④古の血族
弐藤流陰陽道・退魔の社――というのが、若菜さんたちのご実家の正体である。
現代の常識に照らしわせて表現すれば、弐ノ藤神社という小さなお社の神主の血筋、ということになる。
父親は早くに逝去してしまったため、現在はご長男が当主としてお社を仕切っている、らしい。
「末坊は、一言で言うてまうと、一族の落ちこぼれでなあ。ほとんど勘当の身分で家を追んだされて、あんな小汚いアパートで一人で暮らす羽目になってもうたんよ」
しかしそれでもしっかり大学にまで通わせてもらっているのだから、そんなに不幸な人生でもないんじゃないか、と、同じように一人暮らしを満喫している俺などはそう思う。
しかし、ごくありふれた会社員の息子として生まれついた俺と、平安の世から続く古の血筋に生まれついた弐藤末継氏とでは、ずいぶん立場が異なるものであるらしい。
「弐藤流は、西の方面の陰陽師のまとめ役なんや。ま、陰陽道自体が廃れまくっとるんやから、そないに大仰な話でもないんやけどな。そんでも、この社会を裏っ側から守っとるいう自負はある。時には、やんごとなき身分の御方から歴占を任されることもあるぐらいなんや」
よくはわからない。俺なんかはもう西洋魔術でおなかいっぱいなのだから、これ以上わけのわからないお方達とお近づきになりたくはない、というのが偽らざる本心だった。
「えーっと、若菜さんもその、陰陽道とかいうものの心得が、あるんですよね?」
「そらそやろ。うちかて弐藤家の娘やからな」
浦島さんは、七星と『暁』の双方から、使い魔とやらで監視されていた。
受動的な立場の落札者たちよりも、一段上のレベルで今もなお監視され続けていたのだという。
ゆえに、この弐藤若菜さんの登場は、すぐに七星らの知るところとなった。
しかし、若菜さんは金属バットを振り回している間に、それらの使い魔の存在を察知し、すぐさま「駆除」してしまったらしい。
この弐藤若菜さんは――いや、若菜さんに限らず弐藤家の人間は、西洋魔術とは異なるルーツを有する、本邦独自の「そちら側の人間」であったのだ。
『いよいよ《名無き黄昏》との全面戦争だっていうこの時期に、そんな面倒くさそうなお方たちを敵に回すわけにはいかないんだよ』
いつになく元気のない声で、七星はそう言っていた。
「で……そんな厄介そうな血筋の人間は放置しておくべきや、いやいやとにかく力づくでも排除するべきや、ちゅう感じに意見が割れたっちゅうことか」
若菜さんの目が、不穏な感じに光っていた。
陰陽道とかを抜きにしても、この人は素のままで十分おっかない。
「いや、だから、荒っぽいことをする前に、なんとか穏便に話をつけられないかってことで、俺が派遣されてきたわけで……」
「派遣ちゅうか、志願したんやろ? 魔術師やらいう連中にはまかせておけんちゅう、あんた自身の判断で」
「ええ。まあ、俺は若菜さんの弟さんと同じ立場の人間ですからね。そんな魔術師どもの都合でひどい目に合わされるのは気の毒ですし……って、うわあっ!」
いきなり、つかみかかられた。
人喰い虎のような俊敏さだ。
細身だがしっかりと筋肉のついた若菜さんの両腕が、腕ごと俺の身体を絞めつけてくる。人喰い虎というよりはアナコンダか何かに巻きつかれた野ウサギの気分である。
何が起きたのかもわからぬまま、俺はあちこちの骨が圧迫されてギシギシときしむ音色を聞くことになった。
「ありがとな、湊くん……」
「……えあ?」
おかしな声が出てしまった。
肋骨が、肋骨がおかしな音をたてている!
