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Null-Operations ~ヌルテクの魔術師~  作者: ちとせ鶫


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第5話 命令の正体

隠蔽された非人道的な実験の全貌、そして自分たちさえも計測データの一部に過ぎなかったという残酷な事実。

臨界点へと加速する同期率と、冷徹に起動した施設の自壊プログラム。

絶体絶命の揺らぎの中で、日高は軍人としての使命と、目の前の命を天秤にかけ、最後の一歩を踏み出します。

 日高は端末をしまった。


 内容を確認しただけで返信しない。

 確認応答も出さない。

 上層部の通信は、受け取られないまま宙に浮いた。


 真壁がその動作を見ていた。


 何も言わない。

 ライフルの安全装置を確認して、構造体の方へ視線を戻した。


 シオンが壁に手をついて立ち上がった。

 足元が安定していない。

 日高が腕を差し出す。

 シオンは一瞬躊躇してから、その腕を掴んだ。


「歩けますか」

「……はい」

「無理なら言ってください」


 シオンは答えなかった。ただ、掴んだ腕に力を込めた。

 日高はシオンを壁際に移動させた。

 構造体から距離を取って、座らせる。


「聞いてくれますか」

 屈んだ日高に、シオンが目線を合わせる。

「この施設で何が行われていたか」

 シオンが構造体を見た。四基。四人。

「これは......QTRの安定化実験です」

「量子転換炉の?」

「はい。通常、QTRは単体では制御できません。出力が大きすぎる。

 物理法則の書き換え範囲が、機械的な制御系では追いつかない」

「だから人間を使った」

「そうです。調整体という概念自体は、理論段階から存在していました」


 シオンの声は平坦だった。

 感情を抑えているのではなく、この話題について感情を持つことを、

 すでにやめているような声だった。


「人間の神経系は、QTRの出力変動に対してリアルタイムで適応できます。

 機械には不可能な速度で、制御パラメータを修正できる」

「四人必要な理由は?」

「単体では処理負荷が致死量を超えます。分散することで、

 一人あたりの負荷を生存可能な範囲に収めるのが目的」


 テックが端末を叩いている。

「同期率、95.1。上昇継続しています」


 日高はシオンから視線を外さない。

「いつからですか」

「......三年前から」


 三年。

 日高は計算する。

 四人の年齢が十代半ばとして、接続されたのは十二か十三歳の頃になる。


「彼女たちは、最初から実験のために用意されたんですか」

 シオンの視線が落ちた。

「......私には、分かりません」

「分からない、とは」

「私が着任したときには、すでに接続されていました」

 床を見ている。

「私の仕事は制御理論の最適化でした。接続の経緯は、知らされていませんでした」


 日高は立ち上がった。

 シオンから離れ、構造体の前に立つ。

 四人を見る。


 三年間、ここにいた。

 この液体の中で。

 この接続のまま。


「通信担当」

「はい」

「パッシブで拾える帯域、全部モニターしろ。外部通信が入ったら即座に報告」

「了解」


 日高は構造体の制御パネルを見た。

 触れない。

 モニターをチェックするだけ。

 同期率のカウンターが、ゆっくりと上昇し続けている。


 そのとき。


「……拾えます」

 通信担当の声が固くなった。

「内部系に乗ってます。暗号化されてますが、鍵が古い。解析できます」

「拾え。痕跡を残すな」

「了解。……入ります」


 ノイズが混じる。断片的な音声が、端末のスピーカーから漏れ始めた。

 日高は通信担当の端末に近づく。


 声が複数ある。場所が違う。

 どこか別の場所で、この施設について話し合っている。


『——同期率の上昇を確認。臨界値まで、まだ余裕がある』


『被験体の反応は』


『問題ない。誤差範囲内だ』


 被験体。

 その単語で、意味が確定した。


『外部要因の介入は』


『観測部隊が入っています。予定通り』


『記録の精度は』


『生体センサーとしては十分です。

 機械では取れない空間変質のデータが取れています』


 日高は端末から目を離した。

 壁を見た。


 生体センサー。


 この施設に入ってから、日高たちが体験したすべての現象——

 足裏に返ってくる反発のずれ、視界の端で揺れる構造物、

 重力方向のわずかなずれ——それらへの反応が、計測されていた。


 人間の感覚器官を使って。


『予定通り負荷を上げていく。次のフェーズに移行する』


『了解』


 通信が落ちた。


「以上です」


 通信担当が端末を閉じた。

 誰も何も言わない。


 真壁が日高の横に並んだ。

 壁を見たまま、低い声で言った。


「最初から、だな」

「はい」

「俺たちが入る前から、計画に組み込まれていた」

「はい」


 真壁が息を吐いた。

 怒りではなく、確認を終えた人間の呼吸だった。


「上は分かってたんだな」

「知っていました」


 シオンの声だった。

 二人が振り向く。

 シオンは壁に背をもたせかけたまま、構造体を見ていた。


「上層部は、最初から把握していました。暴走ではありません。

 この事象は誘発した結果です。QTRの出力限界値を測るための、

 計画的な過負荷実験です」

「なぜ言わなかった」

 日高が聞く。責める声ではない。確認の声だった。

「……言える立場ではありませんでした」


 シオンの視線が落ちる。


「私は研究員です。命令系統の外にいる。知っていても、止める手段がなかった」

「止めようとしたのか」


 シオンが日高を見た。


「……しました」

「結果は?」

「報告書を三回提出しました。三回とも、受理されませんでした」


 日高はシオンの目を見た。

 嘘をついていない目だった。

 止めようとして、止められなかった人間の目だった。


「テック、大河原陸将の署名が入った指示書類はあるか」


 テックが端末を叩く。


「……施設の管理権限ログに、北方方面総監部の認証が入っています。

 直接署名ではありませんが、指揮系統上の承認は取られています」


 大河原陸将。

 東亜連邦陸上自衛軍、北方方面総監。


 日高はその名前を頭の中に置いた。

 感情は後回しにする。

 今は状況を整理することだけを考える。


「同期率、96.8」


 テックの声が上がった。


「上昇速度が増しています」

「どのくらいで限界に達する」

「……このペースだと、十五分前後です」


 日高は構造体を見た。


 四人の少女。

 三年間、ここにいた。


 上層部の命令は「データのみ回収、人員は置いていけ」だった。


 日高は端末を出した。

 上層部への返信画面を開く。


 だが、何も入力せずに、端末を閉じる。


 真壁が日高の横顔を見ていた。


「先任」

「なんだ」

「シオンさんを後方に。動線を確保してください」

「……了解」


 真壁が動き始めた。

 シオンに近づき、立ち上がりを手伝う。


 そのとき、施設全体が鳴った。


 音ではない。


 振動だった。


 壁から、

 床から、

 天井から、

 同時に伝わってくる低い震え。


 構造体の制御パネルが、赤く点滅し始めた。


「自壊シグナルです!」

 テックが叫んだ。

「施設の自動消去プログラムが起動しました。カウントダウン開始——」


「ハッスル!」


 日高が短く言った。


「全員、離脱開始」


 全員が動く。

 だが日高は構造体の方へ向いた。

「被験体」と呼ばれた四人の少女と、彼女たちを守ろうとして挫折した一人の研究員。

組織の論理が個人の正義を塗りつぶそうとする瞬間、日高は初めて上層部への返信を放棄しました。

鳴り響く自壊の振動は、欺瞞に満ちた施設の終焉か、それとも新たな抗いの号砲か――物語は加速します。

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