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コウジマチサトルのダンジョン生活  作者: 森野熊三
第三話「コウジマチサトルは竜とは戦えない」
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11・疾走と転倒と潰走

 逃げる事にはルーも異存はないと、サトルに手を引かれながら、もう一方の手で重い荷物をしっかりとつかみ走る。


「キンちゃん! ギンちゃん! ニコちゃん! 君たちは無茶をするな! 特にテカちゃん特攻禁止!」


 今にもサトルの頭から離れて飛び出していきそうな妖精たちに注意をする。

 四匹は不満そう鳴いたが、それでも行って来いとは言えなかった。


「逃げろ! ごーらんあうぇい! ふぃあー! たおぱお!」


 思わず叫んでいたのは、サトルが職場で使えるように練習したカタカナ外国語。


「何語ですかそれ!」


 逃げろ逃げろと繰り返すサトルに、ルーがたまらず聞き返す。


「癖!」


 走れば息も切れる。息が切れれば答える言葉も出ない。

 短い言葉を最後に、サトルは無言で足を動かす。


 降下してきた竜の下には、どうやら強い下降気流が生まれるらしく、サトルたちの上に重量を感じる風が吹き降ろしてきた。


 このままでは走れない。サトルはルーに向かって叫ぶ。


「荷物は捨てろ!」


「それは!」


 逃げるのに邪魔になると分かっていても、ルーには荷を捨てる決断ができなかった。


 もう竜の足が地面に付く。

 場所はサトルとルーの右斜め後ろ、五メートルも離れていない場所だ。

 竜ほどの大きさなら、ほんの数歩進むだけ出てサトルたちに追いつくかもしれない。


「クソ! わかった貸して!」


 サトルはルーから荷を奪い、自分の荷物もあり肩にかけることは諦め、きちんと背負わぬまま肩に担ぎ上げる。

 重心を考えるとこちらの方が走りやすいが、その分両手が使えなくなる。両手でバランスを取らずに走ると言うのは存外難しく、サトルはふらつきながら走りだした。

 竜が地面に着地をすると、重さで地面が揺れた。


「十トントラックが落ちるようなもんだしな」


 そりゃあ揺れもすると愚痴がこぼれる。

 サトルはふらつく足を踏ん張るが、誰も踏み固めていない草の上、しかも硬い靴底など期待できない、布をきつく巻いただけの足は、踏みつぶした草の汁でずるりと横に滑った。


 担いでいた荷を放り投げるように地面に倒れこむサトル。

 頭上にしがみついていた四匹が、慌てて飛び立つ。


「ぐ……」


 危機感から体は動くが、荷を掴もうとする手をルーが掴んで制止する。


「もういいです、荷物! 捨ててください!」


 今度は自分がと、ルーがサトルの手を引いて走りだす。

 それまで向かっていた川上の橋ではなく、それよりも川下にずれた方へとサトルを誘導する。

 四匹もまた自分たちで移動するよりも早いとばかりに、サトルの腕にとりつく。


「ごめん、ルー!」


 ルーの大事な荷物だ。新し服すら買えずに四苦八苦していたはずのルーにとっては、新しく買いそろえることもできないだろう貴重品だ。それに荷の中には、ルーにとっての亡き師との思い出の品もあるはず。


 サトルの謝罪をルーは聞いているのかいないのか、ただひたすらに走る。


 無言で二人は走る。言葉を交わしている余裕などなかった。竜が二人に興味を示し、首を伸ばしてきていた。

 大まかには水鳥のようなシルエット、そこに巨大な鉤爪の付いた五指の手がある。そのゴツゴツとした、薄青い鱗に覆われた手が、道端のドングリでも拾うかのように二人に延ばされる。