呼吸も苦しい。肺が、潰れてしまいそうである。
何だこの人は。七星以上に怪力の女が存在するなんて、俺は想像だにしていなかった。
確かにまあ、それが不思議でないぐらいの筋肉美ではあったが――しかし、何故に俺がこのタイミングで絞め殺されそうにならなくてはならないのだろう。
「その魔術師やらいう連中は信用でけへん! 湊くん、うちと一緒に、坊を助けてくれるか……?」
「そ、そのために俺は出向いてきたんですよ!」
最後の力を振り絞って俺がそうわめくと、いきなり圧迫から解放された。
が、肩のあたりをがっしりとつかまれたまま、人喰い虎のような目つきをした若菜さんに、至近距離から顔をのぞきこまれる。
「感謝しとるで、ほんまに。……そんなら、善は急げや! 坊のアパートに向かおやないか!」
「そ、そうですね。……若菜さんは、ここまでどうやって来たんですか? 京都からだと、新幹線か何かで……?」
「いんや。車や。新幹線とか、何もせんでぼへーっと何時間も座っとるのは性に合わんからな」
車かあ。どうせこの人も七星ばりの荒っぽい運転なんだろうなと、少し気が重くなってしまう。
「そういうわけなんで、俺はちょっと行ってきますよ。……浦島さん、身体のほうは大丈夫ですか?」
「ああ、うん……何だかいつも迷惑ばかりかけて済まないねえ。もとを質せば、すべて僕の軽はずみな行動から始まったことなのに……」
ずいぶん長いこと椅子の上で小さくなっていた浦島さんが、弱々しく笑いながら、そう答えた。
ギルタブルルの毒で犯され、その後は魔術師どもに拷問を受け、何度となく入退院を繰り返していた浦島さんは、何だか見るたびに痩せ細っていくように感じられてしまった。
もともと長身だが細身の人物であったので、このままいくと消えてなくなってしまうのではないだろうか。
ちなみに現在ではこの浦島さんも、若菜さんと同じぐらいの範疇で、大方の事情を打ち明けられている。その上で、七星からの見舞金を受け取って、サイのおっさんたちに襲撃された際の被害届を、警察から取り下げたのだ。
ただ、そこまではっきりとした超常現象には出くわしていない立場なので、魔術結社だとか邪神教団だとかの話に関しては、いまだに半信半疑のようである――と、七星などは言っていた。
「あのお、弐藤さん。もしもお邪魔でなかったら、ボクも同行させていただけませんか?」
そんな風に言い出したのは、浦島さんの隣りで小さくなっていた宇都見だった。
「何でだよ。お前が来たって何の役にも立たないだろうが? おとなしく留守番してろよ、お前は」
俺がそう返すと、宇都見はいつもの感じで、ふにゃりと笑った。
「うん。だけど、一番最初に磯月を巻き込んじゃったのはボクなんだからさ。すべてをまかせきりにしちゃうのは、やっぱり心苦しいもんだよ」
「ふん。その心意気は評価してやってもええけどな、うちの車は三人乗りなんや。そこのバケモンのねーちゃんも同行させるつもりなら、それでもう定員いっぱいやで?」
三人乗りの車とは、ずいぶん可愛らしいサイズなのだな、と、俺は内心で意外に思う。この豪快なおねーさんだったら、巨大なジープか何かが似合いそうなのに、と。
ともあれ、トラメを置いていくわけにはいかないし、宇都見を同行させる理由もない。
しょげた顔をする宇都見に向かって、俺は「部屋の片付けでも手伝ってやれよ」と声をかけておいた。
「だけどその、若菜さんの家の人たちに関しては、大丈夫なんですかね? もちろん、弟さんには害が及ばないように最善を尽くすつもりではありますけど……」
「今んとこは、問題ないわ。ちゅうか、家の連中はいまだになんも知らへんし。……勘当同然で追んだされた末坊と交流があるんは、家族ん中でもうちだけなんよ」
と、若菜さんは鼻のあたりにしわを寄せて、不愉快そうに言い捨てる。
「せやけど、これで末坊の身に何かあったら、弐藤家の名折れや何や言うて怒り狂うんやろな」
「なるほど。そうなってしまう前に協力をあおぐってのは……無理なんですかね?」
「無理やな。末坊自身が頭でも下げへん限り、お兄は指一本動かさへんよ。……あんた、弐藤家の人間をあてにしてたんか?」
「いえ。いちおうすべての可能性を検討しておこうかと。……にしても、こう言っちゃ何ですけど、ずいぶん薄情なご家族なんですね? 魔術師どもと、いい勝負だ」
ついついそんなことを口走ってしまうと、若菜さんは怒っているような顔で、笑った。
「まったくもって、その通りや! 信用できんのはあんただけなんやから、頼りにしとるで、湊くん!」
そうして俺は、ものすごい力で背中を叩かれた。
本当に五体満足で帰ってこられるのか、別の意味で心配になってしまう。
そんなこんなで俺たちは、雁首をそろえて屋敷を出ることにした。
車はガレージに停めさせていただいた、とのことであったので、ぞろぞろとそちらに向かったのだが――大型のワゴン車が四台ぐらい停められそうなその広々とした空間には、やたらと巨大で古めかしいアメリカンタイプの大型二輪車しか、姿が見えなかった。
