プロローグ
――サヨウナラ
――アナタトデアエテ、シアワセデシタ
――ドウカライセデハ、ワタシトウンメイヲトモニシテクダイ
そんなふざけた台詞を残して。
そいつは、黄昏刻の夕闇の向こうへと走り去っていった。
今まで見た中で、一番幸福そうな笑顔を浮かべて……
携帯電話とは、便利な代物である。
俺は現在、十七歳だが。俺が生まれた頃には、もうこの文明の利器はそこそこ世間に普及し始めていたらしい。
が、裏を返せば、もうちょっと昔には、こんな小賢しい電子機器は存在していなかった、ということだ。
それがどんな生活であったのか、携帯電話が存在しなかった世界というのがどのようなものであったのか、俺のような若輩者には想像し、推察することしか、できはしない。
だから俺は、想像し、推察する。
それは案外、住み心地のよい世界だったのではないか、と。
べつだんこの小賢しい電子機器に恨みがあるわけでもないのだが。俺はけっこうな不精者で、ちょっとした外出時には部屋に置いてきてしまうし、電池切れなどもしょっちゅうだし、電池が切れていなくてもメールチェックを怠りがちだったり、してしまう。
それで別に、俺自身に不都合はない。ないはずなのだが――時には、困ったことも生じる。海外で暮らしていた妹と、妹には会わせたくなかった連中が鉢合わせしてしまう、とかまあ、そういう意想外なハプニングが、だ。
そうした際、その責任は、メールチェックを怠っていた俺自身にあり、と、そういう話になってしまうらしく。それが俺には、釈然としないのだ。
こんなちっぽけな電子機器に、どうしてそこまで手間をかけなければいけないのか?
それじゃあまるで、人間様のほうが電子機器に管理されてるみたいじゃないか?
しかし、俺の意見は通らない。携帯電話はきちんと管理しろ。電池を切らすな。メールチェックは怠るな。と、世間様は口をそろえて、そうおっしゃる。
面倒くさいよ、本当に。
だから、俺はときたま思ってしまうのだ。
こんなもん、存在しないほうが、よっぽど気楽で充足した生活が送れるのではないか、と。
そういったわけで、俺はあんまり、携帯電話というやつが、好きじゃない。
で。
この八月の半ばから、夏休みが終わるまでの、およそ二週間。俺はさまざまな馬鹿騒ぎに引きずり回されることになるのだが――
その始まりは、おおかたこの携帯電話のやつから、もたらされたのだった。




