Curiosity killed the cat
店を出た私は、駅前のベンチに腰を下ろした。
火照った体に、少し冷たい風が気持ちいい。
駅前の大きな時計が鐘を鳴らした。
もうこんな時間か。
気づけば周りは、仕事帰りらしい人の群れで満たされていた。スーツ、革靴、スマホを見ながら歩く人。誰も彼も、どこかに帰る途中の顔をしている。
まぁ、家を出た時間が時間だしな。
私はひとりでうなずいた。
今日はこのあと、例の骨董品店に行くつもりだった。少しゆっくりしすぎたせいで、もう店が閉まっているんじゃないかと不安になる。
そう思った瞬間には、もう足が動いていた。
開いてなかったら素直に帰ろう。
あの気色悪い砂時計がなんなのか気になるだけだ。いくら払ったのかもわからないし、返せるものなら返したい。
話だけでもつけに行こう。
薄暗くなりはじめた街を、街灯が静かに照らしている。駅前の喧騒から少し離れるだけで、空気は急に住宅街のものになる。
犬の散歩をする人。ランニングウェアの男。買い物袋を下げた主婦。
どこにでもある、治安の良さそうな郊外の夕方。
女の一人暮らしには、まあ悪くない場所だと思う。
少し回ったアルコールを覚ますように、一歩一歩、確かめながら歩いた。
気がつけば、骨董品店へ続く坂道の前に立っていた。
あー、結構だるいなこれ。
それでも、ここまで来て帰るのもなんだか負けた気がして、私は坂を上った。
駅から二十分ほど歩いただろうか。坂道を登り、細い路地を抜けると、控えめに光る看板が見えた。
そこに、あの店はあった。
「骨董品店、猫の砂、か」
なんか意味あるのかな、この店名。
猫好きなのか。
砂好きなのか。
どっちにしても、よくわからない。
からん、からん。
扉を開けると、昔ながらの鈴の音がした。
「雰囲気あるね」
思わず小さく呟く。
店内は古いダークウッドを基調にしていて、薄ぼんやりとした照明が、並べられた品々を静かに照らしていた。
埃はない。
なのに、古い匂いだけがする。
綺麗な店だった。
綺麗すぎるくらいに。
せっかく来たんだし、と私は店内を見て回る。
不思議な、だけど綺麗な人形。
白い髭のおじいさんが座っていそうなレトロな椅子。
なんだかよくわからない壺。
硝子の調度品。
どれも高そうなのに、値札がひとつもついていない。
私、あの砂時計にいくら払ったんだ……。
奥に進むと、古い本を読んでいる店員がいた。
「あの……」
店員は顔を上げた。
「オー、イラッシャイ」
なんだこのカタコトの外国人は。
胡散臭い。
見たところ、中東系だろうか。
「あの、昨日の夜、私ここで砂時計を買ったみたいなんです。でもお酒に酔っていて記憶がなくて。いくら払ったかも覚えてないので、少し困っていて……もしよろしければ、返品ってできますか?」
「オー。昨日売レタ砂時計ネ。フーン」
店員は、私ではなく、私の胸のあたりを見た気がした。
「多分ソレハ、貴方ニピッタリナ時計ダネ。ダカラ返サナクテイイヨ」
時計。
砂時計じゃなくて、この人はいま、時計と言った。
「いえ、そうじゃなくて……えっ、あの気味悪いのがピッタリなの、私」
あっ。
やばい。
声に出た。
店員は気にした様子もなく、にこにこと笑っている。
「オ金ナラ気ニシナクテイイヨ。ソレニ多分、貰ッテナイネ」
えっ。
何それ。
タダほど怖いものないんですけど。
「ピッタリナ物ハ、トッテオイタ方ガイイ。ヤッパリ貴方ニピッタリダ」
「いえ、でも」
「アー、今日ハ店閉メルカラ、帰ッテクレマセンカ?」
「えっ、そんな」
「ハイ、カエッタ、カエッタ。モウヨウナイヨ」
気づけば私は、入口まで押し戻されていた。
からん、と鈴が鳴る。
扉が閉まる。
鍵のかかる音がした。
そんなぁ……。
ふと振り返ると、看板の明かりはもう消えていた。
さっきまで確かにあったはずの「猫の砂」の文字だけが、暗がりに沈んで、読めなくなっていた。




