告白
アルミラージとエルバハは、俺たちを墓地の裏手の茂みの中へと誘っていった。
浦島邸の付近にある原生林ほど緑の深い場所ではない。木立の合間からは住宅街の街並みがうかがえるし、なんなら近所の公園ででも遊んでいる子どもたちの声すら、うっすらと聞こえてくる。
時刻はいまだに昼を過ぎたばかりだし、このように明るいうちから敵方の魔術師どもと相見えるというのも、なんだか奇妙な気分だった。
「……ところでいちおう聞いておくけど、お前らのその格好は、人目をしのぶ仮の姿、っていう解釈でいいのか?」
「ええ、もちろん。この国でいつものマント姿では、人目をひいてしかたがないですからね」
「ふん。そっちのそいつはちっとも人目をしのんでないように見えるけどな」
赤茶けた髪に、褐色の肌。おまけに瞳はオレンジ色で、古式ゆかしいエプロンドレスでは、あやしげなマント姿と同じぐらい人目をひいてしまうのではないだろうか。
ちなみに、そのエルバハには、両腕がきちんとそろっていた。
ラケルタと同じ日に右手首から先を失ってしまったはずなのに、こいつはとっとと回復できてしまったらしい。
やっぱりラケルタは、他の幻獣よりも際立って回復能力が低下してしまっているようだ。
それにしても……と思う。
「幻獣ってのは、みんな長い髪をしてるのかと思ったぜ。そいつの髪も長ければ、きっと一目で幻獣だってことにも気づけたんだけどな」
トラメとラケルタとアクラブは、全員が腰よりも長いぐらいの超ロングヘアであるし、アルミラージのきらめくブロンドだって、ほどけば背中の半分ぐらいまではある。その中で、男の子みたいに短い髪をしたエルバハは、ちょっとばかり異質に見えた。
「ああ、現し身の髪の長さは、僕たちの隠り世で経てきた歳月の長さをあらわしているんです。ただし、現し身が滅ぼされてしまうとまたリセットされてしまうので、恥ずかしながら、僕の髪はこんなに短いわけですが」
「それを言ったら、そいつなんてショートヘアじゃねェか。そいつは百年の再生の眠りとやらから覚めたばかり、ってことか」
「いえいえ。ミューはまだ幼体なだけです。あのコカトリスもまだ幼体を脱したばかりのようですが、ミューはまだ本当に幼い個体で。彼女は現し世の住人と契約を結ぶのも、ドミニカが初めてなぐらいなんですよ」
へえ。しかし俺は幻獣の平均寿命も知らないし、何年を経れば幼体でなくなるのかもわからない。
……というか、あんな馬鹿でかい図体をしていてまだ幼体だというのか、こいつは。
「ですから、現し世の禁忌についてなどはまだまだ知識不足ですし、ドミニカの言葉にも盲目的に従うことしかできません。色々いたらない点も多いと思いますが、お目こぼしいただければ幸いですよ、イソツキミナト殿」
「ふん。そいつがオトナになるのを待ってたら、こっちが老衰死しちまうぜ」
アルミラージは笑い、そして立ち止まった。
目的の地に、着いたのだ。
周囲の情景に変化はない。が、さっきまで聞こえていた子どもたちの笑い声や車の排気音などがぴたりと止んでしまっている。
なにがしかの結界とやらが張られているのだろう、おそらく。
「よく来てくれたな、磯月湊。息災そうで、何よりだ」
少し陰気な、低い男の声。
木立の影から、すうっと黒い長身の人影が現れる。
さらに、それよりも頭ひとつぶん以上小さい、女の影。
サイ・ミフネと、ドミニカ・マーシャル=ホールだ。
