夏の夜の夢
「やっほー! お待たせいたしましたぁ!」
進軍のラッパみたいに盛大な声をあげて、七星がぴょこんとリビングに飛びこんでくる。
トラメや宇都見とともにぼんやりとソファでくつろいでいた俺は、その華やかな浴衣姿に、驚きの声を飲むことになった。
白地に紫の花の散った、実に涼やかな色彩だ。
いかにもハーフっぽい顔立ちをしていて髪も瞳の色も明るいが、これだけ容姿に恵まれていると何でも似合ってしまうのだな、と少し感心してしまう。
で、七星は元気いっぱいに登場したあと、仁王立ちでずっとニマニマ笑っていた。
俺の寝室を占領して七星とともに着付けをしていたはずの八雲たちも、なかなか入ってこない。
「……何だよ? この間は、いったい何なんだ?」
「あのね、学習したの! もなみが先取りして自画自賛しちゃうから、ミナトくんもほめるタイミングを逸しているのだなって! だから、ミナトくんがほめてくれるまで、もなみは何も語らないっ!」
……で? そんな前口上を聞いた後に、俺はどんな言葉をひねりだせばいいというのだ。
わかっているようで何もわかってないやつだな、本当に。
しかしこれはなかなかの生き地獄だ。トラメや宇都見はもちろんおし黙っているし、たぶん八雲たちは廊下で七星のオーケーサインを待ちかまえている。
つまり、俺が何か言葉を発しないかぎり、この不毛なにらめっこは永遠に終わらないってわけだ……もしかしたら、今日は夏祭りに行けなくなってしまうかもしれないなぁ。
「……」
「……」
「えーと……ミナトくん?」
「うん?」
「ん、何でもない」
「そうか」
「……」
「……」
「……まだ?」
「ん?」
「……」
「……」
なかなか手ごわいな。
「……」
「……もういいんじゃない?」
「……(にやり)」
「……」
「……」
「……」
「……」
「よし。殴る」
七星が、おもむろにつかみかかってきた。
あわててソファから飛びのこうとしたところで、襟首をつかまれてしまう。
「待て待て。暴力はいかん暴力は」
「いや、殴る! ミナトくんの強情さには暴力で報いるしかない! どうして可愛いねよく似合うよの一言が言えないのっ!」
「カワイイネヨクニアウヨ。……二回目だなこれ」
「うわぁ殴る! 粛清する! 教育する!」
「あいててて。わかったわかった。似合うよ似合う。きっとお前は浴衣を着るために生まれてきたんだな、七星」
「あっはっは! それじゃあきっとミナトくんは浴衣姿のもなみに絞め落とされるために生まれてきたんだねっ!」
ふむ、今日の七星は本気だな。絞め落とした後はちゃんと蘇生もしてくれよ? それから、トラメ、契約者が今まさに害されようとしているのだから、助けてくれたって全然かまわないんだぜ? ていうか、助けてくれ。
「こらぁっ! ことあるごとにイチャつくなって言ってんでしょ、吊りズボン!」
「おお、ナギ。お前の浴衣姿なんて初めて見たな。すっげー似合ってるぞ?」
「ふんぬーっ!」
「やめろってば! ばかっ! お兄ちゃんから手を離せっ!」
「も、もなみさん? ちょ、ちょっとあの、危ないです……」
ついには八雲まで乱入してきたが、もちろんか弱い女子二人に七星の猛撃を止めることなどできるはずもなかった。
だから、止めてくれたのは、アクラブだ。
「いつまで馬鹿騒ぎをしている。いいかげんにしろ、モナミ」
アクラブのうんざりとした声とともに、襟もとにからんでいた七星の指先がほどけていく。俺の咽喉笛を狙う七星の身体を、アクラブが片腕で引きはがしてくれたのだ。
助かったぜ、アクラブ……と、そちらに目をむけた瞬間、俺は再び息を飲むことになった。
黒地に赤い撫子柄の浴衣を着た、黒髪黒瞳のすらりとした美女……アクラブだよな、お前?
