幕間 審判
(視点が変わります)
狭間健耶は自問していた。
自分のやっていることは正しいのか?
どう見てもヒポクラテスの誓いには反している。
が、現実はなかなかに厳しい。
市立矢府病院では財政難で必要な機材ももう何年も故障したままだった。
ふと、机の上に出しっ放しになっていた医学ジャーナルの冊子が目に入った。
須鯉大学病院の真田賢也のグループがiPS細胞を用いて脊髄損傷で歩けなくなった患者の回復に成功したという。
賢也とはポリクリの時に知り合った。同期であり、名前の読みが一緒ということもあって、すぐに賢也とは意気投合した。
飲み歩いて、熱く将来の夢を語り合ったこともあったっけ。
彼は最先端医療に強い興味を示していた。
一方の自分は地に足を付けた身近な医療を志していた。
大学病院の偉ぶった医者より、町医者の方が格好いいと思っていた。
それがどうだ。
今は開業医を始める気にもならず、ただ、日常の業務に忙殺されている。
しかも、かつての理想とはかけ離れている。
もしも、あの時、自分が手に掛けなかったら、あの患者は歩けるようになっていたのではないだろうか。
いずれ他の部位、目や脳も医学の発展と共に治療できる症状は増えてくるはずだ。
となると、救済計画は急がない方が良い。
携帯が鳴り、非通知の番号に顔をしかめつつ出ると、やはりボイスチェンジャーの男だった。
「狭間先生ですね?」
「そうだが、今度はなんだ? 脊髄損傷の患者なら、お断りだぞ」
「ああ、今月の医療ジャーナル、あなたも見たようですね。ええ、それは後回しにするつもりですからご心配なく。我々としては最善の医療をより多くの患者に提供するための活動であって、治療の見込みのある患者に対する安楽死は考えていませんよ」
「だといいが。だいたい、違法なことだぞ」
「ええ。ですが、硬直した法律や世論を意識していては現実が立ちゆかなくなります。あなたの病院だって予算不足で色々と困ってるんじゃないですか?」
「まあ、そうだが。今年も予算が削られたからな。そのくせ、博物館は新しく作ったそうじゃないか。市長や市議会は何を考えているんだか」
「教育もまた必要な予算なのですよ。公共工事で多くの雇用や税収も産まれます」
「乗数効果か。脊髄損傷の患者が社会復帰して経済活動に参加しても税収は増える気がするがな」
「それはそうでしょうね」
否定してこない。食えない男だ。
「で、今日の用件は何だ」
「今からそちらに患者が救急搬送されます。最優先で治療をお願いできればと」
「治療? 筋弛緩剤でも入れれば良いのか?」
「いえいえ、本当の治療ですよ。重要人物です。有能かどうかは別としてね」
「ふうん? 分かった」
ボイスチェンジャーの男には色々と医療訴訟をもみ消してもらったりと借りが有る。いや、弱みを握られてしまっていると言った方が適切か。
少なくとも、今、彼から離反するつもりは無かった。
「先生、救急です。六十代男性、腹部に裂傷、暴漢に刺されたそうです」
「分かった、すぐ行く」
入れ墨でもしていそうな患者だが、先ほど依頼も受けたし、誰であろうと治療しないわけにはいかない。
手を洗ってアルコール消毒してから手術室に入る。
「痛い痛い! ちっ、あいつめ、死刑にしてやる!」
手術台に載せられた男が叫き散らしているが、随分と活きが良い。死にそうには無いな。
「動かないで下さい!」
看護師が押さえているが、ひとまず鎮静剤でも打っておくか。
「暴れて喋ってると腹部の出血が酷くなって危険ですよ」
自分もそう言って脅しておく。
「くっ。助かるんだろうな?」
「それは分かりません。大人しく治療を受けてもらわないと」
100%助かると思うが、嘘も方便だ。
「おい、ワシはこの市の市長だぞ。なんとかしろ」
「ええ? まあ、最善を尽くしますがね。いったい、どうしたんです?」
「博物館建設反対の奴らがレセプションになだれ込んできて、やられたんだ。テロだよ。警備責任者はクビにしてやる!」
「ああ、分かりました。落ち着いて」
「健耶先生、破水した妊婦が搬送されてきます! 片足だけ出てきてると」
看護師が手術室に入ってきて言う。
「まずいな」
不全足位、逆子だ。普通の赤ちゃんは妊娠後期になると頭の重さによって子宮の中で下を向き、頭から産道を通って産まれてくる。
それが逆になると、危険性が増す。
日本を含めた先進国の妊産婦死亡率は極めて低いが毎年40人ほどが亡くなっている。
出産に手間取って出血や酸欠という状況になれば助かったとしても重大な後遺症を招くこともある。
しかも、夜勤当直医は自分一人だけときた。
「この手術室で対応する。こっちに搬送してもらって」
「分かりました!」
「おい、ワシの手術はどうなるんだ?」
「それもちゃんとやりますよ」
重症患者が優先だなんて言おうものなら、後で病院の予算が削られそうだし、ここも方便。
「ええい、他に医者はいないのか!」
「いませんね。もう少し予算を回してもらえれば当直医が増えるんですがね」
「分かった。後で回すよう、手配しておく」
「そりゃどうも」
言ってみるもんだ。
「真銅め、もうちょっとマシな病院に手配すればいいものを…」
市長が不満そうにつぶやいたが、ふむ、あのボイスチェンジャーの男、あの心理学者だったか。
「先生、マスコミと弁護士だって言い張る患者さんが、早く治療しろと騒いでるんですが」
看護師がやってきた。
「重傷か?」
「いえ、縫う必要はありますが軽傷です」
「なら、ガーゼ貼って、別の病院にタクシーを回すよう言っておいて。こっちは最低でも三時間待ちだってね」
「分かりました」
たらい回しと後でバッシングされそうだが、知ったことか。




