海神の娘
そんなわけで、とんだスペシャル・ゲストの登場と相成ってしまったのである。
ナギたちには、深夜の散策にて知りあった地元の女の子、というきわめて適当な説明が為された。
「一乃宮ミミ」という名前を聞いても八雲は反応しなかったから、おそらく何の予備知識も与えられていなかったのだろう。ナギの手前、驚いた顔などされなかったのは、まあ幸いだ。
すでに正午が近かったので、まずは腹ごしらえをすることにした。
朝食と同じバイキング形式で、昨日の昼食もふくめるとこれで三度目のバイキングだが、そこは一流ホテルであるからして、まったく不満の出るようなメニューではない。
それにしても、予約した人数の半分しか姿が見えないのに準備された料理がひとかけらも残らないという不可思議な現象を、ホテルの関係者たちはどのように受け止めているのだろうか。
「……ミナト、この娘は、いったい何なのサ?」
と、食事をする必要がなくヒマをもてあましているらしいラケルタが、俺のほうに耳打ちしてきた。
その正面では、一乃宮が七星とピントのずれた会話をしながら、意外に旺盛な食欲を発揮している。
「七星いわく、ただの人間、だよ。素性はちょっと複雑だけど、べつだん危険はないらしい」
「ただの人間……ま、モナミがそう言ってるならかまわないケド。現し世にもけっこうおかしなやつがいるもんだネ」
幻獣にまで「おかしなやつ」と言われてしまった。
たいしたものだな、一乃宮ミミ。
ちなみにナギはそこそこ人見知りであるし、八雲と宇都見はどこに出しても恥ずかしくないコミュニケーション不全症候群である。
なおかつトラメとアクラブはまったくの無関心をつらぬいているもんだから、けっきょく一乃宮の相手をするのは七星と、それに俺ぐらいしかいないようだった。
「えーと……一乃宮は高校生だよな? 何年生だ?」
「二年生。十六歳」
「ああ、それなら俺や八雲と一緒か。俺たちはもう十七だけどな」
「もなみだって今年十七だよ! お忘れなく!」
「全員同世代かよ。そいつはけっこうなこった。……えーと、お前は家族をなくしちまってるから施設に入ってるんだろ、一乃宮?」
「ヒトツノミヤって言いにくいでしょ。ミミでいいよ」
おっと、こいつは思いがけないいたわりの言葉だが、残念ながら、一乃宮よ、そいつを享受するわけにはいかないんだ。なぜなら、お前の隣りに座っている馬鹿が、烈火のごとく俺のことをにらみつけてきたからな。
「……女をファースト・ネームで呼ぶ習慣はないんだ。気持ちだけもらっておくよ、一乃宮」
「だったら、ヒトツでもいいよ」
大葉とベーコンの和風パスタをちゅるちゅるすすりながら、一乃宮は子鹿のような目をむけてくる。
「ヒトツとか、ヒトツンとか、学校ではそんな風に呼ばれてるから」
「ヒトツちゃんってかわゆい! もなみもそう呼ぶ!」
馬鹿が騒いで、呼称が決定した。一乃宮ミミ、通称ヒトツだ。
それにしても……こいつは本当にただの高校生なんだなと実感させられる。
陸上部に所属していて、クラスメートに愛称で呼ばれる、ただの十六歳の高校二年生なのだ、こいつは。
「……それから、施設に入っていられるのは中学生まで。今は、アパートで一人暮らし」
「へえ? だけど学校にも行ってるんだろ? 詮索する気はないけど、その、金のほうとかはどうなってるんだ?」
「一乃宮の家から出てる。……もともと一乃宮は、祖母の実家だから」
なるほど。しかし、一緒に暮らしてくれるほどの縁ではない、ってことだな。
わずか十歳で家族のすべてをなくし、施設に入れられ、その後は一人暮らし……確かに幸福な生い立ちとは言い難いが、まあ、それはそれだけのことだ。
それでもこいつが真っ当に高校生活を営んでいるというなら、確かに、それは何にかえても守られるべきだと、俺でさえそんな気持ちになってきてしまった。
世の中には、七星のように人生をねじ曲げられてしまったやつもいる。
八雲だって、真っ当な人生や幸福は捨て去ってしまった。
俺や宇都見などは、ぎりぎり崖っぷちだ。
平穏で、凡庸な毎日。それこそが、今の俺にとっては最も重要でかけがえのないもの、という風に認識させられてしまっているのだから、「深く関わるべきではない」という七星の言葉が、今さらながらにどっしりと重く、俺の胸中にもしみわたってきたようだった。
不安定で、地に足がついていない。おまけにトラメの正体を見破れるぐらいには不思議な能力も備えもってしまっている。それでもこいつは、よちよちと「真っ当な人生」を歩んでいるのだから。魔術結社との抗争、などというとんでもない騒ぎに巻き込んでいいはずはなかった。