水着はあれほど拒んでいたのに、浴衣は別にかまわないのか。
それにしても、こいつはたまげた。たわむれに異国の民族衣装をまとったハリウッド・スターみたいなたたずまいだな。
おまけに長い髪をひとつにたばねて右胸のほうに垂らしており、頭には花飾りなんてつけてるもんだから、もう、完璧としか言い様がない。
何ていうか……こいつ、こんなに色っぽかったっけ?という感じだ。
「うわぁ、アクラブに見とれてる! あんまりだ! ひどすぎる! ついにもなみはアクラブにまで嫉妬の炎を燃やさなくてはならないのかっ!」
「ば、馬鹿なこと言ってんなよ。アクラブまで浴衣姿になってるとは思わなかったから、ちょっとびっくりしただけだろ」
もちろん、ナギや八雲もこれ以上ないぐらいよく似合っている。
ナギは白地にピンクとグリーンの蝶が舞う柄で、八雲は、青地に芍薬の柄、だ。これらもすべて七星の見立てだというのなら、センスの塊と評してやってもいいぐらいであろう。
そういえばラケルタは……と見回してみると、黒地に白の幾何学模様の浴衣姿で、所在なさげにたたずんでいた。こちらも長い髪をポニーテールみたいな形に結われて、別人みたいだ。
このラケルタといいアクラブといい浴衣を着た幻獣なんてのは、ある意味、水着姿よりインパクトがあるもんなんだな。
「もうダメだ。ここにもなみの居場所はないのかもしれぬ……」
と、七星がカーペットの上に崩れ落ちて、しょげた横顔を袂で隠す。
「磯月くん……も、もなみさんが少し可哀想です」
それに寄り添った八雲に子犬のような目で見られ、俺は小さく溜息をついた。
いかんな。日中の重苦しい対面の反動で、少しハメを外しすぎたかもしれない。
悪かったよ、七星。お前という人間は、時として、際限なくからかってしまいたくなることがあるのだ。ふだん良いように振り回されてる意趣返し……なんていうネガティブな発想ではなく。ただ単純に、面白いから。
「ごめんごめん。さ、出発しようぜ。こんなところで遊んでたら夏祭りが終わっちまうぞ、七星?」
七星は、少しだけ袂をかたむけて、じろりとものすごい目つきで俺をにらみ返してきた。
「……勝負はいったんあずけるよ! 絶対お祭りが終わるまでに『可愛い』と言わせてみせる!」
そんな勝負なら負ける気はしない。俺は半分ずり落ちていたソファから身体を起こし、「それじゃあ行こうぜ」と全員をうながした。
「……ところで、トラメちゃん。みんなの可愛い浴衣姿を見ても気は変わらない? トラメちゃんも、すっごく似合うと思うんだけど……」
「そのように窮屈な格好をするなど、死んでも御免だ」
「ううう。とりつくシマもない……残念だなぁ。きっとメチャクチャに可愛いのになぁ」
いや、いいっての。甚平だって夏祭りにはぴったりじゃないか。
くどいようだが、トラメの女の子らしい姿なんて、俺はすこぶる気持ちが落ち着かなくなるんだよ。
◇
そんなこんなで、俺たちはいざ夏祭りの会場へと出発することになった。
会場は、郊外の森林公園である。
移動手段は七星の用意したハイヤーで、十五分もかかりはしない。が、公園の駐車場などはとっくに埋まりきってしまっていたので、俺たちは少し手前でハイヤーを降り、あとはゆるゆると人の流れに乗って会場までおもむくことにした。
相も変わらず目に立ちすぎるメンバーだが、本日ばかりはそこら中に浴衣姿の人間が満ちあふれているために、そこまで好奇の目をむけられることもなかった。
ふだんは一番人目を引いてしまうラケルタがゴスロリ・ファッションでないというのも強みだろう。
「……ラケルタ、本当に身体は大丈夫なのか?」
八雲と手をつないで歩いているラケルタに呼びかけると、カラコロと下駄を鳴らしながら、不満そうに唇をとがらせてくる。
