第七章
若松は一瞬呆気にとられたが、穏やかに笑って首を振る。
「人違いですよ。僕は若松大毅。見ておわかりのとおり巡査をしています。これでもれっ
きとした日本人で、年は今年三十。あなたがお捜しの方よりうんと年上です」
「でも……翔宇にそっくり……」
賢芳は信じられないという顔で頭のてっぺんからつま先までまじまじと若松を見つめた。
「本当ですか? コイツの顔がお捜しの方とそっくりなんですね?」
驚いたのは、若松を指さしながら椅子からズリ落ちそうになった健太郎と、持って来たお茶をひっくり返しそうになった伸子である。
「へえ~翔宇さんて、カッコいい人なんだ」
ずれた事を言いながら伸子は賢芳の前にお茶を置いて、その顔を横眼でちらちらと観察
した。十七・八くらいの、あどけない、愛らしい顔にぬけるように白い肌。ふわっと甘い
香りが伸子の鼻をくすぐる。もし生まれ変わるとしたら、絶対こんな美少女がいいなと呑
気に思ってしまう。
「妹の伸子です。おまえ、ちゃんと挨拶しろよ」
「こんばんは。この巨体の妹の伸子です。長尾探偵事務所へようこそ……あたしがいるナルミヤもよろしくって、違うか」
何故か伸子はボケをかましてしまう。
「おまえは自己紹介もまともにできないのか?」
苦虫をかみ殺したような顔をして健太郎はじろりと伸子を睨む。一日一回は繰り広げられる兄妹漫才に、若松と賢芳は顔を見合せて吹き出す。柱時計が重い音色でゆっくりと八時を告げると、賢芳は腰を上げた。
「ではそろそろお暇させていただきます。あの……これ、今日のお代です」
彼女は机の上に白い封筒を置いた。健太郎は固辞したが、賢芳は頑なにそれを制すると、健太郎もそれ以上は何も言えなかった。
「ちょうどいい。僕も派出所に戻るので、そこまでお送りしましょう。女性の独り歩きは危険ですよ」
絶妙なタイミングで声をかけた若松に、健太郎は意味ありげな一瞥を投げた。
「送り狼になるなよ」
「よけいな御世話だ」
と、笑ってかわしつつも、初心な少年のように顔を赤らめる若松を見逃さない。賢芳も嬉しそうにじっと若松を見つめている。
――危ないな。
健太郎の直感は恐ろしいほどよく当たるのだ。
「ありがとうございましたァ~」
「ナルミヤ」での癖が抜けない伸子の能天気な声に送られて、二人は長尾探偵事務所を後にした。