背信②
完全に虚を突かれた俺は、「はあ?」と間のぬけた声をあげてしまった。
てっきりまた、お前らはそんなに相思相愛なのか?とか何とか、わけのわからぬ難癖をつけられるのかと思っていたのに……こいつは本当に、想定外すぎる。
「そいつはいったい何の話だよ? 質問の意味がわからねェぞ?」
「どうしてさ。ミワちゃんは、ちゃんと覚えてたよ? ミワちゃんは、ラケルタちゃんに、『ギルタブルルを滅ぼせ』って命じたんだってさ」
それがいったい、何だというのだ。
意味というか、意図がまったくわからない。
「正確に何て言ったかなんて覚えてないけどよ。俺だって、同じような言葉を使ったんだろ。あのときは、正真正銘、生きるか死ぬかの瀬戸際だったからな」
「本当に? ミナトくんは、『ギルタブルルを滅ぼせ』って言ったの?」
「だから、こまかい部分までは覚えてないって」
「頼りないなあ。……それじゃあ、トラメちゃんに聞いてみよっか?」
と、七星がサングラスをちょいとずらして、いたずらっぽく光る目をのぞかせる。
「幻獣にとって、言葉っていうのは大事なんだ。契約も、誓約も、すべては言葉で語られるでしょ? 現し世における幻獣にとって、言葉っていうのは絶対の存在なんだから、人間とは全然重みが違うんだよ。だから、たとえ二ヶ月も前の話だとしても、契約の言葉を忘れたりはしないよね、トラメちゃん?」
「……『あの忌々しいギルタブルルを打ち倒せ』だ」
心底どうでもよさそうに言って、トラメは煮干を咀嚼する。
とたんに七星は「やっぱりね! そんなこったろうと思ったよ!」と、大きな声をあげた。
「何だよ? 滅ぼせでも討ち倒せでも内容は一緒だろ?」
「一緒じゃないよ! まいっちゃうなあ。そんなていどの言語感覚で、よくもまあ幻獣を使役したりできるもんだね! 無知は罪なり! おっかないにゃあ」
俺は文句を言いかけて、やめた。
今まで関心なさそうにそっぽを向いていたアクラブが……俺とトラメのほうに、横顔を見せていたのだ。
(……そうか)
そのときに滅ぼされたギルタブルルは、このアクラブの生みの親なのである。
自分には関わりのないことだ、と、いつぞやのアクラブはそんな風に言っていたが……俺としては、ちょっと落ち着かない。
しかし七星はべつだんアクラブの様子を気にするでもなく、さらにまくしたててくる。
「あのね、『滅ぼせ』と『討ち倒せ』じゃ、全然内容が違うの。『滅ぼせ』は対象をこの世から消滅させよ、って意味になるけど、『討ち倒せ』だったら、とりあえずその場で戦闘不能にすればいい、ってことになっちゃうでしょ? 契約内容としては、『滅ぼせ』のほうが、断然重いんだよ!」
「……重いと、どうなるんだ?」
「幻獣の使える力が増大する。その代わりに、契約者の魂も相当なリスクを負うことになる」
七星は、ハンドルを鋭く切りながら、そう言った。
高速道路に、再び突入だ。
「『滅ぼせ』だったら十割の力を解放できるけど、『討ち倒せ』だったら、せいぜい八割ていど。ただし、その願いが叶えられなかった場合、契約者の魂は打ち砕かれることになるんだから、やっぱり重い望みには重いリスクがつきまとうってわけさ。……ほら、あのもなみのアジトでの対決のときだって、ドミニカさんは『滅ぼせ』じゃなく『討ち倒せ』って言葉を使ったでしょ?」
「……そうだったっけ?」
「そうだったんだよ! やっぱりギルタブルルたるアクラブを滅ぼすなんて、エルバハのミューちゃんでは荷が重すぎるから、ドミニカさんもリスクを回避したかったんでしょ。そのおかげで、アクラブは『死なないていどに討ち負かされる』という方法で、ドミニカさんの魂を救うことができたわけさ」
「……そんな馬鹿げた契約を持ちだしたのは、お前だ」
険悪な声で言い捨てるアクラブに、七星は「うむ。我ながら妙策だったわい」と笑いかける。
「それはさておき。トラメちゃんについてだったね。……あのさあ、例のギルタブルルさんは、『邪魔者を滅ぼせ』っていう契約で動いてたんでしょ? だから、ギルタブルルさんやラケルタちゃんは、隠り身の力を百パーセント使うことができたの。その中で、トラメちゃんだけは八割の力しか使えなかったんだよ?」
