茨の魔術師④
俺は、激しく混乱していた。
いったいトラメは、何を考えているのだろう?
七星を騙し討ちにする計画ならば、協力してやる――だって?
まさか。
まさかこれは、ペテンでも何でもなく、トラメ自身の本心なのだろうか?
トラメが一番に案じているのは、自分の身と、魂の主人として定められてしまった、俺の身だ。
だから――このまま七星に協力し続けるより、このクソッタレな魔術師どもに膝を折ったほうが、生存率は高い。そう見込んでの、発言なのか?
そうだとしたら……
そうだとしたら、俺は……
(よけいな口は叩くなよ、ミナト)
と、トラメの指先が、ぐっと手首に爪をたててくる。
(今、貴様に騒がれたら、我の策が台無しだ。貴様は一言たりとも、無駄口を叩くな)
(だけど、トラメ、お前は、七星のことを――)
(後にしろ)
俺の脳味噌に念話の声を叩きつけてから、トラメは刺青野郎に向きなおる。
「何故か、と問うか? 簡単な話だ。ナナホシモナミと正面きって敵対関係にのぞむ心づもりならば、この場で生命を拾っても無意味、ということだ、魔術師よ。……ナナホシモナミは、自分を裏切った魔術結社と、我の主を、決して許さぬだろう。邪神教団に向けるべき憎悪と呪詛を、まずは我々に差しむけて、そして我々を滅ぼすだろう」
「……あの小娘が、たったひとりで、『暁の剣団』を滅ぼす、と?」
「それが成就するかは、わからぬ。が、少なくとも、あの娘は、邪神教団をたったひとりで壊滅させるための力を蓄えてきた人間なのだ。その刃が、貴様らに向けられたら、どうなるか――貴様らは、あの娘の父親に、何十人もの魔術師を害されたのであろう?」
「…………」
「そして、貴様らの行く末など、我の主にとっては、どうでもよい。肝要なのは、あの娘が我の主人の裏切りを決して許さぬだろう、という、その一点なのだ」
「…………」
「ナナホシモナミと敵対しても、貴様らの何名かは、生き残るのやもしれん。しかし、魔術師でも何でもない我の主人が生き残ることは、まず不可能であろう。いくら貴様らに庇護されようとも、ナナホシモナミは必ずや我の主人の居所を突き止めて、その裏切りに報復を与えるであろう。ならば、妹の生命を危険にさらしてでも、貴様を打ち倒す他に、生き延びる道はない――というのが、我の主の考えだ」
俺は、少しだけ想像してしまった。
そんな、ありえない未来が、もしありえたら、と――
そんな想像をしただけで、俺は目眩を起こしそうだった。
俺が、七星を裏切るなんてことは、ありえない。
しかし。
もしも、
そんな事態に、陥ってしまったら――俺は、確実に殺されるだろう。
『名無き黄昏』よりも、『暁の剣団』よりも先に、まずはこの俺が血祭りにあげられるだろう。
トラメが言っていることは、完全に正しい。
しかし、その正しさこそが、俺をいっそう不安にさせた。
トラメは、「だからこそ」それでは刺青野郎の提案を飲めない、と主張しているのだから。
それじゃあ……そうでないとしたら?
「そうでないとしたら、どうだと言うのです?」
俺の気持ちを代弁するかのごとく、テオボルト・ギュンターがそう言った。
「表面上は和睦を結び、その裏で、モナミ・ナナホシを打ち倒すための策を講じる。それだって、彼女を裏切るという行為であることに変わりはないでしょう? むしろ、『名無き黄昏』を壊滅させるまでの長きに渡って、モナミ・ナナホシを欺き続けることになるのですから、いっそう彼女の怒りを買うことになるのではないですか?」
「それでも、邪神教団と雌雄を決する頃には、化け物のようなあの娘の力も格段に削られているであろう。それに、和睦が成ってしまえば、あの娘とて、我の主人など顧みている余裕などはありえぬに違いない。それならば――この場でむざむざと妹の生命を危険にさらしたくはない、と、我の主人は考えている」
もちろん、ナギの安全は確保したい。
俺の生命にかえても、だ。
だけど――そのために、七星を裏切ることなどは、できない。
そこのところは、本当にわかってくれているのか、トラメ?
