第86話『ホテル活魚の怪』
曇り空の下、錆びついた看板がかろうじて文字を留めていた。
「ホテル活魚」――海沿いの風に煽られ、軋むような音を立てている。
「ここが“活魚”か……ずいぶんと荒れてるな」
修は車のドアを開けながら、低く呟いた。
その後ろで、リュックの隙間からノクスが顔を出した。
「にゃあ……(また愛菜、びびってるにゃ)」
助手席から降りた結が腕を組みながら、ホテルの外観を見上げる。
「このホテル、数年前までは営業していたらしいけど……閉館してから事件があって、噂が絶えないんだって」
「夜な夜な誰かの声がするとか、勝手に窓が開くとか、そういう話?」
愛菜が後部座席から降りつつ、声を震わせて尋ねた。
「そう、典型的なポルターガイスト現象よ。信じるかどうかは別としてね」
愛菜はノクスを抱き上げ、そっと背中を撫でて落ち着かせる。
「ノクス、ちゃんと見張っててよ……」
「にゃあ……(任せるにゃ)」
浜野先生は車のトランクから撮影機材を取り出しながら、
「記録はしっかり残す。どんな現象が起きるか分からないからな」
そう言って廃墟と化したホテルの正面に立った。
玄関の自動ドアは半開きのまま止まり、風が吹き抜けていた。
奥の闇が何かを吸い込もうとしているかのように見えた。
「行こう」
修の合図で、一同は足を踏み入れた。
ロビーは埃にまみれていて、古びた絨毯の模様がかろうじて見えた。
壁にはかつてのリゾートホテルらしい海の絵が飾られていたが、色は褪せてぼやけている。
「うわぁ……本当に廃墟って感じ」
愛菜が小声で呟いた。
ノクスは修の肩に飛び乗り、周囲を警戒して目を光らせている。
「怪奇現象を記録するって、こういう事なんだな」
浜野先生はカメラを回しながら慎重に歩いた。
廊下は薄暗く、窓から差し込むわずかな光が埃を舞い上げている。
「何か気配はある?」
結が修に尋ねる。
「今の所、何も見えない」
修は警戒しながら答えた。
愛菜は震える手でノクスを抱きしめている。
突然、遠くから窓がバタンと音を立てて閉まった。
「っ!」
全員が一瞬動きを止めた。
「誰かいるのか?」
修が声を張り上げるが、返事はなかった。
「これは……ポルターガイストの仕業か?」
結は眉をひそめた。
「しばらく様子を見るしかないな」
更に奥へ進むと、階段の踊り場に古い靴が一足転がっていた。
「誰かがここにいたんだろうな……」
愛菜が小声で呟いた。
階段を上がると、二階の廊下に古びたランプが並んでいた。
その内の一つがぽっと灯り、薄暗い廊下をぼんやりと照らした。
「わっ!」
愛菜が思わず声を上げる。
「誰かがスイッチを触ったのか?」
浜野先生が周囲を見回す。
「いや……ここに電気が通っているとは思えないけど」
修は眉をひそめた。
ノクスがじっと何かを見つめている。
「ノクス?」
修が声をかけると、ノクスは廊下の奥をじっと見つめた。
「にゃあ……(何かいるぞ?)」
ノクスが警戒心をあらわに鳴いた。
「ノクスが何かいるって言ってます」
愛菜が緊張した声で伝えた。
ノクスは廊下の突き当たりへ走り出した。
「待って、どこに行くの!?」
愛菜が慌てて追いかける。
廊下の奥は行き止まりだった。
ノクスは壁の隙間に鼻を押しつけている。
「にゃあ……(ここ、何かあるにゃ)」
「何か匂うか?」
修が壁を調べると、かすかに隠し扉の跡が見つかった。
「ここ、隠し部屋があるのか?」
壁の一部がゆっくりと動き、隠し扉が開いた。
「うわっ……」
結が思わず後ずさった。
隠し扉の奥は狭い階段で、地下へと続いていた。
「にゃあ……(危険だけど行くにゃ)」
ノクスが警告する。
「危険かも知れないけど、行くしかないな」
修が決意を固めて言った。
地下へ続く階段を慎重に降りていく。
湿気が強く、壁には水滴の跡が点々と残っていた。
「ここは……かつての従業員通路かもしれない」
浜野先生が推測した。
薄暗い地下通路を進むと、古びた鉄扉が現れた。
「鍵はかかっていないようだ」
修が扉を押し開ける。
部屋は古い倉庫のようで、錆びた道具や壊れた家具が散乱している。
しかし、片隅に積まれた段ボール箱が異様な存在感を放っていた。
「これは……」
愛菜が恐る恐る近づいた。
段ボール箱を開けると、古い日記と写真が出てきた。
「この日記、読むべきだと思う」
結が言った。
ページをめくると、ホテルの従業員が綴った恐怖の記録が記されていた。
「ここに、事件の真相が書かれているかも知れない」
修は真剣な表情で言った。
その時、部屋の温度が急に下がり、冷たい風が吹き抜けた。
「気をつけろ……」
浜野先生が警戒を強めた。
部屋の奥から、かすかな囁き声が聞こえた。
「……帰れ……ここから出ろ……」
ノクスが毛を逆立て、にゃあ……(危険だにゃ)と低く唸った。
「誰かいるのか?」
修が声を張り上げる。
しかし返事はなく、空気はますます重く淀んでいった。
「このホテル……何かに取り憑かれている」
結は覚悟を決めたように言った。
「でも、俺達が真実を見つけなきゃ何も変わらない」
修は拳を握り締めた。
ノクスが再びにゃあ……(先に進むにゃ)と鳴き、先を示すように歩き出した。
「よし、ついていこう」
愛菜が緊張しながら言った。
一行は更に深く、ホテルの闇へと進んでいった。
次回予告
第87話『深淵に潜む影』
廃ホテルの地下で見つけた古い日記。
そのページが示す真実とは――。
霧深き闇の中、誰も知らぬ影が蠢き始める。
次回、恐怖はさらに深まる――。
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