魔女の素顔
ーー九条今宵は、いつも一人だ。
一人で居るのが好きなのか、人と関わるのが嫌いなのか、もしくは両方の理由かもしれないが、孤立している。
クラスメイトに話しかけられたとしても、彼女は一切口を開くことは無い。常に無言で押し通し、会話と言えない会話が終了するのは日常茶飯事だ。
休み時間などには毎回姿を消し、休み時間終了間際に教室に帰ってくる。昼食の時間も同様。九条今宵は自ら他人と壁を作っており、そしてクラス全体が、九条今宵に干渉する事を諦めたといった感じだ。
その徹底ぶりは大したもので、九条今宵の声を聞いた者は学校には居ない。
あまりにも人と関わろうとしないので、彼女は学校中の人間から避けられている。
『九条今宵には近づくな』
周囲の人間は、誰もがそう言う。
人は自分の理解が及ばない存在に対して、恐怖を感じる。
結果、九条今宵に関わろうとする者は一人も居なくなった。生徒は勿論、教師や用務員までもが現状に見て見ぬふりをしている。
恐怖心だろうが、悪意だろうが、はたまた面白半分だろうが、九条今宵を拒絶しているのは変わらない事実だ。
「最悪だ……」
さっきから傍観者気取りで語っている俺の名前は白井優紀。
身長は170cmちょいでやや痩せ型、面倒事には首を突っ込まないを信条にしている高校一年生だ。
九条今宵に対しては、自分に被害が及ばない安全な位置から傍観している卑怯者である。
臆病で卑怯者の俺は九条今宵から逃げ続けてきたが、今日ばかりは逃げようがない。二階奥の小さな空き部屋。半分物置と化したその部屋で九条今宵と掃除をする事になっている。
「よりによって九条今宵と二人きりで掃除とか何の罰ゲームだよ……」
口からは自然と溜め息が溢れてくる。
俺はコミュ力が高い方ではない。かなり低い方だ。
その俺と、典型的なディスコミュニケーションの九条今宵が一つの部屋に閉じ込められるのだから、さながら牢獄に入れられた人見知りの囚人の気持ちを味わう事になるだろう。出来ることなら逃げてしまいたい。
「おっす、災難だな。魔女と二人で掃除なんてよ」
机に頭を抱えながら突っ伏していると、ニヤニヤという擬音が聞こえそうな、憎たらしい笑顔で声をかけられる。こいつの名前は丸山(下の名前は忘れた)。人と話すのが苦手な俺に、何度無視しても気にせず話しかけてくる珍しい人間だ。正直、うっとうしい。
魔女というのは九条今宵のアダ名である。年頃の女子につけるには酷すぎるアダ名だと思うが、本人には知られていないらしい。
「うるせえ。お前にとっては他人事だろうが、俺にとっては死活問題なんだよ」
面白おかしそうに笑う丸山に対し、苛立ちながら返す。
九条今宵と二人で掃除する拷問イベントが待っているんだ。構っている暇はない。
「機嫌が悪いからって八つ当たりとか最悪ぅ~。DVとかしそうなタイプ~」
丸山はギャルの様な仕草で、わざとらしくクネクネしながら言った。
他人事だと思って面白がってんな。こいつの頭上から槍でも降ってこないかな。
「悪い悪い、そんな怒るなよ。良い情報を教えてやるから」
良い情報? 丸山が有益な情報を持ってるとは思えないが、一応聞いてみるか。
「情報ってなんだよ、教えろよ」
「ああ。九条今宵を怒らせると黒魔術で病院送りにされるから気を付けろよ」
少しでも期待した自分に失望した。
自分から良い情報を教えると言う奴はあまり信用しない方がいい。そのせいで俺は過去に二度、謎の壺を買わされている。理由は聞かないでくれ。
「黒魔術とか、あるわけないだろ。ゲームじゃあるまいし。そんな奴が居たら人体実験でもされてるか、今頃テレビで引っ張りだこだ」