「遺恨ある俺たちの言葉を聞き入れてくれて、まずは感謝する。そして、今日この時は何があってもこちらから手荒な真似に出ることはない、ということを最初に約束しておこう」
「はん。そいつを頭から信用できれば、俺も心が安らぐんだけどな」
ひさかたぶりに見るその姿を、俺は憮然とにらみ返した。
八月だというのに長袖の黒いシャツにズボンという黒ずくめの格好をした、やたらと背の高い痩せぎすの男。ぼさぼさの黒髪、ノミでそいだようにこけた頬、とがった顎に、不精髭。そして手負いの狼のごとく陰鬱で光の強い目をした、サイ・ミフネ。
そしてこちらも季節感を無視した灰色の修道服に身をつつんだ、トラメと大差ないぐらい小柄な女。モノクロのベールからのぞく白銀の髪に、ガラス玉じみた灰色の瞳。中学生ぐらいにしか見えない幼げな風貌だが、人形のように表情の欠落した、ドミニカ・マーシャル=ホール。
黒鞘の日本刀も九尾の革鞭も本日は見当たらないが、けして油断はできないだろう。にわか魔術師の七星ですら自由自在に武器を現出できるのだから、本物の魔術師であるこいつらに同じ芸当ができないはずはない。
「大雑把な話はムラサメマルから聞かされたと思うが、お前と、お前の幻獣の力を借りたいのだ、磯月湊。了承してもらえるか?」
「ちょっと待てよ。そんな話を始める前に、俺たちに一言あってもいいんじゃないか、魔術師のおっさん?」
「一言……とは?」
そんなけげんそうな顔をされる筋合いはないぞ、と俺はにらむ目に力をこめる。
「最終的にズタボロになったのはそっちだけどな、俺たちだって相当理不尽な目に合わされたんだ。その件に関してわびもないまま頼みごとってのは虫がよすぎるんじゃないのかね、おっさん?」
トラメは心臓を潰されてしまったし、俺だって何回も革鞭でしばかれた。……いやいや、七星から護符をもらっていなければ、俺はおそらくエルバハとドミニカの手によって殺されてしまっていたのだ。こいつらは、俺が護符を身につけていることなど知らないままに、渾身の力で攻撃してきたのだから。
それに……こいつらは、八雲を脅して、トラメを殺そうとした。
その一件だけは、わびの言葉でも聞かないかぎりは、どうしても許すことなどできそうにない。
「……それとこれとは話が別だろう。俺たちは俺たちの理念に従って行動していたのだから、これまでのことをわびる気持ちなどひねりだすことはできない。謝罪したって、そんなものは上辺だけの言葉にすぎんよ」
「だからって、はいそうですかと水に流せるかよ!」
「水に流す必要はない。別に俺たちの仲間になれ、と勧誘しているわけではないのだからな。ただ、おたがいの利害が一致する局面が訪れようとしているから、その件においてのみ協力しあうことはできないかと提案したいのだ」
まったく納得はいかなかった。
が、サイの放った次の言葉には、俺の怒りを一時的にでも吹き飛ばすほどの破壊力がそなわっていた。
「明日、本国から交渉役の団員たちが到着する。相互不可侵の条約が結ばれるか否かは、明日の会見にかかっているのだ。……この交渉が決裂すれば、『暁の剣団』と七星もなみは全面的な敵対関係に陥ることになる」
「明日……だと?」
明日からいよいよ忙しくなる……七星は、確かにそう言っていた。
だからこそ、今日のうちにナギと遊んでおきたいのだ、と。
あの言葉の裏に、こんな重い事実が隠されているなどとは、俺は不覚にも想像すらしていなかった。
(くそ……だったらもっと深刻ぶれよ、馬鹿野郎め!)