「ま、コケたりはせえへんけど、いちおう決まりごとやから、メットだけはかぶってな」
「え? 車って、まさかこのバイクのことなんですか?」
「そらそやろ。こっちでは革のツナギ着て四輪ころがす風習でもあるんか?」
鼻歌混じりに答えながら、若葉さんは腰のあたりで結んでいたツナギの袖をほどいて、そこに両腕をねじこんだ。
それで素肌の露出度は激減したのに、ジッパーは全開のままなので、何だかむやみに色っぽい――って、そんな横言はどうでもよいのだ。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! ずいぶん立派な単車ですけど、三人乗りは無理でしょう?」
「何でやねん。サイドカーがついてるやろが」
本当だ。こちらからは死角になっていたが、車体の左側に黒くてごついサイドカーが、しっかりと設置されていた。
バイクなんて大して興味はなかったが、これはなかなか男心をくすぐられる武骨なデザインだ。特にこのサイドカーなんてものは、写真や映像ぐらいでしか見たことはなかったが、ずいぶん格好のいいものなんだな。
とまあ、そんな寸評も、この際はどうでもいい。
「でも、これで京都までとか、きつくないですか? 車はこっちで何とかなりますから、俺とトラメはそっちのほうに……」
「ああん? うちの運転じゃ危なっかしくて乗ってられへんとでも抜かすつもりかいな? 侮辱やな! うちはもうこれで十年から単車を転がしとるんやぞ? いらん心配しとらんで、とっととメットをかぶりいや!」
「じゅ、十年? 若菜さんって、おいつくなんですか?」
「もうすぐ二十と一歳や!」
おかしい。まったく計算が合わないぞ。
言葉を失う俺と最初から口を開く気もないトラメの胸もとに、それぞれヘルメットが突きつけられる。まことに残念なことながら、サイドカーの座席にはしっかりと人数分のヘルメットが常備されていたのだ。
「悪いんやけど、人外のバケモンに背中取られるんは落ち着かなあて仕方あらへんから、タンデムは湊くんで頼むで?」
「ほ、本気でこれで行くんですか?」
二人ぶんのヘルメットを受け取った俺を尻目に、若葉さん自身もゴーグルとヘルメットを装着する。そうして愛馬にまたがって、エンジンをふかす若葉さんの姿は、めちゃくちゃに格好がよくて、サマになっていた。
「すごいなあ。これって、ハーレー・ダビッドソンとかいうバイクですかあ?」
阿呆な宇都見がそう問いかけると、若葉さんは野太い排気音に負けぬ大声で「アホか!」とわめいた。
「コレのどこがハーレーに見えんねん! どっからどう見てもエリミネーターやろ! ZL1000やろ! ……さ、とっとと乗りやあ?」
俺は途方に暮れながら、手もとのヘルメットとトラメの仏頂面を見比べた。
「えーと……トラメは、どう思う?」
「……ここまで好き勝手に引きずり回しておきながら、今さら我の顔色をうかがうな」
トラメ様は、どうもふだん以上にご機嫌ななめのご様子だった。
まあ、それもしかたのないことなのだろう。降りかかる火の粉は払うしかないが、今回は完全に俺の独断で、みずから火中に飛びこむ羽目になってしまったのだから。
だけど、俺にはどうしても、弐藤末継という人物を見捨てることができなかった。
魔術結社と邪神教団の抗争に背を向けて、七星と運命をともにする道を選べなかった俺としては――せめて、自分と同じ立場の人間ぐらい救ってやらないと、何だか帳尻が合わないではないか。
そんなのは、ただの自己満足に過ぎないのかもしれないが。それで救われる人間がいるならば、上等だと思う。
俺はトラメの麦わら帽子を外して、それを宇都見に手渡してから、代わりにヘルメットをかぶせてやった。
うん。びっくりするぐらい、似合わない。何せ甚平に雪駄の和装スタイルなのだからな。
そうして、サイドカーの座席に座らせてやると――ああもう、笑っちゃうぐらいシュールな構図だ。かつて隠り世から召喚された幻獣の中で、アメリカンバイクのサイドカーに座らされたやつなんて存在しただろうか? いないと思う、絶対に。
「すみません。俺はどこにつかまったらいいんですかね?」
「そらあ、うちの胴体やろ。乳さえさわらんかったら好きにしてええわ」
さわらないですよ、そんな、おっかない。
暴力的なまでの振動に辟易としつつ、俺はタンデムシートにまたがって、おっかなびっくり、若葉さんの身体に腕を回した。
そして、その腰の細さに、少しびっくりしてしまう。
いくら身長が百七十センチオーバーだからって、いくら腹筋が六つに割れているからって、やっぱり女性は女性なのだ。
しかし、レザーのツナギにぴっちりと包まれたその身体は、細いが確かな力強さも有しており、頼もしいような、守ってやりたいような、いささかならず錯綜した心地を俺に味わわせてくれた。
「出発や! 門をあけえ!」
大人の座敷童みたいに存在感の希薄な浦島さんが、タッチパネルを操作して、ガレージの扉を開く。
そうして俺たちは、西に向かった。
溜息をつくスキもないような、真夏の旅の始まりだった。




