任務完了ー
ミリィは、地面へと降り立つ。
足が、わずかに沈む。
衝撃を逃がしきれず、体が揺れる。
肩で、大きく息をする。
「ハァッ……ハァッ……ハァッ……ハァッ――」
呼吸が乱れる。
体力ではない。
心が、押し潰されている。
胸が苦しい。
息が、うまく吸えない。
過呼吸。
ミリィは胸を押さえ、その場に片膝をついた。
視界が揺れる。
それでも、手は自然と首元へ伸びる。
指先が触れる。
小さな、指輪たち。
ミリィはそれを見つめて、小さく呟いた。
「……私……がんばり、ました」
震える声だった。
その瞬間。
オセロットが駆け出しかけて――
止まる。
目が、見開かれる。
「ミリィ様!後ろだ!」
叫び。
ミリィは片膝をついたまま、顔を上げる。
振り返る。
そこに――
いた。
再び。
巨大な影。
ドラゴン。
その顔は、大きく歪んでいた。
片側が潰れ、骨格が崩れている。
それでも。
それでもなお、立っている。
その顎が、大きく開かれる。
喉の奥。
焔が、強く輝く。
さっきとは比べものにならないほどの光量。
圧縮された熱。
放たれる準備が、整っている。
ミリィの瞳が、大きく見開かれる。
立ち上がる。
反射的に。
「竜の吹息<ドラゴン・ブレス>……」
理解する。
「そんなの……撃たれたら……」
息が詰まる。
「みんな死んじゃう……」
考える時間は、ない。
その瞬間――
放たれた。
――ゴォォォォォォォォォッ!!!!
焔が、吐き出される。
視界が、一瞬で赤に染まる。
すべてを焼き尽くす奔流。
熱が、空気を歪ませる。
逃げ場は、ない。
ミリィの目の前が――
焔に、支配された。
焼けつくような熱。
視界を埋め尽くす、灼熱の奔流。
その中心へ――
ミリィは、踏み出した。
両手を、前へ突き出す。
涙を流したまま。
震えたまま。
それでも――叫ぶ。
「ダメェェェェェェェェェェッ!!!!」
絶叫だった。
拒絶の叫び。
守るための、叫び。
その瞬間。
突き出された両手に、純白の光が集まる。
溢れる。
収束する。
圧縮される。
限界まで、押し固められた魔力が――形を持つ。
――壁。
光の障壁が、目の前に展開された。
次の瞬間。
――激突。
竜の焔が、ぶつかる。
轟音。
熱が、爆ぜる。
だが――
止まる。
押し潰すはずの奔流が。
すべてを焼き尽くすはずの炎が。
――進めない。
白い壁に、阻まれる。
ミリィの足が、地面を削る。
踏みしめる。
押される。
それでも、退かない。
「ぁ……あぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
さらに力を込める。
光が、膨れ上がる。
壁が、歪む。
そして――
弾いた。
――反転。
押し返す。
竜の焔を、そのまま。
軌道を変え。
流れを歪め。
そのまま――
ドラゴン自身へと、叩き返す。
――ゴォォォォォォォォォッ!!!!
逆流した炎が、竜の顔面へ直撃する。
歪んだ頭部を、さらに焼き、叩き、覆い尽くす。
咆哮が、渓谷に響いた。
炎と光が、ぶつかり合い――
世界が、白く弾けた。
膨れ上がった爆炎が、ゆっくりと晴れていく。
焦げた空気。
揺らぐ熱。
その中で――
それは、まだ“いた”。
空中。
巨大な翼を広げ、留まっている。
ドラゴン。
その顎は――消し飛んでいた。
大きく抉られ、原形を留めていない。
だが。
その右目だけは――
まだ、光を失っていない。
ぎらつくような、執念。
そして。
顎を失い、穴だけとなった喉の奥。
そこから――再び、焔が立ち上る。
まだ終わらない。
そう言わんばかりに。
その瞬間。
ミリィは――もう、いなかった。
次の瞬間。
ドラゴンの、頭上。
そこに、その姿はあった。
風を裂いて、すでに到達している。
ドラゴンの目が、わずかに動く。
上を向く。
気付く。
だが――遅い。
ミリィは、手刀を大きく天へと振り上げていた。
その手に。
純白の光が、集まる。
溢れる。
収束する。
空気が、震える。
光が、刃の形を取る。
巨大で、鋭く。
絶対的な一撃。
ミリィの声が、裂ける。
「ああああぁ……ああああああああっっっっ!やあぁぁぁぁぁぁっ!!」
振り下ろされる。
まっすぐに。
一切の迷いなく。
白き斬撃が、空を断ち――
ドラゴンへと、落ちる。
一瞬。
音が、消えた。
静寂。
そして――
ずれる。
ドラゴンの巨体が。
ゆっくりと。
左右に。
綺麗に、真っ直ぐに。
縦に。
完全に、断たれていた。
次の瞬間。
二つに分かれた巨体が、重力に引かれ――
谷底へと、落ちていく。
――ゴォォォォォォォォォンッ!!!
