円卓会議①
翌日は、学校を休むことにした。
これといって特別な理由はない。ただ、いちどきに色々なことが起きすぎてしまったため、ゆっくり考えや気持ちを整理したかっただけだ。
なにせ、俺たちの他にも、最低ふたりは召喚の儀式を取りおこなってしまっていたのだから、これは由々しき事態だろう。
八雲美羽。
それに、まだ見ぬギルタブルルの主人。
あんな得体の知れない石版に記された内容を信じて召喚魔術を実践してみよう、などと考える大馬鹿が、宇都見の他にふたりもいたなんて……まったく、世も末だと思う。
まあ、八雲やラケルタのことは放っておいてもいい。今やあいつらは、少なくとも俺やトラメには危害を加えられない状態になったらしいし、思ったほどは、悪辣な連中でもなさそうだ。
ラケルタのほうはそこまで信用しきってしまっていいものか疑問だが、主人の八雲がああいう人間なら、まあ大丈夫だろう。もとより、あいつらと敵対する理由などどこにもない。
だから問題は、ギルタブルルと、その主人だ。
毒針を打ちこまれて明日をも知れない浦島氏を放っておくことはできないし。落札者の連絡先を奪っていった行動も、不気味である。
浦島氏と取り引きをした宇都見と八雲は、名前も住所も知られてしまっている、ということなのだ……これはなかなかに、予断を許せぬ状況だろう。
しかし、幻獣の恐ろしさというものを、俺は不本意ながらも体感してしまった。
アレは、人間の手に負える存在じゃない。
契約者の寿命をさしださなければ本来の力を発揮することはできない、という話であるはずなのに。トラメも、ラケルタも、人間ならぬ凄まじい戦いぶりをぞんぶんに見せつけてくれた。手枷足枷のついた状態でアレだったら、もう、本来の力がどれほどのものなのか、想像するだに恐ろしい。
自室のベッドに寝転んだまま、俺は何度めかの溜息をつき、それを見とがめたトラメが、煮干しをかじりながら黄色い目をむけてくる。
「やかましいぞ、ミナト。これ見よがしに苦悩を誇示するな。みずから好んで苦労を背負っているくせに、何を思い悩んでいるのだ、貴様は」
「うるせェな。俺だって好きで悩んでるわけじゃねェよ」
トラメ様は、すっかり元気なご様子だった。
昨日は歩けないほど弱っていたくせに、たらふく食べたら、もう全快だ。朝方に確認してみたら、頭の傷口も左腕に空いた穴も、ほとんど完全にふさがってしまっていた。やっぱり幻獣は身体の構造からして根本的に違うのだな、と感心させられてしまう。
元気なのは、いいことだ。いいことだが、しかし……ちょっと放っておけない問題もある。
俺は、ベッドに身を起こし、トラメと正面から相対した。
「……なあ、トラメ。ちょっとお願いがあるんだけど、いいかな?」
「断る」
「もうすぐ宇都見のやつがやってくるんだ。その前に、できれば、上に何かを羽織ってくれねェもんかなぁ?」
壁にもたれてあぐらをかき、無心に煮干しをかじり続けるトラメは、ジャージの下とタンクトップを着ただけの軽装だった。
ジャージの上着は、昨日の戦いで血まみれになってしまったから洗濯中なのだ。宇都見が来る前に乾けばいいかと思っていたが、どうやら間に合いそうもない。
となると、トラメのこんなあられもない姿を宇都見にさらしてしまうわけにもいかなかった。
何せトラメが着ているのは俺の服なのである。身長差が三十センチ近い俺とトラメであるのだから、タンクトップなんてゆるゆるのダボダボだ。素肌にそんなものをひっかけただけの姿では、はっきり言って、下着姿と同じかそれ以上に扇情的なありさまに成り果ててしまっていた。
俺は、まだいい。いざとなったら、二日前の怖ろしい小山みたいなバケモノの影を思い出すことで、頭や気持ちを冷やすことができる。素っ裸でうろつき回られる恐怖を思えば、全然マシだ。
しかし、こんな姿を人目にさらしてしまうのは、何だか自分のことのように気恥ずかしい。