こういう現実と妄想の区別がつかない馬鹿が居るから、ドラマの冒頭にこの物語はフィクション云々と書いてあるんだろう。ついでに昨今のアニメへの風当たりの強さも、丸山に全責任を取らせたい所存だ。
「マジだって! 隣のクラスの松田が欠席してるのは知ってるか?」
隣のクラスの欠席事情なんて知らない。そもそも俺と松田は面識がない。
だが話を止めるのも面倒なので、知っている体で話を聞くことにする。
「それがどうしたんだよ」
「松田は今、入院しているそうだ」
「それが九条今宵と関係あるのか?」
「九条今宵が何かしたらしい」
何かって何だよ、おい。抽象的すぎるだろ。
そんな曖昧な理由で九条今宵のせいにするのは、いささか可哀想すぎる。自分で直接見ていないこと、今回でいえば九条今宵に憶測で責任を押し付けるのは違うだろう。
会話しただけで相手を病院送りにするのは普通の人間の技ではない。それこそ魔女である。
「何かしたってなんだよ。妄想も大概にしろよ」
「いやマジだって!!」
丸山はふざけている様子はない。本気で言っているみたいだ。信憑性のない噂話を信じてる丸山に呆れて軽蔑の視線を送るが、全く気づいていない。
「へいへい、わかったわかった。気をつけりゃいいんだろ」
訂正するのも面倒なので、適当に忠告を聞いたふりをし、適当に丸山を手で追い払う。
追い払うのに成功したので、授業の準備をするためにバッグから教科書やらを出そうとすると……
「……!!」
背筋に観察されている様な視線を感じた。
視線に耐えかねて後ろを振り返ると、窓際の一番奥の席に座る九条今宵が目に入った。他に気になる奴は居ない。九条今宵は本を読んでいるが、隠れて見ている様な気がした。
「まぁいいや、とっとと準備するか……」
体を前に戻すが、背後にはまだ視線を感じた。
飼育されているモルモットの気分だろうか。もしくはカゴの中の鳥。自意識過剰すぎだろ、俺。すげー恥ずかしい奴じゃん……。
どうせ気のせいなので、振り返る事はせず、素直に授業の準備をする事にした。
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ーー放課後。掃除をするために、二階奥の空き部屋の前にやってきた。
ドアを開け部屋に入ると、中心に置かれた椅子に九条今宵が座り、一人で本を読んでいた。勿論掃除はしていない。
九条今宵は俺が来たのを横目でチラッと確認すると、掃除用具入れからホウキを取り出し、ゆっくりと掃除を始めた。
「もしかして来るのを待ってた?」
「…………」
九条今宵は無言でゴミを集め始めた。予想はしてたけど無視か……。
もとから返事は期待していない。俺も掃除を始めるか。
雑に置かれたダンボールを端に寄せ、掃除用具入れから、ちりとりを取り出す。そして九条今宵が集めたゴミを軽やかにゴミ箱へ運んでいく。
「げほっ、げほっ」
あまり使われていない部屋なので、ゴミをちりとりに集める度にホコリが舞い、つい咳き込んでしまう。
「俺もマスクをつけてきたほうがよかったか……」
ちらっと九条今宵の方を見る。
九条今宵は日頃から、顔を大きなマスクで隠している。隠しているという表現が正しいかは微妙だが、マスクを外した九条今宵を見たことが無い。黒髪のロングヘアーも大半前髪に持ってきているので、顔を隠している様にしか見えないしな。
顔を隠すのがいいかどうかは別として、ある意味掃除には適しているとは言える。
「とりあえず、ホウキで床を掃くのはもういいんじゃないか?」
「…………………………」
問いかけるも、やはり無言。先程よりも沈黙が長い。
聞こえなかったのか、もしくは無視されたのかを考えていると、九条今宵はホウキを用具入れに片付け、バケツを持ち、教室の外へと出ていった。
