襲撃者の影④
「……あの石版を出品したのは、浦島琢磨っていう人で、何でも親御さんの遺品の整理をしているうちに、アレを見つけだしたらしいんだ」
ローカル沿線の電車に揺られながら、宇都見はやおらそう説明しはじめた。
会社員の帰宅ラッシュにはまだ早いが、学校はとっくに終わっている時間なので、車内はほどほどに混んでいる。
グーロは車内の角に立たせて、黙々と煮干しを食べ続けるその珍奇な姿は、俺と宇都見が壁になって隠してやった。
「だから、詳しい由来などはわからない。会うのは良いけれどあまり期待はしないでくれ、って言われちゃった」
「何だ。それじゃあ最初から見込み薄かよ?」
「うん。だけどね、磯月にはまだ言ってなかったことがあるんだけど……実はあの石版って、一枚だけじゃなかったんだ」
「……何?」
「オークションには、全部で七枚の石版が出品されてたんだよ」
えーと。
こいつは、何を言っているんだ?
「おい、ちょっと待て……それじゃあ、こいつみたいなのが、他に六匹もいるってのか?」
「いや、落札した人間の全員が儀式を実行するわけでもないでしょ。そんな物好きが、この国に七人もいるとは思えない」
自分が物好きだという自覚はあったのか。そいつは何よりだ。
「うん、でもね、その石版は、けっきょく全部がそこそこの額で落札されてるんだよ。そうじゃなかったら、ボクが全部落札したいぐらいだったんだけど、さすがに無理だった。……でも、それはそれでちょっと不自然なんだよね。昼間も言った通り、あの石版はルーツがまったくわからないんだ。骨董的価値なんて皆無だと思う。それなのに、あんな高額の値をつける人間が、ボクをふくめて七人もいたなんて……ちょっと不自然じゃない?」
「うーん……だけどそれじゃあ、お前はどうしてあんなもんを高額で落札したんだよ?」
「ん、それはボクの感性にビビッとひっかかったからさ」
聞いた俺が馬鹿だった。こいつはあんな石版よりもっとあやしげな「人魚のミイラ」なんてもんにすら大金を惜しまない人間なのだから。
「……で、思ったのはさ、そのうちの何人かは、ボクと同じただのマニアで、何となく気になってしかたないから、感性のおもむくままに落札しただけかもしれない。でも、そんな物好きがボク以外に六人もいるとは考えにくいから、一人や二人ぐらいは、あの石版の本当の価値を知った上で落札した、って可能性はないかなぁ?」
「ああ、そういう人間だったら、寿命を削らずに契約を無効化する方法も知ってるかもしれない、ってことか」
「そうそう。浦島さん本人よりも、そっちのほうがまだ期待できるかなって思ったわけさ」
どうなのだろう。が、他に手段がないのならば、ワラにでもすがるしかない。
「……だけど、お前はあれだけ山ほどあやしげなオカルト本を持ってるくせに、そっちのほうでは全然手がかりはつかめなかったのか?」
「うん、そっちは八方ふさがり。昨日あれから四時までかけて調べなおしたんだけど、それらしい文献はひとつも発見できなかった」
「よ、四時? そしたらお前、全然寝てないじゃねェか?」
「三時間は寝たよ。学校ある日はそれぐらいが平均さ。……でもその前の土日もアラビア語の解読にかかりきりだったから、さすがにちょっと寝不足かな」
そうか。こいつがいつまでも成長しないのは、慢性的睡眠不足によるホルモンバランスの崩壊も一因なのかもしれない。かえすがえすも、気の毒なやつだ。
「……なあ、グーロ。そういえば、お前にはまだあの石版については何も聞いてなかったよな?」
と、ひさかたぶりに俺が呼びかけてみると、窓の外に目線を投げながら煮干しをかじっていたグーロは、ほんの少しだけ顔を傾けてきた。
帽子のつばが邪魔をして、どんな表情をしているかはイマイチ見て取れない。
「お前は何か、あの石版について知ってることはないのか?」
「……知らん。我は喚び声に従って隠り世からおもむいてきただけであって、その方法などに興味はない」
「それじゃあ、契約者の寿命を削らないように元の世界に帰る方法なんてのは……」
「聞いたこともない。そんな都合の良い術などないのだろうさ」
まだご機嫌はななめなのだろうか。とりつくシマもありゃしない。
「……どうせたかだか数十年しか生きられない貴様らではないか。そのうちの一年や二年ばかり寿命が縮んだとて、いったい何の不都合があるというのだ」
「おっと、そいつは暴論だな。短命だからこそ、逆に一日や一年が死ぬほど貴重だ、とも言えるだろ?」
何の気もなく軽口のつもりでそう答えたのだが、グーロはしばらく動きを静止させたのちに、「そうか」とつぶやいてまた窓のほうに向きなおってしまった。
どうも、こいつがこんなに静かだと調子が狂ってしまう。なんだか、妙にアンニュイな雰囲気ではないか……そのわりに、煮干しをポリポリと食べる手が止まらないのが可笑しいが。
「あ、次の駅だね」
隣りの市までは、わずか三駅。グーロ初めての列車旅行もこれにて終了だ。
幸いタクシーを使うほどの距離ではなかったので、二十分ほどかけて歩くと、もうその浦島とやらの家が見えてきた。
白い石でできた高い塀と、そこからのぞく松の枝ぶり。高級そうな家屋が建ち並ぶその一画でもひときわの豪壮さを誇る、宇都見家にも負けないほどのお屋敷だ。
こんな豪邸に住んでいながら、オークションでこづかい稼ぎをしていたのか、その浦島とやらは。
「すみません。今朝ご連絡をさせていただいた、宇都見という者ですけど……」
インターホンにむかって宇都見が呼びかけると、返事の代わりに、門が自動で開きはじめた。これは、宇都見家より上をいく豪邸かもしれない。
和洋折衷で、やや和寄りの大きな屋敷だ。石畳の道を進んで玄関までたどりつくと、今度は人間の手によって両開きのドアが内側から押し開かれた。
「やあやあようこそ。僕が浦島琢磨です」
緊迫感のかけらもない、飄々とした男の声。三十代か、四十代か、ちょっと年齢の見当がつけにくい、ひょろひょろに痩せた背の高い男が、とぼけた微笑を浮かべてそこに立っていた。
こんな豪邸の住人には似つかわしくない、しわの寄った白シャツと、茶色のスラックス。頭はぼさぼさで、とがった顎には無精ひげがこびりついており、売れない画家か作家でも思わせる風貌だ。
その柔和な光をたたえた少し垂れ気味の目が、宇都見の背後にひかえる俺とグーロの姿をとらえる。
「おや? そちらの人たちは……」
「友人の磯月と、えーと……グーロさんです」
「グー……?」
男は不思議そうに首を傾げたが、茶色い髪と肌の白さで、グーロを異国の少女と勝手に結論づけたらしい。すぐにまた柔らかい笑顔を取り戻して、「散らかってますがどうぞ」と俺たちを招き入れてくれた。