ファーストガールのプライド
今回はカトリーナメインで話が進みます。
カトリーナは優雅に学園の廊下を歩いていた。
長い金髪はふわりと揺れ、微笑を浮かべるその姿はいつもどおり完璧で、生徒たちの憧れでもあった。左腕にさりげなく嵌めているブレスレットはレオナルドの瞳と同じ青色の石がついており、ファーストガールとしての誇りを表していた。しかしその外見とは対照的に、カトリーナの内面は脆い。
カトリーナは、常に周囲の目を意識して生きている。
周りからの称賛や尊敬を得るため、幼少期から家庭内でも気を張りつめ、常に一番でいるよう努めてきた。なのに、リディアという平民の魔法使いが、努力と稀有な才能で学園の上位に名を連ね、レオナルドの「セカンドガール」と呼ばれていることが不快であり、リディアとは一種の冷戦状態であった。
しかし最近、リディアはサードガールと呼ばれる編入生のセレナと懇意になっているようだ。その行動は、2番手と3番手が同盟を組んでるようにしか見えず、カトリーナにはその卑怯な振る舞いが許せなかった。
貴族として、隠密に平民であるリディアやこの国で地位を持たないセレナを蹴散らすことは簡単だが、カトリーナは生来、正々堂々とした性格である。
「逃げずにきたわね」
カトリーナは、ついにリディアとセレナを人気のない学園の裏庭に呼び出した。
誰が本当に序列が上かを、知らしめてやりたかった。
しかし、話してみてもリディアは「序列とか肩書に興味ないの。レオナルドの1番だか2番だか知らないけど、どうぞご自由に」と言い放ち、カトリーナを眼中にないように扱う。セレナに至っては天然なのか「カトリーナさんはとてもお美しいですし、素晴らしい方と聞いています!レオナルドさんとのこと、応援してますね」と言い出す始末。
カトリーナはリディアのその態度に腑が煮えくりかえりそうだった。
言い争いは次第に激しさを増し、カトリーナがリディアに向かって一歩踏み出した瞬間、炎が彼女の手から舞い上がり、空気を焦がした。
「あなたみたいな平民が、どうしてここで我が物顔で歩いていられるのかしら?」
リディアもまた一歩も引かず、水の魔法を手に宿らせた。彼女の冷静な表情は、カトリーナに苛立ちを募らせた。
「貴族だからといって、上に立つ資格があるわけじゃない。実力がある者が、上にいくのよ」
その言葉に、カトリーナの炎が一層強まる。
二人の間で魔法が交錯し、激しい攻防が繰り広げられた。
カトリーナの炎が燃え上がるたび、リディアの水がそれをかき消していく。
カトリーナ優勢の中、彼女の心は次第に過去の記憶へと引き込まれていった。
ーーーーーー
幼少期のカトリーナは、魔法理論を学ぶのが何より好きで、戦いには興味はなかった。
家庭教師が勧める魔法書を夢中で読み、魔法の仕組みや法則を知るたびに、秘密の世界を知ったような高揚感があった。けれど、実技の訓練にはどうしても身が入らず、家庭教師からも度々注意を受けていた。
ついに厳格な父親にもそのことが伝わり、激怒された。
「魔法理論など最低限で良い。貴族として実技を極めろ。戦えなければ意味がないのだ」
カトリーナは、強気な態度で父に反論した。
戦うだけが貴族の役割ではない。解明されてない魔法の法則を読み解き、世の中の役に立つことも重要である、と。
けれど、その返答は予想外の形で返ってきた。性格の悪い妹と魔法試合をさせられることになったのだ。妹とカトリーナは以前からソリが合わず、戦いが始まると容赦なく攻撃を受けた。カトリーナは次第に圧倒され、惨敗した。
敗北のあと、妹が侮蔑の笑みを浮かべていった言葉を、カトリーナは一生忘れない。
「お姉様に魔法は向いてないんじゃないですか?貴族のなんたるかも理解されてないようですし...精々その美しい外見を活かして、早く嫁いだほうがよろしいと思いますよ」
父親からも厳しい叱責を受けた。
カトリーナにとって、それは耐え難い屈辱であり、それ以来、彼女は何事にも一番であり続けることに異常なほどこだわるようになった。
この過去を知っているのは、幼馴染であるレオナルドだけだった。
レオナルドは、魔法理論が好きな自分を認めてくれる。完璧を目指す辛さをわかってくれる。
彼の前でだけは、カトリーナは完璧である必要がなかった。
レオナルドに評価されることは、ありのままの自分を評価されること。それが、カトリーナにとって唯一の心の支えであり、だからこそ彼に近づく人間は決して許せなかった。