俺はむっつりと黙りこみ、そんな俺の姿を見て、黒ずくめの男はかすかに苦笑する。
「やはり何も聞いていなかったか。あの娘は、お前たちを完全な部外者とみなして、この一件から遠ざけようとしているのだな。……そのグーロほどの強力な存在を味方に取りこもうともしない、という態度は潔くて拍手を送りたいぐらいだが、それでは俺たちが困るのだ」
「困る、だと?」
「そうだ。……このままでは、かなり高い確率で交渉は決裂することになる」
サイは、はっきりとそう言った。
「明日やってくるのは、俺たちの団でも指折りの武闘派なのだ。正直言って、俺には団長殿の御心がさっぱりわからん。最初から七星もなみの提案を受け容れる気がないのか、と疑いたいぐらいだ。……それぐらい絶望的な人選だったのだよ。まったく残念なことにな」
「……」
「お前は俺たちのことをさぞかし無法な乱暴者と思っているのだろうが、明日やってくる連中に比べれば、俺たちなんて子羊のように無害で善良だ。『名無き黄昏』を滅ぼすためなら、手段は選ばない。邪魔者は殺せばいい。疑わしきは罰すればいい。……そんな狂犬じみた連中が、こともあろうに和睦の大使としての任務をおおせつかってしまったのだよ」
「だけど……七星は、『名無き黄昏』なんかじゃない。むしろそいつらを殲滅するために、あんたたちと同じ目的であれこれ活動してるんだ。そんな七星と、問答無用で敵対する、なんてことは……」
「もちろん問答はするだろうさ。その末に破局するだろう、と俺は危ぶんでいるのだ。狂犬と名高い武闘派の団員たちと、傲慢にして高慢な七星もなみ。両方を知る俺からすれば、どんな末路になるかなどは火を見るより明らかだよ」
「……そんなにタチの悪い連中なのか?」
「短慮で、横暴で、ありえないぐらい独善的だ。あいつらの機嫌を損ねて再起不能の末路をたどった団員も少なくはない。かくいう俺やドミニカも、あいつらには何度も殺されかけたことがある、な」
「そんなの、無茶苦茶じゃねぇか!」
「だから、そういう無茶苦茶な連中がやってきてしまうのだ」
重い溜息とともに、サイはそう言った。
ドミニカはさきほどから無言であるが、心なしかその灰色の瞳も憂鬱そうに曇っているように見受けられる。
……このドミニカを憂鬱にさせる狂犬どもなど、俺には想像することさえできなかった。
「だけど……それでどうして、俺に協力なんざ求めるんだ? そんなトチ狂った連中を相手に、いったい何をどうしろっていうんだよ?」
「何もする必要はない。ただ、会見の場に同席してくれればいいのだ。……それで力の均衡が保たれる」
「……均衡?」
「明日やってくるのは、俺たちと同じ中級魔術師が二人だ。それにおそらく下級魔術師や従魔術師もぞろぞろと引き連れてきて、そこに俺とドミニカも加わることになる。……それに対して、七星もなみはたった一人で会見にのぞむ、と返答してきた」
たった一人……
俺は無言で、唇を噛む。
「もちろんギルタブルルは引き連れてくるだろうがな、それはこちらも同様だ。『暁の剣団』の中級魔術師は、みな幻獣と契約している……というか、下級から中級に昇格するための最終試験が、幻獣の召喚儀式なのだ。俺とドミニカをふくめた四人の中級魔術師と、四体の幻獣。そして契約者ではないものの、魔術の腕前は俺たちと大差のない下級魔術師が複数名……もしこのメンバーで会見にのぞみ、交渉が決裂し、その場で戦闘開始となったら、お前はどうなると思う?」
「七星は……それでも、うまいこと逃げだすだろうよ」
俺は、挑みかかるような気持ちでそう言い放った。
すると、サイは口もとを歪め、肩まですくめながら「俺もそう思う」と応じてきた。
「それだけの敵を相手にしても、俺は七星もなみとギルタブルルが討ち倒される図は想像できない。あの娘はおそらく、たいした手傷を追うこともなく、悠々と逃げのびるだろう。また、それだけの自信があるからこそ、たった一人で会見にのぞもうと決断できたのだろうからな。……問題は、初顔合わせの連中は、そんな非常識な結果を想像することができない、ということだ」