三度目の轟音。
衝撃。
振動が、大地を揺らす。
崖が軋み、岩が崩れ落ちる。
森が揺れ、空気が震える。
完全な、終わりだった。
空中で。
ミリィの身体から、力が抜ける。
光が消える。
そのまま――
落ちる。
崩れるように。
ゆっくりと。
そして。
――ドサッ。
地面に、倒れ込むように着地した。
動かない。
ただ、そこに横たわる。
戦いは――終わった。
「ハァッ……ハァッ……ハァッ……ハァッ……こわ、かったぁ……」
力の抜けた声。
ミリィの頬を、涙が止まらずに流れ続ける。
肩が小さく上下する。
まだ、震えが残っていた。
そのもとへ、土を蹴って駆け寄る足音。
オセロットがすぐ傍に膝をつき、顔を覗き込む。
「大丈夫っすか?漏らしてないですか?」
いつもの調子。
ミリィの顔が一瞬で赤くなる。
「も、漏らっ……そんなことありません!!」
涙目のまま、必死に否定する。
オセロットは満足そうに頷いた。
「ならいいっす」
あっさりと言い切り、手を差し出す。
「ほら、立って。みんな来ますよ」
その言葉に、ミリィが顔を上げる。
視線の先。
ハーマンとノイン。
そして、冒険者たち。
ゆっくりと、こちらへ歩いてきていた。
さっきまでとは、違う空気で。
ミリィは慌てて立ち上がる。
少しよろけながらも、なんとか足に力を入れる。
両手で、慌てて涙を拭う。
そのとき。
すっと、白い布が差し出された。
ミリィは一瞬きょとんとする。
視線を上げる。
そこにいたのは――リンだった。
何も言わず、ただハンカチを差し出している。
ミリィは少し戸惑いながら、それを受け取る。
「……あ、ありがとうございます……」
小さく頭を下げる。
そして、顔を拭いながら、もう一度リンを見る。
不思議そうに。
さっきまでの言葉が、まだ頭に残っている。
だが――
リンは、何も言わない。
ただ静かに、ミリィを見ていた。
その瞳は――
もう、最初と同じものではなかった。
ゆっくりと、全員がミリィの前に集まる。
先ほどまでの距離が、もうない。
ハーマンが一歩前に出る。
背筋を伸ばし、姿勢を正す。
そして――
「ドラゴン討伐を確認しました。これにて依頼達成となります」
事務的でありながら、どこか張り詰めた声。
続けて、深く頭を下げた。
「剣聖ミレニアム様、お見事でした!」
明確な敬意。
先ほどまでとはまるで違うものだった。
ノインも、わずかに視線を逸らしながら頭を下げる。
「……お見事、でした」
気まずさを隠しきれない声音。
だが、それでも確かに認めていた。
その後ろから、勢いよくアレンが前に出る。
興奮を隠せていない顔で、笑う。
「剣聖様!さすがだな!すげーの見せてもらったよ!」
素直な感嘆。
その肩を、横から軽く杖で叩かれる。
「ちょ、敬語使いなさいよ」
リンだった。
呆れたように言いながらも、その口元はわずかに緩んでいる。
アレンが「いてっ」と小さく声を漏ら
リンはそのまま、一歩前へ出る。
ミリィの正面に立つ。
そして、静かに頭を下げた。
「あれは古代ドラゴン。普通の個体よりはるかに強力です」
視線を上げる。
その瞳には、もう疑いはなかった。
「……本当に、お見事でした」
はっきりとした敬意。
その言葉に続くように――
ダラスが一歩前に出る。
重い鎧が鳴る。
ミリィをまっすぐ見据え、短く、だがはっきりと言った。
「見事な戦いだった」
それだけ。
だが、言葉以上の重みがあった。
ラーヤは少し照れたように頭をかきながら、笑う。
「いやー……正直、ちょっとナメてた」
肩をすくめる。
「でも、あれ見せられたら文句言えないわ。すごかったよ、剣聖様」
軽い調子の中にも、しっかりとした認める気持ちがあった。
ヤザンも静かに一歩前へ出る。
姿勢を正し、丁寧に頭を下げる。
「我々の浅慮をお許しください」
ゆっくりと顔を上げる。
「あなたは間違いなく、“剣聖”です」
その断言に、場の空気が静かに締まる。
全員の視線が、ミリィへと向けられていた。
疑いも、侮りも、もうない。
ただ――
確かな敬意だけが、そこにあった。
全員の視線が、ミリィへと集まる。
逃げ場はない。
ミリィは――
ひとり、完全に固まっていた。
顔を真っ赤に染めたまま、涙目で視線を泳がせる。
「え……ええぇ……い、いやぁ……そんなぁ……」
しどろもどろ。
さっきまでドラゴンを叩き伏せていた人物とは思えない。
その様子に、空気がほんの少しだけ緩む。
次の瞬間。
――ぺしっ。
軽い音。
オセロットの手のひらが、ミリィの後頭部を叩いた。
「あっ」
その場の何人かが、同時に声を上げる。
ミリィがびくっと肩を跳ねさせる。
オセロットは気にした様子もなく、腕を組んだ。
「ほら、しっかりしてくださいよー。背筋伸ばして!」
ぐいっと顎で示す。
「みんな見てんだからさっ!」
ミリィは後頭部を押さえながら、じとっとした目でオセロットを見る。
弱々しい抗議の視線。
だが――
深く息を吸う。
ぎこちなく、背筋を伸ばす。
向き直る。
全員の前へ。
まだ少し震えている。
それでも――
口を開いた。
「剣聖ミレニアム・ジ・ミレニアムの名において、依頼完了といたします。皆様、ご苦労さばっ」
噛んだ。
完全に。
言葉が変なところで途切れる。
一瞬――
沈黙。
なんとも言えない空気が、その場を包み込む。
風の音だけが、やけに大きく響いた。
ミリィの顔が、さらに真っ赤になる。
その背後で。
オセロットが、顔に手を当てていた。
「……あーあ」
小さく、呟く。
その声だけが、妙にしっくりと場に馴染んだ。




