表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
12/12

12月:名前を呼んでくれるひと


 そっと、女の子は足音も無く降り立ちました。はらはらと降る雪が、すべての音を包み込んでいくようでした。

 日はほとんど沈んでいてほんの少しだけ明るさの余韻が残る頃。女の子の降り立った通りの両側の家々の窓はぽつりぽつりと暖かい光を灯していきます。どこからともなく楽しげな音楽が流れ、思わず立ち止まってしまうほどおいしそうな香りが漂ってきました。通りを行く人はみんな、幸せそうに、楽しそうに、嬉しそうに、足早に家に入っていきます。 女の子は何かに惹かれるような気がして、通りを駆けて行きました。何度か転びそうになって、その度に必死に『商品』を握りしめました。でも通りの先に広場が見えてきた時、女の子はついに転んで『商品』を手放してしまいました。いけない、と思ったのもつかの間、『商品』はふわりふわりと広場に向かって飛んでいって、そこにいた誰かがそれを捕まえてくれました。女の子は慌てて立ち上がって、広場に転がり込みました。

 ありがとう、とお礼を言おうとして、女の子は思わず立ち止まりました。『商品』を捕まえてくれたのは女の子と同じ年頃の小さな男の子でしたが、捕まえられたということは彼には『商品』が見えていたのです。今まで誰にも見えていなかったのに。

「これ、君の風船?」

 男の子はそう訊いて女の子に『商品』を差し出してきました。女の子はとっさに答えていました。

「違うの、きっとあなたのもの」

 男の子は不思議そうに首をかしげました。

「僕、風船なんか持ってなかったよ」

 それでもやはり、女の子にはその『商品』が男の子のものなのだと感じられました。では、片割れはどうなったのでしょう? 女の子が工場を離れてしまった後に設計図が届いていたのでしょうか? そういえばこの『商品』を手放してしまったら、女の子は果たしてどうやって工場まで帰れば良いのでしょう。

「じゃあ、ちょっと待ってて!」

 男の子はそう言って、広場の反対側に駆けていきました。見ると小さな屋台が一つあって、その柱に『商品』にそっくりな風船が沢山くくりつけられています。男の子は屋台の中の人と二、三言葉を交わして、赤い風船を受け取ってこちらに戻ってきました。

「はい!」

 少し息を切らしながら男の子は赤い風船を女の子に差し出しました。

「代わりにこれをあげるよ。交換だ」

「ありがとう」

 そう言って風船を受け取って、女の子は思わず息をのみました。ただの風船じゃありません、それは鮮やかな赤色をした『商品』だったのです! 男の子の方に視線を向けると、同じように驚いた顔で女の子から受け取った『商品』を見つめていました。女の子も自分の目が信じられません。さっきまで何色なのかよくわからないくすんだ色をしていた『商品』が、今女の子の持っている『商品』とおんなじ真っ赤に変わっていたのです。

 女の子の手の内にあるものは、片割れだけだった『商品』の対となるべきものでした。

 二人の手の中の『商品』はゆっくりとその手の内から抜け出て、空気に溶けるかのように見えなくなりました。

 二人は互いに見つめ合いました。突然のことにもちろん驚いていましたが、不思議と納得できたのです。成るべくして成った、在るべくして在った。パズルの最後のピースがはまったかのように。

 男の子が、少し恥ずかしそうに口を開きました。

「名前を、君の名前を聞いてもいいかな?」

 アイ。その名前はするりと女の子の口から流れ出ました。今まで思い出したことも無かったのに。誰も呼ぶ人は居なかったし、その必要も無かったのです。

「わたしの名前は、アイ」

 その言葉の響きを確かめるように、もう一度その名前を告げました。そう、『わたし』にも名前があったのです。ぼんやりとした『女の子』ではなく。そんな当たり前のことを、女の子は――アイは唐突に理解しました。

 この『男の子』にも必ず名前があるはずです。彼だけの特別な、素敵な名前が。ぼんやりとした『男の子』を『彼』にするための名前が。

 アイは微笑んで尋ねました。

「あなたの名前を聞かせて」


 

 

 アイの『お話』はここからはじまっていきますが、今はここまで。アイの『お話』の続きは、どこかで彼女に尋ねてみてください。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