙らしてやったものだが。踊る阿呆より見る阿呆でいたかったという思いに嘘はない。
こんな茶番につきあうのはこれっきりにしたいものだ……と、俺は毎度おなじみの感慨にひたるばかりだった。