茨の魔術師③
「は――」
俺は思わず、馬鹿笑いしそうになってしまった。
どうやら人間というやつは、本当に限界を越えて頭にくると、無条件に笑いたくなるらしい。
「ふざけんなよ、この刺青野郎! 俺の妹を誘拐して、こんな辛気臭え場所にまで呼びつけて、何を言いやがるかと思えば――俺に、魔術結社に入団しろ、だと?」
「そうですよ。何かおかしいですかね、ミナト・イソツキ? 私は、いたって真剣なのですが」
などと言いながら、刺青野郎は口もとを歪めて悪意たっぷりの嘲笑を浮かべている。
「そんな与太話は、ついさっきハッキリと断ったばかりだろうがよ? いったい何なんだ、手前らは? 俺に七星を始末しろ、とでも命令するつもりなのか?」
「愉快なことをおっしゃいますね。たかだかグーロごときを使役するしか能のない貴方に、そのような命令は下されないでしょう。……ただし、貴方の頭の中身は、覗かせていただくことになると思いますが」
腐肉を前にしたハイエナは、こんな風に笑うのかな、という感じの笑い方だった。
いや、それではあまりにハイエナが気の毒か。
「モナミ・ナナホシの情報は、どれほど微細なものであっても、のちのち有効に使える可能性がありますからね。そういう意味では、ごく短期間とはいえ、かの汚れた巫女めと行動をともにしていた貴方の知識や体験は、有益です。貴方自身が忘れ去っているような記憶のかけらも、すべて私の魔術でつまびらかにしてみせましょう。――しかしそれは、二義的な問題です。私は、私の主人の意向を汲み取っているだけなのです」
「……主人、だと?」
それはもちろん、あの忌々しい狂犬姉妹のことなのだろう。
ほんのつい数時間前にも、俺はあいつらから『暁の剣団』に入団せよ、という馬鹿馬鹿しい要請を受けたばかりなのだから。
(やっぱり、あいつらは――最初から、七星と手を組む気なんてさらさらなかったっていうことか……)
俺はほとんど無意識のうちに、両手の拳を痛いぐらいに握りこんでしまっていた。
その姿を見やりながら、刺青野郎はクククと笑う。
「そういえば、あのサイ・ミフネも、コカトリスの主人――ミワ・ヤクモでしたか。彼女を入団させようと目論んだらしいですね。その末に裏切られて、窮地に陥ったというのだから、愚かな話です。私はそのように愚かな真似はしませんよ、ミナト・イソツキ」
言いながら、テオボルト・ギュンターは骨ばった指先を俺のほうに突きつけてきた。
手の甲から指先にまでびっしりと刺青の彫りこまれた、不気味な腕。
その指の五本すべてに、ナギの首に巻かれているのと同じ蔓草のような細い紐が、指輪のように巻きつけられているのが、見てとれる。
「貴方が入団を受諾するならば、『暁の剣団』への忠誠の証として、私はこの『戒めの茨』を貴方の心臓に授与させていただきます。貴方が『暁の剣団』を裏切ったとき、『戒めの茨』は容赦なく貴方の心臓を握り潰すでしょう」
「…………」
「ところで、さきほどからそちらのグーロが火のような目つきで私をにらみすえているのですが、馬鹿な真似は控えるべきだと貴方の口からお伝えいただけますかね、ミナト・イソツキ? かの幻獣めの爪や牙が私の身に触れる前に、私は貴方のご家族の首を刎ね飛ばすことが可能なのですから、ね」
俺は、横目でトラメを見た。
確かに、ここは薄暗いので、トラメの両目は黄色い火のように燃えている。
だけど、たぶん、トラメは冷静だ――少なくとも、俺なんかよりは、ずっと。
いまだに俺の手首をつかんだままであるその指先からも、激情の波動なんかは、ちっとも感じられない。
トラメは――冷静だ。
「私が何のためにこのような呪符を全身に刻みつけているとお思いですか? これは、誰よりも迅速に魔術を行使するための、呪符なのです。私は詠唱の必要すらなく、ただ心で念じるだけで、『戒めの茨』を発動させることができるのですよ? ……願わくば、そのような事態は避けたいところですが、ね」
テオボルト・ギュンターとの距離は、五メートルほどだ。
トラメがその気になれば、そんなていどの距離など無きに等しいのだろうが――どうせこいつだって、退魔の護符とやらで身を守っているに違いない。最初の一撃でこいつの意識を奪うぐらいのダメージを与えることができなければ、ナギの身は無事では済まない、ということだ。
(くそ……万事休す、か?)
もちろん、ナギのためならば、俺の生命なんて、何度でも差しだしてやる。
しかし――頭の中身を覗かれてしまったら、七星の身が、危うい。
あいつは、俺のことを、とても大事な存在だと……その深甚なる復讐心がゆらいでしまいそうになるぐらい、大事な存在だ、などと発言していたことも、あるのだ。
たとえそれが、あいつ特有の大仰な物言いに過ぎなかったとしても、この魔術師どもは、こう判断するだろう。「この小僧には、人質としての価値がある」と。
俺の身柄を人質にされて、窮地に追い込まれる七星の姿など、俺は絶対に見たくはない。
たとえそれで、七星が俺を見捨てる決断ができたとしても。
その後に待ち受ける、七星の行く末は――地獄、そのものだ。
そんなことをしたら、あいつは本当に、復讐の悪魔へと変貌してしまうだろう。
そんなことになるぐらいだったら――
今、この場で死んでしまうほうが、マシだ。
(……馬鹿な考えは起こすなよ、ミナト)
と、いきなりトラメの声が、頭の中に響きわたった。
刺青野郎をにらみつけていたはずの黄色い目が、いつのまにやら、俺の横顔をにらみつけている。
(今のうちに、その小娘の身柄を確保しておけ。我に、策がある)
(……策、だって?)
