8月:あなたのかおりのする部屋で
とん。女の子は風に乗って、開け放たれた窓から高い高い建物の一室に降り立ちました。
……一面真っ白です。壁も白、天井も白。床も白いようですが、山と積まれた物でほとんど見えていません。そのあまり広くはない部屋の真ん中に、これまた真っ白な服を着た少女が真っ白な『商品』を従えて、物に埋まるようにして座り込んでいました。
少女は足音に気がついて振り向きました。長い長い黒髪の合間から女の子を不思議そうに見つめています。女の子はとまどって、小さく頭を下げてみました。
「……あなた、だあれ?」
少女にそう聞かれて、女の子はなんと答えればいいのか分からず、空を指さしました。
「あそこで『商品』を作ってるの」
「『商品』? 外ではそれが流行ってるの? それじゃああの人がもうすぐ持ってきてくれるはずね」
あなたももう持ってるのに、と言おうとして、他の人々には『商品』が見えていないことを思い出してやめました。少女は相変わらず女の子をしげしげと眺めていました。
「あの人以外の人を見るのって久しぶりな気がする。時々窓から見てみるけど、ここは高いからあまりよく見えなくて。それにあの人が怒るし……」
「ずっとここにいるの?」
えぇ、と少女は頷きました。
「あなたより少し小さい頃からかな、あの人とここに一緒にいるの」
「外には出ないの?」
女の子が聞くと、少女は首を振りました。
「いいえ、あの人と暮らすようになってからは一度も」
「どうして? 鍵がかかっているの?」
いいえ、とまた少女は首を振ると立ち上がって、扉を開けて見せました。すぐに外です、さわやかな風が吹き込んできました。
「だって、ここにはあの人がいるし、必要な物も全部あるのよ。どうして出るの?」
そうは言われても、やっぱり女の子にはわかりません。女の子の住んでいた工場だって、必要な物は全部ありました。それに女の子はひとりが当たり前で平気でしたが、この青いお月様は更に素敵だと感じていました。ここは高い建物の一室、鳥の声も届きませんし、緑も下に小さく見えるだけ。こんなに素敵なお月様に住んでいてこれでは、と女の子は思ったのでした。
少女は女の子の話を聞いて微笑みました。
「あの人が帰るまでまだ時間がありそうだし、少しお話ししましょうよ」
私があの人に出会ったのは、さっきも言ったけれどあなたより少し小さかった頃。公園でひとりで遊んでいたの、そしたらね、あの人が来て私に声をかけたのよ。お店に行きたいけど、道を教えてくれないかい、ってね。私が教えてあげてね、一緒にそのお店に行ったら、お礼にってお菓子を買ってくれて、おうちに来たらもっと沢山お菓子もあるし、おもちゃもあるからおいでって言ってくれたからついてきたの。
……そうしたら、夕方になって私が帰りたいって言ったら、あの人、扉の鍵を閉めちゃって。そう、最初は鍵が閉まってたの。はじめの頃はあの人が怖かった。いつも沢山沢山おかしやおもちゃをくれるのに、突然怒り出したりするものだから。怒ったら痛いこともされたし。
でもねぇ、だんだん分かってきたの。あの人、すごくすごく寂しかったのよ。ひとりが寂しかったから、私を帰したくなかったのね。だからあの人、私のことをいつも考えてくれてるわ。私が欲しい物はすぐこうやって持ってきてくれるし、お仕事が終わったらすぐ帰ってきてくれるのよ。あの人、すぐ怒っちゃうけど本当はとってもとっても優しい人なんだって、私は知ってる。
「私もあの人のことばかり考えてるの。あのひとの持ってきてくれた本で読んだわ、これが愛っていうものだって」
少女は幸せそうにそう言って、大きなクマのぬいぐるみを抱きしめました。あの人のにおいがする、とささやきながら。
女の子にはやっぱりよく分かりませんでした。この青いお月様にやってきて以来、『あいする』とはよく聞きます。どうやら対になっている『商品』を持っている人々の間にある物のようです。それがあると他の物はいらないのでしょうか。
突然、真っ白な壁に掛けられた真っ白な時計がなり始めました。六つ鐘の音を響かせるのを聞いて、少女は慌てたように立ち上がりました。
「いけない、あの人が帰ってくる。あなたがいるのが分かったら、あの人は怒ってしまうでしょう」
少女は女の子の手を引いて玄関に向かいました。
「さぁ、あなたはもう帰らないと。ここを出たら右の階段を使って。あの人はいつも左のエレベーターから来るから」
小さく開けられた扉から、女の子が外に出たときでした。びゅうっと強い風が吹いて、女の子はあっという間に建物の外へ飛び出しました。
どんどん高くなっていきながら、女の子はふと下を見下ろすと、ちょうど少女の部屋に入っていこうとする男の人が見えました。従えていた『商品』は、ほとんど黒のような暗い暗い紫色でした。




