③女傑
「――というわけで。弟さんの末継さんが落札したのは、あやしげな邪神とやらを崇拝するあやしげな教団がつくりあげた、黒魔術のアイテムだったわけです。まったく馬鹿馬鹿しい話ですけど、俺や弟さんなんかはその儀式に成功してしまったもんだから、こうして笑ってはいられない立場に追いやられてしまったわけですね」
たっぷり三十分ばかりもかけて、俺は弐藤若菜なる人物に、事情を説明してみせた。
場所は、浦島邸の応接間である。
俺とトラメと若菜さんがソファに陣取り、家の主とその友人であるオカルト馬鹿は、木の椅子の上で小さくなっている。
どちらも怪我はないようだったが。応接間の内部はめちゃくちゃだった。
窓は割られ、棚は倒れ、壁には穴が空いている。魔術師どもに襲撃されたときだって、ここまで荒らされはしなかっただろう。本当に破天荒なおねーさんだ。
だけど、俺の話を聞いている間、若菜さんは終始、落ち着いていた。
必要最低限の質問やあいづちを打つだけで、余計な口は叩かない。感情も乱さない。金属バットも、ソファにたてかけている。
ただ……革のグローブを外したその左手の指先は、ずっとポケットに差しこまれたままだった。
その切れ長の目も、常にトラメの動向をうかがっているのが、わかる。
「……なるほどな。一通りの事情はわかったわ」
右手で前髪をかきあげながら、ソファにふんぞりかえって、足を組む。
「せやけど、魔術結社だの、魔術師だの、邪神教団だの、色々ご大層なお話やったけど、具体的なお名前がひとつも出てけえへんのは、何でや?」
「いちおう、それが魔術師どもからの条件だったからです。事情を説明するのはいいけど、固有名詞だけは明かすなってね。……まあ、あなたたちをこの馬鹿騒ぎに巻き込みたくないっていう配慮でもあるんでしょう」
「何やそら? あんたの話を信じるなら、そないに危険な代物をこさえた邪神教団ちゅうのが、すべての元凶てことになるやんか? そんなら、うちはその邪神教団やらに話をつけに行かなあかんわ」
「そんなことはないでしょう。俺だって弟さんと同じ立場ですけど、こんなもんは、自己責任ですよ。拳銃やナイフを使った事件が起きたからって、それを作ったメーカーや工場に文句をつけるのは、筋違いでしょう?」
「……そないに危険なもんを世の中にばらまいて放置しとくんが悪いわ」
「いや、だから、そんな得体の知れないものをオークションで落札したのも、弟さん自身ですよね? そういう意味では、出品した浦島さんにだって罪はないと思います」
「…………」
「どうしたんですか? ――ていうか、そもそも若菜さんは、いったい何のために、こんなところにまでやってきたんです? 出品者の浦島さんを問いつめて、それでどうするつもりだったんですか?」
「それは……だって、腹が立つやんか? 末坊は、あないにひどい目におうてしもたんやから……」
どうも、いまいち要領を得ない。
けっこうこの人は頭の回転も早いし、洞察力も理解力もあるし、冷静になればきちんと意思疎通のできる相手なのだなと認識を改めたところであるのだが。それでも、こんな風に大暴れする理由だけが、今ひとつ理解しきれなかった。
「えーっとですね。まずはその魔術師どもからの要望をお伝えします。あの連中は、とにかく邪神教団の黒魔術で召喚された幻獣を放置することはできないので、こちらに引き渡してほしい、と言ってるんですね。そうすれば、うかうかと魔術に手を染めてしまった末継さんの罪は問わない、と――」
「……それは、無理や」
「え?」
「末坊は、あのバケモンに、骨の髄までイカレてもうた。末坊からあのバケモンを引き離すなんて――無理や」
「ど、どういう意味ですか? まさか、弟さんは、自分の魂を引き換えにして、何かとんでもない望みを叶えるつもりなんじゃあ……」
そうだとしたら、まずいことになる。
俺にもきちんとは理解できていないのだが、修行も積んでいない一般人が、幻獣を行使して大きな望みを叶える、という行為には、この世の黄金率だか何だかを狂わせる危険性がある――とのことなのだ。
だから、俺や八雲なんかも、執拗なまでにトラメやラケルタの身柄を引き渡せと要求されてきたわけだし。それを回避するためにこそ、生命を張って、交渉する羽目になったのだ。
「……別にそない大それた話ちゃうわ。末坊は、ただあのバケモンの色香で骨抜きにされただけなんやからな」