というか、こんな姿のトラメと生活をともにしているのかと思われるのが、羞恥のきわみだ。
このまま放置しておくわけには、いくまい。
「おい、聞いてるのかよ、トラメ?」
トラメは、大事そうに一匹ずつ煮干しをかじりながら、それこそ猫のように首を傾げる。
「だから、最初に『断わる』と答えたろう。すでに断られているのに願いの言葉を吐くのは貴様の勝手だが、我のほうにはそれ以上言葉を重ねる理由はないぞ、ミナト」
「わかったよ。誠意をかたちにしてみせろ、って言うんなら……なあ、お前、何でも美味そうに食べるけど、実はけっこう好き嫌いあるんだろ?」
けげんそうに片眉をつりあげるトラメに、俺はさらに言いつのった。
「これで丸二日間近くもお前の底なしの胃袋につきあわされてるんだからな。少しはお前の好みも把握できてきた。パスタや麺より、米が好き。添加物だらけのレトルト品はそんなに好きじゃない。そんでもって、やっぱり魚と肉が好き。さすがに元が猫なだけに、猫の好きそうなもんはお前も好きそうなんだよなぁ」
「……」
「だからさっき、猫好きの知り合いに、猫の好物ってのをメールで聞いてみた。お前が言うことを聞いてくれるなら、今晩はその食材をメインに献立を考えてやる」
俺が言い終えると、トラメはしばらく沈黙を保ってから、「……それだけか?」と言った。
俺は、がっくりと肩を落とす。
「それだけか、とはまたご挨拶だな! 喰うことにしか執着しないお前を相手に、俺がどれだけ頭をひねってると思ってやがる!」
「そうではない。貴様が提示する条件はそれで終了なのかと問うているのだ」
ん? そいつは「それだけか?」を小難しく言いなおしただけじゃないのか?
そう思ったのだが。その後に発せられたトラメの言葉は、実に意想外のものだった。
「我が言うことを聞けば、我の喜びそうな食糧を用意する。それでは、我が言うことを聞かなければ? 我の好まなそうな喰い物しか用意しない、あるいは喰い物自体を用意しない……という脅し文句を言い忘れているのではないか?」
「あん? 何だよ、それは。何もそこまで人の悪いことは言わねェよ」
そう答えても、トラメは警戒した目つきのままだった。
俺は、思わず苦笑してしまう。
「本当だって。お前が窮屈な格好をするのが本当に嫌なんだなってのもわかってきたから、それでもそうやってとりあえずは言うことを聞いてくれてることに感謝してるんだ。……で、そこでもう一歩だけ歩み寄っていただきたいから、お礼の品を準備させていただきます、と提案してるんだよ、俺は」
とまあ、いくら言葉を重ねても理解はできないんだろうな。そもそも服を着る意味や理由がわかっていないのだから、それはしかたがない。
こいつが素っ裸のまま客人を迎えようとしていたならば、それこそ金輪際キャットフードしか買ってやらんぞ!という気分にもなったろうが。この状況でそこまで脅しをかけるのは、あまりに横暴すぎるだろう。
昨日は浦島宅への遠征にもつきあってもらったし、帽子をかぶったり靴を履いたりという行為がこいつにとってはずいぶんなストレスなんだなということも、容易に察することができる。
毎日の食費は馬鹿にならないし、こいつの口の悪さも相変わらずだが、それでも、平和的に解決できる部分は平和的に解決しよう。どうせすぐにまたいがみあうネタも出てくるんだろうから、それまでは可能な範囲で仲良くしようぜ、てなもんだ。
そういうわけで、俺の誠意ある対応が実を結び、トラメは初日の黒いパーカー&スウェットという部屋着モードにフォームチェンジすることを了承してくれた。
まったくもって、やれやれだ。
俺もずいぶんと、目隠し着替えプレイになれてきてしまった気がする。そのプレイ内容こそ、とうてい人に見せられるようなものでは、ないのだが。
と……ちょうどそのプレイが終了したところで、電話が鳴った。
宇都見かな、と思ったが、ディスプレイに表示されていたのは「八雲美羽」の四文字だった。
