①災厄はいつも突然に
その電話がもたらされたのは、お盆直前の、とある昼下がりのことだった。
妹のナギがアメリカへと帰っていった、その三日後。
昼食を終えた俺とトラメは、リビングでそれぞれくつろいでいた。
電話をかけてきたのは、悪友の宇都見章太である。
『もしもし? 磯月かい? あのさあ、実は、ちょっと困ったことになっちゃったんだけど……』
「どうしたんだよ? 厄介事は、ごめんだぜ?」
この二ヶ月間、厄介事の波状攻撃で、俺は心身ともにクタクタであったのだ。
自分の責任で関わってしまった魔術師がらみの厄介事ならば、泣き言を言っている余地もないが、そうでないなら、門前払いだ。
『うーん。そりゃまあ磯月に責任のあることではないんだけど、でも、まんざら無関係なことでもなくて……というか、これは磯月の耳にも入れておかなきゃなあと思って電話をしてみたんだけど……』
「何だよ。それじゃあ意味がわからんだろ。いいから順序立てて説明してみろ」
『うん。あのね、実は今、浦島さんのお家にお邪魔してるんだあ』
「浦島さん?」
ちょっとばっかり、懐かしい名だ。
それは、家の蔵に眠っていたあやしげな石版を、こともあろうかネットオークションに出品してしまった人物で――早い話が、俺の人生を百八十度転回させるきっかけを生み出した張本人なのだった。
しかし。ということは。
それは、魔術師がらみの厄介事なのだろうか?
だとすれば、俺も重い腰をあげざるを得ない。
『僕もついさっき、浦島さんに呼び出されたところなんだけど。実は、ちょっとおかしな女の人が、浦島さんのところに怒鳴りこんできて……』
おかしな、女?
心当たりがあるような、ないような。おかしな女など、片手の指では足りないぐらいの数とお近づきになってしまったが。
しかし、あの女怪どもが、今さら浦島さんなどをターゲットに定めるだろうか?
「どういうことだ?」と、俺は問おうとした。
しかし、その前に、携帯電話から『うひゃあ』という情けない悲鳴が響いてきた。
『違います違います。何も悪巧みなんてしていません。あの、ちょっと、落ち着いて……ごめん、磯月、いったん切るよ? もうちょっと落ち着いたら、また連絡するから……』
「あ、おい、宇都見――」
電話は、切れた。
通話時間は、わずか二十五秒。
いったい何なんだ、これは?
俺は途方に暮れながら、ソファにあぐらをかいて煮干しをかじっている同居人を振り返る。
「おい、トラメ。悪いけど、ちょっとつきあってくれないか?」
魔術師がらみの騒動なら、宇都見たちを放置しておけない。浦島さんの家の場所はわかっているのだから、一刻も早く馳せ参じるべきであろう。
(いや、その前に、七星に連絡を入れておくべきか?)
そう思ったとたん、手の中でまた携帯電話が鳴り始めた。
宇都見か、それとも七星か、と思いながら、ディスプレイに目を落とし――俺は少し、ギクリとしてしまう。
そこに表示されていたのは、この携帯電話に登録されている中で、もっとも目にしたくない名前であったのだ。
『ギハハハハ! 元気でやってるかよ、ミナト・イソツキ?』
少なからずげんなりとしながら、俺はトラメの正面のソファに腰を落としこむ。
「何ですか? 今ちょっと、こっちも取り込み中なんですけど……」
『知らねえよ! こっちだって、人間様の生命がかかってるんだぜえ? ま、他人の生命なんてどうでもいいってんなら、電話を切れよ。どうせお前さんとは縁もゆかりもない相手だ。べつだん胸が痛むこともねえだろうよ!』
それはもちろん『暁の剣団』の中級魔術師、No3『女帝』こと、キャンディス・マーシャル=ホールだった。
敵であるのか、味方であるのか、なかなかそう簡単には決めつけられない複雑な相手だが、とりあえず、大迷惑な存在であることに間違いはない。
「人間の生命って……さっぱり意味がわからないですよ。俺に何をどうしろって言うんです?」
『何をどうするかは、お前さんの勝手だよ! ただ、お前さんに事情を話す前に厄介事を片付けて、それで後から文句をつけられてもたまらねえからよ。ま、俺様なりの誠意ってやつだなあ』
女怪の誠意とは、いかなるものなのか。そんなもの、ちっとも知りたいとは思えないのだが、このまま電話を切るわけにもいかないだろう。
『俺様も忙しい身だからよ。単刀直入に話させてもらうぜえ? 実はな、最後の石版の所持者が、隠り世の住人を召喚しちまったらしいんだよ!』
「……はい?」
『タクマ・ウラシマとかいう大間抜けが、邪神教団の呪われし魔術道具《黒き石版》を、ネットオークションなんざに出品しちまっただろう? その七枚の内の最後の一枚が、ついに使われちまったってことだよ!』
ちょっと待て。待ってくれ。
黒き石版? どうして今さら、そんなものが……
というか、最後の一枚の所有者って、誰だっけ?