「よし! それでは午後の部スタートと参りましょうぞ!」
あらかた料理を食いつくすなり、七星はヒトツの手を引いて食堂を飛びだしていった。
トラメの完食を待ち、ゆるゆるとビーチに戻った俺たちは、そこに、思いがけないものを見た。……なんて言ったら大袈裟か。そこには、水着に着替えさせられたヒトツと、得意顔の七星が待ち受けていただけなのだから。
しかし、驚きの念に打たれたのは俺だけではなかったはずだ。
黒いビキニなどを着させられたヒトツは、何だかすっかり印象が変わってしまっていた。
これは何と表現したらいいのだろう。白いセーラー服を着ていたヒトツは年齢よりも幼く見えるぐらいだったのに、それが水着姿になると……何というか、野生の動物のようにしなやかな身体つきをしていて、その、たいそう綺麗に見えてしまったのである。
別に助平心だけでそんな風に言っているわけではない。本当に、ガラリと印象が変わってしまったのだ。
もともと幼く見えていたのは、そのぼんやりとした表情のせいだったのか。上背は七星と同じ一六○センチぐらいはあるし、彫りが深く、鼻筋の通った、凛々しいといってもいいような面立ちでもあるし、おまけにこんなに均整の取れたスタイルを有していたら……そりゃあインパクトは絶大であろう。
七星と並んでいるのが、また効果的だ。同じぐらいの背丈で、同じぐらいにスタイルのいい、色白の七星と、褐色の肌をしたヒトツ。見事なまでの対比である。まるで写真のネガとポジみたいで……と、そこで俺は、ようやく思いいたった。
ヒトツと似ていたのは、七星だったのだ。
顔立ちなんかは、全然似ていない。性格なんかも、正反対だ。
それでもなお、この二人はどこか似ていた。
並の人間ではありえない、傑出した人間特有のオーラというか、漂っている空気、雰囲気が、とても似ていたのだ。
「ほんとは白のビキニが良かったんだけどね! もなみの予備は、黒と紫しかなかったの! ……ミワちゃんがそんなに爆裂なサイズじゃなかったら、剥ぎとってヒトツちゃんに献上してあげたのになぁ」
「や、やめてください、もなみさん」
貞操の危機を感じたように、八雲が後ずさる。
七星がそんな阿呆な発言をしたせいで、俺もそれ以上、想念にとらわれるのはやめてしまった。
しかし、そうでなくても、俺には察することなどできなかっただろう。七星とヒトツがよく似ている、というその事実がもたらす運命について……特に、その肉体の作りまでもが相似していたということが、どれほど重要だったかなんて、凡夫たる俺には想像できるはずもなかったのだ。
その事実や運命の重さを俺が思い知るのは、もっとずっと後になってからのことだった。
「よっし! それじゃあ、遠泳勝負だっ! 妹ちゃんなんてもなみの相手にもならないけど、ヒトツちゃんはどうかなぁ?」
そんな暴言をまき散らしながら、七星はヒトツを海面へと誘っていった。
我が妹が「この吊りズボン……!」と歯がみしていたことは言うまでもない。
しかし、その結果は、驚くべきものだった。なんと、遠泳も潜水もヒトツの圧勝だったのである。
ヒトツは、さながらイルカの化身のようだった。
褐色の裸身が、海上に跳ねる。その姿はあまりに自由で、美しく、そして幸福そうだった。
もしかたら、こいつは本当に海洋生物の類いが人間に化けているだけなのではないかと、そんな馬鹿な考えが脳裏をよぎってしまうぐらいだったのだ。
「すごい! すごいすごい! 圧倒的な強さだね! いやぁ、他人の目にもなみがどう映るかを思い知らされた気分だよ! 圧倒的な強さってのは、なかなかに罪深いもんなんだねぇ!」
七星がそんな風に評したのは、ビーチバレーとスイカ割りで己の自尊心を再構築した後だった。
惜しいな。もう一勝ぐらいしてくれれば、ついに七星の泣きべそ顔が見れたかもしれないのに。イルカの化身も砂浜にあがってしまえば、牝ライオンに蹂躙されるばかりだった。
「妹ちゃん! 一回ぐらいは妹ちゃんに謝っておこうという気分になってきたよ!」
「な、何だよぅ、突然? どうしてあんたがナギに謝るのさ?」
「うん、だって、圧勝されるのってめちゃくちゃ悔しいもん! 妹ちゃんはいっつももなみにこんな気分を味わわされてたんだね! しかもビリヤードやスイカ割りでたまたま運良く偶発的に勝つことしかできなかったら悔しさも倍増でしょ! ごめんね、妹ちゃん!」
「ふわぁ、死ぬほどムカつく! ていうか殺す! 勝負しろ、吊りズボン!」
「お! お! ビーチ相撲? ビーチ柔道? 肉弾戦でもなみに挑むなんて二百六十五年早いぞっ!」