何のことかはわからなかったが、とにかく俺は、ナギの身体を抱き起こした。
薬か何かで眠らされているのだろうか。寝顔そのものは安らかだが、これだけ周りが騒いでいるのに、目を覚ます気配はまったくない。
「――魔術師よ、貴様に問い質したいことがある」
ナギを抱きかかえた俺の左手にあらためて指先をそえながら、トラメは感情のない声でそう言った。
「何ですか? 私は下賤な幻獣なぞと語り合う口は持ち合わせておりませんよ」
「貴様がいらぬ挑発などするから、我の主が筋道立った言葉を吐けなくなってしまったのではないか。我の言葉は、主の内心の言葉と心して、聞け」
刺青野郎は、小馬鹿にしきった目つきで、俺とトラメの姿を見比べた。
何だかさっぱりわからないが、これはトラメではなく俺の考えだと相手に思いこませたい、ということなのだろうか。
まあいい。サイたちとの決戦の際にも、トラメは見かけによらぬ謀略家の一面を披露してくれた。ふだんのぼけーっとした様子からは想像もつかないが、こいつは人並み以上に頭の回転が速く、そして、相手をペテンにかける才覚まで持ち合わせているようなのだ。
「……この場には、サイ・ミフネのみならず、他の魔術師も一人として見当たらぬな。最初から見当はついていたことだが、これは魔術結社の総意ではなく、貴様一人の考えによるもの――ということなのだな?」
「それが、何だと言うのです? そのようなことが、貴方の身の上に関わりありますか、ミナト・イソツキよ?」
「大いに、ある。魔術結社そのものが、最初からナナホシモナミと敵対するつもりなのか、それとも先の約定通り、邪神教団を滅ぼしたのちに、あらためてナナホシモナミを討伐する心づもりなのか。それを知らぬうちに、貴様の言葉を聞くことなどは、できぬ」
「……何故ですか?」
刺青野郎は、薄笑いを口もとにへばりつかせたまま、どちらかというと、俺のほうに目線を向けていた。
俺にしてみれば、その忌々しい顔をにらみ返すぐらいしか、やることがない。
しかし、次のトラメの一言で、俺は度肝を抜かれることになってしまった。
「それは、我の主が、あのナナホシモナミという娘を、魂の底から、恐れているからだ」
なんとトラメは、そのようなことを言い出したのである。
おいおい、それはどういうペテンなんだよ、と、俺はこっそり生唾を飲み下す。
「あの女は、恐ろしい女だ。むろん、その目的は、邪神教団を壊滅させることにあり、魔術と無縁な世界の人間たちには、むしろ博愛の精神を有しているようなのだが――しかし、あの娘には、たったひとつだけ、相手が誰であれ、許せないことがある」
「それは――」
「それは、つい先刻、貴様らも耳にした言葉であろう」
トラメの口調は、変わらない。
淡々と、ふだん通りのぶっきらぼうな口調で、面倒くさそうに、トラメは言った。
「『裏切り』だ」と。
「裏切り……?」
「そうだ。あの娘は、『背信者の娘』として、この世に生を受けたのであろう? その反動であるのか否か、あの娘は他者への裏切りという行為を、何よりも憎んでいる。だから当初は、我の主人と魔術結社を二重に裏切ったヤクモミワという娘を、憎悪し、くびり殺そうとしていた」
そんな事実は、どこにもない。
ただ、七星は「駄目だね、ありゃ」と見捨てようとしていただけだ。
「しかし、我の主人のとりなしもあって、ヤクモミワも生命だけは奪われずに済んだ。その代わりに、今後の人生をナナホシモナミに捧げ、その下僕として仕えることを約束させられたのだ。……しかし、ヤクモミワが許されたのは、その裏切りがナナホシモナミに害を為す行為ではなかったから、なのだろう。ヤクモミワが裏切ったのは、あくまでも我の主人と、貴様たち魔術結社であり、ナナホシモナミ自身を裏切ったわけではないのだからな」
「……それで?」
そう、それで?
刺青野郎はさぞかしいぶかしんでいるのだろうが、俺自身にだって、まったくトラメの言葉の終着点が見えてこない。
「だから、最初に問うたのだ。これは魔術結社の総意なのか、貴様ひとりの考えによるものなのか、とな。――否、それはどちらでもかまいはしない。肝要なのは、貴様らに、ナナホシモナミを騙しぬく心づもりがあるかどうか、だ」
トラメは、静かにそう言った。
「我の主人の生命を縛ろうとするその行為は、先刻にナナホシモナミが提示した約定に反するものであろう? 貴様らは、最初からそれをつまびらかにして、ナナホシモナミと正面から敵対する心づもりなのか? それとも、現状においてはナナホシモナミを欺いて、邪神教団を壊滅したのちに、背中から切りつける心づもりなのか?」
「モナミ・ナナホシを、騙し、欺くつもりです。――と、答えたら、貴方はどうされるおつもりなのですか、ミナト・イソツキ?」
いやらしい笑いを復活させながら、テオボルト・ギュンターはそう応じた。
トラメは、面倒くさげに肩をすくめやる。
「それならば、貴様からの提案も一考に値する。ナナホシモナミを欺くつもりがないならば、この場で貴様と刺し違えるしか道はなかろうがな」
「何です? そこのグーロはきちんと貴方の考えを読み取れているのですか、イソツキミナト? 話が逆のように思えますが……」
「何故だ? 我の主は、正しくこう考えているぞ、魔術師よ。ナナホシモナミを騙し、欺く心づもりがあるならば、貴様からの許し難い提案も考えぬではない、とな」
 