えーと。整理しよう。
一枚目は、宇都見だ。その石版で召喚された幻獣は、いま俺の目の前で、煮干しをかじっている。
二枚目は、八雲美羽。コカトリスのラケルタ。あいつらは元気にやっているだろうか。
三枚目は、七星もなみ。ギルタブルルの、カルブ=ル=アクラブ。
四枚目は――名前しか知らないが、海野カイジ。こいつの落札した石版は、幻獣ではなく邪神を降臨させるためのアイテムであったらしい。
五枚目は、俺や八雲を殺そうとした、ギルタブルル。その所有者は、魂を砕かれて、今も植物状態である。
六枚目は……魔術師どもを罠にはめるために、七星の策略で、浦島さんが所有者から買い戻した。その現物は、七星が管理しているはずだ。
で、七枚目。
七枚目……?
あ、そうか。例のギルタブルルは、俺と八雲を襲う前に、二人の落札者を襲っていた。
青森の会社員と、京都の学生、だ。
浦島さんは、その二名に石版を買い戻したいとの連絡を入れて――それに応じてくれたのが、青森の会社員のほうだった。
と、いうことは。
最後の一枚の所有者というのは……その、京都の学生、とかいうやつか。
『えーっとな、そいつの名前は、スエツグ・ニトウ。立志大学の二年生。十九歳。京都在住、だとよ。こいつはずっとモナミ・ナナホシに監視されてたんだが、どうやら一昨日の夜あたりに、召喚儀式を遂行しちまったらしいんだわ』
「七星に監視されていたのに、ですか?」
『ああ。まだ確証はねえんだけどよ。確証が取れたら――ちっと厄介なことになっちまうだろお?』
何となく、携帯電話の向こうで舌なめずりでもしているような雰囲気だった。
『ま、《名無き黄昏》とは無関係である、っていう判断で、今まで泳がしてたみたいだけどよ。関係あろうがなかろうが、邪神教団の呪具を発動させちまったからには、こっちとしても放ってはおけねえよなあ?』
「おい、ちょっと――」
『先に結論を言っておくぜえ? 俺様たちとしては、粛清の方向で考えてる。もうじきに全面戦争っていうこの時期に、そんな厄介者に時間や労力は割いてらんねえからなあ。問答無用で幻獣は始末して、契約者のほうは――ま、相手の出方次第ってとこか』
「いや、だけど――」
『もちろん、素直に幻獣を差し出すってんなら、生命まではとらねえよ。だけど、もしも抵抗するようなら――残念ながら、くたばってもらうしかねえ』
ちっとも残念ではなさそうな口ぶりで言い、キャンディスは『ギハハハハ』と大笑いした。
『そういうわけでな。了承してもらえるかい、ミナト・イソツキよ?』
「了承って……そんなもん、できるわけないじゃないですか! もうちょい穏便に話をつけてくださいよ!」
『無茶を抜かすなよ。こっちには時間も労力もねえんだっての。――ま、その労力を肩代わりしてくれるやつがいるってんなら、話は別だけどなあ?』
「……はい?」
『そのスエツグ・ニトウとかいう大間抜けと直接交渉して、幻獣の身柄を確保する。そんな面倒な役回りを引き受けてくれるやつがいるってんなら、俺様としても、やぶさかではねえってことだよ。正直に言っちまえば、こっちとしては幻獣討伐の人手を割くことすら惜しいんだからなあ』
「それは、もしかして……俺にその役回りを受け持てって言ってるんですか?」
『そんなこたあ、一言たりとも言ってねえぜ? ただ、誰も受け持つ人間がいねえなら、今すぐにでも粛清の処刑人を派遣するしかねえって話だ』
そこで、キャッチホンの音色が響いた。
今度は何だよ!と、俺は携帯電話を放りだしたくなったが、キャンディスのやつは『ああ、そいつはきっとモナミ・ナナホシだなあ』と笑っていた。
『出てやれよ。俺様の用事は済んだからよ。それじゃあ黄色い目の恋人にもよろしくなあ』
「あ! おい、ちょっと!」
通話は、切れた。
キャッチホンの音色が通常の着信音に切り替わり、「七星もなみ」の名がディスプレイに浮かびあがる。
「もしも……」