 鉤爪の先がサトルが肩にかけていた荷をかすめる。ルーがモンスター除けにとサトルに持たせていた木の枝。

 引っかけられて捕まってはしまっては本末転倒と、サトルは荷から手を離す。

 ついでに他の荷も一緒に落としてしまうが、、かまっている余裕はない。


「テカちゃん、一瞬でいい、最大出力で光って!」


 背後で太陽でも爆発したかと思うくらいの眩い光がはじけた。


 サトルは一度だけ、鉄橋のワイヤーが千切れる音を聞いたことがある。

 竜の憤怒滲む絶叫は、その時の音によく似ていた。


 今までにない位に激しく脈打つ心臓と、過去に死を覚悟したときの記憶がごちゃ混ぜになってサトルの視界を赤く染める。


 考えることが出来ないどころではない。

 惰性で走る以外できないくらいにサトルの脳は思考を止めていた。


 ただ走る、走る、走る。

 体が投げ出される感覚に、サトルは一瞬息を止める。


 気が付けばサトルは草の上にうつ伏せで倒れていた。

 心臓も肺も焼けるようだったが、同じくらいに足首が熱を持ったように痛かった。

 きっと自分は足をくじき転んでしまったのだろう。サトルはもう起き上がることも出来なかった。


 せめてルーだけは逃げ延びてくれればいいと思うのだが、首を巡らせる余裕もなく、ゼーゼーと荒い息を吐く。


 心臓が脳みそに直接ついているのではないかと思うくらいに、頭蓋骨がドクドクと脈打つ血の音を響かせる。


 赤かった視界が暗くなり、青や紫の光が走る。

 瞼をきつく閉じているのだと気が付き、視界を確保しようと開けば、今度は瞳孔が光に対応できず真っ白に埋め尽くされる。

 目まぐるしい視界の情報が整理できず、もう一度目を閉じて耳を澄ます。


 鼻の奥に血の匂いを感じる。喉が切れてるのかもしれない。指先が痺れる。痛みではない。寒さに似たような、暑さすら感じるような。痛覚か触覚が混乱を起こしてるんだと気が付く。


 呼吸を整えなくては、神経が高ぶりすぎている。


 サトルは自分を落ち着かせようと、声を絞り出そうとする。


「っは……死ぬ」


「死なないで」


 絞り出したつぶやきに返されたのは、存外冷静なルーの声だった。


「ここから先に竜は来ません」


 サトルは息を整えるように深く呼吸を繰り返す。過剰に働かせすぎた喉や肺が文句を言うかのように痛むが、それでも何とか声が出る。


「理由が?」


「ダンジョンの空間が、地表面近くに来ているんです。竜がダンジョンの入り口に近づかない理由は、その巨躯から、ダンジョン自体を破壊しかねないことを恐れて、と考えられています」


 竜とダンジョンは密接な関係があるらしい。

 キンちゃんたちがフォーンと鳴く。たぶん肯定だろう。


 ダンジョンを形作るダンジョン石は、人間の力で切り出せる硬さらしいので、確かに十トントラックが突っ込んだら壊れるかもしれない。案外竜は気にしいだ。


「竜がダンジョンの所有者はいないって、宣言したんだっけ」


 人間の言葉を解し、思考することのできる巨大な存在。

 もしかしてとサトルはつぶやく。


「あの竜……人の言葉……分かってたのかな?」


「それは、分かりません……」


 分からないけれど、あの時竜は確実にサトルたちに興味を持っていたと、ルーは自分の肩を抱いて震える。


 竜はどんな存在なのか、ルーの話を聞いていればその怖さは十分に察せられた。

 少なくとも、武装した人間の集団が立ち向かい、追い払おうとも考えないほどの強大さ。

 たとえそこに悪意が無かったとしても、竜はその巨大な体で、人間をどのように扱うだろうか。


 生きて逃げ切れたことは幸運でしかない。

 サトルは大きく息を吸い吐き出す。痛みがある。生きている。


「よかった……生きてる」


「はい……」


 フォーンとキンちゃんが鳴く。

 無理に走ったサトルのことを心配してくれているのだろうか。

 他の三匹も、サトルの背の上で、キュムキュムフォンフォンと騒がしい。


 その騒がしさに、サトルは思わず笑いだす。

 つられてルーも、何がおかしいのかわからないまま、けらけらと声を出し笑った。

 幸運なことに、二人はまだ生きて笑っていられた。


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