「大丈夫だってば! ミワもミナトも心配しすぎなんだヨ! ちょいと隠り身に戻ってひと泳ぎしただけなんだから、そこまで魔力を消耗しちゃうわけないだロ?」
「だけど、五日間近くも寝こむほどだったんだろ? そこまで消耗してないはずなのにそこまでダメージをくらっちまうってのは、やっぱり心配だろうがよ」
「……あのネ、ウチの最終目的は、ミワと末永く幸福に生きていくことなの! ミナトたちにそんなギャアスカ言われなくったって、自分の寿命をむやみに縮めるようなマネはしないヨ!……そんなコトより、ミナトはアッチのアレを何とかしてやってくんない?」
ラケルタの指し示す先には、狐のお面をかぶって一人スタスタと歩を進めている七星の姿があった。
そんなお面をかぶっているのは素顔を隠すためなのだろうが、確かにあの下の顔がふてくされていたとしたら、その責任の大部分は俺にある、ということになってしまうのだろう。
車中でも頬をふくらませたままあんまり喋っていなかったし、まったく世話のやけるやつだ。
「七星。祭りに来るのも、やっぱりこれが初めてなのか?」
しかたなしにそう声をかけてみると、七星は「んにゃ?」と奇妙な声をあげる。
「んっとね、お祭りには一人でこっそり侵入したことがあるよ! 日本の祭りってどんなんだろー?って好奇心があったからさ! ……だけど、すぐにさびしくなって引き返しちゃった。みんなはすっごく楽しそうなのに、もなみはいつだってひとりぼっちだったからね!」
「……それじゃあ今日は、さびしくないな?」
「うん! 今日は朝からすっごく楽しみにしてたんだぁ」
と、お面を少し上にずらして、満面の笑みを返してくる。
なんだ、ふてくされてたんじゃなかったのかよ。
「妹ちゃん! ここでも色んな勝負が楽しめそうだねっ! 圧勝されるのが悔しかったらちょっぴり手加減してあげるけど、如何?」
「うーん相変わらずムカつくなあ! 今日こそ泣きべそかかしてやるから、あんたこそ覚悟しなよ!」
「あはは。そいつは頼もしい! うわぁ、お祭りだあ!」
森林公園は、人でごった返していた。
市内では、これが一番大きな祭りだろう。
といっても近所に神社があるわけでもなく、自治会か何かが主催する由緒もへったくれもない夏祭りにすぎないのだが。会場の広さと出店の多さはなかなかのものだし、最後にはけっこう立派な花火もあがる。近隣の住民にとっては夏一番の催し事なのだ。
「よし! まずは腹ごしらえだね! みんな、はぐれずに着いてきてよ?」
再び狐のお面をかぶり、七星が人混みの渦中に飛びこんでいく。
この会場全体に結界などを張ったのか、と思うとやっぱり驚きを禁じ得ない。テニスコートやらサイクリングコースなども併設された大きな公園で、祭りの会場となっているのは広場と野球場だけだが、それぞれが学校のグラウンドぐらいの規模であるのだ。
確かにこんな場所で怪異現象にでも見舞われたら大パニックになってしまうだろうけれども、本日は邪神を祀る血族の生き残り、などというスペシャルゲストもいないわけだし、そうそう危険な事態に陥ることもないのだろうと思う。
それでも七星は、石橋を叩いてくれたのだ。
特注の馬鹿でかいハンマーで、ガンガンと。
「おっちゃーん! 注文の品、できてるー?」
そんな七星の気のぬけるような大声が、俺を想念から引き戻してくれた。
お好み焼き屋の屋台の前、いかにも腕っぷしの強そうな五十がらみのおっさんが、お面姿の七星を見て笑っている。
「お、キツネのお姉ちゃん、早かったね! ちょうどついさっき焼きあがったところだよ」
「わーい。ありがとお」
子どもみたいにはしゃいだ声だな。
ぎっしりとお好み焼きのつまったビニール袋を「はい」と俺に手渡して、七星はさらに進軍した。