『ごめんね! ミナトくん! このもなみ様としたことが一生の不覚だよ! まさかこんなことになるなんて! こんなことなら、後回しにしたりしないで、きっちり事前に回収しておけば良かったよ!』
三日ぶりに聞く、七星の声だった。
三日前には、けっこう感傷的というか、後味の悪い別れ方をしてしまったのだが……そんな余韻は感じさせない、めいっぱいの馬鹿でかい声だった。
『事情はもうキャンディス・マーシャル=ホールさんから聞いてるでしょ? あのヒトはホントにムチャクチャだよ! 破綻の度合いはもなみと良い勝負なのかもしれぬ! ああもうもなみは自決したい! こんな事態を引き起こすことになった過去の自分を、市中引き回しの刑に処したいよ!』
「待て待て。話が見えねえぞ? そいつはもちろん、京都のニトウとかいう人の話なんだろ?」
『あったりまえじゃん! まさかあのヒトが召喚の儀式を遂行してしまうとは! ギルタブルルに襲われて以来、ビクビクでオドオドの生活だったはずなのに! いったいナニを考えているんだろう! あのヒトも、処したい!』
「いいから、落ち着けって。いったいどういう話なんだよ?」
怒り、嘆き、憤慨の極にある七星をどうにかなだめて、筋道立った話を聞いてみると、こういう顛末であったらしい。
まず、スエツグ・ニトウ――あらため、弐藤末継という人物の周囲に、『名無き黄昏』の気配はなかった。俺や八雲や宇都見と同様に、早い段階で危険のない人物として認定されたそうだ。
その時点で、七星は「使い魔」とかいう対魔術師用の監視センサーを撤収させた。少しでも魔力の消耗を抑えるために、だ。
ただ、無関係の一般人とはいえ、幻獣を召喚されてしまったらまずいので、七星が管理する興信所『大黒堂』の人間を使って、ずっと監視は続けていたのだ、という。
弐藤末継が儀式魔術に手を染めようという素振りを見せたら、即時に身柄を確保する、という手筈であったらしい。
しかし、何故かしら、儀式は成ってしまった。
『そこがまずおかしいんだよねえ! あの儀式は、夜、人口の光がない場所で、土の地面の上で実践しないと無効だから、特に夜間の外出には気をつけていたはずなんだよ!』
「ああ、そういえば、そんな内容だったなあ」
俺と宇都見も、二ヶ月前、森林公園の大広場で、人目を忍んで幻獣召喚の儀式を実践してしまったのだ。
興信所の人間がきっちり見張っていたのならば、事前に食い止めることは容易であるはずだろう。
『だからね、答えはたぶん一つなんだ。……弐藤末継さんは、家の中で、儀式をおこなったんだよ!』
「あん? だけどさっき、土の上でとか言ってなかったか?」
『うん! でも、あの人はボロアパートの一階に住んでたからさ! きっと畳や床板をひっぺがして、それで儀式をおこなったに違いないのさ!』
「何でだよ? その人自身は、自分が監視されてることなんて知らないんだろ? だったら、どうしてそんな馬鹿げたやり方で……」
『知らないよ! 頭が悪いんじゃない?』
いつになく、七星のやつは辛辣だった。
異様なまでの才覚に満ちあふれているこの娘さんは、きっと「自分が失敗する」という事態に慣れていないのだろう。
三日前、俺が魔術師どもの罠に落ちてしまったときも――こいつはかなり、こいつなりに取り乱していた、と思う。
「だけどさあ、それならどうして、今回の事態が発覚したんだ? 興信所の人間が、幻獣の姿でも見ちまったのかよ?」
『あれ? そこんところは、聞いてなかったの? ウツミショウタくんからも電話はあったんでしょ?』
「ん? 宇都見の馬鹿がどうしたって?」
『だからさ、その弐藤末継さんのご家族が、浦島さんのお家に怒鳴りこんできたんだよ。うちの家族になんちゅーもんを売りつけたんじゃー、こらーってね』
そこに、話がつながるのかよ。
俺は、ためるにためまくっていた溜息を、ここでついておくことにした。