と――ふんぞりかえっていた若菜さんが、いきなりぐいっと身を乗り出してきて、俺の顔をまじまじと覗きこんできた。
男のように、凛々しい顔……だが、間近で拝見すると、けっこう頬のあたりの線がやわらかく、唇の形もセクシーで、やっぱりれっきとした女性なんだなということが知れる。
「あんたはほんまに、そこのバケモンにイカレとるわけやないんやな? 目ぇの光もしっかりしとるわ。……こいつらは、無差別に人間をたぶらかすバケモンではないちゅうことか」
「たぶらかすって……さっきから、いったい何なんですか? こいつらは、要するに、ドラゴンとかユニコーンとか、そういう類いの存在なんですよ? 魂と引き換えに望みを叶えるってのは、ちょっとばっかり悪魔っぽいけど、別に、悪いやつらではないんです」
そう、悪いとしたら、それは扱う人間のほうが悪いだけなのだ。
たとえばギルタブルルなんかは、そうとう凶悪な種族であるらしいのだが。そのうちの一人は俺たちを襲い、もう一人のほうは、俺たちを助けてくれた。
その命令を下したのは、どちらもまぎれもなく契約者の人間であるのだから、俺の言い分は間違っていない、と思う。
「……あんたの話はそれなりに筋道が通ってたけどな、その一点だけは、納得でけへん。うちの末坊に取り憑いたあのバケモンは――最低最悪の、性悪女や」
「性悪女?」
「そや。末坊は、完全に骨抜きにされてもた。うちはあのバケモンを退治したろ思うたのに、よけえなことすなって、末坊がうちにわめき散らしたんやで? あの、素直でかわゆらしかった、坊が!」
と、熱心に訴える若菜さんの目には、ほとんど憎悪と言ってもいいぐらいの激しい光がちらついていた。
家族愛……だかブラザーなんちゃらだかはわからないが、とにかくこの弐藤若菜という人は、幻獣の存在そのものに怒っているのだ。それゆえに、浦島邸の応接間はこんな有り様に成り果ててしまったのだろう。
いくら何でも怒りすぎじゃないかとは思ったが。もしも、ナギあたりが同じ状況に陥って――しかも出現した幻獣が「性悪」の名に相応しいシロモノだったら、自分はどのような気持ちを抱いたか。そんなことを想像してしまうと、あまり若菜さんを責める気持ちにはなれなかった。
俺だって、人様を短慮呼ばわりできるような人格者では、ない。
「……しかしなあ。幻獣が、自分の主人である契約者をたぶらかすなんて、そんなことがあるのかよ、トラメ?」
持参品の煮干しをバリバリとかじっていたトラメは、面倒くさそうに俺を振り返った。
「大いにありうる話であろう。というか、契約者が魔道もわきまえぬ人間であったなら、そうせぬほうが不自然というものだ。……おおかた、あのギルタブルルの主人とて、半分がたはギルタブルルにそそのかされての悪行だったのではないか?」
「ん? どういう意味だよ?」
「……ギルタブルルの契約者は、己の身に余る望みの言葉を唱えたために、魂を打ち砕かれることになった。そのような顛末に陥ったのは、血に飢えたギルタブルルにそそのかれたという一面もあるのではないか、ということだ」
俺はちょっと、暗鬱な心地になってきた。
その、ギルタブルルの主人の魂を打ち砕くことになったのは、誰あろうこの俺の身を守るため、であったのだから。
「己自身も現し身を砕かれて、百年の眠りを強いられる結果となったのは、我らの力を侮ったギルタブルルの浅慮ゆえであろうが。そうでなければ、とっととこのように愚鈍な人間の魂は吸い尽くして、己の血の欲求を満たしたのちに、悠々と隠り世に帰ればよい――ぐらいの心情であったのだろうさ」
そんな風に言い捨ててから、トラメは半眼で俺をにらみつけてきた。
「魔道の心得もない人間が魔術に手を染めれば、己の愚行に見合った報いを受ける他ない。ゆえに貴様も、そのような非才の身でこのような馬鹿騒ぎに巻き込まれ、さんざんに報いを受けているのであろう? ギルタブルルの主人なぞにあわれみを抱いていられるような立場か、貴様は? 自分がギルタブルルの主人よりはまだしも幸福な生を歩んでいる、などという思い違いをしておるならば、本当に救い難いうつけ者だな」
そうだろうか?
それはもちろん苦悩の絶えぬ日々ではあるし、死にかけたことも一度や二度ではない。
それでも、俺は――生きている。
今のところは、大事な相手を失ったりもせず、飄々と生きのびてしまっている。
魂を砕かれて、事実上の死を迎えてしまったギルタブルルの主人よりも、俺のほうが不幸だなんて――そんな論法が、成り立つだろうか?