首をひねりながら、俺は通話ボタンを押す。
『も、もしもし? 磯月湊くんのお電話で間違いないでしょうか?』
まぎれもなく、八雲だった。再びベッドに腰を降ろしながら、俺は「俺だよ。どうした?」と気軽に答えてやった。
『あ、と、突然電話しちゃってどうもごめんなさい! あの、迷惑じゃなかったですか……?』
「迷惑じゃねェよ。そんな恐縮すんなって。いったい、どうしたんだよ?」
『は、はい。実は……一晩、考えぬいたんですけれど……わ、私も磯月くんに協力させていただけませんか?』
「協力?」
『はい。磯月くんは、その、浦島さんを助けるために、ギルタブルルを探しているんですよね……? 良かったら、私にも、それを手伝わせてほしいんです!』
なんだか、必死な声だった。
だけどこいつは、いつも必死かおどおどしているかのどちらかなので、逆に真意がつかみづらい。
『わ、私、考えたんです、いくら見知らぬ他人でも、浦島さんをこのまま放っておいてもいいのかなって……は、犯人が幻獣なんだったら、それを解決できるのって、私や磯月くんぐらいしかいないんだろうし……それに、そんな恐ろしいことをする人が、わ、私の名前や住所を知っているっていうのも、なんだかすごく、気持ちが悪いし……』
「ああ、そりゃあそうだよな。お前が協力してくれるって言うなら、俺もすっげェ心強いよ」
あながち冗談でもなく、俺はそう言った。
八雲本人は無力で無害な女子高生にすぎないが、こいつは今のところ、ギルタブルルの主人をのぞけばこの世でただひとり、俺の素っ頓狂な運命を共有できる相手なのだ。
「実はこれから、仲間と作戦会議を開くところだったんだ。よかったらお前も参加してくれよ、八雲」
『……仲間、ですか?』
「石版を落札した宇都見ってやつだ。俺はそいつの身代わりで契約することになっちまったんだよ。昨日、お前らとの別れ際に電話をくれたやつだ」
そうして俺は、昨晩からのあらましをざっくりと八雲に伝えてやることにした。
最後まで静かに聞いていた八雲は、「わかりました」と緊迫しきった声をあげる。
『きょ、協力させてください。これから、磯月くんの家にむかいます』
「ああ。ありがとうな、八雲」
電話を切り、俺はトラメを振り返る。
「そういうことだ。八雲たちも協力してくれるってさ」
「まったく、物好きな連中だな……たいして深い仲でもない人間のために、どうしてわざわざ苦労を背負いこもうとするのか、我にはさっぱり理解できん」
これっぽっちも感銘を受けた様子もなく、トラメは煮干しをかじり続ける。
「ギルタブルルに関わるのは、危険だ。あいつは凶悪きわまりないからな。貴様らなんぞにどうこうできる相手ではないぞ?」
「それは昨日から、何度も聞いてるよ。だから、何とかそのバケモノを回避して、そいつを操ってる契約者をとっちめる方法はないか、それをみんなで考えよう、って言ってるんじゃねぇか」
「無益だ。まったく、ロクでもない」
トラメはきわめて不機嫌そうだったが、俺は少しだけ気が楽になっていた。
常識知らずのオカルト馬鹿と、常識外の存在である幻獣。こんな二人のみを頼りにするしかなかった俺の心細さは相当なものだったのだ、実は。
もちろんこれは馬鹿な人間をこらしめるための行動なのだから、トラメの力をそこまでアテにしていたわけではないが、なんというか、気分の問題だ。困っている人間を放っておけない、とか、ギルタブルルはおっかない、とか、そういう普通の感性をもった人間が仲間になってくれるというだけで、俺にはたいそう心強かったのだ。
(まあ……友達はいないわ、召喚儀式を実践しちまうわ、女版の宇都見みたいなやつだけどな)
それでも三人が五人が増えれば、戦力もほぼ倍増だ。
この五人の大馬鹿たちが力を合わせれば、とてつもない力をもっているというギルタブルルを出しぬくこともできるのではないだろうか?
俺としては、そんな風に一縷の望みを託すしかなかった。