「……意味がよくわからねェな」
「つまりな、いかにギルタブルルが強力な幻獣とはいえ、これだけの数を相手にして逃げのびることなど不可能だから、少しでも気に食わないことがあれば、連中はすぐに武力を行使するだろう、ということだ。……『名無き黄昏』の情報など、捕らえてしまってから吐きださせればいい。そうして邪神の巫女の血を継ぐ者など、早々に始末してしまえばいい。連中は、そんな風に考えるに決まっている」
「……で? それならそれで、あんたは別に困りゃあしないんじゃないのか? 七星だって逃げのびるのが精一杯で、あんたたちを皆殺しにする余力まではないだろうさ」
「それではけっきょく、七星もなみと敵対関係になるだけで終わってしまう。それでは困るのだ。……『名無き黄昏』の駆逐を第一に考えるのなら、な」
サイは腕を組み、手近な木の幹に背をもたせかける。
その苦渋を漂わせた横顔を、さっきからアルミラージが心配そうに見つめていた。
エルバハも、いつのまにかドミニカのかたわらにぴったりとよりそっている。
「正直に言おう。俺は、七星もなみと手を組むべきだと思っている。相互不可侵ではまだ足りない。共闘すべきだ、とさえ思っているのだ。少なくとも、この国に『名無き黄昏』の拠点が本当に存在するならば、それを根絶やしにするまでは……七星もなみが言う通り、目的を同じくする者同士が抗争に明け暮れるなど、愚の骨頂だ。七星もなみには、共闘に値する価値が、力が、あるのだからな」
「……」
「俺はあれから、七星もなみの父親について調べてみた。史上最悪の背信者、許されざる裏切り者、リュウ・ナナホシについて。……そうしてその実態を知り、俺はぞっとしたよ。リュウ・ナナホシは『名無き黄昏』の巫女を連れて逃げ、その逃走劇は十年にもおよんだのだが、その間に、かの背信者は、およそ二十名もの中級魔術師と、一名の上級魔術師……つまりは、団に三人しかいない副団長の一人をも返り討ちにしていたのだ」
「……」
「そして七星もなみは、そんな化け物じみた父親の血をひいている。あの娘を敵に回したら、『暁の剣団』は半壊の憂き目を見るだろう。さすがに団長殿や上級魔術師の面々が討ち倒されるという事態までは考えられないが、中級魔術師から下級魔術師までは軒並み殲滅されてしまうかもしれん。……あの娘と手を合わせたことのある俺は、そんな最悪な未来が易々と想像できてしまうのだよ」
そう言って、サイは長い前髪をかきあげつつ、陰気に笑った。
その飢えた狼みたいな目には、賞賛と、懸念と、自嘲の色が複雑にからみあっているように見えた。
「そうして最後には七星もなみも力つきることになる。そんな結末を迎えて、得をするのは誰だ? ……言うまでもなく、『名無き黄昏』の連中だろう。そんな最悪な未来だけは、何としてでも回避しなくてはならないのだ」
「で……俺に、どうしろって言うんだ? 聞けば聞くほど、俺みたいなシロウトの出る幕はなさそうに感じられるんだが」
「そんなことはない。お前とグーロが会見に参加することによって、その場の力関係は大きく変動することになるだろう。……考えてもみろ。そのグーロにはどれほどの力がある? 俺と、ドミニカと、ムラサメマルと、ミュー、この場にいる全員で死に物狂いでかかっても、まあ、せいぜい五分の勝負しかできまい。七星もなみと、ギルタブルルと、グーロ。この三人を前にすれば、いかにあの狂犬どもがみずからの力を過信していても、たやすく討ち取れるとまでは思えないはずだ」
「……呆れたな。自分たちを戦力的に不利にするために、俺たちに同席しろって提案してるのかよ、あんたは?」
俺がそう応じると、サイは「大義のためだ」と面白くもなさそうに言い捨てた。
「恒久的に、七星もなみの仲間になれ、と言っているわけではない。明日、会見の場にいてくれるだけでいいのだ。それで和睦さえ成されてしまえば、とりあえずの危険は回避される。その後は、もう、俺たちがお前に干渉することもない」
