美羽とラケルタ⑤
『それでさ、あまりに奇っ怪な状況だから、警察を呼ぶことになっちゃって。ボクも同行する羽目になっちゃったんだよ』
携帯電話から響く宇都見の言葉に、俺は驚き、そして慌てた。
「警察? そいつはまずいだろ」
何せグーロ……いや、トラメは、いっさい身の証を立てられない存在なのである。
さらには今の一戦で、やはりこいつらの存在は決して公にできない、という再認識をヨギナクサレてしまった。
『うん。だからさぁ、磯月たちはそのまま帰っちゃってよ。グーロさんのシューズとおやつは、ボクのカバンに隠しておいたから。この屋敷を訪れたのはボクひとり、っていう設定にしておこう。……幸か不幸か、浦島さんはまったく意識を取り戻す気配もないし』
「そうか。そうしてくれりゃあ助かるけど……でも、お前は大丈夫なのか?」
『大丈夫だよぉ。オトナを言いくるめるのは、わりと得意だから! ……心配してくれてありがとね』
「心配なんざしてねェよ。それじゃあ何かあったら、また連絡をくれ」
俺は早々に電話を打ち切り、いかにも不安げに立ちすくんでいる八雲を振り返る。
「警察沙汰になっちまった。面倒なことにならないうちに、消えたほうが良さそうだ。……お前ら、本当に浦島さんの一件とは無関係なんだな?」
「……はい。魂に誓って」
「大仰だな。だったら、お前らも退散しな。そのド派手なゴスロリ娘が警察に目をつけられたら厄介だろ」
「……いいんですか?」
驚いたように立ちすくむ八雲の姿を、俺は憮然と見つめ返す。
「いいも悪いもないだろうがよ。お前らもせいぜい襲われないように気をつけるんだな。……あ、念のために連絡先だけは交換しておくか?」
「……そうですね」
八雲は茂みの中から通学カバンをひっぱりだすと、そこから携帯電話を取りだして……そこで、なぜか顔を赤くした。
「あ、あの、私、人と連絡先の交換とか、したことなくて……これって、どうすればいいんでしたっけ?」
「あん? それじゃあ何のために携帯を持ってんだよ?」
「家族との連絡用です。……そっちでも全然使ってませんけど」
「ああそうかい。まあ俺もそんなに活用してるほうじゃないけどな。わからないなら、俺が入力してやるよ」
そう言って俺が近づこうとすると、八雲は、びくりと後ずさった。
「ちょ、ちょっと待ってください。呼吸を、整えます」
「……」
「大丈夫です。……お願いします」
と、腕をいっぱいいっぱいにのばして黒い携帯電話をさしだしてくる。
俺はせいぜいその指先に触れてしまわないよう気をつけながら、それを受け取った。
確かに今時の女子高生には似つかわしくない旧型の機種だったが、それでも赤外線の機能ぐらいはついているだろう。
「……って、勝手にいじくっちまっていいのか?」
「は、はい? ええ、大丈夫です!」
そうか。ふだんまったく活用してないなら、見られて困るデータもないか。
俺は至極あっさりとおたがいの連絡先を送受信させ、携帯を持ち主に返してやる。
八雲はそれを受け取ると、うっすらと頬を赤くしたまま、胸におし抱いた。
「な、なんか、家族以外の連絡先が登録されるって、へんな気持ちですね。私、友達とかいないから……」
そんなカミング・アウトをされてしまい、俺は何と答えればいいのだろうか。
さっきから無言でこのやりとりを見守っていたラケルタが、面白くなさそうに口をはさんでくる。
「ミワ。なんでそんなにドギマギしてんのサ? 人間なんかに興味はない、って言ってたのに、まさか、コイツに欲情しちゃった?」
「ラケルタ! 何を言ってるの!」
びっくりするぐらいの大声をあげて、八雲がさらに顔を赤くする。
「ウン。人間のそういう感覚ってよくわかんないケド。オスとメスで欲情しあって、それで最終的には交尾とかするんでショ? まあ別にミワが誰に欲情したってかまわないけど、ミワの魂は、ウチのモンなんだからね!」
「だ、だから、馬鹿なこと言わないで!」
気の毒なぐらいあわてふためいている八雲の姿をしばらく眺めやってから、ラケルタはにわかに、白い歯を見せて笑った。
それは今までの小悪魔じみた笑いとは異なる、小生意気な子どもっぽい笑顔だった。
「イソツキミナト。アンタはそんなに悪い人間じゃなさそうだネ。だからこのまま、さっきの誓約は取り消さないでおいてあげるケド……ウチらは、楽しく平和に生きていきたいだけなんダ。アンタたちのドタバタに、ウチらを巻き込まないでよネ?」
「……問答無用で襲いかかってきたやつに言われたくねェなぁ」
「ふふン。……さ、ミワ、そろそろ帰ろうヨ!」
八雲の腕に取りすがり、また子どものように笑う。
八雲はなんとか俺の目を見ようと苦心しながら、真っ赤な顔で、「色々と申し訳ありませんでした」と最後まで頭を下げていた。
そうして、何とも人騒がせなコンビが茂みのむこうに歩み去っていくと。それを待ちかまえていたかのように、トラメが、荒っぽく腰を降ろした。
「ようやく行ったか、うつけ者どもめ。……まったく、ロクでもない一幕だった」
「ど、どうした? 傷でも痛むのかよ?」