お好み焼きのお次はタコ焼き。さらには焼き鳥、焼きそば、ジャガバタ、ケバブと、合計六つの屋台で同じ光景が繰り返され、それが終了した頃には莫大な量の食糧が俺と宇都見と八雲の両手にぶら下がることになった。
「全部十人前ずつ予約しておいたの! いちいち並ぶのなんてめんどいからね!」
「お前さあ、海水浴のときも思ったけど、遊んだことないわりには何でも手なれてるよなぁ?」
「うふふん? そりゃあふだんからフィクションの世界でシミュレーションしたおしてるからね! 仮想現実の中に飛びこんだみたいで、すごく面白い!」
ああ、またお気の毒な発言をさせてしまった。
幼い頃に両親と生き別れて、その後もひたすら魔術結社の目から逃げ隠れしていた、という大前提をすっとばしてしまったら、本当にただの社会不適応者だよな、お前は。それこそ宇都見や八雲以上の、さ。
何はともあれ。俺たちは少し人混みから外れて、七星がどこかから運んできた(まあ、例の魔法の手管なんだろうけ)ビニールシートの上で陣を張ることにした。
「あ! フランクフルトも頼んでおいたんだった! みんな、先に食べててねぇ」
と、大将様は早々に戦線離脱してしまう。
残された七名のうち六名までは我慢がききそうだったが、若干一名の空腹感がそこそこ限界にきているようだったので、しかたなく七星の言葉に甘えることにした。
「……夏祭りなんて、小学生のとき以来だね?」
タコ焼きをつつきながら、宇都見が笑いかけてくる。
「お前と来るのは、そうだな」
焼きそばをかきこみながら、俺は答える。
「あ、磯月は中学時代もここに来てたの?」
「毎年来てるぜ。ナギと一緒にな。……もしくは、クラスメートの連中と」
「そっかぁ。磯月は友達多いもんねぇ」
「多くはねェよ。お前が少なすぎるだけだ」
「少ないっていうか、磯月だけだもんね」
「ん。俺とお前は友達だったのか……」
「あ、違った? 違ったなら、ごめん」
「謝るな、馬鹿。俺が悪者になっちまうだろうが」
「そうだね。ごめんね。……でも、何だか楽しいねぇ」
ふにゃりと笑い、それから不思議そうにナギを見る。
「……どうしたの? 何か怒ってる?」
「何でもないよ! ……ったく、どうしてこんなのがお兄ちゃんの一番の友達なんだろ……」
「待て待て。誰が一番の友達だって? こんなの、ただの腐れ縁だ。腐ってるぞ? 腐乱臭がプンプンだ」
「あはは。そうだねぇ」
「笑うな、ばか! うー、イライラする!」
シートの上で、ナギが細っこい手足をバタバタとさせる。
八雲は八雲で、「本当にお二人は仲がいいですよねぇ」などと言い始めるし。これは何か致命的なまでの誤解が生じているようだな。
しかし、この夏はまだ宇都見以外のクラスメートとも、中学時代の連中とも顔を合わせていない。
海だのプールだのフットサルだのという誘いはいくつも受けているのだが、そこまでお気楽に遊んでいられる身分でもないし……というか、およそ二ヶ月ほど前にトラメとの同居生活をスタートさせてから、俺は誰とも遊んではいないんじゃなかろうか。
(……で、明日はトチ狂った魔術師どもとご対面、か)
現実感は、ない。
実にさまざまな騒動に巻き込まれて、俺の神経やら感受性やらもだいぶん摩耗してしまったのだろうか。
だけど、これが、現実なのだ。
人間ならざる娘たちと夏祭りに来て、車座になって焼きそばを食べている、この光景が、な。
素晴らしいスピードで次々と焼き鳥を制覇していくトラメの姿を眺めながら、俺は苦笑するしかなかった。
「おい、トラメ。俺にも一本めぐんでくれよ。足りなかったら、後で追加してやるからさ」
トラメは、すごく嫌そうな顔をしながら、つくねの串を一本、俺のほうに差しだしてきてくれた。