「……信用できねェな。けっきょくは俺と七星を同じ場所に集めて、いっぺんに始末しちまおうっていう魂胆なんじゃねェのか?」
トラメににらまれるまでもなく、俺は慎重にそう答えた。
サイは、「何だと?」と不意をつかれたように目を細くする。
「だいたい、明日やってくる魔術師の数だって、あんたが言っている通りのものなのか確証はもてない。本当は何十人もの魔術師どもが大挙してやってきて、俺たちを皆殺しにするつもりなんじゃないのか?」
「馬鹿な。大アルカナと呼ばれる中級魔術師は総勢で二十二人しか存在しないし、俺たちはその限られた人数で各国に散って『名無き黄昏』の残党どもを追っているのだ。こんな極東の島国に四人もの中級魔術師が集まることだって、異例中の異例なのだぞ」
「だから、それはあんたが言ってるだけで、俺たちには確認のしようもないことだろ? ま、明日がどんなに過酷な交渉になっても、俺みたいな足手まといがいるよりは、七星とアクラブだけのほうが身軽に逃げられる、っていう利点がありそうだ」
「馬鹿を言うな。『暁の剣団』と七星もなみが完全な敵対関係に陥れば、お前や宇都見章太の安全だってまったく保証はされなくなってしまうのだぞ?」
「それはすこぶる残念な話だけどな。俺はやっぱり、あんたたちのことをそこまで信用しきれない」
さまざまな表情を浮かべる四人の顔を、俺は順番に見回していく。
切迫した顔、驚いた顔、不愉快そうな顔、なんの表情も浮かべてはいない顔。……信用したい、という気持ちがないではないが、やっぱり俺には納得できないという思いが強くわだかまってしまっている。
「仮に、あんたたちの話が全部本当だとしても、信用のできない相手の口車に乗るのは心配だよ。それで七星の足をひっぱるようなことにでもなったら、目も当てられない。……けっきょく最初の話に戻るけどよ、わびの言葉もないうちから協力を請われたって、了承する気にはなれねェよ」
「……しかし、反省の気持ちもないままに、言葉だけの謝罪を述べても、お前の気持ちは晴れないだろう。悪いと思っていないことを悪く思い、反省しろ、と言われても、こちらにはどうすることもできん」
「見た目によらず屁理屈の好きなおっさんだな。自分たちは悪くない、反省する気もない、だけど協力しろ……そんなやり口で、他人を納得させられると思うのか?」
「利害が一致するなら、一時的に協力することは可能だろう。大事の前の小事だ」
その言葉に、俺の体温は一気に加熱してしまった。
「あんたたちにとっては小事でも、俺にとっては大事なんだ! 八雲を脅して、俺たちを裏切らせて、トラメを殺そうとした! そんな卑劣な連中を信じられるかよ、馬鹿野郎!」
サイは、口を閉ざし、俺の顔を静かに見つめ返してきた。
そのかたわらで、アルミラージは少しびっくりしたように目を丸くしている。
ドミニカは暗い目つきで黙りこくっており、エルバハは、相変わらず不機嫌そうな仏頂面だ。
「……あれだけの目にあいながら、お前が最も怒りを覚えているのはその点なのか、磯月湊」
やがて、サイは溜息をつくような口調でそう言った。
「しかし、やっぱり俺にとっては小事だ。どんなに謝罪の言葉を述べたところで、その真情までは動かせん」
「うるせェな。そんな台詞は、一言でも謝罪してからほざきやがれ。そうでなきゃ聞く耳はもてねェよ」
「……上辺だけの謝罪でかまわんのか? そんなものでかまわないなら、なんべんだって謝罪してみせるが」
「へえ? あんたたちみたいな人間が、こんな餓鬼相手に頭を下げることができるってのか?」
「上辺だけで、いいならな」
そう言って、サイはいきなり、その場に両膝をつきはじめた。
ぎょっと身を引く俺の目の前で、地面に両方の拳までつき……そして、深々と頭を下げる。
