第87話『深淵に潜む影』
地下通路は先へ進むにつれ、息苦しくなるほど湿り気を帯びていた。
ノクスが足音を忍ばせながら、慎重に先導する。
「にゃあ……(空気が重いにゃ。何かが近い)」
愛菜はノクスの背中を見つめ、無意識に呼吸を浅くした。
壁に取り付けられた非常灯はとうに切れ、明かりは浜野先生が持つランタンと修の懐中電灯のみ。
その狭い円の中だけが現実のようで、周囲はまるで異界に侵食されたかのように感じられた。
「この先に……何があると思う?」
結がぽつりと呟く。
「さっきの日記、まだ全部読み切ってないけど……最後のページ、破り取られてたよね」
愛菜が思い出したように言った。
「意図的に隠されたんだろう。何か、見られたくない“真実”がある」
修の声は低く、警戒心に満ちていた。
突如、奥から鉄が擦れるような音が響いた。
ギィ……ギギ……
「……誰かいる」
愛菜が震える声で言った。
「いや、誰かじゃない。“何か”だ」
浜野先生が鋭い目で前方を睨みつける。
ノクスの尻尾が膨らみ、体を低く構えた。
「にゃあ……(見えるにゃ、影が)」
「ノクスが“何かがいる”って……」
愛菜の手が冷たく震えている。
ランタンの明かりが、ほんの一瞬だけ、何か人のような“影”を捉えた。
「今、見えたな……」
修が一歩、前に出た。
影は通路の先へ、ゆっくりと消えていった。
その背中は歪み、肩が不自然に曲がり、足元が床を引きずっていた。
「追うぞ」
修の合図で、一同は影のあとを追い始める。
ほどなくして、通路の突き当たりに鉄の扉が現れた。
扉にはかつての従業員名が書かれていたが、錆びついて判別できない。
「この先……何かある」
結が言い、扉のノブに手をかけた。
ぎ……っ
重たい音を立てて扉が開かれると、そこは広い地下空間だった。
倉庫のようだが、中央にぽつりと置かれた木製の長机と、周囲を取り囲むように並ぶ椅子の数が異様だった。
「……これ、会議室?」
愛菜が声を漏らす。
「いや、違う。これは……まるで“儀式部屋”だ……」
浜野先生が呆然とした声を漏らした。
壁一面に、意味不明の記号が赤い塗料で描かれている。
机の上には蝋燭の残骸と、焼け焦げた紙切れ。
「この場所……明らかに、何かやってた」
修が机の上を調べながら言った。
その時――。
背後の扉が、バタン、と音を立てて閉まった。
「っ、閉まった!」
愛菜が叫ぶ。
同時に、ランタンの明かりが一瞬揺らぎ、薄暗闇が部屋を支配した。
ノクスが突然飛び上がるようにして身を翻した。
「にゃあああっ!(来るにゃ、気をつけろ!!)」
「ノクスが警告してる!」
次の瞬間、部屋の隅の闇が、ゆっくりと形を成していく。
まるで、影が“這い出てくる”かのように。
その“影”には顔がなかった。
のっぺらぼうの頭部、歪んだ手足、異様に長い指先。
それは呻くような音を立てながら、ずる、ずる、と床を這うように近づいてくる。
「……帰レ……カエレ……」
囁きが頭の中に直接響いた。
「こいつが……このホテルに取り憑いてる存在か」
修が声を絞り出す。
「にゃあ……(これ以上、近づかせるな)」
ノクスが影の前に立ちはだかるようにして、低く唸った。
影はノクスの前で動きを止める。
そして、まるで何かを見極めるように、ゆっくりと顔のない頭を傾けた。
「下がれ、ノクス!」
修が叫んだ瞬間、影が突然伸びあがり――
真っ黒な腕を振りかざした。
「避けろ!!」
風を切る音とともに、視界が真っ暗に染まる。
……次に目を開けた時、彼らは――別の場所にいた。
そこは同じホテルのはずなのに、どこか違っていた。
壁の色、空気の匂い、そして――時計の針が巻き戻っていた。
「……ここ、現実じゃない」
結が呆然と呟いた。
「まさか……また“過去”に引き込まれたのか?」
先生が周囲を見渡す。
「この空間……八王子城の時と同じだよ、ここは、このホテルの“記憶”なんだと思う」
修が唇を引き結んだ。
「記録された惨劇。その断片を、俺達は今、見せられている……!」
どこかで、子どもの笑い声が響いた。
続けて、何かが砕ける音、そして――悲鳴。
このホテルで何が起きたのか。
影の正体とは何か。
彼らの足元で、ホテルの“記憶”が静かに脈動を始めていた。
「……面白くなってきた!!」
次回予告
第88話『封印された真実』
目を覚ました先は、過去に封じられたホテルの記憶。
その中で繰り返される惨劇の断片。
浮かび上がる“影”の正体と、かつて行われた儀式の真実とは――?
ノクスの警告が響く中、修たちは運命の核心へと迫る。
次回、ついに過去が牙を剥く。
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