「……それで?」
「うむ。ここで重要になってくるのは、もともとの幻獣の力関係ね。隠り世において、ギルタブルルの強さはAランク。グーロの強さはBプラス、コカトリスもBプラス……ただし幼体を脱したばかりのラケルタちゃんは、そのぶんを差し引いて普通のBクラス。まあ、AだのBだのいうのはあくまで目安だけど、要するに、ギルタブルルってのはとてつもなく強い幻獣だから、グーロとコカトリスが力を合わせてようやく互角、っていう力関係なのね?」
ああ、トラメのやつも、たしかあのとき、そんなようなことを言っていた。
だからトラメとラケルタは、深く傷つきつつも何とかギルタブルルを返り討ちにすることができたのではないか。
「だからさ、それはあくまで五分の条件だったら、なのさ。トラメちゃんは八割の力しか使えなかったんだから、五分じゃないでしょ? ……だけれども、トラメちゃんたちは勝利した。これは、トラメちゃんかラケルタちゃんのどちらかが、グーロとコカトリスの平均的な個体よりも強い力を持っているってことになる、でしょ?」
「……そうなんだろうな。よくわからんけど」
「なおかつ、キャンディスさんは、トラメちゃんがミューちゃんよりも強そうだってことを不審がってたよね? エルバハってのはちょっと情報が足りなくてよくわからないんだけど、あのヒトはトラメちゃんに『グーロの王なのか?』とか聞いてたぐらいなんだから、やっぱりトラメちゃんってのは、規格外に強いグーロなんだよ」
「…………」
「その強さの秘密は何なのか? キャンディスさんが知りたがってるのは、そこなんだよ。だから彼女は、たぶんからかい半分だろうけど、ミナトくんを『暁の剣団』に誘ったり、自分の幻獣を当て馬にしてまでトラメちゃんの強さを確かめようとしたんじゃないのかなあ。……魔術結社の中でも『黄昏』の駆逐に特化した『暁』なら、やっぱりより強い力を求めることに貪欲だろうからねえ」
俺はもう一度、トラメのほうを見る。
トラメはやっぱり、素知らぬ顔をしている。
「……で、ミナトくんはトラメちゃんにメロメロだし、トラメちゃんはミナトくんのために一瞬だけだけど生命の火を燃やしたりしちゃったし。こいつらの絆はハンパじゃない!親和力ってのは、すなわち親愛の情に比例するものなのか?とか思っちゃったんじゃない、あのヒトは?」
「ちょっと待て。メロメロってのは、お前が捏造した設定だろ」
「ほほう。それでは、メロメロではないとでも?」
サングラスの向こうで、七星の目がギラリと光った気がした。
……どうしよう。ものすごく、鬱陶しい。
「もなみだってそこまでたくさんの幻獣と契約者を見てきたわけじゃないけどさ。やっぱりお二人さんは、なんかちょっと雰囲気が違うんだよ。……ねーえ、アクラブ? もしももなみが絶体絶命の大ピンチにでも陥っちゃったら、自分の生命を燃やしてまで、助けてくれりゅ?」
「……お前の価値は、その人間離れした強靭さにある。おめおめと窮地に陥るようなお前に助ける価値などは見いだせない」
「ほら、これだ! これだけ愛情を注いでも、やっぱり幻獣ってのは甘くないのだよ。ま、戦友としては申し分ないぐらい頼もしいけどねい」
「……だけどさ、その理屈でいくと、一番親和力が高いのは八雲とラケルタってことになるんじゃないのか? あいつらの仲の良さは異常だろ」
七星の矛先をかわしたくて、俺は罪もない八雲たちをスケープゴートとして差しだすことにした。
まあ、あいつらだったら、仲の良さを冷やかされてもどうってことないだろうしな。
「ん……それは確かにそうなんだけどね。実際、ギルタブルルを返り討ちにしたときは、ラケルタちゃんも規格外の力を発揮した、という可能性はあるです」
と、七星は少し困った顔をする。
「だけど、まあ……ラケルタちゃんに関しては、もう考察するだけ、やるせなくなるだけなのだよねえ」
「何だよ、そりゃ。どういう意味だ?」
「うーん。言っちゃうかあ。……あのね、昨日はラケルタちゃんも元気に振る舞ってたけど、実は……彼女の容態は、あれから全然回復してないんだよねえ」
「……何?」
