美羽とラケルタ④
「グーロ。こいつらはいったい何なんだよ? 浦島さんをあんな目に合わせたのは、こいつらじゃないのか?」
「違うな。この口のききかたを知らないトカゲの娘は、コカトリスという隠り世の住人だ。ギルタブルルでは、ない」
「ギルタブルル? さっきの気配はアイツのモノだったのか!」
驚きの声をあげるラケルタを、グーロも憮然と見つめやる。
「コカトリス。貴様もギルタブルルの気配を追って、こんなところまで出張ってきたのか?」
「はんッ! 別に追ってきたわけじゃないサ! むこうの空き地でミワと語らってたら、いきなり同類の気配がしたから、どこのどいつだと思ってノゾキに来てみただけだヨ」
「ふん。おかげでギルタブルルの気配は見失ってしまったな。……まあ、貴様は生命拾いしたとも言えるが」
と、黄色い瞳が横目で俺をねめつけてくる。
「何だ、肝心の相手には逃げられちまったのかよ?」
「逃げるも何も、あちらは我らに用事などないのだろうさ。我だって、本来は、ギルタブルルなんぞに用はない」
「くそ……どうしたもんかなぁ」
俺が舌打ちしてみせると、ようやく顔色の戻ってきたメガネの少女・八雲がまたおずおずと言葉をはさんできた。
「あの……浦島さんって、オークションで石版を出品されていた方ですよね? あの方が、どうかされたんですか……?」
「ああ。お前さんもあの人から石版を買った一人なんだよな? 俺にも何がなんだかよくわからないんだけど、浦島さんはギルタブルルとかいうバケモノに毒針をうたれて、今にも死んじまいそうな状態なんだよ」
「毒……?」
いかにも怖ろしげにつぶやいて、口もとを両手で覆い隠す。
「どうして? ……どうして、そんなことに……?」
「わからないよ。せいぜい想像できるとしたら、石版を買った七人がどこの誰なのか、それを知っているのは浦島さん一人だったから、自分の素性を隠したかったのかもしれない、ってぐらいで……実際、俺たちは、それを聞くために浦島さんの家まで出向いてきたところだったし、な」
「素性を? ど、どうしてあなたたちは、そんなことを……?」
少なからず不安そうに言い、子どものように小さなラケルタにそっと寄り添おうとする。
ずいぶん仲がいいんだな、こっちの幻獣と契約者は。
「俺たちは、石版のルーツを調べてたんだよ。何とかこの契約を破棄する手段はないものか、それを知りたくてさ。で、浦島さんは何も知らなそうだったから、高い金を出して石版を落札したメンバーの中には、誰かそのテの話に詳しい人がいるんじゃないかと推理したんだ」
もっとも、推理したのは俺でもグーロでもなく、ここにはいないオカルト馬鹿なのだが。
「……どうして契約を破棄したいんですか?」
「え? そりゃあまあ……話せば長くなることだけど、本当に幻獣を召喚したかったのは、俺じゃなくて別のやつだったんだ。俺はちょっとわけあってそれを肩代わりする立場になっちまったから……かなえたい望みなんて何にもないし、寿命が縮むのもまっぴらだから、話を白紙に戻したいのさ」
「何だそりゃ? 大喰らい、アンタ、ずいぶん面白い目に合ってるじゃん! アンタなんかに用はないんだってヨ? とっとと隠り世に帰ってあげればァ?」
そんな風に邪気のある笑い声をあげたのは、もちろんゴスロリ少女のほうだ。グーロはますます面白くなさそうな顔つきになって、じろりと俺をにらみつけてくる。
「だから、いまだに現し名ももらってないんだ? おかしいと思ったッ! そんな薄情な契約者を守るためにカラダを張るなんて、アンタもまったく律儀だネ! 色々ムカつくこともあったケド、アンタのほうがよっぽど気の毒な身の上みたいだから、今日のところは勘弁してあげるヨ!」
「……現し名?」
俺はそう問い返したが、グーロはむっつり黙りこんだまま答えない。
答えてくれたのは、やはり悪意ある微笑を浮かべたゴスロリ少女だ。
「現し名ってのは、現し世での名前だヨ! 契約者と隠り世の住人を結ぶ絆の証。それ以外には何の意味も、理由も、価値もない……それゆえに、ウチらにとっては何よりも神聖な、唯一絶対の契約の証なのサ」
そう言って、ラケルタは八雲の胸もとに小さな頭をこすりつけた。
不安で不安でしかたがなさそうな八雲の顔に、一瞬、実に愛おしげな表情が浮かぶのを、俺は見逃さなかった。
「もしかして……グーロってのは、お前個人の名前じゃなくて、お前の種族の総称なのか?」
「……当たり前だ」
ふてくされたような、グーロの声。