ライオンと子猫のじゃれあいが始まってしまった。
スイカを両断した棒きれを手にぼんやりたたずむヒトツのほうに、俺は戦利品たる赤い果実をさしだしてやる。
「お前もちょっとは休めよ、ヒトツ。あの馬鹿の相手ばかりをしてたら疲れるだろ?」
「ううん。……楽しい。いつも海には一人で来てるから」
「そうか。だけどまだ時間はたっぷりあるんだから、日陰でちょっと休もうぜ」
パラソルの下まで導いてやると、ヒトツは七星たちの死闘を見やりながら、ようやく一口スイカをかじった。
トラメはまた幸福そうに眠りをむさぼっており、アクラブは憮然と座りこんでいる。……おっと、宇都見のやつまで呑気に寝息をたてているじゃないか。寝不足の俺をさしおいて生意気なやつだ。
「ヒトツ、お前は本当に泳ぐのが好きなんだな」
「好き。……水神祭の前に泳げて良かった」
「……またそれか。水神祭ってのは何なんだ? その間は海に入ったらまずいのかよ?」
「ううん。本当は、上ノ浦の海じゃなかったら入ってもいいんだけど……神様がいなくなったから、駄目になったの。他の人はいいけれど、わたしは駄目」
「どうしてお前だけが駄目なんだ? そいつは不公平な話じゃないか」
「……神様がいなくなって、海を鎮めることができなくなったから。海野の血をひくわたしが海に入ったら、悪いモノを引き寄せてしまう」
迷信、としか思えなかった。
だけど、この世に、不思議はある。たとえ馬鹿げた迷信でも、それを守ることで平穏な生活をも守れるなら、しかたがないか。
……こんなに泳ぐのが幸福そうなのに、八月に海に入れないなんて、胸が痛くなるほど気の毒だけどな。
(それにしても……)
こいつは、俺たちのことをどう思っているのだろう?
けっきょく七星は自分の素性を明かしていないし。あの老人たちとの会話の内容を信じようとしたら、「海野カイジの身辺調査に来た興信所の調査員」ということになってしまう。
この状況下で、あんな言葉が真実だと思えるものだろうか。
それに、七星は、昨日の車中でもヒトツを相手に世間話ばかりしていた。身辺調査に来たのは本当なのに、誰よりも海野カイジについて詳しいはずのヒトツから、七星は情報を引きだそうという素振りさえ見せなかったのだ。
七星は、本当に、心底から、ヒトツを巻き込みたくないらしい。
それでいて、こんな風に気安く呼びだして一緒に遊ぼうとしてしまうところが、破綻をきわめた七星らしい蛮行だ。
「よっしゃーっ! ナギの勝ちぃ!」
と、ナギの勝利宣言が高らかに告げられて、俺のやくたいもない想念を寸断してくれた。
ひさびさの勝利を祝福してやるか、と俺は視線をめぐらせて……そこに、とんでもない光景を見出してしまった。
なんと、オレンジ色のビキニを剥ぎ取られた七星が、片腕で適当に胸もとを隠しながら、ナギを追い回していたのだ。
「こらーっ! ルールの提示を怠るなんて反則だっ! 水着を剥ぎ取ったら勝利だなんて、もなみは聞いてなかったぞっ!」
「へへーん。悔しかったら、取り返してみろっ! そんな言い訳したって、今この瞬間に負け犬まるだしなのはそっちだよ!」
「うむむ。断固として異議を申し立てる! それでも勝利を主張するつもりなら、せめてもなみを全裸に剥いてから……」
「やめろ馬鹿どもっ! 本当に逮捕されてェのか!」
思わず俺が怒鳴り声をあげると、かたわらのヒトツがびくりと肩を震わせた。
ああ、悪い。しかしこれが怒鳴らずにいられようか。
「ナギ! お前をそんな大馬鹿に育てた覚えはないぞ! 公衆の面前で何やっとるんだ! 他人様の迷惑になる前に、その馬鹿騒ぎを中止しろ!」
とたんにナギは泣きそうな顔になって逃げまどうのをやめた。
それに追突しそうになった七星は、片腕を振り上げたまま「うむむ?」とうなる。
「ちょいとミナトくん! 女同士の尋常な勝負に水をささないでよ! これからもなみの大逆転劇が始まる予定だったのに!」
「俺の妹を裸に剥く気か! そんなことしたらオトモダチの縁を切らせてもらうぞ、俺は!」
感情まかせに俺が言いつのると、七星もまた静かになった。
ふくよかな唇を少しだけとがらせて、上目づかいにこちらをにらみつけてくる。
と……俺の頭が、いきなり背後からペシリと叩かれた。
「何を大声で騒いでいるのだ。貴様が一番やかましいわ」
トラメである。
ほんのついさっきまで可愛い顔をしてスピスピと寝息をたてていたくせに、あっというまにいつもの仏頂面だ。
「ああ、悪いな。あいつらがあまりにも馬鹿だったからよ」
「何を今さら……ん、禁則破りか」
禁則破り?