「では、貴様の目論見を聞かせてもらおうか、魔術師よ? 貴様たちは、我の主人の安全を、確約することができるのか? 我の主人が貴様らの魔術結社に入団したとして、それを最後の瞬間までナナホシモナミに隠し通し、欺き続ける心づもりはあるのか?」
「ふむ。――貴方のことを少しばかり見誤っていたようですね、ミナト・イソツキ」
と、刺青野郎は面白くもなさそうに口もとをねじ曲げた。
どんな笑い方をしても、腹の立つやつだ。
「まさかそのような反駁をされようなどとは、まったく予期しておりませんでした。一も二もなく我々に従うか、あるいはご家族の身を危険にさらしてでも、私に牙を剥いてくるか――せいぜい、そのどちらかだと思っていたのですがねえ」
「それは、貴様らがナナホシモナミの恐ろしさを、知らないからだ」
これまた面白くもなさそうに、トラメが肩をすくめやる。
「それで、どうなのだ? べつだん、難しい問いではあるまい。さっさと答えてもらおうか」
「それが、難しい問いかけなのですよ、ミナト・イソツキ。もちろん、我々は――というか、私は、モナミ・ナナホシを欺く算段でありました。表面上は和睦を結び、その裏で、貴方の身の上を確保しようという心づもりであったのです」
「ならば、何も問題はあるまい。その心づもりの通りに、ナナホシモナミを欺けばよいだけのことだ」
「それはその通りなのですが――しかし、私がそのような心づもりであっても、私のマスターがそれに応じてくれるかは、別の問題です」
「……貴様の主人は、この企みに関与していないのか?」
俺はちょっと息を飲み、刺青野郎に気取られぬよう細心の注意を払いながら、トラメの横顔を盗み見た。
ほんの少し――たぶん、四六時中行動をともにしている俺にしかわからないレベルで、ほんの少しだけ、トラメの声に力がこもったように感じられたのだ。
そうとも知らぬまま、刺青野郎は「当たり前ではないですか」などと余裕ぶった薄笑いを浮かべている。
「和睦は、すでに成ってしまったのです。全権大使たるキャンディス様とマルヴィナ様が、みずから取り決めたその約定を踏みにじるわけにはいきません。それゆえに、この私がこうしてひそやかに行動しているのです」
「ふん。大した飼い犬根性だな」
「……今のは貴方のお言葉なのでしょうか、それともこの下賤な幻獣の戯言なのでしょうか、ミナト・イソツキ?」
と、刺青野郎の目が陰湿に光る。
「まあ、よいでしょう。そういうことならば、この一件はしばらく私の胸ひとつに収めさせていただきます。たかだか貴方の去就ひとつで、モナミ・ナナホシがそこまで怒り狂うとは予測できませんでしたので。本来ならば、貴方が自主的に入団を望んだという態で、すみやかにご報告しようと思っていたのですがね」
「貴様ひとりの才覚で、ナナホシモナミを欺けるとでも思うているのか、魔術師よ?」
「欺いてみせましょう。そして、その末にあの傲慢な小娘の首を狩るのは――この私です」
刺青野郎の右腕の指先が、再び、すうっと、俺のほうに差しむけられる。
俺の、心臓の方向に。
「そのまま動かないでください、ミナト・イソツキ。狙いが外れれば、貴方の心臓を傷つけてしまうかもしれませんからね」
「ふん。くだらぬ手妻だな」
つぶやきながら、トラメが俺の前に進み出た。
後ろ手で、しっかり俺の腕に触れながら、だ。
(ミナト。絶対に動くなよ)
テオボルト・ギュンターの顔が、不快そうにしかめられる。
「邪魔ですよ、グーロ。貴方の心臓などに用はないのです。主の命に背いて、ご家族の生命を散らすつもりですか?」
「ふん。人間には人間の都合があるのだろうがな。我には我の都合がある。――契約者の身を害されるは、我の恥であり、不名誉であるのだ、木っ端魔術師よ」
「何……?」
黄金色の光が、爆発した。
何が起きたのかは、わからない。
気づいたとき、俺は同じ体勢のまま、その場に立ちすくんでおり。
目の前にいたはずのトラメの姿はなく。
そして、テオボルト・ギュンターの身体は、何十メートルもの向こうの壁ぎわにまで吹っ飛んでいた。
「お、おい、トラメ――」
トラメは、五メートルほど前方に、たたずんでいた。
ほんのつい一瞬前まで、刺青野郎が立ちはだかっていたあたりだ。
こちらに背を向けたトラメにむかって、ナギの身体を抱きかかえたまま、俺はよろよろと歩み寄る。
トラメの身体は、黄金色に発光していた。
のぞきこむと、その顔や手足には、またもや黄金色の紋様が浮かびあがり、両手首の先だけが、金色の毛皮に包まれて、鋭い鉤爪を生やしていた。
その鉤爪にからみついているのは――肉色をした、蔓草のような、紐。
俺は、ハッとして視線をめぐらせる。
ナギの首に巻きついていた、忌々しい呪いのアイテムは……消失していた。
「……お前がやったのか、トラメ」
ナギの首に巻かれた蔓草を、魔術が発動される前に、引きちぎり。
返す刀で、刺青野郎を吹っ飛ばした。
わずか一秒にも満たない時間で、それだけのことを――契約の力も、使わずに?
「おい! もしかして、お前はまた自分の生命を削って……」
「やかましい。まだ終わったわけではないぞ、うつけ者め」
火のように燃える目を半眼に隠しつつ、トラメは不機嫌そうに言い捨てる。
「あの魔術師めを、ナナホシモナミに引き渡すのだ。許されざる背信者としてな。後の始末は、魔術結社の魔術師どもが――」
「もちろんだぜえ! 言われるまでもないだろうがよッ!」
響きわたる、女の哄笑。
「ギハハハハ! 間一髪で、救世主のお役目をぶん取られちまったなあ! まったく憎たらしいグーロだぜ! こりゃあ万死に値するんじゃねえのかあ?」
俺は、愕然と振り返った。
鉄の扉が、開かれて。
夏の日差しを、背景に――革張りの椅子に座した、狂犬女のシルエットが、そこにはくっきりと浮かびあがっていた。