ーーーーーー
なのに、平民の分際で自分が幼少期から築いた実力に拮抗する力をもち、しかもレオナルドに気に入られてるのに興味のない素振りを見せるリディア。
何より気に入らないのは、彼女が生き生きとしていることだ。
周りからの期待や重圧もなく、好きなことを学び、それが評価されている。
彼女への憎しみで、さらに炎は巨大化し、まるで生きてるかのように揺らめいた。しかし、リディアも水の壁で彼女の炎を防ぎ続けている。
「なぜ、あなたは平民のくせにそんなに堂々としていられるの?」
どんなに実力があっても所詮は平民。もう少し、自信なさそうに俯いてくれたら。
もう少し、貴族への羨望の眼差しを向けてくれたら。
そうしたら、カトリーナの溜飲も下がったかもしれないのに。
カトリーナの問いに、リディアは少し驚いたように眉を上げたが、すぐに微笑んだ。
「だって、私は私だもの。出自なんて関係ないわ。魔法の力は貴族のものではない。この世に生きる全ての人のためにあるのよ」
その言葉に、カトリーナは思わず心が揺れた。
そうだ、自分だって昔はそう思っていた。
魔法はみんなのもので、世の中の役に立ててこそだと。
なのに今は、父に言われるがまま、貴族の役割を果たすためだけに、完璧であることに必死だった。
思わずカトリーナの炎が弱まり、リディアも魔法を解いた。息を切らす二人の間に、セレナが割って入り、植物魔法を用いて二人の傷を優しく癒し始めた。
「これで二人とも落ち着いてください」
セレナの手際に、カトリーナは不覚にも感心してしまった。
セレナは、異国から持ち込んだ薬草の知識と植物魔法を巧みに使いこなし、瞬く間に二人の傷を癒していく。
手当を受ける間、三人の間に静かな時間が流れた。
「さっきの話だけど、やっぱり魔法はみんなのために楽しくあるべきだと思わない?」
リディアは先ほどの戦いを忘れたかのように、水を操り始める。
次の瞬間、水が小さな動物の形を取り、ぴょんぴょんと動き出す。
小さなウサギや鳥、魚が次々と現れ、まるで生きているかのように可愛らしく動き回るその様子に、セレナも目を輝かせた。
「それなら、私も…」とセレナが微笑み、自国から持ち込んだ植物の種を魔法で生やすと、瞬く間にカラフルな木の実が実を結ぶ。セレナがその木の実を摘み取り、水の動物たちにそっと差し出すと、動物たちは一つずつ木の実を「食べ」ていく。
すると、不思議なことに、動物たちの水が色づき、赤や黄色、緑といった果実水のような色彩に変わっていく。色をまとった動物たちはさらに可愛らしくなり、キラキラと輝きながら3人の周りを飛び跳ねる。
「嘘でしょう...」
カトリーナにとってその光景は衝撃だった。
魔法は日常生活を助けてくれるし、魔道具で生活を豊かにすることも可能だ。でもそれは、あくまで”普段使い”の話。魔法は厳格で理論的なものであり、その真髄は戦いにこそあると信じていた。いや、信じていたかった。
しかし、二人の魔法には遊び心があり、生き生きとした創造力が感じられる。
「喉乾いてきたね...」
リディアが呟き、色づいた動物たちを球体に戻してから、3人の手元までふよふよと運んでいく。それぞれの球体は、果物の香りがほのかに漂っており、カトリーナは素直にそれを飲み干した。疲労した身体にちょうどいい温度で、果実の香りが心を溶きほぐしていく。
「おいしい...」
それは、カトリーナが知る「新しい魔法の価値」だった。
あのまま戦いを続けていたら、おそらくカトリーナが勝っていただろう。カトリーナは魔力の余力もだいぶあり、奥の手だって残っていた。
それでも、カトリーナは、2人に、特にリディアに勝てた気が全くしない。
カトリーナは、正々堂々とした性格であり、相手の美点を認められないような器の小さい女ではなかった。それでもカトリーナは、今まで嫌っていた人間をすぐに認められるほど大人でもなかった。
「今日のところはこのくらいで勘弁してあげる。リディアもセレナも、自分の分をわきまえて、あまり調子に乗らないことね」
そういって颯爽と裏庭を後にしたが、これが負け惜しみのような発言であることはカトリーナ自身が一番よくわかっていた。
そして、2人の名前を初めて呼んだこと、2人を「認めた」ことには、カトリーナ自身気づいてなかった。
さらに、カトリーナは気づいてなかった。
「平民と異国の女がカトリーナ様にあの態度、生意気よ」
自分の取り巻きともいえる生徒が、この現場を目撃していたことを。