そうか……だからこいつは、俺のことも人間呼ばわりしていたのか。木っ端だの餓鬼だの青二才だの呼ばれるよりは百倍マシだと思っていたが。確かに、あんまり気持ちのいいものではない。
「お前にとっては当たり前かもしれないけど、そんなの、言われなきゃわかんねェよ。……だったら、元々の名前でも名乗ればいいじゃねェか」
「ばぁか。ウチらの隠り名は現し世じゃ使えないんだヨ! ウチらは本来、こんな風に空気を振動させて会話するわけじゃないんだから。人間の咽喉や口で隠り世の『言葉』を発音なんかできるもんかッ」
ついに俺まで馬鹿呼ばわりされてしまった。グーロの口の悪さも相当なものだが、このラケルタとかいうバケモノ女にはかなわないかもしれない。
「契約を破棄したいのなら、現し名なぞ不要だろう。いずれ永久に決別するような間柄なのだから。……それに、現し名なぞなくても、望みをかなえることはできるし、誓約の儀を取り交わすこともできる。何ら不都合なことはない」
「それはまあそうなのかもしれねェけどさ……」
しかし、契約を破棄する手段が見つからず、何らかの望みをかなえてもらう結果になるとしても、いずれ別れが来ることに変わりはない。なおかつ、浦島氏がああなってしまった以上、それを解決する前にグーロに消えてもらうのはきわめて不安な気もするし……少なくとも、もう何日かはともに過ごすことになるのだろうから、名前ぐらいはあったっていい気がする。
それに、俺は……これは誰にも言わずに済ませたいのだが、さっきこいつが俺の名前をスラスラ答えてくれたときに、少し、ほんの少しだけだけれども、その、ちょっと、嬉しく感じてしまったりもしていたのだ。食べること以外には無関心そうなこいつが、俺の名前なんかをきちんと覚えているなどとは想像もしていなかったので。
まあ、いいではないか。たとえいがみあいばかりだったとしても、こいつとはもう半日以上も顔を突き合わせているのだし。ちょっとぐらい情がわくことだってあるだろう。
さっきは身をていして俺を助けてくれたりもしたわけだし。元々は俺が可愛く思っていた子猫が化けた姿なわけだし。……と、誰に責められたわけでもないのに、何を自己弁護しているのだろう、俺は。
「……ラケルタって、変わった名前だな。当然お前がつけた名前なんだろ?」
八雲にそう呼びかけてみると、メガネ少女は困惑したようにもじもじと身体をゆすりだす。
「ああ、はい。ラケルタっていうのは、昔飼ってたトカゲの名前なんです。そのコはもう死んじゃったから、儀式のために新しいコを買ってきたんですけど……でも儀式が成功するなんて思ってもいなかったから、そのコはそのまま飼ってあげようと思ってて……そうしたら、またそのコにもラケルタって名前をつけようと……あれ? あ、だからその、ラケルタって名前が一番いいかなって……大好きな名前だし……」
しどろもどろだ。何となく聞いてみただけなのに。
それにしても、そちらの儀式では猫ではなくトカゲを使ったのか。呼びだす幻獣の種類によって、依り代となる動物は異なる、という寸法なのだな、きっと。
ひとりで勝手に納得をして、俺はグーロにむきなおる。
グーロは不機嫌そうな顔つきのまま、横目で俺をにらんでいた。
黄色い、猫みたいな目で。
そういえば、こいつは元々、茶トラの子猫だったな。その黄色い瞳や、濃淡まだらの茶色い髪は、やっぱりその子猫の名残りなのだろうか。
「トラミ……いや、トラメかな、やっぱり。お前、怒ると、人喰いトラみたいな目つきになるもんな。虎目石、とかいう名前の宝石もあった気がするし」
「……何?」
「決めた。お前のことは、トラメって呼ぶことにするよ、トラメ」
グーロ、あらためトラメは、びっくりしたように目を見開き、それから、おもいきり嫌そうに顔をしかめた。
「トラメ? 何だその名前は。その珍妙な名前が、我の現し名だというのか?」
「そうだよ。なかなか似合ってるぜ?」
トラメは、実に悲壮な表情で天空を仰いだ。
くすり、と笑う声が聞こえたので振り返ると、八雲が顔を真っ赤にして口もとをおさえている。
「ごめんなさい! ……でも、可愛い名前ですね?」
俺は肩をすくめることによって感謝の意を示した。
トラメは大きく首をのけぞらせたまま、目だけを動かして俺を見る。
「ひどい名前だ。威厳も貫禄も趣もない。かつてこれほどまでに釈然としない現し名をつけられたことはないぞ。……ミナト」
眉間にしわを寄せたその横顔に、俺は苦笑を投げ返す。
そのとき、制服のポケットに放りこんでおいた携帯電話が、ブブブとうなり声をあげた。
電話は、宇都見からのもので、浦島氏は無事に救急車で搬送されることになった、という内容だった。