《7》あっち、なの?
「ほんだい?」
「コチラへご来訪頂いた目的です。お話しが前後してしまったこと、心よりお詫び申し上げます。
先程もお話し致しました通り、ヤメシロカナエ様は“あっち”の世界から選ばれたお方。その目的と予定をお伝えしたく存じます」
「はぁあ……その前に、一つ、訊きたいことが……」
「どのようなことでしょう?」
「あのぉ~、『あっち』っていう表現が気になって……丁寧な話し方なのに『あっち』だけ、雑っていうか適当っていうか……なぜかなぁと思って」
「……理解致しました。それでは、『あっち』についてご説明致します」
正面壁に一本の、長い横ライン。その上に、同じライン。またその上に……同幅のラインが上へ上へと、盛られていった。
(どっかで……もしか、して……)
最下部に別色のラインが付けられた。出来上がったと思うそれは、教室用の黒板。おまけに、黒板消しまで。授業嫌いな私にとって、嫌悪物なんだけど。
「あのぉ〜、触っても、いい?」
それには、興味があった。
「どうぞ」
前進し、白壁に映し出されたそれに、触れてみる。
「これ、本物?」
肌触り。つまり、似ていた。それに、離れてたら気づかなかったけど、壁から少しだけ、突き出ている。立体感まで、真似していた。黒板消しも同様にモノ化されているから、驚き。
「もし必要でしたら、その小さな物は差し上げます。演出のために、制作しただけですので」
(い、いやぁ〜、いらないけど……)
首を振った。
「あのぉ、これ、どうやって、今、出したんですか?」
「簡単に申しますと、複数の特殊な粒子液を、プログラムによってある温度で固めているモノです。その際の温度を変えることで、色を分けることもできます。固まったモノは、ある温度とある振波で再び粒子液に戻ります。……カナエ様のおられる”あっち”では、3Dプリンターという機械がございますが、その進化版とお考えください」
「はぁあ。……あのぉ〜、ここまで、やる必要、ないんですけど……」
「申し訳ございません。カナエ様が普段慣れておられる環境が良いかと思ったものですから」
「はぁあ」
「ご気分を害された様でしたら、すぐに撤収致します」
「あ、大丈夫。このままで」
彼の待つ位置まで戻り、黒板らしきモノに目を見張った。白色の、多分チョークの側面書きのように、大きな字が手書き風に書かれていく。二つの漢字と、その上に『あっち』とフリガナ。
「なんで……なぜ私のいるとこが、悪地、なの?」
そのように呼ばれている理由と簡単な背景を、聞かされた。正直、違和感はなかったけど。4分の1信じられない気持ち、4分の1ショック、残り2分の1は納得、って感じだった。
***
目を閉じ、悪地の景色をイメージ。
(スウィッチング、スローダウン)
脳で叫び、目を開け。
多少の偏頭痛が起き。次第に、視界がダブり始めた。多色世界に、モノクロ色の世界が。初段階は、このダブり状態で、悪地の具体的な場所を把握すること。その後、人目に付きにく場へ、移動すること。良ければ、正式に悪地へ。という流れ。
でも……ダブり視界は、不快。また気分が悪くなってきた。しゃがみ、立っては歩き、しゃがみ、立っては歩いた。何度か繰り返して、場所を決めた。
(スウィッチング、ダウン)
数秒ほどで、モノクロ世界に。そう、私の住む元の街へ、戻った。ここは、小さな神社。そう、克己との散歩コース。
今は、しゃがんだまま。偏頭痛は、治ったけど。横には、心配そうに見つめる、モノクロの彼が。両手で顔を撫でながら、酔いの回復を待つことにした。ふと左手首を見ると、あの手首装飾物らしきモノは、あった。つまり、“現実”、ということ。
「奏笑?!」
突然の女の声に、視線を右へ。
「奏笑!」
神社鳥居の下で、私の名を叫ぶ女。慌てた様子で、駆け寄ってきた。
「探してたのよ。どこ行ってたの?」
「……ちょっと、克己と、遊んでた」
水滴を下瞼に溜め、垂れ下がった両目を向けるのは、私の母。
散歩に行ったきりの私を、探していた。すでに、11時を回っていた、から。向こうを離れようとした時、と同じ時間。心配するのは、当然だ。母は、仕事を欠勤していた。少し、申し訳ないと思った。けれど、私の望んだこと、でもない。複雑な気分だった。
あの“ミューチェ”の言う通り、言っても信じないだろう、し。だから、無言で母と並びながら、家へと帰った。友と共に。途中、勤務中の父に電話した母と換わり。
「いい加減にしなさい。心配させるなとあれほど言っただろう。……ま、いい。今晩、詳しく話を聞く……」
厳格な父、ではなくイラついている、男。って感じ。親の優しさ、なんて分からない。
ちょっと安堵したのは、今回はまだ、警察に捜索願が出されてなかったこと。これまで家出回数は、数え切れず。家出捜索届は2度、そして家出後交通事故に巻き込まれたことが1度、あった。そう、私は常習者、だから――
***