第二章 十五話 休庵宗修、聖剣と妖刀を抜きし事。
その時の俺の意識は、黒く深い闇の中に落ちていた。
そして、それと同時に俺の身体には、『ソレ』が纏わりついていた。
俺の体に纏わりついた『ソレ』は、生温い液体の様な、蒸し暑い空気の様な、名状しがたい不定形な何かで、いかにも不快で、俺の全身を這い回るように絶えず流動していた。
そして『ソレ』は、俺自身の意思を無視して俺の身体を動かしており、同時に、『ソレ』が俺の身体を動かすたびに、俺自身の意思や精神すらも麻痺していくように徐々に思考も停止していく。
だが、それは、確実に俺の戦う力となって、俺を今までとは比べ物にならない次元で戦わせていることは理解できた。
『ソレ』に操られて体を動かすことは、本当ならば、気持ち悪いことであるはずであるし、恐ろしいはずであるし、何なら、それとは逆に気持ち良かったり、喜んだり、何かしらの強い感情を煮え滾らせておかしくないはずであるのだが、その時の俺は、不思議なほどに何も感じなかった。
このまま深く、暗闇の底で、徐々に今俺の全身に纏わりつている『ソレ』にこのまま全身を飲み込まれていき、やがて最後はこのまま深い闇の中で意識さえ残さず死んでいくのだろう。と、そう漠然と感じていた。
そして、俺はそれに対する恐怖も抵抗も感じることなく、そのままゆっくりと『ソレ』の一部に飲み込まれるままになっていた。
その時だった。
「お前は弱い」
どこかで、そう言われた気がした。
その瞬間、『ソレ』に飲み込まれかけていた俺の意識は、初めて感情を取り戻した。
と、同時に、何か、小さく抵抗する意思のようなものがふつふつと蘇り始め、その感情を爆発させるように俺自身の意思と精神に少しずつ力を込めていく。
その時、俺の中に滾った感情は、
怒りだった。
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「戻って来い、小僧!」
俺の呼びかけを聞いた瞬間、今まで糸繰人形の様に機械的に戦っていたばかりの小僧の姿に、初めて強い感情を滾らせる意思を感じた。
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………カ…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………ネェ…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
わずかな身じろぎの中でそう、言葉にもならない呟きを発した。
そして、それから少し間を置くようにして、絶叫を上げた。
「オおおおおおおおおおおおリャ嗚呼ああああああああああああああああ!!!!!!ヨおおおおおおおおおおカネええええええええええええええええ!!!!!!」
それは、単純に聞けば今までの様にただ獣の様に咆哮を上げているだけのように見えただろう。
だが、小僧の発していたその言葉が、俺にははっきりと伝わった。
―――――――――俺は、弱くない。
その言葉がしっかりと俺の耳に聞こえた。
そんな小僧の心からの絶叫に、俺は素直に謝罪の言葉をこぼしてしまっていた。
「……そうか、すまんな。俺の言葉がテメエの矜持を傷つけていたか。…………確かに、テメエの気性からすれば、俺の言葉は失言だったな」
だが、
「だが、ますます気にいった」
お前はそこで、自分の強さにこだわるのかよ。
両親が俺に殺されかけて、自分の命を懸けて戦って、それでもなお、自分の誇りを取るのかよ。
判るぜ。その気持ちは。命以上の何かのために戦うその気持ちは。
お前は、誇りの為に命を懸けているんじゃない。
もうお前には、誇りしか無いんだろう?
親からも、世間からも認めてもらえられず、誰も守ってはくれない。
それでも生きていくには、何かを守るしか無い。
でも、お前には守るべきものが無いんだろう?
己の命以外に守るものなどない。だが、それを守る事さえ、許されない。
孤独を紛らわす為に魔獣を飼っても、それが理由で目の敵にされる。
死にたくなるくらい辛かったろう、誰かを殺したくなるくらい苦しかったろう。
俺もそうだった。
ガキの頃から、全てが敵だった。
貧乏が敵だった。環境が敵だった。時代が敵だった。無力さが敵だった。
だから、全てと戦った。
戦って、
勝って、
富を手に入れたかった。
名声を手に入れたかった。
栄誉を、地位を、権力を、手に入れたかった。
何よりも、何にも負けない力が欲しかった。
強くなりたかった。
お前と俺がどこまで同じなのか、それは知らん。あるいは全然違うのかもしれん。俺が勝手に見当はずれなことを思っているだけかもしれん。
だがそれでも、俺はお前が気に入った。
「小僧、テメエは絶対に殺さん。叩きのめして叩き潰して、殺してくださいお願いしますと言わせしめて、俺の弟子にしてやろう。今からお前に、地獄を見せてやる」
俺は、口元を満面の笑みに歪めると、小僧を睨みつけながら、そっと今まで腰元に収められていた剣を一振り抜いた。
剣の銘は、袈裟丸。
それは、日子国屈指の聖剣であり、神刀。
その剣は、斬るものを選ぶ剣とされており、この世の害悪のみを切り払い、魔除けにして厄除けの剣として神器の一種として数え上げられてすらいるほどだ。
並の落武者なら、一丈燈籠の一振りだけで足りる所だ。
それ以前に、一丈燈籠をもってしても斬ることのできない落ち武者など、殆ど神の領域だ。
そもそも人がどうこうできる領域を超えている。
故に、一丈燈籠以外の剣を同時に抜くと言うことは、神それ以上の剣を振るうという事だ。
恐らくはそれを小僧も肌で感じ取ったのだろう。俺が袈裟丸を抜き、一丈燈籠ともども構えた瞬間。
「がああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
これまで同様の、否、それ以上の獣の様な叫び声を上げて、手にした木刀を振りかざしながら俺に向けて突っ込んでくる。
俺はそんな小僧に対して、今までとは違い只勢いに任せて大きく一丈燈籠を振るう。
小僧の速度はそんな当たり障りな攻撃等軽く避け、あっさりと俺の懐に入ろうとするが、そんな小僧に向けて俺は左手に握っていた袈裟丸を振るい、
だが、余裕をこいてばかりもいられない。
一丈燈籠は刀身が三尺もある長大な刀であり、元々一刀で使用されることを想定して作られている刀だ。
長さに比例して刀自体も重く、霊刀としての特性もあって、攻撃力に優れている代わりに取り扱いの極めて難しい刀剣であり、どんな達人であっても両手で使わない限り、本来の性能を引き出せない剣だ。
そのため、今の様に片手で振り回していると、牽制や単調な攻撃しかできず大きな隙を作りやすくなる。
そんな一丈燈籠の隙を補うために、空いた手には必ず袈裟丸か数珠切を握るものだが、この小僧を相手にしてそれでは隙が大きすぎる。
俺は一丈燈籠を納刀しようと、右手の大太刀を静かに背中に回すが、そんな俺の行動を小僧は隙と見て取ったのだろう。
「ぐらあああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
小僧は、俺に向かって突っ込だす。
成程、その判断自体は悪くない。悪くはない。が、
「が、遅い。抜刀どころか、納刀の速度にも追いついていないな」
俺はそう言いながら、左手で抜き払われた刀で小僧の木刀を防ぐ。
その剣の名は、数珠切。
日子国屈指の妖刀であり、俺が最も切り札として信用している剣。
「さて、ここからが本領発揮といこう。袈裟丸と数珠切、この二刀を抜いてからが俺の神髄だ」
俺はそう言って、数珠切と袈裟丸の二振りの剣を構える。
「常世列島で最強の武僧たる休庵宗修の剣、その身でじっくり味わいな」