「右目と右手首もいっこうに復元されないし、体温なんかも氷みたいに冷たいまんまだし、魔力なんかはすっからかんだし……端的に言うと、ラケルタちゃんはもう半分死にかけちゃってる感じなんだよねえ……」
俺は、言葉を失った。
アクセルをぐいぐい踏み込みながら、七星も小さく息をつく。
「やっぱりさ、何度も何度も生命の火を燃やしちゃったから……身体のほうが、もう限界なんじゃないのかなあ。もしかしたら……寿命が近いのかもしれない」
「おい。馬鹿なことを言うなよ、七星」
「馬鹿じゃないよ。客観的な事実を述べてるだけさ。……ただし、現し世で自分の生命を犠牲にする幻獣なんて滅多にいないから、もなみとしても確かなことは言えないんだよねえ。幻獣が、現し世で、生命の火を燃やしつくしたら、どうなるのか? 魂まで滅ぶのか? 現し身が砕けて百年の眠りにつくだけなのか? そんなデータは、もなみの調べた限りでは、どこにも残されていないのだよ」
「…………」
「だからさ、トラメちゃん。さっきのトラメちゃんの行動はすごく感動的だったけど……あんまり無茶な真似はしないでね? 人間を救うために自分の魂を犠牲にするなんて、そんなのは幻獣の本分ではないでしょ?」
「……我をあの無軌道なコカトリスなぞと一緒にするな。誰がそのように愚かな真似をするものか」
感情のない声でトラメが応じると、七星は「ふうん?」と片眉を吊り上げた。
「一瞬だけでも生命の火を燃やしたり、退魔の結界に手をつっこんだり、ってのは愚かの範疇にはふくまれないのかにゃ? もしも他の幻獣がそんな真似をしでかしたら、トラメちゃんのほうこそ『愚かなり』とか言いそうな感じなのに」
トラメの瞳が、半眼に隠された。
これは……黄色信号だ。
「おいおい、やめてくれよ、七星。昨日の包帯野郎だの、さっきのちびっこい女魔術師だのにあれこれ言われて、俺もトラメもいいかげんにうんざりしてるんだ。ここにきて、お前までそんな挑発するようなことを言わないでくれ」
「挑発なんて、してないよ。もなみはただ、二度とあんな風に嘆き悲しむミナトくんの姿は見たくないなあって思っただけさ」
やめてくれってのに。
今度は俺のトラウマまで引っ張りだす気か。
俺だって……二度とあのような思いをするのは、ごめんだ。
(だけど……)
トラメの不穏な横顔を、俺はこっそり盗み見る。
トラメは、何を考えているのだろう?
そんな無茶な真似をしてまで、俺の身を守ってくれようとしてくれるのは、頼もしく、心強いことであるはずなのだが……俺の心中は、複雑だった。
誰だって、自分の存在が他者の重荷になってしまうのは、心苦しいことだろう。
(……八雲のやつは、大丈夫なのかな)
ラケルタがそこまで弱り果ててしまったのは、すべて八雲を救うためだったのだ。
契約者たる八雲をさらわれてしまったため、契約の力を行使できなかった。
それゆえに、ラケルタは自分の生命を糧にして闘うしかなかったのだ。
その結果として、今、ラケルタは死にかけてしまっている。
自分が八雲の立場だったら……どれほどやりきれない気持ちになるだろう。
そんな思いをするぐらいだったら、自分が犠牲になるほうが、マシだ。
「……ミナトくんはさ、トラメちゃんが死んじゃうぐらいなら、自分が犠牲になったほうがマシだ、とか考えてる?」
俺は、ギクリと七星を振り返る。
右に左にと車線を変更しながら何台もの車を追い抜きつつ、七星はいくぶん神妙な顔をしていた。
「ミワちゃんやミナトくんに特別な部分があるとしたら、そこだろうね。異世界の住人である幻獣を、完全に対等な存在と見なしちゃってるってとこ。……でもさ、そういう部分が本当に親和力を高めて、幻獣の力を増大させてるとしたら……魔術師なんかにそれを真似するのは、非常に無理ゲーなんだよね。魔術師は、自分の望みを叶えるために、隠り世の住人を召喚してるんだから。どんなに幻獣を大切にしている魔術師がいるとしても、それは愛用の拳銃や刀を愛でるのと同じような感覚であるはずなのさ」
七星の声は、独り言っぽい響きをおびていた。
だから俺は、何も答える気にはなれなかった。
そうして車内には、少し居たたまされない感じの沈黙が落ち……その後は、高速道路の出口に到着するまで、口を開こうとする者はいなかった。




