#20 離脱
「それでは、我々はこれより宇宙に向かいます。戻り次第、また連絡いたします」
『分かったわぁ、それじゃあ、連絡待ってるわねぇ!それにしても、便利ねぇ、この魔導具。遠くの人と、瞬時に会話できるなんて!うちの軍隊にも、たくさん欲しいわぁ!』
遠く離れた者同士、その姿ごと映し出しながら話ができるという魔導を使って、ディーノとエスコパル卿が話をしている。なんでも、この船はこれから、宇宙というところに向かうのだと言う。
このままでは、燃料やら食糧やらが尽きてしまうらしい。この船、空の上ではせいぜい2週間ほどしかいられないんだとか。で、明日がその2週間目ということで、これから宇宙に出るんだそうだ。
そしてディーノと共に会議室を出て、そのまま通路を奥へと進む。
「あの……この先には何が?」
「艦橋ですよ。この艦の指揮命令系統の中枢が、そこに集まっています。で、そこには大きな窓があるんですよ」
窓があるんだ。いつもはあのテレビモニターというやつを使って外を見るしかないが、その場所は外を直に見られるということか。
少し狭い通路の先に、扉が見えてきた。底を開けて中に入ると、人がぎっしりと座っている場所に出る。
「よし、最終チェック!」
「対地レーダー、異常なし!」
「近距離レーダー、進路上300万キロ以内に、障害物認められず!」
『機関室より艦橋!機関正常、問題なし!』
「各種センサー、及び機器類に異常なし。大気圏離脱準備、完了!」
「よし、ではこれより上昇を開始する。両舷微速上昇!」
「はっ!両舷微速上昇!」
何やら騒がしいところだな。だが、私が低い階段を登って一段高いところに立つと、なぜか一斉に、私の方に視線が集まる。
「あ、魔法少女さんだ」
「本当だ、魔法少女さんだ」
なぜか私は、魔法少女と呼ばれている。魔導師と呼ぶものは、一人もいない。彼ら魔族の間では、魔導師のことをそう呼ぶものなのだろうか?
「魔法少女……じゃない、エリゼさん。ようこそ、艦橋へ」
「はい、よろしくお願いします」
艦長のモルターリ殿だ。この船の中で一番偉く、そして52歳という一番歳をとった人物でもあるのだが、あまり年齢を感じさせない。王都で50歳を超えたら、もう隠居してもおかしくないという歳なのに、この方からは、まだまだ働けそうな気概を感じる。
「副長、戦艦サン・マルティーノからの返信は!?」
「はっ!入港許可、及びエリゼ殿受け入れに関して了承!直ちにこちらに向かえ、とのことです!」
今から向かうのは、その「戦艦」というところだ。戦う大型の船のことだそうだが、船が船に向かうというのも変な話だ。
「エリゼさん、せっかくなので、窓の外を見ましょう」
一方で、どこにいようが無神経で能天気なこのディーノという魔族は、私を正面の大きな窓の方へと誘う。杖を握り、私は彼の導きに応え、窓へと向かう。
おかしいな……まだ、昼間だというのに、もう空が暗い。遠くには、青く薄い膜のようなものが見える。どうなっているんだ?しかし、夜かと思えばそんなことはなく、太陽は照っている。やはり昼間だ。昼間なのに、空が暗い。
「ほら、下を見てください、下を」
言われるまま、下を見る。と言っても、正面は長く灰色の船体が邪魔をして見えないので、その左右から地上の方を見る。
なにやら、黒い雲で覆われている。時折、その雲の上がパッパッと光る。
「あれは……まさか、嵐なのでは?」
「そうだね、この真下は今ごろ、激しい大雨と雷の真っただ中だね」
「そうですか……しかし、これほど高い場所だと、そんな嵐も下に臨むことになるのですか」
「そういえば、魔物って嵐の時、どうしているんだろうね?」