「そんなことはどうでもいい。我は、腹が減ったのだ」
地べたにあぐらをかいたまま、険悪な目つきで俺を見上げてくる。
「だったらそんなところに座ってないで、俺たちもとっとと帰ろうぜ。これからあの屋敷には警察っていう厄介な連中がやってくるんだからよ」
「知らん。腹が減った。何か喰わせろ」
「だから、何にもねェんだよ。煮干しも置いてきちまったしな。きちんと食事は作ってやるから、駄々をこねてないで帰ろうぜ?」
そう言って俺は手をさしのべてやったが、トラメは動かなかった。
黄色い瞳が、もどかしそうに俺をにらむ。
「我は動けぬ。貴様が何とかしろ」
「動けぬって、お前なぁ……」
「血を、流しすぎたのだ。おまけにあんな子トカゲの相手をすることになって、完全に腹が空っぽになってしまった。事前にまともなものを喰わせなかった貴様の責任だ」
俺は思わず言葉を失い、トラメの正面にかがみこんだ。
黄色い目だけが、俺の顔を追いかけてくる。
「トラメ、お前、駄々をこねてるんじゃなくて、本当に動けなくなっちまったのか? あいつらに弱みを見せないように、必死に踏ん張ってたのかよ?」
「……隙を見せれば、誓約を取り消してまたよからぬ振る舞いにおよぶやもしれなかったからな」
そっけなく言い捨てて、ぷいっと顔をそむけてしまう。
その強情そうな横顔を見つめながら、俺は小さく溜息をついた。
「それなら最初からそう言えよ。俺相手に強がったって意味ねェだろ?」
「横言をぬかすな。とっとと我の腹を満たせ」
横暴だ。が、立ち上がることもできないような有様でそんな風にすごまれたって、おっかなくも何ともない。
俺は苦笑をかみ殺しつつ、かがんだ体勢のまま、トラメに背をむけた。
「それじゃあ、帰ろうぜ。こんな格好で電車には乗れないから、タクシーだな、こりゃ」
「……」
「どうした? 早く行こうぜ」
しばし迷うような沈黙を漂わせた後、ようやくトラメが体重をあずけてきた。
軽い。
背はちっこいし、ほっそりとしているし、これならどうということはない。生命を救われた代償としては安すぎるぐらいだ。
俺はトラメを背に負って、浦島邸とは反対の方角にむかって、雑木林の中を歩き始めた。
「……あいつら、おかしな連中だったな?」
「ふん。我にしてみれば、貴様も同様だ」
「そうか? あいつらほどじゃないと思うけどな。何だか妙に仲も良さげだったしよ」
「……魔術師でもないただの人間が召喚儀式などに手を染めるから、このように馬鹿げた顛末となるのだ。いずれギルタブルルの契約者も、ロクな人間ではあるまい」
「ああ、それは同感だな。……とにかく浦島さんだけは何とかしてやらなくちゃなぁ」
「ミナト、貴様、まだあのギルタブルルらと関わるつもりでいるのか?」
俺の後頭部あたりに響くトラメの声が、とげとげしさを増す。
「ギルタブルルの凶悪さは、さきほどのコカトリスなぞの比ではないぞ? あんな子トカゲは、我の腹さえ満ちていれば、おそるるに足らん存在だ。……しかし、ギルタブルルは、格が違う」
「そうか。幻獣相手に人間の力が無力ってことは、俺も痛感させられたよ。なんとかそのギルタブルルの契約者とやらの居場所を探す作戦でも考えないといけねェな」
「……呆れたうつけ者だな。我には面倒を見きれぬわ」
不機嫌そうに黙りこんでしまう。俺としては正直な気持ちを話していただけだが、さすがにこんな話を進める場面ではなかったなと、反省する。
「ああ、まあ、さっきは面倒をかけちまってすまなかったな。俺をかばってそんな傷までこさえることになっちまって、感謝してるよ、本当に」
「ふん。契約者を害されるのは我らの恥であり不名誉である、と言うたであろう。貴様に感謝されたところで、腹はふくれぬ」
「可愛くねェなぁ。せっかく素直に感謝してるんだから、素直に応じろよ」
「……感謝しているというのならば、行動でしめせ」
と……ふいにやわらかい金褐色の髪が右の頬に触れてきて、俺をたいそう驚かせた。
今まで肩に置かれていたトラメの腕が、だらりと胸の前まで垂れてきて、熱をおびた身体が、すべての支えを失い、俺の背中にのしかかってくる。
またあの野生の花みたいに鮮烈で甘い香りが、ぐっと近づいてきた。
「本当に、腹が減った。腹が減って死にそうだ。とっとと美味いものを喰わせろ、ミナト」
何だ、本当に限界値をこえてしまっているのか。
俺は心配になったり微笑ましくなったりざまを見ろとか思ってしまったり、とにかくぞんぶんに気持ちをかき乱されてしまった。
「も、もうちょっとだから辛抱しろ! あんなバケモノみたいに強いくせに、腹が減ったぐらいでくたばるなよ、お前」
「……そんな戯言は、一度でも我の腹を十分に満たしてからほざけ」
ふてくされたような声も、やたらと近い。トラメはぐったりと俺の右肩に顔をもたせかけていた。右の耳にすべすべの頬がときたま触れて、ひどく落ち着かない。
何はともあれ、帰路を急ぐことにした。
トラメと出会って、いまだに二十四時間足らず。事態はなんだかどんどん面倒な方向へと転落していっているような気がしてならなかった。