「……だから、貴様はまだ、安楽な生活とやらを獲得できたわけでもなかろうが?」
と、苛立たしげに、トラメが言った。
「いつまた魔術師どもに裏切りの刃を振り下ろされるかもわからぬ身の上なのだ。そんな身の上で、他者に――しかも、己の生命を狙った相手などにあわれみをかけておるから、貴様は救い難いのだ」
俺は無言で、トラメの黄色い瞳を見つめ返した。
もしかしたら……こいつは、知っているのだろうか。
俺の心臓に刺さって抜けない、この罪悪感の存在を。
たとえ、正当防衛とはいえ――一人の人間を破滅に追いやってしまったという、苦い記憶。悪夢の根源。俺なんかに、平和な生活を望む権利があるのか――という、煩悶と自己嫌悪を。
「……あんたは、そうじゃなかったんか?」
と、いきなり若菜さんが口をはさんできた。
トラメが、煩わしそうに、そちらを振り返る。
「え……何ですか、若菜さん?」
問いかけの意味がわからなかったので、俺もそちらを振り返った。
若菜さんの目は、俺ではなく、トラメのほうに突きつけられていた。
「魔道もわきまえん人間に喚びだされたら、たぶらかすのが当たり前言うたやろ? そんなら、なんであんたは自分のご主人をたぶらかさなかったんや?」
貴様なぞと口をきく筋合いはない、とばかりに、トラメは口をつぐんでいる。
ここは、俺がフォローすべきか。
「えーっとですね、このトラメってやつは、現し世でのんびり過ごすのが、わりあい気に入ってるみたいなんですよ。とっとと隠り世に戻りたいって気持ちもないらしいから、べつだん俺の魂を消費させる必要もない……とかいう感じなんじゃないですかね」
「……あんたはほんまに、たぶらかされたことは、ないんやな?」
「ないですよ。飯を作れとせがまれるぐらいで――」
あ。
おかしなことを、考えてしまった。
最近ではすっかりご無沙汰だが、こいつは隠り世から召喚するたびに、いつも素っ裸で登場していたのだ。
他の幻獣たちはきちんとマントだとか何だとかを着て登場するのに、そんなものの精製のために魔力を使うと腹が減る、とか何とか言って。
それに、最初の数日間なんかは、俺の与えた衣服なんかも、スキあらば脱ぎ捨てようと試みていた。
あれはまさか、俺を「たぶらかそう」としていたわけじゃあ――ないよな?
「…………ッ!」
足を、蹴られた。
しかも、二回も。
「痛えな! 何すんだよ!」
「……やかましいわ」
その目は半眼に隠されていたが、トラメはめちゃくちゃに不機嫌そうな顔をしていた。
え。何でだよ? 別に念話を飛ばしたわけでもないんだから、俺の内心なんてわからないはずだろう?
こいつ……まさか、本当に、無条件で俺の考えを読み取れるわけじゃ、ないよな?
そんなの、あまりに怖すぎる。
「……わかった。あんたらがプラトニックな仲良しさんちゅうのは、理解できた」
「やめてください。その気色悪い表現は」
「せやから、あんたらの言葉も、ほんまのことやと信用してみる。そんで……あんたらは、どないするつもりなんや?」
若菜さんの表情は、いよいよ真剣味を増していた。
大事な弟に危害を加えようという算段なら、問答無用でぶっとばす……と、その顔にはっきりと太文字の毛筆フォントで書かれている。
俺は、慎重に言葉を選んだ。
「俺としては、穏便に話を済ませたいんですよ。弟さんが何も企んでないっていうんなら、それを魔術結社の連中に納得させて、丸くおさめたいんです」
「末坊は、他人の言葉に耳を貸せるような状態やないで? バケモンに骨抜きにされてもうたんやから」
「それなら、幻獣のほうを説得するしかないですね。このままじゃあ、魔術結社の連中に始末されちまうぞ、とでも」
「そのバケモンも、聞く耳をもたんかったら?」
「そうしたらもう……残念ながら、その幻獣を退治するしかないでしょうね。弟さんだけでも助かるように」
「ふうん? そんなら最初っからバケモン退治の方向でええんやないか? 説得なんて、まだるっこしいやんか」
「そうそう荒っぽい真似はできないですよ。下手をしたら、弟さんまで巻き込む結果になりかねないんですから。……さっきも言ったでしょう? あなたたちを敵に回したくないから、深入りすべきではないっていう意見もあるぐらいなんです」
「ふん。うちらの素性まで割れてるってのは、驚きやな。それやけでも、あんたがまったくのデタラメをこいてるわけやないっちゅう証拠になるわ」
そう言って、若菜さんは唇の片方を吊り上げて、男みたいにワイルドな笑みを浮かべたのだった。