「多分、巣に戻って大人しくしているのでしょう。こんな大雨の真っ只中を飛ぶ魔物は見たことがないですから」
「なんだ、その辺りは、普通の動物と同じなんだねぇ」
変なことを聞くやつだな。そりゃあ魔物だって生き物だ。わざわざこんな大雨の中、歩き回ることなどするはずもないだろう。
ちょうど今は時折、嵐が起きる季節だ。あれくらいの嵐は、そう珍しいものではない。私も道中、二度ほど嵐に見舞われたな。そういえば、勇者様や賢者様、剣士、火の魔導師は、今ごろあの嵐の中にいるのだろうか。
「高度4万メートルに到達!」
「よし、最終確認!」
「はっ、短距離レーダー、前方に障害物なし!」
『機関室より艦橋!機関正常!』
「各種機器類、およびセンサー異常なし!大気圏離脱準備、よし!」
「ではこれより、当艦は大気圏離脱を行う。機関最大出力、両舷前進いっぱい!」
「はっ!機関出力最大!両舷前進いっぱーい!」
地上の様子に想いを馳せていたら、急にビリビリと床が震え始める。どこからともなく、ゴーッという重苦しい音が響き渡る。
太陽が照っているのに、すっかり暗くなった不思議な空と、その地面との境界が、いきなり横に動き出した。何これ、何が起きているの?
ああ、そうか、そういえばずっと高いところに向かっているんだった。だけど、この力強い魔導はなんなのか。あっという間に、その空と地上の境目は後ろへと流れていき、真っ暗な場所に出る。
「回頭180度!地球へのスイングバイ軌道へ移行!」
けたたましい音が続く。ものすごい速度で進んでいるんだろうけど、周りには星しか見えないから、どれくらいの速度なのかがさっぱり掴めない。が、その星が、ぐるりと回る。
そして、目の前に、とてつもない星が現れた。
初級魔導使いには、魔石ではなく、ラピスラズリの石を使う者もいる。大きな力は得られないが、その方が力が出しやすいという者も中にはいる。
そのラピスラズリの丸石を呆れるほど大きくしたような星が、いきなり目の前に現れた。
「えっ!なんで、ラピスラズリが!?」
「いや、エリゼさん、あれは地球だよ」
「は?あれが、地球?」
「そう、エリゼさんやエスコパル様が住んでいる星だよ」
近づくに連れて、青い表面と白い筋の正体が見えてきた。青いところは海であり、白い筋は雲だ。そしてその合間に、大きな陸が見える。
ああ、あの大きな陸は多分、我がエスタード王国のある大陸だ。だが、その大陸よりも、海の方がはるかに大きい。大陸一の王国などと言っているが、その大陸は、この丸い大地のごく一部に過ぎないというの?
だが、そんな地球は、あっという間に横を通り過ぎて、後ろに流れてしまう。目の前には、真っ暗な夜空のようなものが広がっている。
「スイングバイ完了、当艦は巡航速度に乗りました!戦艦サン・マルティーニまで、あと5時間!」
ただただ真っ暗な夜空の中をひた進む船に、私はいる。上も下も前も、遮るものが何も見当たらない。多くの星々がただ、光っているだけだ。
「さて、大気圏離脱も終わったので、しばらく食堂にでもいきましょうか」
「あ、はい」
ディーノの呼びかけに応じて、私は食堂へと向かう。時折、艦橋の中の人から手を振られる。私は微笑み、手を振りかえす。
すると、艦長まで手を振ってきた。嬉しそうだな、あの人も。私に手を振るのが、そんなに嬉しいのか?不思議な人たちばかりだ。
王都では、私はどちらかというと、頭を下げられる対象だ。この紫と茶色の魔導服は、上級魔導師の証。その服に、尊敬の念を抱かないものはいない。
が、ここの魔族にとっては、魔導師とは笑顔で手を振る対象なのだろうか?こんなに親密に接してもらえたのは、私の生涯でも初めてのことだ。