ああ、そうそう、そいつだよ。以前はお前のこともしょっちゅう怒鳴りつけていたっけな。たしなみの足りない女が多くてまいっちまうぜ、本当に。
「……ミナトくん」と、得体の知れない激情を両目に燃やしながら、オレンジ色のビキニを右手にぶら下げた七星がズンズンと接近してくる。
「何だよ? そんなおっかない顔したって、今度は前言撤回する気はねェぞ?」
「……もなみとオトモダチの縁を切る、っての?」
「うん? ああ、これでも馬鹿騒ぎをやめないつもりならな」
そしてお前は、一刻も早くその手の水着を装着しろ。露出狂なら間に合ってるって、ずうっと前にも言ったはずだろう。その手をあとほんのちょっとでも下に降ろしたら、本気でひっぱたいてやるからな、コンチクショウめ。
「……やめる」
「ん。オトモダチをやめるってのか?」
「ぐわぁ! また言った! こ、こんな暴虐が許されていいのだろうか?」
七星はわなわなと震えながら、水着をからませた指先を俺に突きつけてくる。
「ば、ば、馬鹿騒ぎをやめるの意味に決まってるでしょ? ミナトくんに縁を切られたら、もなみはショックで狂い死ぬ! もなみが死んでもいいの? ミナトくんの、人殺しっ!」
そんな物騒な台詞を大声でわめくな。またもや波打ち際で遊びはじめた三人家族が、ぽかんとこちらを見つめているじゃあないか。
「俺を人殺しにしたくないなら、おとなしくしろ。そして、とっととそいつを着ろ。それで万事解決だ」
ぶっきらぼうに言い捨てて、俺は手もとに転がっていたビーチタオルを七星に投げつけてやった。
七星はぺたりと砂浜にしゃがみこみ、ビーチタオルを頭からかぶったまま、もぞもぞとその内側で蠢動する。
「……着ました」
「よし、おつかれさん。……ん、どうした、ヒトツ?」
かじりかけのスイカで口もとを隠しながら、ヒトツはじわじわと俺から遠ざかろうとしていた。
「……大声を出す男の人、こわい」
あれ、何事にも動じないキャラだと思ってたのに、意外と繊細な面もあるんだな。まったく、申し訳ないことをしてしまった。
で、七星は七星でビーチタオルの隙間から、うらみがましい目つきでじっと俺の顔をにらみつけている。
「……あのぅ、水着を着ましたので、これで許していただけますでしょうか、ご主人様?」
「ん、ああ、お前もあんまりはしゃぎすぎるなよな。今回はまあナギのやつも悪かったけど……って、おい、ナギ、お前は何をやってるんだよ?」
ナギは最初の位置から一歩も動かず、棒立ちで俺たちのほうを見つめていた。
しょげた子犬のような顔で、だ。
何だ何だ。まるで俺が悪者みたいじゃないか。
「……ご主人様。お隣りに座らせていただいてもよろしくありましょうか?」
「やめろよ、そのキャラ。……別にいいけど、べたべたひっつくなよ?」
「べたべたひっつかなければ、お友達のままでいていただけるのでしょうか?」
「何だよ、本当にやめろって。文句があるなら、はっきりそう言えばいいだろう?」
「いえいえ文句などあろうはずもございません。ワタクシはただいまズタズタに引き裂かれたハートの補修作業で手一杯なのでございます」
と、俺のかたわらに力なく崩れ落ちる。
「ご主人様。ワタクシも二度とこのような無作法がないようにつとめますので、何卒あのような発言はひかえていただきたく……ご主人様に見捨てられると想像しただけで、ワタクシのハートは崩落寸前なのでございます」
「ああもう、うるせェな。わかったよ。……ナギ! お前もいつまでもそんな顔してんな! もう怒ってないから、海で遊んでろ!」
それでも動かないナギのもとに、おっかなびっくり八雲が近づいていく。
すると、七星がまたどんよりとした目をむけてくる。