おそらく、水を汲みに行ったのだろう。意外にも掃除にはかなり協力的らしい。
コミュニケーション能力は欠如しているが、思っていた印象よりはまともなようだ。
「所詮ただの噂か。噂話に尾ひれがつくのはよくある話だしなー」
軽く呟きながらゴミ袋を取り出し、きつく縛る。
この様子なら何事もなく、九条今宵と二人の時間を乗りきれるだろう。
「今のうちにゴミ置いてくるか……ってうわ!」
一階のゴミ置き場に持っていくために教室を出ようとすると、絶妙なタイミングで帰ってきた九条今宵と激突してしまい、男子の平均的体型な俺と、少し小柄な女子の九条今宵とでは体重差があるので、九条今宵が一方的に転んでしまう。
更に追い討ちをかけるように、手に持っていたバケツの水が、転んだ拍子に全て九条今宵の頭にかかる。
「悪いっ、大丈夫か?」
九条今宵の身体は髪の毛から服まで水浸しになっていた。
突き飛ばしてしまった罪悪感から咄嗟に手を差し出すと、九条今宵は予想外のリアクションをとった。
「あーもう最悪っ! 髪も濡れてるしっ、マスクも変えなきゃ」
九条今宵はマスクを外し、更に変装用と思われる黒髪のカツラを外した。
人は服装や髪型で印象が変わるとは言うが、それを差し引いても、九条今宵は別人だった。
肩くらいまで伸びた毛先の軽い銀髪に、星空の様に輝いた翡翠色の大きな瞳。薄紅色に紅潮した桜のような唇と、病的なほどに色白の肌が相まって、儚げな美少女といった感じだ。あくまで容姿はだが。
「何よ」
九条今宵はむすっとした不機嫌そうな顔で俺を見ている。
「い、いや、その……」
容姿だけではなく、態度まで別人だった。
唖然としながら見とれていると、九条今宵は何かに気づいた様子で、目の前まで歩いてきた。そして人差し指をピンと差し、こう言った。
「誰かに話したら、呪うから」
魔女というアダ名は、ある意味正しかったのかもしれない。
そう言い放った九条今宵に一切の笑みが無く、氷の様に冷たく無機質な瞳で睨み付けている。
顔が整っているゆえに、その目力は強い。体からは大量の冷や汗が出てしまう。手汗もぐっしょりだ。
「の、呪うって?」
若干声を震わせながら必死に絞り出したのは、単純な質問だった。
「そうね……」
九条今宵は眉一つ動かさずに、考え始めた。
三十秒程経過した辺りで考えがまとまったのか、「それなら……」と話し始める。
「23年後にハゲる呪いとか」
「妙にリアルで嫌だ!!」
「じゃあ死ぬとか」
「軽く言う事じゃないだろ!?」
九条今宵の表情に笑みは無い。何事もないように言うので、冗談で言ってるのか、本気で言ってるのかはわからないが、少し静寂が紛れた。
「とにかく、絶対に言わないこと!」
九条今宵の翡翠色の瞳は、真っ直ぐと俺の目を捉えている。
その澄んだ瞳から滲み出る威圧感には、絶対にノーと言わせない圧力が込められていた。
「わかったわかった。誰にも言わないから」
真剣な眼差しに、半ば強制的に返事させられてしまう。
その言葉に満足したのか、九条今宵は俺から視線を外した。
「そっ。ならいいわ」
九条今宵は自分のバッグから新たな黒髪のカツラを取り出し、絹糸の様に繊細な銀髪を無理矢理押し込んで、顔が隠れるようにつけていた。
予備のカツラまで持ってきてんのかよ。よっぽど顔を見られたくないんだな。
「じゃっ、そゆことで」
そう言いながらマスクを付け、颯爽と教室から出ていってしまう。当然ながら、掃除は終わっていない。水浸しの教室にただ一人、取り残されてしまった。
「っつーか、バケツくらいは片付けていけよ……」
一人きりの教室に、俺の切実な願いだけが悲しく響いた。