「……大義のためとはいえ、お前に大きな迷惑と苦痛を与えてしまったことを、ここに謝罪する。二度とあのような真似はしない、とは言えないが……どうか、許してほしい。俺たちは、大義のために、お前たちを深く傷つけた」
「お、おい、おっさん……」
俺は仰天のあまり言葉が続かなかったが、驚きの事態はそこで終わらなかった。
なんと、かたわらのドミニカまでもが、その場にひざまずきだしたのだ。
「わたしは、ななきたそがれをほろぼすためにうまれてきた。そのためにおこなってきたこれまでのことをくいあらためることはできないが、どうか、ちからをかしてほしい。……いそつきみなと、あなたにしゃざいをもうしあげる」
こちらは、胸もとで両手を交叉させ、うなだれるように頭を下げてくる。
アルミラージは、唇を噛んでそっぽをむき、エルバハは、マグマのように両目を燃やしていた。
「お、おい、やめろよ……あんたたち、いったい何を考えてるんだ?」
「……何を考えているかと問われれば、『名無き黄昏』を滅ぼすこと、としか答えようはないが」
言いながら、サイが頭だけを起こす。
「俺たちは、こんなところで犬死にをするわけにはいかんのだ。『名無き黄昏』を滅ぼすために戦い、死ぬなら、本望だが、七星もなみなどと相争って生命を落としては、死んでも死にきれん」
「わかったよ、とりあえず立ってくれ! ……チクショウめ。あんたたち、汚ねェよ」
「何が汚いかはわからんが、これで少しはお前の気も晴れたのか?」
サイは立ち上がり、何でもない風に衣服の汚れを払いはじめる。
「気が晴れたのなら、協力してほしい。お前たちを騙そうなどという心づもりは、いっさいないのだ」
「それじゃあ、もうひとつだけ聞かせてくれよ。あんたたちは、どうしてそこまでして『名無き黄昏』を滅ぼしたいんだ? あいつらはこの世の黄金率を破壊する邪神を復活させようとしている……なんて言われても、俺には全然ピンとこねェんだけど?」
「そんなこと、俺にだってピンとはきてないさ。……俺はただ、『名無き黄昏』に家族を皆殺しにされただけだ」
サイはあっさりとそんな風に言ってのけ、かたわらのドミニカを指し示す。
「ドミニカは、ちょっと特殊だな。こいつは自分でも言った通り、『名無き黄昏』を滅ぼすために生まれてきた。そのために生き、そのために死ね、という教えを幼少時代から叩きこまれている。……ボールドウィン・マーシャル=ホール団長は、そのために十三人もの子を成し、その半数が、すでに死に絶えている。ついでに言っておくならば、そのうちの一人はリュウ・ナナホシ討伐の任務を受け、失敗し、生命を落としたのだ」
「……なんだって?」
「別に驚くことはないし、心配する必要もない。家族を殺された恨み、などという概念はマーシャル=ホール家には存在しないからな。あるのはただ、『名無き黄昏』を滅ぼす、という使命だけだ。……七星もなみだって、それは同じ気持ちなのだろう。十年以上も逃げ続けることに成功したリュウ・ナナホシも、最終的には我が団の追っ手の刃に倒れたのだから。家族の仇、などと言いだしたら、最初から和睦もへったくれもないさ」
ドミニカは、何も答えずガラス玉のような目で地面を見つめている。
その姿を横目に、サイの黒い目が一瞬だけ激情の火をゆらめかせた。
「わかっただろう。『名無き黄昏』に関わった人間は、多かれ少なかれ人生を歪められてしまっているのだ。悪いのはすべて『名無き黄昏』、やつらさえ滅ぼせばすべてが終わる……そうとでも思わないことには立ち行かないんだよ、俺たちは」
「……」
「七星もなみにももちろん、お前を同席させるようにかけあった。しかし、すげなく断られてしまった。だから、お前自身に七星もなみを説得してほしいのだ。……さっきも言ったが、これっきりだ。明日の会見さえ立ちあってくれれば、その後はもうお前たちに干渉しない。もちろんグーロを引き渡せ、とも言わん。だから、どうか一日だけ……俺たちに力を貸してくれ、磯月湊」
激情の余韻を少しだけ目もとに残しながら、サイは、とても静かな声音でそう言った。