「ご主人様。妹御にのみ、そのようにお優しいお言葉をかけてさしあげるということは、やはりまだワタクシへの怒りは解けていない、ということなのでありましょうか……?」
「もうそのキャラはいいっての! 怒ってないから、そんなふてくされた顔すんな」
「ふてくされてるんじゃなくて、ほんとに大ダメージくらってめげてるんだよっ! ミナトくんは自分の影響力のはかり知れなさを全然わかってない!」
と、ようやくいつもの調子を少しだけ取り戻して、七星がわめく。
「うるせェな。縁を切るなんて、言葉のあやだろ。いちいち過剰反応するなよ、鬱陶しい」
「こ、言葉のあや!……鬱陶しい!……もなみをショック死寸前まで追いこんでおきながら、何たる暴言を……!」
「わかったよ。悪かったよ。謝るよ。謝るから、お前もあとほんのちょっとだけ人並みの常識ってやつを身につけてくれ」
「えー? そんなせせこましいことは考えないエキセントリックかつアバンギャルドなキャラが売りなのに! そんな小さくまとまったもなみなんて、設定的に弱くない?」
「知ったことか! とりあえず人前で着てるもんを脱がし合うような大馬鹿な真似は、二度とすんな」
「……ミナト、こわい」
と、ヒトツのやつが七星に寄り添うようにして、子鹿のごとき純真な瞳をむけてくる。
「ね、こわいよね! ヒトツちゃんのかわゆさがズタズタのココロにしみるなぁ。いっそ禁断の恋へと身を投じちゃおうかしらん」
などと馬鹿なことを言いながら、ヒトツの首に両腕をからみつかせる。
すると今度は、浜辺のほうから戻ってきたラケルタが、責めるような目で俺をにらんできた。
「あのさァ、ミナト、アンタまで騒ぎだしたら収拾つかなくなっちゃうじゃんかサ? 頼むから、これ以上モメゴトを増やさないでおくれヨ」
うわあ、やっぱり俺が悪いのかよ?
トラメも冷たい目で俺の顔をねめつけているし、アクラブのやつはそっぽをむいているし、宇都見のやつは夢の世界だし。四面楚歌だな、こりゃ。
ナギのほうはと見てみると、あちらは八雲に背中をおされる格好で、ビニールボートで遊びはじめていた。常識人は苦労するな、八雲。
きょとんとしていた三人家族も、また楽しげに砂遊びを再開していた。
でっぷりと肥えたアロハのおっさんに、スレンダーな若奥さん。それから小学生未満ぐらいの小さな女の子だ。
今日は朝からこの家族しか宿泊客を見ていない。昼前に、ロータリーから送迎バスが出ていくのを見かけたから、今日づけでやってくる客たちが到着するまで、ホテル・サモヴィーラには俺たちとこの家族しか存在しないのかもしれなかった。
罰当たりな待遇だな、本当に。
「そうだっ! 大事な約束を思い出したぞっ!」
と、いきなり七星の声が響くと同時に、熱くやわらかい物体が俺の足もとにダイブしてきた。
もちろん七星本人の肉体である。
あぐらをかいた両足の上にのしかかり、白い腕を俺の腰に回してくる。
さすがにこのタイミングで奇襲されるとは予測できなかったので、俺は身じろぎひとつできなかった。
「な、何をしやがる? ひっつくなって言ったばかりだろ!」
「ふふん、甘いな、ミナトくん! 膝まくらの約束をしたのは昨晩のことなんだから、『ひっつくな』という理不尽な要求を発する前のことなのだ! だからその権利は断固として行使させていただくよっ! 文句を言われる筋合いはないっ!」
どっちが理不尽だ。そんな約束を交わしたおぼえはないし、現在のこの体勢は「膝まくら」の概念から大きく逸脱しきっている。
俺は「この馬鹿女!」とわめきながら、七星の後頭部にちょいと強めの空手チョップを叩きこもうとした。
そのとき。
パンッ、と何かが弾け飛ぶような音色が、響いた。